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魔法学園へようこそ!  作者: cymbal
第3章 殲滅魔術師
32/42

リーベルカ

「あなたたち、知り合いなの?」


 休日。混み合う大通りで行き会い、驚いた様子で向き合うユウとホタルを見比べて、リーベルカは素っ頓狂な声を出した。元々は彼らに会うためにこの学園にやってきていたのだ。早々に出会えて幸運だと思っていたものの、ホタルの反応に頭が真っ白になった。

 とはいえ、真っ白なのはリーベルカだけではなかったようだ。ホタルも呆然と、幽霊でも見つけたような表情で今もユウの顔をまじまじと見つめている。ただ知り合いに会っただけというには過剰な反応に見えたが……ユウ様、という呼び名と何か関係あるのだろうか。


 リーベルカが再びこの学園に出向いた理由は、学園を守る大規模な結界を解消する手段を探すためだった。目の前で退屈そうな表情を浮かべる少年にはそのための力があると考えられ、彼の意思と能力の程度を確かめたいと思ってやってきた。

 この学園の生徒に、攻め込むために帝国の味方をしろというのは容易なことではないかもしれないが、彼にとってのメリットが提示できれば、可能性はあるだろう。


 とはいえ……それをうまく提示できるかいまだ自信もない。冷めた様子のユウを見ていると、周囲の物事に対してはあまり関心を持って臨んでいない性格なのだろうと思う。

 それは、もう少し話をしてみて探っていくしかない。


 そう切り替えてホタルの方を見ると、最初の衝撃からは回復してきたようだった。目をこすり、もう一度しげしげとユウのことを眺めている。幻でも見たと思ったのだろうか。


「その動き、馬鹿っぽいぞ」

「ひっ!? やっぱり本物!」

「仮に偽物だったとして、なんでお前の名前を知っているんだ。さっき名前呼んだだろ」

「あ、あ、あ……」


 また固まってしまうホタル。悲壮な表情だが、出会って連れまわしてとこの数日で、リーベルカにとっては見慣れた表情でもあった。なんとなく少し和む。


「ユウさん、あんまりいらないこと言わない方がいいんじゃないですか。怖がってますよ?」

横でふたりを見比べていたユイリが呆れた様子で口をはさむ。

「そうか?」

「はい。ごめんなさいしましょうね」

「いや、しないが」


 硬直するホタルのその脇で、ふたりは能天気な会話を交わしていた。


 ユイリのまとう雰囲気は先日会った時より明るい雰囲気になっているように感じる。それは春から交わしている手紙でのやり取りで、彼女の内心を聞いていたからかもしれない。

 結界破りの事件を経てひとつ前向きな気持になった、と手紙にはつづられていた。

 昨年度以前のユイリの爪に火をともすような貧乏生活は部下から報告が上がってきており、校舎と自室と山と錬金術ギルドの往復でほとんど完結するような生活と比べてみれば、表情が明るくなるのも当然かもしれない。


 ユイリとぶつぶつと言い合うユウに、その横で苦笑するチサ。妹や弟、町の子供のまとめ役をこなして育ったユイリからしてみれば、年下の世話を焼きながら日々を過ごしているのが性に合っているのだろう。


「奇遇ね、ユイリ」


 ホタルの回復を待っていても埒があかないので、とりあえず捨て置くことにする。

 挨拶をするとユイリはにこにこと笑って頭を下げた。


「お久しぶりです、リルカさん。こちらにいらしていたんですね」

「ええ、何日か前から。急に決まったことだったから、連絡もできなくてごめんなさいね」

「いえ、いえ。やっぱり今ですと、魔法発表会の見学とかですか?」

「うん、それもあるわね」


 適当に話を合わせながら、魔法発表会は何だったかと考える。たしか、この時期に行っている研究発表会だったはず。

 帝国の都リュミエールでは同様の催しが秋にあるが、この学園ではこの時期だ。そういえば、世界一有名な学会の一つ、というようなことを聞いたことがあるような気がする。特にそれを狙ってきているわけでもないが、外向きにはこの地を訪ねた理由にしておく。


「イヴォケードの発表会は有名だから、一度見ておきたかったの。今年はたしか、部活連も参加するんでしょう?」


 イヴォケードの東にある国、リムトの王子がイヴォケード魔法学園にご執心らしく、補助金を出す代わりに色々と要求したという噂を聞いたことがある。あの王子がご執心なのはこの学園というだけではなく、学園に通うようになったヴェネト王国の王女も含まれるのかもしれないが。

 なんにせよ、その影響もあるからか今年は例年以上に世界各国の要人が集まることになるそうだ。

 リーベルカとしては、魔法発表会当日は変装するか身を隠すしかないだろうと考えているが。なにせ、この日はイリヤ=エミール帝国の筆頭帝位継承権を持つ長兄がこの学園に公式訪問することになっている。


 第一皇子アイズ・ロブロ・グレンディック・ティル・イリヤ=エミール。

 褐色の肌に穏やかな細い目、やや淡白だが整った顔立ちで国民の人気も高い。すでに近衛の一部を手足として使っていて、実質的な戦力も手にしている。老齢に差し掛かった皇帝に代わって使節として世界中を巡っており、次代皇帝としての地位を固めている。

 帝国を背負って立つ有能な皇子だが、その重責のせいか闇を抱えていて、腹違いの妹であるリーベルカを妾にしようと何年も前から言い寄ってきている男でもあった。

 何度となく狂気を奥に秘めたまなざしで愛をささやかれたか知らないが、彼らから逃げ回ることもリーベルカにとって日々必要なことのひとつだった。


 思い出したくもない人物が浮かんでなんとなく心中どんよりしたものになるが、それを顔に出すほど正直者でもない。

 ユイリも特に気付いた様子もなく、リーベルカの相槌に頷いた。


「今日はその準備をしていたんです。魔法発表会での出し物で必要な素材がありまして、山に採集に行っていたんです」

「天気も良かったから、気持ちよかったでしょうね。箒で行ったんでしょう? 私も、久し振りに乗りたいわね」


 日常的には徒歩か魔道馬車での移動が多く、リーベルカが箒に乗ることはあまりない。だが、空を飛ぶ感覚は好きだった。空中浮遊は魔力の消耗が気になったり、地に足のつかない不安があったりと苦手な者もあるが、自分が解き放たれるような感じがして好きだった。

 貴族でそう考える者はどちらかというと少数派だが。


「この学園の空は飛びやすいですから、お互い時間が空くことがあれば一緒に山の方に飛びましょう。わたし、山のことには詳しいですから、色々ご案内しますよ」


 ユイリの母親は森の民の出身だ。森の民は草木を素材にあらゆる薬を作ると言われ、部族内で秘匿している伝統技術の一部は現代の最新錬金術を凌ぐものもある。

 町の錬金術士であった亡父の技術と少数民族森の民の秘伝、その両方を受け継いでいるのだろう。


 リーベルカはそう考えたものの、実際のところユイリは森の民の技術については大層なことは知らない。彼女の母親は薬師の家系ではなかったため、大雑把なことしか知らなかったのだ。


 ユイリの気軽な誘いにリーベルカは心が弾んだ。錬金術への興味や素養はなくとも、野山を散策するだけでも楽しそうだ。イヴォケード山脈は高名な秘境。一度歩いてみたい場所でもあった。


「あなたがそう言ってくれるなら、お言葉に甘えようかしら」


 裏のない、好意的な言葉に笑みを浮かべつつ、視線をユイリの横に動かす。先ほどから陰に隠れるようにして黙って様子をうかがっていた小さな姿。


「あなたは……チサさん、かしら?」

「ひっ、は、はい」


 殲滅魔術師、チサ・ツヴァイクは有名な存在で一通りの情報は知っているが、そのあたりは隠しておいた方がいいだろう。

 小柄で幼い印象があり、若干ホタルと同じ匂いを感じる。

 少しだけ背をかがめて笑いかけるリーベルカに対して、おっかなびっくり返事をしてくる。

 だが、ホタルよりは頭回っているようで、ユイリの後ろに半分隠れながらもぺこりと頭を下げる。


「チサ・ツヴァイクです。魔法科の一年生です」

「私はリルカ。ユイリとはお手紙のやり取りをしているお友達なの。あなたのことは聞いているわ」


 ちらりとユイリに目をやる。


「素敵なお友達だって」


 そこまでは書いていなかったが、とりあえず持ち上げておく。


 チサは照れた。感情をうまく隠すことは不得手なようで、かああぁっと顔が真っ赤に染まる。幼く見える少女だが、一瞬その外見以上に幼く見えた。

 あまり人と触れ合ってこなかったから、良くも悪くも純粋なのかもしれない。


「そ、そんなすごくないです……。私、役立たずですし、ごみみたいな……」

「ん、んん? そこまで卑下しなくてもいいですよ?」


 ユイリがツッコミを入れた。気の置けないような声の掛け方で、どうやら結構うまくやっているようだ。


「足手まといですけど、今は全然だめですが、いつかは……」


 伏し目がちで暗い少女だが、そう言う時だけははっきりと顔を上げた。後ろ向きな性格だが、心は固いようだ。そんな様子に、リーベルカは素朴な好意を抱く。

 彼女が学内で殲滅魔術師、などと険のある言い方をされていることは知っているが、この少女の見た目からはそんな雰囲気は感じられなかった。

 個人で最新鋭の兵器すらもしのぐ破壊力を持った魔法には興味をそそられるが、危険極まりないうえ制御できていない力に興味はない。少なくとも、今回の目的には含まれないだろうと決め、軽く挨拶をするだけに留める。


「この子の紹介もしないとね。……ほら、ホタル、そろそろしゃんとしなさい」

「ひぇっ、は、はいっ」


 上ずった声でホタルが答える。

 リーベルカにホタルの世話する義理などないが、なんとなく、しっかりやれとやきもきした気持ちになってくる。付き人もそれなりに頭が回っていなければ、主人も馬鹿だと思われる。


「ホタル・ビャクレンジと申します。こちらのリーベひんっ!?」


 ルカ、と本名を言おうとしたホタルの脇腹に人差し指を差し込むリーベルカ。

 首筋を掴み、説教するため少し離れた場所へと連行する。


「あ、よ、よかった……。生きてる。指だった……」

「……」


 失言したらすぐさま脇に短刀でも差し込むと思われているのだろうか。

 リーベルカの傍仕えにして大して時間は経っていないせいか、彼女の中にある暴虐な支配者という像はいまいち崩せていないようだ。祖国が戦争ばかりしているせいで、支配者層にそんなイメージでもあるのだろうか。


「あの子たちの前では、私のことはリルカと呼びなさい。この学園に興味のある、帝国の道楽貴族っていう設定なの」

「わ、わかりました。でももっと穏やかに気付かせてくださいよぉ……」

「穏やかだったでしょ、十分」


 言い合いながら帰る。

 ぽかんと見守っていた様子のユイリににこりと笑って封殺し、ホタルに挨拶をするように促す。


「わ、わたくしはリルカ様のお世話をさせていただいております。どうか、よろしくお願いいたします」

「さっき名前を呼び合っていましたが、ユウさんとはお知り合いなんですか?」


 リーベルカも知りたいことをユイリが聞いてくれた。

 ユウとの距離を詰めたいと考えている今、ホタルが彼とのつながりを持っているならば使い出があるかもしれない。


「えっ!?」


 驚いた表情になるホタル。尋ねられて当然だろうに、心の準備はしていなかったらしい。


「ゆ、ユウ様……」


 すがるようなまなざしをユウに向けた。

 彼女らのやり取りをぼおおおっと聞いていたユウは、呆れたように肩をすくめてみせた。


「別に隠すほどのことでもないだろ。こいつはこの学園に来る前まで、身の回りの世話をしていた奴のひとりだ」

「あ、そうなんですね。でしたらわたしはホタルさんの後輩ということになりますね。ユイリ・アマリアスといいます。今はわたしがユウさんのお世話係をしています」

「は、はぁ、そうですか。苦労されているようで……」

「は?」

「ひえっ!?」

「ユウさん、いけませんよ?」

「……」


 ユイリにいさめられると、むっつりと黙るユウ。

 なんだか、ユイリはちゃんと彼の手綱を握っているようでおかしい。ふたりの間には信頼関係があるようだ。

 そう考えてみて、ユウを動かすにはユイリの協力を募る方向がいいのだろうかという思いが首をもたげる。ユウ自身はあまり何かに興味を持つということがないようだったが、その彼もユイリの言葉には耳を傾ける。

 ……なんにせよ、もう少し両者の関係を見ていたい。


「久しぶりに会ったのだし、つもり話でもあるでしょう? よければ、お店にでも入らない?」

「そうですねえ。わたしたちも特にやることがあるっていうわけでもないですし、そうしましょうか?」


 こうして偶然会えたのは幸運だ。せっかくの機会、もう少し話をしていたい。

 それに単純に、久し振りに彼女らと話をしてみたかった。ユイリに対しては年下の友人というような感覚があり、彼らと一緒に街を歩くのは楽しそうだ。


「つもる話って……別にこいつと話なんてないぞ」

「そうですか? 結構、つもっていませんか?」

「つもってない」

「うっすらと?」

「つもってないから」


 馬鹿話をするユイリとユウ。

 ユウの方は、特別ホタルと旧交を温めたい様子でもない。ホタルの方も、そわそわとしていて帰りたそうな様子が見て取れた。知り合いではあるようだが、親しい関係というわけでもなさそうだ。主従関係なんて、大体がそんなものだろう。


 とはいえ、どこか飲食店に入るのを嫌がるほどでもないようだ。リーベルカが歩きだすと、他の集団もその後ろに続いてくる。


「ホタル」


 影のように付き従う少女に小声で話しかける。存在感がないのか訓練でもしているのか、いつの間にか傍にいることの多い少女だ。


「はい、なんですか? あ、お店わたくしがお選びしましょうか?」

「別にいいわ。自分でできるから」


 すげなく答えると、ホタルはちょっぴりしょげていた。


「あなた、あの子と知り合いなのよね」

「ユウ様ですか? はい、幼い頃からお世話係をさせていただいておりました。専任というわけではありませんでしたが」

「彼の直接干渉に興味があるの。あなたの知っている範囲で構わないから、教えてくれないかしら」


 手短にでも、情報は聞いてみることにする。ホタルにはこの学園を訪れた目的は話していないので、単純に興味があるというような素振りで尋ねる。

 ユウ・フタバの直接干渉。その力がこの春、中央通りを覆う結界を破ってみせたことは知っている。人から聞いただけではにわかに信じられないようなことだが、リーベルカはそれを間近で見ていた。とても個人で破れるような生易しい魔法には思えなかったが、一瞬で、いともたやすく無力化してみせた。

 あの結界は学園を包み込む守護結界の一部を担っていた。あれを無効化できるなら、全体を無力化することもできるのかもしれない。

 今回ここにやって来たのはその能力の確認ということが大きい。


 だが、実際それをどう確認するのか、というと特に決めてはいなかった。まさか試しに学園の結界を破ってもらうわけにもいくまい。彼の魔法がどんなものなのか、もう一度よく見てみたい。その能力のあらましも聞きたい。

 リーベルカの問いに、ホタルは戸惑ったように彼女を見上げてくる。


「それは……なぜ、お知りになりたいと考えているのでしょうか?」


 先ほどまではあわあわと年相応に(あるいはそれ以下に)慌てていたホタルだったが、リーベルカの問いにすうっと波が引くように幼さは消えて静かな面差しになった。瞳の色さえ一段と深くなったような気さえする。

 ユウが扱える直接干渉という特殊な力。この話はホタルにとって、冗談や雑談では済まされないようなもののようだ。そこには何か、秘密か謎か、含みがある。話が単純に進むわけでもなさそうだ。

 だが、今ここで目的のすべてを話すのは悪手な気がした。もう少し信頼関係を育んでから切り出したい。


「イリヤ=エミールにも片手に数えるほどしかいない直接干渉魔法よ? そんな珍しい力、詳しく知ってみたいと思うのは当然でしょう。間近で見てきたから感覚が麻痺しているんじゃない?」


 無邪気な様子を装い、一般論で答えておく。

 だが、ホタルをそれなりに説得する役には立ったようだ。「それはそうかもしれません」とつぶやくと、かたくなな様子は少しだけ薄れた。


「たしかに珍しいお力であるとは言えますが、それだけというわけではありません。えぇと、わたくしはうまくお伝えする自信はないのですが、ユウ様のお力は特殊なんです。珍しいという以外のものがあるんです。きちんと役目を持った、里で大事にされているお力で、口外が許されないこともあったりして、むしろほんとはわたくしがユウ様とお知り合いだったことも言ってはいけない範囲だと思うのですが……」


 ホタルは困ったようにそう返事をした。なんとなく、ぽろぽろと言葉の端々に機密が漏れているような感じがする。元々の気質として、隠し事が得意なわけでもないようだ。

 だが、正面切って全て洗いざらい話してくれると期待しない方がいいだろう。


「事情があるなら、無理矢理聞くわけにはいかないけれど。私は聞きたいことを聞くから、あなたは言えるところだけ答えてくれればいいわ」


 いざという時は無理矢理口を割らせる必要があるかもしれないが。今はこう言っておけば、相手は口を滑らせる機会も多くあるだろう。

 だが、こんな道中で聞く時間はない。


 リーベルカは周囲を見渡すと、目についた喫茶店に足を向けた。











 喫茶店のボックス席に一同身を沈めると、何となくほっとした空気が流れた。リーベルカにとってはこれからが交渉というような段階なのだが。

 ユイリたちと行き会う前からそれなりに学内を歩き回っていたので多少は疲れていたのかもしれない。


「ご注文は?」


 土気色の顔をしたボーイが音もなくやってきた。幽鬼のような表情にリーベルカはぎょっとする。

 どこぞの刺客とでもいうような風貌だったが、どうやらただの元気のない土気色の顔をした店員のようだ。紛らわしい。


「アイスで」


 ユイリは簡潔に答える。だが、その後には誰も続かなかった。

 リーベルカはテーブルの上を眺める。メニューがないし、店員も持ってこなかった。こういう飲食店の場合は、食べたいものをメニューから選んで注文するはずなのだが。


「あ、アイスでっ」


 若干の間をあけたのち、チサが言う。どう見ても、ユイリの言うことを繰り返しているだけという様子だった。ひな鳥みたいな様子にリーベルカは少しだけ笑う。


「……あ、すみません、初めてですよね。このお店はアイスコーヒーかホットコーヒーしかありませんよ。そういうチェーン店なんです」


 呆然とした様子の一同にユイリが説明してくれる。

 土気色の店員は横で棒立ちをしている。あなたがそのあたりの説明をすればいいんじゃない? などと言いたくなってもくるが、元気がなさそうなのでやめておく。


 ユウ、ホタル、リーベルカも冷たい飲み物を頼む。

 そろそろ夏の気配を感じる陽気だ。

 イリヤ=エミールは砂漠も近く日中は気温が上がりやすいが、お茶は熱いものを飲む習慣がある。リーベルカもどちらかというと熱い飲み物の方がしっくりくる方だが、冷たい飲み物が嫌いというわけでもない。


 注文を聞くと、顔色の悪い店員は店の奥の方へと去っていく。浮遊魔法で横滑りに移動しているかのような歩み方だった。

 ちなみに箒などの媒介を用いずに浮遊魔法を使用するのは高等技術で、何も持たずに横滑りに浮いて移動するのはかなり難しい。リーベルカにはできない。

 高等な暗殺者などになるとああいう滑るような動きを自然にできるというが、ああいう感じなのだろうかとリーベルカはぼんやりと考える。

 まあ、あの店員は元気のないただの店員だろうが。


「それじゃ、わたし、お水取ってきますね」

「あ、お手伝いしますっ」

「うん、ありがとうございます。では行ってきますねっ」


 ユイリが席を立つと、すぐさまチサが続いた。なんだか仲のいい姉妹のようだ。見ていると、なんとなくほのぼのとした気持ちになってくる。

 礼を言って彼女らを見送ると、後には腕を組んで虚空を見やるユウと、不自然に背筋を伸ばして緊張した様子のホタルと、リーベルカだけが残された。会話の仲立ちをするユイリがいなくなると、途端にテーブルが静かになる。


「あなたはお手伝いをしなくていいの?」


 冗談めかして三人組から置いていかれたユウに声を掛けると、どうでもよさそうに肩をすくめてみせた。まるっきりリーベルカには興味を持っていないようだった。

 不快に思うところなのかもしれないが、こうも自然に軽んじられるのはなんだか新鮮だった。

 リーベルカは宮廷の中で軽んじるられることは多いのだが、それでもそもそも皇族だ。彼女を軽んじるには相応の心づもりが必要なので、宮廷の中では嘲りながらも緊張した様子の者が多い。それが、ユウはいとも自然体でリーベルカのことを軽く見ている。なかなかできることではない。

 リーベルカは感心したようにユウの様子をまじまじと見つめる。いつの間にか軽んじられ方を楽しめる度量が生まれてきていた。高貴な生まれとして、それがいいことなのかどうかはわからないが。


「飲み物を取りに行くのに、三人はいらないでしょうけどね」


 話を向けたがすげなく対応され、半ばごまかすようにつぶやく。

 手持ち無沙汰に奥の方で水差しから水を用意しているユイリとチサの姿を眺めた。水を用意しているだけなのに、なんだか楽しそうな後ろ姿だった。あちらに行けばよかった。どうでもいいが。


「ユウ様には、そんなことさせられませんよ」


 フォローするようにホタルが言うが、よく考えると彼女こそ水を持ってくるなど細かい仕事をする場面ではないのだろうか? という疑問がリーベルカの頭に浮かんだ。まあいい。


「コーヒー、久し振りです」


 ホタルは人の気も知らず、うきうきとした様子だった。


「あの、リルカ様、このシロップは入れ放題なんでしょうか?」


 テーブルの上に置いてあるシロップや砂糖、ミルクの入った瓶を物珍しそうに眺めるホタル。まるっきり子供みたいだ。


「そうなんでしょう」

「すごいですね。持ち去られたりしないんでしょうか?」

「……したら怒るわよ?」

「しませんよっ? ただ、さすが都会だなあって思いまして」

「あなたイズミヤの出身でしょ? あそこも十分都会でしょう?」

「んん? あ、それはそうかもしれませんねっ」


 はしゃぐホタルに雑に相手をしていると、途端に彼女は困ったように口ごもった。

 リーベルカは違和感を覚える。

 以前、ホタルと初めて会った時、彼女は帝国の大都市のひとつ、イズミヤの出身だと言っていた。ユウの世話をしていたということは、同じ場所の出身なのだろう。

 だが、ユウのプロフィールは確認している。彼はたしか、赤道直下にある南の小国、プナーの出身になっていたはず。

 出身と彼らが住んでいた所は必ずしも同じではないだろうが……身分を偽っているのかもしれない。

 ユウか、ホタルか、両方か。


「……」


 直接干渉。特殊な力。付き人を付けるような出自のユウ。チサの都会ずれしていない立ち居振る舞い。

 疑惑が湧いては消えていく。ユウの魔法の可能性も気になるが、そもそも素性はどうなっているのだろうか。


 軽く探りを入れてみることにする。


「そう思うと、あなたも私とは同郷ということなのね。同じイリヤ=エミールの民だと思うと、親近感がわくわ」


 にこりとユウに笑顔を向けると、特に感想もなさそうな眼差しが返ってくる。文字通り、話にならないという感じ。

 ユイリが仲立ちにならないと会話にならなそうな気がする。リーベルカは心中で息をついた。


 かちゃりと音がして顔を上げる。傍らには先ほどの店員が音もなくやってきて、コーヒーを並べていく。ユイリたちも帰ってこないのに、驚くほど早い。メニューを極限まで絞っている分、提供は早いようだった。

 三人、テーブルに飲み物が並べられていく様をじいいいいっと無言で眺める。店員が去ると入れ替わりに、ユイリとチサも戻ってきた。


「あ、さすが早いですねぇ」


 ユイリは固くなった雰囲気に頓着なくそう言うと、全員に水を配った。一気に空気が和らぐ。独特の存在感を持った少女だ。和み属性とでもいおうか。


「ユウさん、ミルクとシロップは入れますか?」

「ミルクだけ」

「うん、どうぞ」


 甲斐甲斐しくユウの世話を焼いている姿は、どことなく楽しそうだった。とはいえふたりの姿は甘い印象はあまりなく、姉と弟みたいな様子だ。お互いのやり取りには信頼に裏打ちされた雑さがある。

 リーベルカにとっては兄妹はこんな関係にはなりえないものなので、少しだけ羨ましいような気持が湧いてくる。

 長兄は腹違いとはいえ妹に禁断の愛をささやくやばめな男で、次兄は敵意をもってとかく対抗してくる。他の兄たちももう謀殺されているか冷笑か無視かという対応だし、姉たちは語彙力の限りを尽くしてリーベルカのことを貶めてみせる。ただひとりの年下の姉妹であり同じ母の血を受けた妹ならばまだ修復の余地はあるような気もするが、そもそも顔を合わせる機会はあまりない。


 自分が誰かとこんなやり取りをする時はたぶんこないだろうと思うと、ほろ苦い気分になる。

 リーベルカは気を紛らわせるようにアイスコーヒーを飲んだ。


「……」


 味の薄さにびっくりして思わず口を離してものを見やった。周囲を見渡す。


「んー、喉渇いていたからおいしいですねえ」と、ユイリ。

「そうだな」と、ユウ。

「む、に、苦いです」と、チサ。

「あー、久し振りのコーヒー幸せですー。でもわたくし、コーヒーは二杯飲むとすぐに頭が痛くなっちゃうんですよね」と、ホタル。


 一同、味については特にコメントなどないようで、不満そうな様子もなくアイスコーヒーを堪能していた。

 それを見て、リーベルカは悟る。


 この人たち……みんな貧乏舌だ。


 そう思った後、苦笑して頭を振った。そんな感想は、今はどうでもいい。


「故郷の方だとアイスコーヒーは飲まないから、なんだか新鮮な感じがするわ」

「あっちのほうは、あったかい紅茶が多いんですよね?」


 ユイリが律儀に相槌を打ってくれる。


「ええ。でも、ホタル。あなたは冷たいのも飲み慣れているのね。イズミヤ出身のわりに」

「へ? え、ええ。まあ、家訓でして」


 話を振ると、ホタルは一度硬直してから話し出す。

 ……嘘っぽい感じがする。

 本当に彼女はイズミヤ出身なのだろうか? きちんと確認をしていなかったが、調べておく必要がありそうだった。とりあえず、軽く突っ込んでみる。


「それに、イズミヤはあまりコーヒー文化ではないでしょう」

「え、ええ。か、家訓ですから」

「ふぅん……?」


 疑わし気に彼女を見ると、硬い表情でほほ笑んだ。


「えへへ、か、家訓……」


 壊れたゴーレムみたいになってきた。額にじっとりと汗が浮かび始める。

 そんな様子を見て、ユイリが口を開く。


「イリヤ=エミールのイズミヤですよね? そちらが出身なんですか?」


 窺うような口調だった。困ってる様子のホタルに助け舟でも出したのかと思ったが、そういうわけではない。

 言いながら、ユイリがちらりとユウに視線をやる。彼女はどうやら、ホタルの出身を聞きながら、むしろ同郷であろうユウの出身を確認したいようだった。

 ユイリはユウとの間に信頼関係はあれど、彼の身の上に対する知識はないようだ。ユイリが学園の執行部とつながっているのは調査済みだが、彼女は何も知らされずに付き人の仕事だけをさせられているのだろう。

 リーベルカはそう当たりを付け、それは事実だった。

 彼女は分をわきまえてあまり踏み込まないようにしているのだろう。だが、興味も当然あるようだった。


 さて、質問されたホタルは……と、視線を移す。


「ん? んん? ええ、まあ、ええ」


 ぷるぷる震えながらコーヒーを飲もうとして、中身をこぼしていた。


「ぴゃあ!」

「わああっ!? 大丈夫ですか?」

「ひええ! ごめんなさい!」

「うるさ」

「ユイリ、店員を呼んで。ほら、ホタル、ハンカチ使っていいわ」

「そんな、姫様、恐れ多い……!」


 どたばたしている中でぽろっといらないことまで言うホタル。

 リーベルカは冷めた目で彼女を見やりつつ、コーヒーまみれになったテーブルを拭いてやった。

 ……先ほど、ユウとユイリの様子を見て姉弟のように雑に気遣う感じが羨ましいと思ったが、期せずして大体そんな感じの展開になっていた。そして、特にそれを嬉しいとも思わなかった。


(この子ダメだわ)


 とりあえず、失笑と共にそんなことを思う。それでいて、ならば切り捨てるとも考えられないのが、多少なりとも情にほだされてきている証なのかもしれない。


「あ、あの、私のハンカチもどうぞ……」

「うん、ありがとう」

「ひええ、ひええ……!」


 おずおずとハンカチを差し出すチサに礼を言いながら、リーベルカは何とも言えない息をついた。

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