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魔法学園へようこそ!  作者: cymbal
第3章 殲滅魔術師
28/42

ディラック/チサ

 魔法学園イヴォケード、第八校舎。

 そこは一年生専用の校舎であり、おそよ七百人の魔法科生徒が通っている。

 学年が上がると授業ごとに講堂を移動するのだが、一年生は必修の科目が多いため30人程度でクラスが作られ、教室が割り当てられている。


 朝。

 入学してふた月程度が経ち、クラスの中で仲のいいメンバーというのは既に決まっている。親しい面子で固まって、雑談をしたり雑誌や新聞を囲んでとりとめなく時間を潰していた。

 始業前の緩んだ空気の講堂にユウとチサが連れだって姿を現すと、生徒たちは反射的に会話を止めて、彼らを見やった。それまでわあわあとうるさかったクラスの中がふいにしんと静かになって、その後で再び波打つようにざわめきが戻ってくる。だが、そのざわめきは先ほどまでの能天気なものとは少し違った響きを持っていた。


 盗み見るようなクラスメートの視線の中を泰然と進むユウ。いたたまれないように背中を丸めてその後に続くチサ。

 天才の集う学園の中にあって尚、耳目を集める特異な才能。

 直接干渉という特異な魔法の使い方をするユウと、あまりにも膨大な魔力をため込む体質のチサはこのクラスの中で、完全に浮いている生徒だった。


 そんな二人が突然一緒に過ごすようになったのが昨日のこと。それまで言葉を交わすことすらなかったふたりの組み合わせだけに、クラスメートは何が起こったのかと噂をしたものだった。一緒に過ごしているわりに、特に親しい素振りなどもないところが余計に興味をそそった。

 話しかけても碌に応対もしないユウ。性格には問題がないのだろうが、感情が高ぶると魔力を暴走させる危険があって近寄りがたいチサ。そんな二人に声をかける生徒は今やほとんどなく、昨日は誰一人として本人たちにどうしたのかと聞くことさえなかった。

 クラスメートたちは入学直後の時期は彼らに一度話しかけようとしていて、だが結局見切りをつけて距離をとるようになっていた。そんな相手に今さら首を突っ込むのも気が引ける。それに、最初に声をかけるとなると目立ちすぎる。

 とはいえ、さすがに二日目ともなると多少は慣れた感じもある。昨日は遠巻きにしていただけだったものの、誰かそろそろ話しかけてみろというような空気は生まれ始めていた。

 そして、そんな空気は自然、クラスの中でも一定の信頼を持たれている生徒にのしかかってくる。


「おまえ、あの二人が仲良くなった理由でも聞いてくれば?」


 彼らを遠巻きに見ている集団の一つ。

 ディラックを中心に集まったグループの中、男子生徒が声をかける。


「……はあ?」


 壁にもたれて友人たちが喋っているのを聞くともなしに聞いていたが、ふいにそう言われてディラックは面倒そうに顔をしかめた。

 友人は顎をしゃくって前方の席に並んで掛けるふたりの方を示してみせる。チサの方はちらちらとユウの様子をうかがって話しかけようかと思っているようだが、ユウの方は黙殺している様子だった。

 やはり、親しい感じではない。春先にユウに話しかけようとしていたクラスメートと同じような光景。彼らも同じようにユウの近くを陣取って、何とかあれこれと話しかけようとしていた。しかしほとんど反応を返されることすらなく、ある時唐突に決闘を申し込んできた上級生を押し付けてからはそんな光景は消えた。

 ちなみにその時にほぼ無視されていた集団は今やユウに対してかなり敵意を持っていて、ことあるごとにユウのやることなすことをくさしている。

 だが、チサに対してはその時ほど冷たい対応ではない。講堂の移動の際など、ユウはきちんとチサを待ち、一緒に行動をしようとしていた。雑談に付き合うつもりはないものの、隣にいるのは認めているようだった。

 とはいえ、それでも横にいるだけとでもいうくらいの様子だったが。


 ディラックはそんな様子を冷ややかに見つめた。一緒にいる相手だと認めているんだったら、最低限温かみのある対応をすればいいだろと失笑する。


「仲良くなっているようには見えないけどな。ともかく、俺は興味ない」

「そうか? おまえ、あいつらこのクラスで浮いているから気にしてたじゃん。他に先陣きって話しかけそうな奴は……あるとしたらピノークか? そんな展開になったら血の雨が降るかもなあ」


 ピノークは以前ユウに話しかけようとして無視された男子生徒の集団のリーダー格だ。入学直後はディラックとも仲良くしようとしたものだったが、うまく関係は折り合わず離れていった。どことなく軽薄な印象のある男で、同じような雰囲気の数人でつるんでいる。

 そんな男がユウに声をかけるのならば友好的な会話になろうはずがないし、もめ事になるのは避けようがないだろう。今のところ、まだ登校してきてはいないようだが。


 ディラックは周囲を見渡した。

 こちらを見ている数人の生徒と目が合う。それを確認して、彼はもう一度ため息をついた。周りを見てみれば、期待するような視線が集まっていた。

 天才児の集まるこの学園。とはいえやはりまだ若い少年少女。こういうゴシップには注目が集まる。

 どうやら自分は今矢面に立たされているようだとディラックは悟った。周りの生徒たちに悪気というほどのものはないのだろうが。

 クラス中がユウとチサの二人に不干渉になっていた最近でも、時折話しかけていたのは唯一ディラックだった。ユウが問題を起こせば気を付けろと口を出し(守られることはなかったが)、チサが魔力を暴発させれば臨界点になる前に放出するようにしろと諭した(魔力の溜まり方はその時々によって異なるため、結局うまく調整することはできなかったが)。いつの間にか、彼はふたりの橋渡し役のような立場に立っていたのだった。本人にそんなつもりはないが。

 視線をクラス内に一巡させると、ディラックは面倒そうに講堂の前方、ユウとチサのもとへと向かう。その様子を周囲の生徒たちは息をひそめて見守った。


「おい」


 二人の正面に回り込み、声をかける。


「おまえら昨日から二人でいるが、何かあったのか?」


 強制されたせいでやや不機嫌な声音になってしまったのは、致し方ないだろう。

 ユウはちらりとディラックに視線をやって、また退屈そうに読んでいた本に視線を戻した。

 その態度に、ディラックは顔をしかめて相手をにらみつけた。高名な騎士家に生まれて揉まれながら育った彼が顔をしかめて見せると、かなり凶悪な表情になる。


「あ、あ、あの……」


 わたわたと手を動かしつつ、チサは汗を飛ばしながら間に入った。


「なんだ?」

「ひえっ」


 どうやら、意図せず彼女まで厳しい顔で見てしまったようだった。

 チサは何かを言おうとして、だがいきなりは言葉が出てこず、ぷるぷると震える。

 そんな様子を見て、ディラックはまずいなと直感する。彼女が慌てたり感情が高ぶったりすると魔力を暴走させやすいはこのクラスの常識だった。だからそもそも、話しかけることすら避けられているのだが。


「いや、悪い。別に、文句を言うつもりではなくてだな……」


 身震いをしているチサを落ち着けようとディラックが口を開こうとするが、それよりも早くぐんとチサの魔力が膨れ上がった。

 暴走の兆候だった。周囲の空気が瞬間的にチサに吸い取られていくような感覚。


「いきなりかよ!」

「まだ会話にすらなっていないんですけどっ!」

「ディラック、お前顔怖いからっ」

「朝から飛ばしてるねえ」

「へっぽこやんっ」


 クラスメートたちが慌ただしく(だが手馴れた様子で)机の下に隠れて結界を張る。

 入学当初は暴走するたびにクラス中に絶望的な空気が漂ったものだったが、今ではわりと日常の光景になっていた。


「あ……あっ」


 チサが反射的に縮こまって自分の体を抱きしめた。あふれ出る魔力を何とか留めようとするような素振り。だが、それに意味がないことも、しばらく一緒にクラスで過ごしてきていて知っている。

 これはまずいとディラックも飛びのいて身を守ろうとしたその時、横で退屈そうに本を読んでいたユウがぽんとチサの頭に手を置いた。

 その瞬間、世界が弾けんばかりに張りつめていた空気が一気に弛緩する。濃縮された魔力がふわっと空気中に広がっていくのを、魔力の感度の高い生徒はその身に感じた。

 はじけ飛ぶはずの魔力が、薄めて辺りに広がった感覚。


「え……?」


 思わず、何人ものクラスメートが呆然としたつぶやきを漏らした。

 クラスの中を、何が起こったのかわからないというような沈黙が広がった。今にも魔力の暴走が起こりそうだったのに、あっという間にそんな兆候は霧散していた。


 机の下に隠れていた生徒たちがひょこひょこと顔を出す。不思議そうな顔が上半分、机から覗いているのはなんだかシュールな光景だった。

 そんな周りを見回して、ユウは馬鹿にしたように肩をすくめた。


「……あ。ユウくん。ありがとうございます」

「別にいい」


 身を縮子ませていたチサが緊張を解いてユウに頭を下げた。


「今のは……?」


 そんな様子を間近で見ていたディラックは、小さくつぶやく。

 まるで化かされたようだった。何が起こったのか、頭がついていかない。


「これが、さっきのお前の問いの答えだ」

「は……?」

「どうして二人でいるのか、さっき聞いただろ。もう忘れたのか」


 一瞬、何を言われたのか理解ができず、ディラックは彼をにらみつける。

 だが、魔力が暴走間際だった今の状況。ユウの持っている直接干渉というその力。

 春先に学園の結界を一時的に解除してみせた魔法を分解するその能力でやってみせたことが繋がって得心した表情になった。

 魔法の分解。その能力で、同じように暴走寸前まで凝縮された魔力を霧散させたのだ。


 今目の前で見ても、とても信じられない。どう考えても、人の扱う魔力の桁を外れていた。その魔力を集めることも信じられないが、それはもう慣れた。だが、それを抑えることができるとは、信じられない。

 しかし事実だ。

 学園の結界を解除したというのは直接見ていないから知らないが、それほどの才能があるのならば先ほどの膨大な魔力の解除も容易なのかもしれない。

 どちらにせよ、今目の前でやってみせたのだ。信じるしかない。


「おまえの魔法で、この子の魔力の暴走も抑えられるということか」

「確認する前でもなく、今やった。見ればわかるだろ」


 馬鹿にしたような物言いが癪に障ったが、本当に気になったのは別のことだった。


「なら……何で今になって? 最近、お前のその力で暴走を抑えられることがわかったということか?」

「そういうわけじゃない」

「つまり、前から暴走を防ぐことができると知っていて、放っていたということか? クラスも、その子も困っていることは知っていて?」


 ディラックの眼差しがいよいよ剣呑なものになり、周囲の温度がふいに下がったような気がした。

 彼にとっては、救える相手を放っておくというのは、どう考えても許すことができないものだった。

 もちろん、そうはいかない制約があるのかもしれないという思いはある。直接干渉というごく限られた人間しか使うことができない魔法は、どのような負担があるのかはわからない。その力をむやみに振るうことが許されていない事情だってありえるだろう。

 それはわかる。わかっても、それでもなお、怒りが湧いてくることは抑えられなかった。

 このクラスの中で、チサは自分の才能に振り回されて、周りからは距離を置かれて、いつも暗い眼差しでクラスの端の方で過ごしていた。時々クラスメートが彼女の物を隠すなどして、嫌がらせがあったらしいことも伝え聞いている。

 力を持て余していることは歯がゆかったが、助ける手立てがあるならばもっと早くに手を貸してやるべきなのだろうと考えるのが、ディラックの性格だった。

 だが、そんな内心も知らずユウは興味なさそうにディラックを一瞥すると、退屈そうに本の続きに戻った。


「あ、あのっ。でも、おかげで、色々、助かってるからっ」


 一触即発の空気に慌てて口を挟むチサ。本人にそう言われると、さすがにそれを振りほどいてまでわめきたてるという気にもならなかった。

 実際、今こうしてユウが彼女を助けているのは事実だ。手を差し伸べるのが遅くても、するかしないかでは別問題だ。物事のいい方の側面を見ることにする。

 ディラックは息を吐いて、ため込んだ怒りを鎮める。次に顔を上げた時は、いつも通りの冷めた表情になっていた。


「それで? どういう心変わりだ。今さらになって思いやりに目覚めたか?」

「あいつに言われたからな」

「……ユイリ先輩か」


 言葉少なな返答だが、あいつ、というのが誰を示しているかなどは言われなくともわかる。

 ユウは基本的に人に言われて何かをするような性格ではないが、例外はある。

 ディラックはユウの付き人をしている先輩の顔を思い浮かべる。ユイリ・アマリアス。華やかなタイプではないがほのぼのとした美人で、この校舎の男子生徒の中でも人気が高い。彼自身も何度か言葉を交わしたことのある女子生徒だった。

 ユウと一緒にいることの多い唯一の人間で、いつもにこにこしたりむかむかしたりと、感情をあまり隠さずに世話を焼いている姿はよく見られる。基本的には朗らかな性格の生徒で、ユウとセットにして扱われることも多い。

 だからこそ、色々と下世話な勘繰りをされることも多いのだが。

 離れた視点で見ていると下女みたいな感じだと思われている節ではあるのだが、近くしい場所から見ているとむしろ対等な友人か、あるいは姉弟みたいな関係に見える。

 ユイリは人当たり柔らかで心根が優しいので、なにか縁があって孤立しているチサの現状に気付き、対策を立てたのだろう。


「たしかに、あの人ならこういうおせっかいを焼きそうだ」


 その口振りは、呆れつつも親しげな様子だった。

 ディラックの言葉にうんうんと頷くチサ。その表情はどことなく身内を自慢するような感じがあった。ユイリに対する無二の信頼を感じさせるような表情だった。いつもクラスの中では暗い表情をしていたものだが、こんな様子は珍しい。

 それぞれ孤立していたユウとチサを、ユイリが繋いで今の関係があるということのようだ。


 続けて、ディラックはチサの魔力の吸収、発散について尋ねる。どうやら、ユウが魔力を抜くことで暴走のリスクを下げることができ、かつ瞬発的な危険に対応できるように一緒にいるらしい。放課後など長く離れる時は予め空に近いくらいチサの魔力を抜いておけばあまり心配してなくてもいいらしい。

 放課後については完全な保証ではないものの、少なくとも校内で再び魔力の暴走をさせることはなさそうに思えた。


「なるほどな」


 ディラックは聞いた暴走対策の内容を咀嚼する。


「チサさんの魔力の暴走の心配がなくなったことは、みんなに説明しておいていいか?」

「別に、構わない」


 ユウはどうでもいい、というような様子だった。

 だが、この話が浸透すればチサの校内での腫物扱いはかなり緩和されるはずだった。ユウと違って、人格で爪はじきにされているわけではないのだ。

 もっとも、今も周りは聞き耳を立てている様子なので、このクラスの中には改めて説明する必要はないのかもしれないが。


 ディラックはユウの返事に頷くと、それじゃあと声をかけて友人の待つ集団に戻る。

 すぐさま他のクラスメートも話の詳細を聞こうと彼のところへ群がって、彼は先ほどの会話の説明を始めることになった。

 これで、このクラスで一番の懸案事項、日々の魔力の暴発の危機は去ったと言えるだろう。彼の説明を聞く級友の表情はほっとしたようなものだった。


 これですぐさまチサとクラスメートとの距離が縮まることはないだろう。チサは魔力は多いものの、魔法使いとしての才能はこのクラスで最底辺だ。だが、現実的な危険がなくなれば、忌避されることは少なくなる。そうすれば少しずつでも状況は改善するはずだ。元々、底意地が悪い人間ばかりがいるわけでもないのだ。

 その辺りをとっかかりにして、ユウとクラスメートももう少しまともに応対できるようになればいいのだが。

 そんなことを思いながら、ディラックは少しだけこのクラスの先行きが明るいものだと感じていた。











「ゆ、ユウくん」


 移動教室の折、チサは先を歩く背中におずおずと声をかけた。


「なんだ」


 振り返るその表情は、怒ってもなければ笑ってもいない。彼がチサと会話をする時、大体がこんな顔だった。


(たぶん私のこと、あんまり興味ないんだろうな)


 チサは内心そんなことは思う。あくまでもユイリに言われたからこうして行動を共にしているだけ、という感じ。


 傍目には今はクラスでひとりぼっちというわけではない。行動する際は基本的にユウが付いていてくれるのだが、感覚としてはあまりこれまでと変わらない。

 二人というよりは、一人と一人というような関係。

 彼女としては、せっかくだから雑談くらい交わす間柄になりたいところではあったが、前途多難というか、ユウに対してはまだまだ怖いという感情が強い。というか、そもそもチサ自身対人スキルが足りておらず、雑談を交わすという行為がハードル高い。幼い頃に魔力を暴走させて以来、寒村の修道院で暮らしてきていたものの、そこでの暮らしも実に孤独なものだった。

 というわけで結局、隣にいてもお互いぼおおっと間抜けにあらぬ方向を見ているだけという場面が多い。


 今も頑張って声をかけてみたものの、それだけでやり切った感が出てしまい、特にそれ以上言葉は続かなかった。

 慌ててなにか話題はないかと考えて、出てくるのは共通の知人の話題だった。


「えーと、今日もユイリ先輩は迎えに来てくれますか?」


 チサにとって、ユイリは独りぼっちだった自分に手を差し伸べてくれた唯一の人だった。恩人と言ってもいい。

 彼女のことを思うと、わけもなく胸の奥が温かくなる。なんとなく胸の奥を温かくしてくれるキャラクターの先輩なのだ。

 ユウの方も、彼女の話題については食いつきがいい。昨日今日と話をしてみてそんな感想を持っていた。


「あいつか。しばらくは様子を見に来ると言っていたな。来るんじゃないか」

「そうですか。私、掃除当番なんですけど、どうしましょうか」

「掃除すれば?」

「ま、待たせちゃ悪いかなと」

「ならサボればいい」

「……」


 チサは脱力する。

 会話にならない。いや、なっているのだが、口下手な自分では満足に続かない。

 不満げな眼差しをユウへと向けてみるが、なんかこっち見てるなこいつ、というような不思議そうな視線を一瞥送られるのみだった。睨みつけ攻撃は意味がないようだった。逆に凄まれても怖いから、別にいいのだが。


 ここ数日が入学してから一番気疲れしている気がする。そうはいっても、以前の状態に戻りたいかと言えばそれはない。

 今はこれから学園生活が良くなっていくのではないかという希望があった。少し前まで感じていたどん詰まりに落ち込んでしまったような感覚はない。

 入学してからずっとまともに話す人もいなくて、特待生として自分を入学させたくせに寮に放り込んだ後は放置した学園を恨んでいるだけの日々だった。自分自身が魔力をうまく扱えないという鬱屈を、転換させていただけなのかもしれない。


「早くユイリ先輩に会いたいですね」


 教養の授業や魔法理論はともかく、魔法実技の授業は全然ついていけないので、放課後になるのが待ち遠しかった。


「それはお前だけだ」

「そうですか?」

「そうだ」


 断言するその様子が、なんだか少しおかしくなった。

 傍から見ていると明らかにユウはユイリのことは特別扱いしている風だが、どうも両者ともにそういう感覚はほとんどないようで、それがなんだかおもしろい。


 チサの頬はついついほころぶが、並んで歩いて角を曲がった時、その表情はぴしりと固くなった。

 階段を下る先、踊り場で三人のクラスメートが窓枠に寄りかかって談笑していた。外側が全面ガラス張りになっていて見晴らしがいいところで、なんとなく足を止めてそのまま話し込んでしまったのだろうか。

 制服はやや着崩して、声は大きい。笑顔は多いわりに、温かみを感じない表情。チサの魔力量以外の才能のなさを痛罵したり持ち物を隠したりするのは一部の女子生徒だったが、何度か彼らがそれに加担しているのを見たことがある。

 苦手なタイプ。近寄らないようにしている筆頭だ。

 おまけに、彼らは以前に学内でも名の知れたユウと仲良くなろうとして、返り討ちに遭っている。ユウに対して恨みつらみを持ってるようで、ことあるごとに大声でユウのことをくさしてクラスの空気を悪くしているのを身を縮ませてやり過ごしたことがある。

 自分とユウ。そしてクラスメートたち。

 この組み合わせでかち合うのは初めてで、おまけに今この階段のあたりには他に通りかかる生徒はいなかった。


 嫌な予感がした。


「ユウくん」

「どうした」

「あの、別の道を行きませんか?」

「ここが一番近い道だろ」


 なんとか鉢合わせないようにとユウに提案してみるものの、彼の方は全く危機感など持っていないようだった。というより、ごく一部の人間を除いてあとはその他として認識していないのだろう。

 チサは今感じている嫌な予感を説明しようとするが、うまく言葉が出ない。何を言ってもユウには通じないような気がした。


 そんな風に時間を浪費するうち、踊り場で喋っていた男子生徒たちはこちらに気付いたようで、話を止めてうかがうような視線を向けてくる。

 友好的な視線ではない。見定めるような眼差しを向けて、小声でそっと言葉を交わしている。


 階段を降りようとして足を止めているユウとチサ。踊り場でそれを待ち構えるようにしている三人の男子生徒。

 全面ガラスになった窓から見える景色はさんさんとした明るい日差しが差し込んで、その明るさが今は白々しいもののように感じた。

 彼らの傍に寄りたくない。

 だが、ユウは止まらないだろうな、というのは付き合いの浅いチサでも分かった。

 ちょっかい出してきそうだから迂回しよう、などと言っても、たぶん聞かないだろう。


「……そうだね。ここが一番近いね」


 別の道を提案する、という選択肢を諦めてチサはこのまま進む覚悟を決める。何事もなく通り過ぎて、そのまま今日という日が平穏に過ぎればいいと願いつつ。


「目が死んでいるんだが」


 ユウは呆れた様子でツッコミを入れて、まったく躊躇する様子もなくずんずん進む。

 チサも意を決して、とととと彼の後を追う。


 階段を下りる。段差が終わり、踊り場へ。そこを抜けて、また次の階段へ。

 視線を感じる。だが、このままこの場を去ることができるとチサが胸をなでおろした瞬間、後ろから声をかけられた。


「新しい女ができてよかったな」


 からかうような調子。


「はあ?」


 ユウは足を止めて怪訝な目を向けた。チサはその後ろでぴくりと肩を怒らせてすくみあがる。

 すぐ間近、大柄な三人の生徒がこちらを見やっていた。ガラス壁に雑に背中を押し付けて、悠然とした様子だった。


 ピノーク。

 この三人組のリーダー格の少年だ。隣国ヴェネトの役人の家の出だったはず。家柄が固いわりに本人の雰囲気は良くも悪くも軽く、退屈そうな眼差しはなんとなくしどけない印象があった。

 感情の薄い眼差しは冷めているようにも見えるが、ディラックやユウなど家柄や才能のある生徒にたびたび近寄っていたのは権力志向の表れなのだろう。

 チサとしては、なんとなく不気味な印象のある生徒だった。

 横の二人も大なり小なり同じ感じで、また絡んでるよ、という風に笑いながらやり取りを見守っていた。


「寮と学外ではユイリ先輩を侍らせて、この校舎でひとりなのが寂しくなっちゃった?」

「こいつか? 必要だから一緒にいるだけだ」


 ユウはちらりとチサを見る。この状況でも、自然体だった。ちょっと鈍いんじゃないのだろうかこの人、という気分になるチサ。


「女が傍にいないと耐えられないのか? お盛んだねえ」


 ひとりがそう言うと、残りのふたりが追従するように笑う。

 ユウの眉がぴくりと震えた。話しかけられて訝しげだった表情が、不審げなものに変わる。

 どうしてそんな話になっているのか、よくわからないのだろう。


「男所帯で寂しい俺たちにもわけてほしいよ」

「はあ?」

「俺、あの可愛い先輩の方がいいな」

「ああ。俺も俺も」


 そう言って笑いあう表情は、どろっとした欲望を感じさせるものだった。

 彼らは割と近くでユウとユイリの姿を見ているのだが、どちらかというとユイリが囲われているものだと認識しているタイプだった。ふたりと直接面識のある生徒はそんな関係でもないのだとなんとなく察していることが多いのだが、彼らの思考はやや偏りがちなきらいがあるのだろう。

 実際、この学園内でも劣等生だったり魔法の使えない普通科の女子生徒をクラブなどで囲っていることもあり、高名な魔法学園に暗い側面を作り出していた。世界一有名な学園であるゆえに特権意識を持つ生徒というのは一定数存在する。

 ピノークたちにとっては、ユウは高踏派を気取っているように見えて、同じ穴のむじなとでもいうようなあざけりと馴れ馴れしさを感じさせていた。結局は女をはべらすのが好きなのだろう、と。

 チサはそのあたりを一瞬で悟って真っ青になったが、そもそもそんな思考をしないユウはいぶかしげに彼らの顔を順に眺めた。


「どういうことか、よくわからないんだが」

「だから、女の子がふたりいるならひとり貸してくれよ」

「その分、俺たちから何か礼もするぜ。金でもいいし」

「一日でいいよ」


 ユイリもチサもこの学園においては間違いなく劣等生だ。だからこそ、軽んじて扱っても当然構わない、という前提で話をしている。

 それを聞いていて、チサは背筋がひやっとするような感覚を持った。

 嫌悪感ではなく、それは危機感。

 普段からやることなすことあまりブレーキの効いていない感のあるユウに対してユイリのことを貶めるような話を笑いながらして、どうなるか。ユウが唯一気遣う女性であるというのに。

 その考えがまとまる前に、事態は動いた。


「ああ、そういうことか」


 男子の言葉に不思議そうな顔をしていたユウが、得心がいったというようにうなずく。

 想像の埒外になる話だったから思い当たるのに時間がかかっただけで、頭が悪いわけではない。彼らが言外に匂わせていたことを正確に、ユウは把握した。


「そうそう。話が分かるじゃ……」


 ユウの一番傍にいた男子が吹っ飛んだ。傍でその光景を見ていたチサは、その場に軽薄な笑顔の残像だけ残して男が消えたように思えた。

 それが違うとわかったのは、一瞬で傍に寄ったユウが叩き込んだ拳を引き戻す動きをしていたからだった。

 警告も、予備動作すらない攻撃。

 殴られた生徒は表情を驚きに変える時間すらなく、まるで物のようにガラスを突き破って外に飛んで行った。

 ガラスの割れる音が世界の終わりのように休み時間にざわめく校舎の中に響き渡り、その大音響に残された二人の男子生徒の動きが停まる。

 ユウはそのまま躊躇なく、くるりと体を回転させてひとりの男子生徒の背中に回し蹴りを決める。相手は声すら発することもなく、階段の下まで吹き飛ばされていく。


「おまえ……!」


 最後に残されたピノークが拳を振り上げようとするが、それよりも数段早く、ユウがぱしんとその手を弾く。たたらを踏んで後退する脇に素早く回り込み、体が開いた胸元に掌底打ちのように掌を殴打すると、男子生徒は階段を上った先まで吹き飛んでいった。

 一瞬でさっきまでこの場に立っていた三人が消え失せた。


 チサはまるで化かされたような気分になったが、すぐ横、派手に破れたガラスはどう考えても現実だった。階下でうめきながらうずくまる男子生徒の姿だって、どうしようもなく現実だ。

 嘲るように貶められて、ユウの反応は頑ななものだろうと予想していた。諍いになるだろうとは思っていた。でも、まさかこれほどまでに容赦のないものになるとは予想していなかった。


 チサは開いた口を塞げずに、ただ立ち尽くしていた。

 たしかに相手に悪意があった。多分に挑発の含まれているセリフだった。

 だが、これはあまりにも過剰な反応では……。


「なんだなんだっ!」

「今の音、一体どうしたの!?」

「人が倒れてる!? おい、大丈夫かっ!」


 休み時間、騒ぎを聞きつけた生徒たちがやってくるのは早い。

 だが彼らは、踊り場の破れた窓、立ち尽くす姿、階段の上下でぐったりと倒れている男子生徒の姿を見ると、ぎょっとしたように足を止めた。


 チサの場所からは、階段の上から、下から恐れるような咎めるような眼差しが自分たちに向いているのを見た。

 冷たい瞳。恐れるような瞳。

 それは、チサの忌まわしい記憶を呼び覚ました。


 かつて実家に住んでいた頃、初めて魔力を暴発させた時のことを思い出させる冷えた空気だった。

 内側からあふれてくる限りないと思えるほどの力の奔流に飲み込まれて、解き放った。運悪く、その力の先には何とかチサを止めようと傍で呼びかけていた両親の姿があった。一瞬ののちに、彼らの姿は灰すら残さず消し飛んだ。

 その時、とんでもないことをしてしまったと思う以上に、ただただ、溜め込んだ魔力を解き放つ快感があった。両親を殺したその瞬間、自分は力に酔いしれていたのだ。

 ……そんな負い目もあり、消し飛んだ家の跡地に駆け付けた近所の人が自分を見る目が、恐怖を抱いていると共に断罪してくるようなものに感じていた。

 恐れるような目で見られるたび、その恐れと共に底なし沼に引き込むような罪悪感に苛まれることになるのだ。


 がたがたと、身体が震えるのを感じた。

 恐怖と後悔に押しつぶされてしまいそうな気がした。

 視界が、なんだか虚ろになる。何も考えられなくなる。

 チサの視線の先で、駆け付けた教師がユウを無理矢理に引っ立てていく姿が見えたが、彼女はそれに対してなんの行動も起こすことはできず、それを見送った。

 呆然と。

 悪い夢でも見るように。











 学園都市の中で、噂が広まるのは早い。

 ユウ・フタバの暴行事件はあっという間に多くの生徒の知るところとなった。


 事態の仲裁にあたった学生課の教員に対して、暴行の正当性を何とか証明しようとチサはその場であったことを包み隠さず話したが、どこから漏れたか、その話は周りにも知れることになった。

 実際の会話の流れはぼかされて、級友の冗談に過剰反応して暴行に至った、という筋で周囲には理解されることになる。

 この事件でユウの評価が下がるかといえば、それほどではなかった。もともと決闘騒ぎを起こしていた身、周りからは同じようなものとして扱われることになる。

 またお騒がせ新入生が何かやったよ、というくらいで多くの生徒の記憶には長くは残らなかった。


 だが、別の考え方はある。

 ユウが過剰に反撃してみせたのは、話題に上がったのがその地味な付き人のことだったからなのだろうと、彼の執着に注目する者がいた。元々ほとんどなにに対しても冷めた対応をとっている少年にしては、行き過ぎた反応だ。

 ユウの特殊な魔法を狙っている者からすれば、そのとっかかりになるような出来事だった。


「ユイリ・アマリアスか」


 噂を耳にした男はその名を呟く。

 ただたまたま彼の傍にいるだけ、というくらいの存在としてあまり意識することはなかったが……。


「使えるかもしれないな」


 男の祖国、イリヤ=エミール帝国のために。主であるスクエラ第二皇子のために。

 彼はかすかに口の端をゆがめると、これからのことに思いを巡らせた。

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