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魔法学園へようこそ!  作者: cymbal
第1章 校長候補生
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再会

 ユウ・フタバ。

 校長候補生。

 わたしがこれからお世話することになる新入生。


 お世話といっても、大したことをするわけでもありません。あまり都市生活に慣れていないそうなので、不便を解消するようにしてくれという話です。

 わたしも都市生活になんて慣れてないですけど。ともかく、やろうと思えばどこまでも彼へのお手伝いの範囲は広げられるし、その逆もまたあります。そこは、わたしの匙加減でいい感じに様子を見てくれというところなのでしょうか。

 なんだか適当な感じもしますが、彼の私生活をがちがちに管理しようというほどではないみたいですね。

 他にやることといえば、定期的に彼の生活について報告書を作成・提出することが頼まれています。あとは、学園側からの通達を伝言することもわたしの役目です。つまりは、わたしは体のいい伝達役であり、ユウさんと学園側の緩衝材みたいな存在になることを期待されているのだと思います。

 なんだかいてもいなくてもよさそうな役目ですねえ。うーん、不要になれば使い捨てられるということでしょうか。


 ううん……。

 いけませんね。悪い方向に考えていると、どんどん絶望的な気分になってしまいます。

 少なくとも、今のわたしの待遇は厚遇されていると言っていいです。ならばこそ、その期待に応えるべく頑張りましょう。


 まずは、ユウさんと仲良くなって、彼にもここでの学園生活を楽しんでほしいと思います。

 イヴォケード魔法学園。

 世界にひとつの学園国家。

 ここでしか味わえない世界が、たしかにあります。

 わたしはそれを、知ってほしいと思います。


 今日が彼との顔合わせ。

 校長のいない学園に入学する校長候補生と、かつて特待生で入学した劣等生。

 これからの生活がどんなものになるのか、わたしにはわかりません。

 ですけど、それが、わたしたちにとって良き出会いになれば、それに越したことはありません。











 わたしはユウさんを出迎えるために正門を目指して歩きます。銀の聖杯亭から正門までは、歩いて半刻程度というところ。大通りのひとつ横の通りには路面電車が走っていて、それに乗ればあっという間なのですが、大した距離でもないので歩いてしまいます。運賃、結構高いですし。


 今はまだ昼前ですので、人通りが多いというほどではありません。それでも、すいすい歩けるというほどすいているわけでもない。

 箒にでも乗れれば正門までひとっとびですが、今の時期学園中央の敷地内は飛行禁止です。上空は結界を守る守備隊が占有している形ですね。あとは郵便業者とかも特例的に飛行していますが、少なくともわたしにそんな権限はありません。


 きょろきょろと、周囲を見回しながら正門へと歩く。

 酒場、魔法商店、洋服屋、食品店、武器屋、箒屋、鍛冶屋、本屋、魔法家具屋、出版社、薬屋、宝石屋、劇場、映画館、庭園、研究室、美術館、転送室、新聞社、放送局、素材ギルド、銀行、学生局、観光案内所、杖売り、病院、レコード屋、ゴーレム斡旋所、自治委員の詰所、古物商、魔方陣屋、郵便局、呪符屋……。

 ついつい目移りしてしまい、歩いているだけで飽きません。数えきれないほどにたくさんのお店があり、そのどれも、学園中央通りという一等地に居を構えるだけの格式や歴史や贅を感じさせます。


 ですが、周囲の喧騒にわくわくしながらも心の片隅はどきどきと緊張していました。なにせこれから、顔合わせ。もし第一印象で失敗してしまったら、などと考えて不安になります。

 もちろん、わたしがこれからユウさんと一緒にいるというのはあくまでお目付け役としてですから、お友達になるという任務ではありません。それでも、関係が良好であるに越したことはありません。

 ユウさん。彼自身も新しい生活に不安もあるでしょうし、助けになってあげられるならばわたしもうれしいです。うん、そう考えると少しは緊張も和らぎます。相手はわたしと同年代の人ですし、全然話が合わないということもないはずです。結局は、会ってお話してみるしかありません。


 とにもかくにもそう決めて、前を向いたわたしの前に、突如鮮やかな緑色のマントを着た一団が現れました。フードをかぶり、お面をしているので見るからに正体不明です。

 いきなりのことに目を白黒させているわたしに、一団のひとりが近付いてきます。顔に付けているお面がかわいい猫のキャラクターのお面ですので、わけはわかりませんが怖い感じではありません。


「ごめんね。ちょっとここ空けてもらっていい。もう二歩くらい、後ろに」

「あ、はい」


 格好の割にはフレンドリーな様子。どこかのクラブなのでしょう、同年代くらいの女の子の声でした。素直に二歩、後退します。周囲を見回すと、緑衣の集団は周辺の生徒たちに同様に声掛けをして、場所をあけてもらっているようです。

 なにが始まるのだろうかなどとぼんやり考えて、やがて気付きます。


「……結界破り!」

「その通り」


 わたしの言葉に、猫の面の女の子が答えます。どことなく自慢げな声音。

 初めて目にする、この季節の風物詩。

 規格外の結界を破る、規格外の生徒たち。

 今年は例年以上に厳重な警戒で、いまだ誰ひとりとして成功者がいないとは聞いていますが……。


「魔方陣製作、急げ! 守備隊がくるぞ!」


 周囲の人通りの整理が済むと、リーダー格らしい赤マント天狗面の男子生徒が周りの緑マントたちに指示を飛ばします。

 見てみると、彼らが出てきた路地から結界まで一直線に場所が空けられ、そこに今まさに緑マントの生徒によって魔方陣が敷かれ始めています。

 十人ほどが協力し合い、各々杖先から光をほとばしらせて構築していきます。その魔方陣構築は下書きも何もない、全くの一発勝負。神技といってもいいくらいに統制が取れた動きです。わたしは思わずほれぼれしてしまいます。すごい。

 周囲に居合わせた通行人たちも、感嘆の息をつきます。隣の人が列整理をしている緑マントの人に「どこの団体?」と聞いていますが、「それは成功したら名乗るので」とはぐらかされています。どうやら、そこには美学があるようです。


「おー、クオリティ高いな」

「結界破り、成功するかなあ」

「けっこう人数多いクラブか……いや、どこかの研究室かな?」

「あの赤いマントの奴の声、聞き覚えあるのよねえ。多分ちょっと知ってる人だと思うんだけど、誰だっけ」

「がんばれよーっ」


 呑気な観客たちを余所に、マントの一団は作業を続けながらもしきりに空を気にしています。上空の警戒が薄くなったタイミングで仕掛けてきたとは思われますが、さすがに守備隊がもう急行しているはずです。時間的な猶予はおそらくほとんどないはず。


 魔方陣は、路地の先から直線状に伸びる形状。放射魔方陣。魔法の放射で使用される、攻撃魔法の形状です。

 力技で結界に穴をあける、ということなのでしょう。大通りの結界は常軌を逸していると言わざるを得ないほど強力な結界ですが、一点に全力を込めて突破を図れば、たしかに可能かもしれません。

 ぼおおっと見ている間にも魔法陣の制作が進む。放射魔方陣の途中に円形魔方陣を配して、極力ロスを抑えた形です。

 円形魔方陣の中には見たこともない記号や形状が見られるので、魔法の使用者に合わせてカスタマイズしているのでしょう。わたしは魔方陣は基礎教養程度にしか学んでいませんが、多分専攻している人が見れば垂涎ものだろうな、ということくらいはわかる。

 結界破りの手法こそ力技ですが、たしかすぎる技術に裏打ちされた手法のようです。魔方陣の先に立つ黒いマントの姿が、おそらく魔法の使用者なのでしょう。魔方陣の完成を待ち、集中するかのようにじっと立ち尽くしています。


「守備隊だ! 12時! 6時!」


 叫び声にも似た、刺すような言葉。

 そこに居合わせた全員が思わず空を仰ぐと、陽光を弾く銀色の姿が見えた。


「戦闘部隊!」


 天狗面の赤マントの叫び声。

 それまで周囲の人員整理をしていて、魔方陣製作をしていない緑マントたちがどうやらその戦闘部隊のよう。彼らは懐から杖を抜き放ち、天に向ける。


「威嚇射撃!」


 威嚇というには強力すぎる魔法が杖先からきらめき、各方面の空に放たれる。箒に乗った守備隊士の小隊は進行方向をずらして避けようとするけれど、攻撃魔法はそれを追尾するように追いすがり、隊士に命中する。

 中空に光が輝き、ですが守備隊士の姿は健在だった。魔法は全て相殺されたようです。本来箒に乗った状態だと魔法の使用は制限されるのですが、そんな不利はものともしません。


 緑マントたちは全て予測通り、という様子で統率に乱れはありません。

 戦闘部隊はあくまで空を見上げて魔法を放ち続け、魔方陣製作部隊は一心に地面に魔方陣を描き続けます。


 周囲の観客は、やんやの喝采。これが場当たり的な結界破りなどではなくて、計画と実力に裏打ちされたものであることは確かです。学園生たちは、守備隊のことは当然誇りに思っていますが、こういうお祭り騒ぎではどちらかというと部活などの肩を持つ傾向があります。大体の生徒が部活には入っているので、部活連の方が身近ということでしょう。


 空へと放たれる魔法の網をかいくぐり、守備隊士たちが迫ります。攻撃部隊の傍には無関係の生徒がいるので地上に捕縛魔法なども打ち込めないのでしょう、矛先となったのは魔方陣を敷く緑マントたちでした。人に紛れている攻撃部隊と違って、彼らは無防備に背中を向けて魔法陣を敷いている最中です。


「防衛部隊!」


 ですが、それすらも予測していたようです。指揮官の赤マントの声に、路地の脇に隠れていた別部隊がさっと出てきて捕縛魔法を相殺します。ここまでは、全て織り込み済みのようです。

 おおーーーっ! と、観客からは歓声と拍手。


 緊迫の攻防です。守備隊士が地面に足をつけて本腰を入れて制圧すれば、あっという間に結界破りの集団の負けでしょう。それがわかっているからか、空に押し留めることを念頭に入れて巧みに戦う緑マント。マント側の戦闘要員だけで20人程度、守備隊は10人くらいと人数で差があるけれど、それでもなお戦況の分は守備隊にあります。次第に防戦している緑マントの生徒はひとりまたひとりとやられていく。


「増援! 2時の方向!」


 悲痛な声で、緑マントのひとりが叫ぶ。ここにきて、守備隊の増援。一気に均衡が破られそうです。


「撤退するか!?」

「もう少し待って!」


 赤マントの言葉に、魔方陣製作のひとりが言い返す。


「あと30秒で完成する!」

「了解! 聞いたなみんな! あと30秒、ここを死守する!」

「おうっ!」

「了解!」

「30秒だなっ」


 その言葉に、口々にマント軍団が返事をします。

 おお……。

 結界破りは遊びだと思っていたのですが、まさかこんな熱いものだとは知りませんでした。ついつい手に汗を握って見入ってしまいます。


 地面と空を、攻撃魔法と捕縛魔法が行き交い、破裂音と共に魔法相殺の光が明滅します。もはや攻防はクライマックス。見ている通行人たちの興奮も最高潮です。

 あまりにも長く感じる30秒間……。その間の魔方陣製作はまさに伝説として残していいくらいでした。速さと確実さをギリギリまで極めた、努力に努力を重ねた天才のみが至れる境地……。


「完成! 部長っ!」


 魔方陣の線を敷き終わり、緑マントたちが一斉にその上からどきます。

 仲間を信じて魔方陣の完成を待っていた黒マントが片手を上げます。

 そして、その身を魔方陣の上に投げ出す!

 魔法の照射ではなく、その身の魔力自体を使った捨て身の特攻!

 駆ける姿が、加速度的に速さと魔力を上げていく。今や周囲の通行人と共に、緑マントたちも声援を送っている。

 魔法的な感度が低いわたしでさえ、肌が粟立つように感じる圧倒的な魔力の奔流。黒マントの過ぎ去った後にはただ光が筋として残り、その姿は伝説上の生き物である竜の姿を想像させました。


「部長ーーーっ!!」

「がんばれーーーーーーっ!」

「いける、いけるぞ!」


 声を受け、駆ける姿が結界へと至る。


 そして……。


 重く、低い、重低音。ぐわん、と脳みそが一度回転したかのような酩酊感。攻める魔法と守る魔法、強大すぎるふたつの魔法がぶつかった魔力の奔流に、圧倒的な衝撃。


 衝撃に思わず頭を押さえながら、わたしは結界の方を見やります。

 すると、堅牢で少しの隙もないように見えていた結界が、大きくたわんでいました。

 周囲の生徒たちが期待するようにはっと息を呑み、やがて落胆するように息をつきました。

 ……結界は、たわんでいるだけでした。体当たりのように結界に体を埋めていた黒マントが、大きく弾かれて地面に転がります。衝撃でマントがめくれて、顔が露わになっています。精悍な顔立ちの男性です。少し年上、という印象ですので数学年上というところでしょうか。ぐったりしていて、衝撃で失神しているようです。赤マントがさっと彼に近付き、すぐさまフードをかぶせます。


「失敗した! 撤退する!」


 内心気落ちしているはずですが、そんなものも感じさせない強い口調でした。周囲の緑マントたちも、行動は迅速でした。被っているマントと面をはぎ取ると、傍で見ていた通行人の中に無理矢理紛れ込んでいきます。


「確保せよ!」


 そこに、上空で足止めをされていた守備隊が降り立って周辺の制圧を始めます。守備隊に真っ向から対抗するつもりは元々ないのでしょう、交戦しようとする者はいません。


 ……いえ、例外がありました。


 失神した黒マントと、その傍に控える赤マント。この結界破りを計画した部長と、副部長というところでしょうか。

 人一人を背負って逃げるのは無理と判断したからか、あるいは他の部員の逃亡を助けるために囮になったのか……赤マントは結界を背にしてその手に杖を掲げ、威嚇するように小刻みに振ります。数人の守備隊士が、それをじりじりと追い詰めます。


 赤マントが杖を振り、正面の守備隊士に魔法を放つ。でも、それは一瞬でかき消され、囲んでいた別の隊士が捕縛魔法を放ちます。赤マントは杖を持っていない手を振って、ぱっぱとそれを相殺します。

 魔法の相殺は技能が必要なうえ杖がないと魔法の制御は難しいのですが、とんでもない技量です。そもそも守備隊士の強力な魔法を相殺できるというだけで、並ではありません。

 マントの人の方もイヴォケード魔法学園守備隊士になれるくらいの実力はありそうです。


 ですが、戦いは数。最初こそ攻撃魔法を放ったものの、その後は防戦一方。起死回生で煙幕を張るものの、一瞬で破られてあっという間に引っ立てられていきます。


 結界破りの興奮、守備隊の乱入と、その後の逃亡劇。にわかに混乱に包まれた中央通りは、やがてだんだんと落ち着いてきます。

 見世物は終わった、というようにだんだん人が減っていく。その姿は、どことなく残念そうなものでした。


 結界破りは失敗した。

 それが、突きつけられた現実でした。


 実力を備え、計画をよく練った集団のようでしたが、それでも今年のいつになく強力な結界を破るには至りませんでした。

 まだわずかに煙幕が残る中、わたしは足元に転がるお面に気付きました。マント軍団が脱ぎ捨てていったもののようです。

 かわいい感じの、象の面。

 本当ならば、結界破りをした後で、クラブの名前を名乗りながらお面を外す手はずだったのでしょう。首謀者は捕まったので守備隊側はどこの集団の仕業か知ることになるでしょうが、わたしたち居合わせた人間には知られることはありません。そう思うと、なんだか残念な気分になってしまいます。

 今年は未だ、誰も結界破りには成功していない。偶然こうして居合わせて、その難しさというものをまざまざと感じてしまいました。


 ですが、いつまでもぼうっとしていられない。騒動に巻き込まれて時間をとられましたが、そもそも早く正門に行かなければなりません。少し早目に着くように時間に余裕は見ているものの、もはやあまりのんびりしていられません。

 早足に歩き出したわたしを、ふたりの守備隊士が止めた。


「すみません、少しいいでしょうか」

「え? あの、わたしですか?」


 穏やかな笑みを浮かべているのですが、なんとなく、警戒されているような印象。


「はい。少しお話を伺ってもよろしいでしょうか?」

「……?」


 居合わせただけなんですけど、急いでいるんですけど、などと逃げ口上が浮かんで消える。どうして、これだけ周囲に人がいる中で自分が声をかけられたのかよくわからない。

 などと思いつつ、彼らの視線をたどってみると、わたしは未だに、さっき拾った象の面を持っているままだった。


 あっ。


「あ、あの、これはですね……拾っただけなんです。無関係なんです。本当です」


 慌てて言い訳をするけれど、なんだか言葉を重ねれば重ねるほどに、嘘っぽくなっているような気がする。


「ええ、わかりました。少しお話を伺うだけですから」


 全然わかってもらえている気がしません。助けを求めるように周辺を見回すと……後ろにも隊士がついて逃げられないように囲まれている! いつの間に!


「す、すみません、実はちょっと急いでいるんですけど」


 お面を隊士に取り上げられて、連行されていくわたし。隊士の方に声をかけますが、返ってくる返事は「すぐに済む」というような杓子定規なものばかり。どうしよう。かなりまずい事態になっているような気がします。


 ああ、そうだ。こんな時に特務委員の金の宝玉を出せばいいのでしょうか。控えい控えい、わたしは特務委員だよー、などと宝玉をチラつかせれば事態は解決するでしょうか。そう思いましたが、どうしても躊躇してしまいます。さすがに、待ち合わせに遅れそうだから宝玉を使うというのはあんまりです。


 どうしようどうしよう。色々な考えが脳内を飛び交って、全然まとまらない。


「――その子が、結界破りの関係者?」


 凛とした声に、泥沼化していた思考が明瞭になる。いえ、些末な考え事をすべて吹き飛ばしてくれるかのような、そんな声。


「実行集団の小道具を持って現場に居合わせていたので、同行願いました」

「そう」


 犯罪者みたいな雰囲気で連れて行かれたその先に、懐かしい顔がありました。

 彼女はつまらなそうな様子で報告を聞くと、隊士から象のお面を受け取ります。呆れたような目でわたしの方を見ました。


 ウサコ・メイラー。

 第三守備隊隊長にして、今年の中央通りの防護結界の保護担当責任者。そして今では手紙を送る程度の付き合いになった、わたしの顔見知り。

 きっと、結界破りの未遂事件が起こったので、責任者たる彼女もこの場に急行したのでしょう。


「象のお面ね」

「はい。今回の実行犯が付けていたお面です。象の面ということは学園への憎悪の側面を匂わせているかと思われます。実に反社会的です」

「あなた馬鹿でしょ」

「もちろん冗談です」

「……」


 えぇ……。

 困っているわたしを横にしてそんな心温まるやり取りをされても、困惑が深まるだけなんですけど。


 ウサコさんがわたしを囲んでいた守備隊士に指示を出すと、彼らはまた現場の方に戻っていきます。わたしとウサコさんと、周囲を警戒する副隊長の宝玉を付けた男性が残される。

 連れてこられたここは単なる軒先で、特に天幕のようなものが張られているということもありません。周辺はこっちを眺めている人の目もあって落ち着ける環境にはないのですが、ウサコさんは気にした様子でもありません。

 さすが人の上に立つ方ともなれば、どんと構えているのだな……という気もしましたが、思い返してみれば昔からこんな感じだった気もします。


 彼女は面倒くさそうに象のお面を見分します。とはいえ、当然そんな所に所属がわかるようなヒントはないですし、そもそも首謀者自体は捕まえているのであとは周辺の鎮静化をする程度の段階なのでしょう。さすがにこれが何かの魔法具や触媒ということもないでしょうし、重要な証拠などというわけではありえません。


「あげる」

「はぁ、ありがとうございます」


 視線をこちらに戻して、ひょいっと象の面を渡される。反射的に受け取ってしまうわたし。

 こちらもいらないのですが、お互い様でしょう。


「巻き込んで、悪かったわね」


 ぞんざいな言い方と冷たく鋭い眼差しは、どこかぞくぞくさせるものがあります。不思議と声に力のある方です。


「いえ。あの……取り調べとかはないんですか?」

「そもそも無関係でしょ。あなた、攻撃魔法も結界魔法も使えないじゃない、ユイリ」


 名前を呼んでくれた。

 ……どうやら、わたしのことは覚えてくれているようです。ずいぶん疎遠になってしまっていたので最悪忘れられている可能性も考えなくもなかったのですが、そんなことはありませんでした。

 口の端を緩めて少しだけ笑う笑い方が懐かしい。わたしも思わず顔をほころばせます。


「お久しぶりです、ウサコさん」

「元気そうね。最近手紙がないから、卒業したのかと思っていたわ。あなたの中和剤は、その後どう?」

「あはは、鳴かず飛ばずです」

「あれは実用化されるべきものよ。がんばりなさい」


 言葉を交わすのは、多分一年ぶりくらいでしょうか。ですが、それでも全然変な感じがしない。それが少しうれしい。


 副隊長の方は、不思議なものでも見るようにわたしたちを見比べています。連行されてきた容疑者がいきなり守備隊長と親しげに会話を始めたら、驚いても当然かもしれませんが。

 そこに割り込むように別の守備隊士がやって来て、ウサコさんと副隊長に小声で言葉を交わす。ウサコさんが気だるげに何か指示を出して、隊士と副隊長でどこかに行ってしまう。


 慌ただしい中、わたしとウサコさんだけになりました。


「あの、隊長になられたこと、おめでとうございます」


 疎遠になっていて、結局お祝いの言葉も言えていませんでした。おずおずと切り出すと、ウサコさんは苦笑します。


「ありがとう。でも、隊長と言っても形だけみたいなものね。守備隊では、いつもひとりくらいは若い世代の生徒が隊長をする慣例があるらしいの。事務作業が多くて、誰かと代われるものなら代わりたいわ」


 本当に隊長の立場にどうでもいいと思っているかのような声音でした。あまり権力に興味があるというわけではないようです。


「ユイリ。ご家族は元気?」

「はい。母は最近少しずつお仕事もできるようになってきました」

「そう」


 そういえば、ウサコさんはうちの家族のことを知っています。父が魔物に殺されて母がしばらく心神喪失状態になっていたことや、殺されはしなかったものの片足を失った妹のことを当時から気にかけてくれていました。

 おかげで、彼女は妹からも好かれています。不愛想ですが、実は相当優しい人です。

 ウサコさんはわたしの家族の近況を聞くと、懐かしむ様子で小さく頷きます。


「ところで、わたし、もう行ってもいいんでしょうか? 一応、いた方がいいんですか?」

「ああ、いいんじゃないの。私の方で、適当に言っておくわ」


 なんともどんぶり勘定な返事です。一応、現場にいたということで連行されるに足りる理由があるとは思うのですが、ウサコさんの一存で返していいのでしょうか。あとで問題になってウサコさんが怒られたりしたらかなり心苦しい。

 そんなわたしの心情を感じ取ったのか、彼女の口から失笑が漏れる。


「そんなに心配しなくても平気よ」

「それなら、すみません、失礼します」

「ええ。……あ、ユイリ」


 辞去しようとしたところで、呼び止められます。


「はい。なんでしょう」

「たまには、手紙を頂戴。その、なくなってみると、張合いがないわ」


 ちょっと恥ずかしそうにそう言うウサコさん可愛い。


「あはは、わかりました。なら、たまには返事を下さいね」


 ちなみに、ウサコさんが返事をくれたことは一度もありません。


「……そういえばそうね……。気が向いたら、書くわ」


 なんとも信頼できない返事でした。ですが、守備隊の隊長になって忙しくなったのだろうと遠慮していた手紙が迷惑でもなかったと知れたのはよかったです。

 わたしとウサコさんは今や立場が違います(昔からかもしれません)。もしかしたら会うこともなく、今後少しの付き合いすらなく別れていた可能性もありました。わたしが結界破りに居合わせて不注意で連行されて、こうして久しぶりに顔を合わせたのは、なにか思し召しでもあるのかもしれません。

 わたしは最後にもう一度挨拶をして、ウサコさんの元を去りました。


 そして、時刻を確認して凍り付きました。

 結界破りを見守って、失敗した後連行されて……。

 それには、思いの外長い時間がかかっていたようです。

 そう。


 ……ユウさんとの待ち合わせ、完全に遅刻です。

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