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魔法学園へようこそ!  作者: cymbal
第3章 殲滅魔術師
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殲滅魔術師

 ヒメリョウさんはチサさんの部屋という扉の前にやってくると、「ここだよ」と言って扉を蹴って去っていきました。

 蹴ったと言っても小突く程度のものでしたが、その音に驚いてか部屋の中では息を呑むような気配が伝わってきました。どうやら、チサさんは中にいるようです。


 というか、わたしの心の準備ができていないのでヒメリョウさんのドア蹴りは完全にいらなかったのですが。ひとこと言いたくなってきましたが、彼女は既に傍の自室に入っていくところでした。

 わたしは肩を落として意を決めて、きちんと扉をノックする。


「こんにちは」

「は、はいっ」


 中からくぐもった声がする。ぱたぱたと近づいてくる足音が聞こえる。

 名乗りはしなかったので、わたしじゃなくて単に誰かが来たくらいに思っているだけなのかもしれません。足音はちょっと警戒した様子ですが、それくらいです。


「あの……?」


 か細い声と共に、ドアがちょっとだけ開けられる。わたしはすかさず足を挟み込み、パジャマ姿のチサさんに相対します。


「チサさん、こんにちは。お見舞いに来ました」

「え、せ、先輩……でしたか」

「迷惑かもしれないですけれど、お話をしたいと思ってきたんです。大丈夫、いいお話ですよ」

「……」


 気まずげに顔を逸らすチサさん。先日別れた時は、逃げ出すような形でしたから、気まずいのは致し方ありません。

 ここ数日伏せっていたのは本当なのでしょう、少し線が細くなったような印象があります。


 彼女は視線をさまよわせて、ドアに挟みこんだ足を見て、ちょっと笑った。なんだか、悪徳な勧誘業者みたいなやり口でしたね。

 話も聞かずに閉められてしまわないようにとやったのですが、そこまでの対応は必要ありませんでした。喧嘩別れをしてしまったわけでもありませんから。


「すみません、これは冗談です」


 そう言って足を戻すと、チサさんはくすくすと笑った。この間一緒にいた時の笑顔には及びもつかないですけれど、それでもちゃんと笑顔です。

 完全に拒絶するほどに心を閉ざしているわけではないようで、安心する。


「こんな格好ですみません。あまりきれいな部屋じゃないですけど、どうぞ」


 ドアを開き、わたしを中に招いてくれる。


 中は一人部屋です。わたしの寮は居間と寝室の二部屋の構造ですが、ここは一部屋だけですね。こちらの方が一般的な寮生の部屋の構造でしょう。わたしの寮は高級寮なのです。

 ここも相部屋でないだけ悪くないランクですけれど。寮の管理が行き届いていたいので間取りが良くてもちょっと微妙ですが。

 衣類や生活用品、教科書類などの必需品だけがぽつぽつと壁沿いの棚に詰められて、まだがらんとした印象の室内です。入学してそこまで日も経っていないのでこんなものでしょう。

 備え付けの家具は少なく、設備も質素です。ですが掃除はきちんとしているようで、室内はきれいに保たれていました。


 部屋の奥、窓際にあるテーブルセットに誘われ、座る。

 チサさんは冷蔵庫から飲み物を用意してくれる。瓶詰の炭酸飲料です。


「体の具合は、どうですか?」


 彼女の足取りはふらついているということもなく、顔色もそこまで悪い感じもしません。気疲れがひどいだけ、というくらいの印象です。

 とはいえ、それくらいなら安心だというわけでもないですけれど。


「わざわざすみません。先日も、今も、心配ばかりかけてしまっています」

「いえ、気にしないでください。そもそも、この間誘ったのはわたしですし」


 チサさんはその言葉にうっすらとほほ笑む。


「体調不良というのは、ちょっと嘘で、ちょっと本当なんです。この間から、ずっと眠くて。嫌なことがあると、昔から眠くなっちゃうんです。多分、現実逃避みたいなものなんでしょうけれど」


 自虐的な言い方です。

 わたしはチサさんのことはよく知りませんが、それでもちょっとは知っています。

 強大な魔力を持って生まれてきて、それを使いこなすことはできなくて、それで白い目で見られていること。クラスでも、そしてこの寮の中でも。

 彼女の場合は、その閉塞感でただただ自己嫌悪の殻に閉じこもってしまっているような感じがします。


「わたしの気持ちは変わっていないですよ」


 チサさんの痛ましい姿を見ていて、自然にそう口にする。


「一緒にクラブを見て回ろうってこの間、言いましたよね。今もわたしは、その気持ちですよ。その気持ちは迷惑ですか」


 わたしは彼女に、一緒にいようと言いました。その気持ちは嘘ではありません。

 魔力の暴走に向き合って、なお一緒にいられるようにユウさんと方策をたててやってきました。


 チサさんは顔を背ける。表情は、戸惑ったものでした。

 わたしの言葉を嫌がっている様子ではない。けど、素直に頷くこともできないようです。


「で、でも、私が迷惑になるんです。この間の暴走。あれは、止められないですから。暴走がなくても、定期的に魔力を発散させないといけないんです。近くに誰もない場所を探さないといけなくて、日に何度もそんなことをしていると、みんな私のことを迷惑な奴だって目で見るんです。わ、私だって、自分でそう思います」


 チサさんの特異体質。人より魔力を吸収しやすく、大量の魔力をその身に溜め込む体質。それは一つの武器になり、足かせにもなっているものです。

 この学園に入れたのはその力のおかげですが、彼女はかつてその暴走で家族を消し飛ばしていると聞いています。そして日々、発散させなければいつそんな大規模な暴走が起きないとも限らない。


「ひとつ、考えがあるんです」


 わたしは、ユウさんが言っていた、定期的にチサさんの魔力を吸い取って暴走を防ぐ、という手を説明する。

 これはユウさんにしかできない方式です。


 魔法はそもそも、わたしたちの住む世界に隣接する別世界から流れてきている力と言われています。この力を操る技術が魔法。

 体系化されているとはいえ、未究明の技術ではあります。それ故に、体系から外れたような、極めて属人的な魔法というものも存在します。

 直接干渉魔法。

 これによって、おそらく、チサさんの暴走問題は解決できるはず。そんな説明をすると、諦めているような様子だったチサさんが、心惹かれたように耳を傾けてくる。

 そして、説明が終わると静かな表情で口を開く。


「ユイリ先輩は、どうして私に親切にしてくれるんですか?」


 もっともな疑問です。前にユウさんにも聞かれたことがありました。そして、その問いに対する答えは今でも変わりません。

 チサさんの置かれている身の上は、かつてのわたしに少し似ている。

 肥大した期待に押しつぶされそうな感じ。わたしはその感覚を、身に染みて知っています。

 昔自分も特待生入学したことを話すと、チサさんの顔には理解の色が広がる。


「先輩も……私と、同じような経験をされていたんですね」

「もっとも、わたしはチサさんみたいにすごい才能なんて、結局はなかったんですが」

「そんなことはないと思いますっ。すごい発明をした人だったんですねっ」


 キラキラした眼差しが気まずい。いえ、だから、そのすごい発明がまぐれだったんですよ。


「ともかく」


 仕切りなおす。


「チサさん。もしよければ、わたしたちに協力させてください。いえ、もっとありていに言ってしまうとですね、わたしたちとお友達になってください」


 彼女への同情からの言葉ではありません。

 単純に、この子と仲良くなれれば、それは楽しそうな気がしたんです。

 ちょっと享楽的な気のあるこの学園の生徒たち。わたしも、彼らと同じような行動原理を持って、こう言っているにすぎません。好きでやっていることだから、大層な感謝などは求めていません。


 わたしの言葉に、チサさんはふっと笑う。力の抜けた表情。今初めて、彼女の笑顔を見たような気がしました。

 もちろん先日だって彼女は笑っていましたが、この顔に比べれば、それは笑顔ではないような気がします。


「私も、先輩とお友達になりたいです」

「はいっ」

「ずっとずっと……私は、お友達がほしかったんです」


 肩が震えて、でも彼女は涙を我慢してふへっと笑った。


「でも、それは許されないと思っていました。私の魔力はどこに行っても迷惑な顔をされるばかりでしたし、そんな人間が友達を作るなんてもったいないって思っていました」

「そんなことはないですよ」

「はい。そう思います。わかってはいたんです。でも、だから、私から誰にもそんなことは言っちゃいけないと考えていたんです」


 ひとりぼっちは寂しいものです。友達が欲しいと思うのは当然です。

 でも、チサさんは自分の体質が特殊であることもまた、きちんと認識していました。だから、自分からは友達を作りに行くことができなかったのでしょう。それは、相手にとって負担になると思ってしまったから。


「大丈夫ですよ。チサさんは優しい子ですから、そう考えちゃっているだけです。いいんですよ」

「ありがとうございます。先輩、私に声をかけてくれて……すごく、うれしかったです」


 笑顔を交わす。

 考えてみれば、わたしが初めてチサさんの姿を気に留めたのはひと月以上も前、まだ名前も素性も知らなかった頃、ユウさんが通う校舎の下見に訪れていた時のことでした。

 あの時、チサさんは不安そうで、憂鬱そうで、どこか悲しげな様子で校門の前に立っていました。この高名な学園に入学してきた新入生にしては、陰のある表情。その面立ちが、ずっと気になっていました。

 思い返してみれば、わたしはあの時から、チサさんとこうして笑い合える時を求めていたのかもしれません。


 わたしと笑い合ったチサさんの表情が不意に歪んで、彼女はしばらく、静かに泣きました。

 大丈夫、大丈夫と声をかけながら、わたしはしばらく彼女を抱きしめていました。











 外出着に着替えたチサさんと連れ立って、部屋を出ます。


「いいですか、チサさん。チサさんから先に、ユウさんに言うんですよ」

「はい。と、友達になってください、ですよね」

「そうです。ユウさんはひねくれものなのでまず断るかもしれませんが、それは脊髄反射みたいなものです。めげずに言えば、すぐに折れてくれますよ」

「折れて友達になってくれるって、それはもう友達ではないのでは……?」

「そうですか?」

「いえっ、なんでもないです。ユイリ先輩がそう言うなら、大丈夫だと思いますっ」

「その意気ですよっ」

「はいっ」

「えいえいおーっ!」

「え、えいえい……はいっ」


 意気揚々と寮を出て、教会の正面に回り込む。

 中に入ろうという時、チサさんが申し訳なさそうに足を止める。気まずそうに教会を見やってから、顔を背けました。


「すみません、先輩。私は外で待っています。シスターに中に入るなと言われてしまっているんです」

「……わかりました」


 中に入るなとは、またずいぶんと酷い物言いです。

 わたしは先ほどのヒメリョウさんとの会話を思い出す。

 チサさんはこの教会の神父様やシスターさんにかなり恨まれているような口振りでした。考えてみれば、毎日毎日教会の裏手の公園でばんばん魔法を発散させていると、信徒の足は遠のくでしょう。


「それじゃ、あそこの公園で待っていてください」


 裏手の公園を指さすと、チサさんはほっとしたように頷き、歩いていく。この教会からさっさと離れたいという様子でした。その態度に彼女の鬱屈とした日常が垣間見られて、なんだか悲しい気持ちがします。

 それももう終わりになればいいのですが。


 わたしは気を取り直して教会の中に足を踏み入れる。

 中はきれいに整えられています。奥の突き当りの説教台、手前は信徒の座る長椅子が整然と並んでいます。


 この教会は、世界で一番メジャーな宗教、畏教の教会です。

 畏教は神の住まう世界から地上にやってきたとされる神人によってひらかれた宗教です。神域に住まう唯一神。その使いである神人の教えを守り、神への祈りをささげる……というような宗教です。

 基本的には清貧と信仰生活を至上のものとする教義ですね。

 神人はこの地上に降り立った時に八つの聖具をそなえていたとされていて、畏教の教会にはこの聖具にまつわるモチーフがどこかしらに盛り込まれています。畏教の教会で暇になった時は、この聖具探しがちょうどいい暇つぶしになります。どうでもいいですが。


 ちなみにわたしの今住む銀の聖杯亭は、この畏教の流れをくむ寮ですね。今の時代、特に若い世代では宗教の影響力は正直微々たるもので、きちんと週末礼拝に行く生徒というのは稀です。

 寮の中にも礼拝堂はありますが、いつも閑散としています。静かな場所ですので、ぼうっとした時にはいいのですが。


 わたしは畏教の教徒ということはありません。家系的には父は敬教、母は森の民の民族の教えを引き継いでいるのですが、わたし自身はあまり宗教的な指南を受けることはなく育ちました。

 まあ、一応敬教徒とは言っていますが。ちなみに敬教は万物の恵みに感謝しましょう、という感じの宗教です。

 今の時代は宗教観の再編期とも言われているので、わたしのようにふわっとした価値観の人は少なくありません。


 そんな感じで世の人からは若干忘れ去られつつある教会です。中はひっそりとしている。

 長椅子にぽつぽつと人が座り、静かに神に祈りをささげているようです。ひとり修道服を着た女性が奥にいて、中の清掃を行っているようです。


 ユウさんを探すと、彼の姿はすぐに見つかりました。座って待っている彼は、ですが、一人ではありませんでした。

 顔をしかめて座るユウさんの横にひとりの男性が並んで、小声で何やら話しかけているようでした。

 青ざめた表情の男性。初めて見る姿です。

 その姿に、わたしは一瞬以前部室棟で会った魔神信者のローブの生徒がちらつく。面立ちは静かなのに、その裏に狂信がちらついて見えるような姿。

 ユウさんははわたしの姿に気付くと、言い募る男性を無視してこちらにやってくる。


「話は終わったのか」

「は、はい。あの、ユウさん……?」


 わたしは彼の後ろに付いてきている男性に目をやる。落ち窪んだ眼がらんらんと輝き、ねぶるような眼差しを向けられていることを感じる。わたしは思わず身をすくませる。

 四十代くらいの年齢でしょうか。不健康そうな顔色が、見るからに不安な予感を掻き立てる風貌です。


「ああ……。お前の話には、興味がない」


 わたしの視線を追って男性に向き直ったユウさんが言い捨てる。ぶっきらぼうな言い方はいつも通りといえばそうなのですが、その言葉の温度はぞっとするほど違います。

 普段わたしとじゃれ合いのように交わす軽口とは全く異なる、冷然とした口調でした。

 思わず身を縮ませるような言い方にも、男性は笑ってみせる。


「やっと返事をしてくれたな」

「これ以上、会話をするつもりはない」

「ユウ・フタバ……君にも、利のある提案だろうが……?」

「興味ない。さっさと消えろ」

「……」


 男性はユウさんの言葉に顔をしかめることさえなく、歩み去ります。歩いているはずなのに、なぜか体が横滑りをしているように感じるような、そんな独特な歩き方でした。

 わたしは息すらできなくて、その後姿を見送りました。

 先ほど、ヒメリョウさんが言っていた怪しい男、ユウさんに勧誘をしていたという人間。それは、あの人なのでしょう。

 どう考えても、まともな人種だとは思えませんでした。ただただ不吉な予感のある人でした。


「あいつはどうした? 結局、提案は断られたのか?」


 ユウさんの方は、もうあの人に興味はないようです。わたしに聞いてきたのはチサさんとの関係修復がうまくいったのかという話です。

 もともとの目的。

 なんとなくその温度差に付いていけなくて、わたしはうまく喋ることができない。


「おい、ユイリ」

「は、はい」

「……あいつはもう行った。心配するな」


 よっぽど深刻な顔をしていたのでしょうか。珍しく、ユウさんが労わるような言葉をかけてくる。

 わたしは曖昧に頷く。


「あの人、なんなんでしょうか」


 この学園に暮らしていると、変な人は見慣れてきます。ですが、あの人の異質さはそれとは別物です。学園の変人が陽のおかしさならば、さっきの人は陰のおかしさ、とでもいいましょうか。ベクトルが違う感じがしました。


「俺の魔法が目当てみたいだな。何が目的かは知らないが、色々、報酬をはずむから協力しろということを何度も言ってくる」

「直接干渉……」


 たぐい稀なその力。

 その力には、多くの人が惹きつけられます。学園生活を楽しくしてくれるような愉快な方々が集まってくることもあります。ですが、その逆もあり得る。先ほどの人のように。

 今、ユウさんの能力が学内に知られてしまっているのは、元をただせばわたしがユウさんを誘って結界破りを行ったからです。あの出来事で、彼の力は広く知られるところとなりました。

 そう思うと、わたしはとんでもないことをしでかしたのではないかと暗い気持ちになってくる。というか、はた迷惑というレベルを超えて実害が出ているような気がします。

 ユウさんの力を使って何かしようなんて、不穏な気配も感じます。


「気にするな」


 わたしの様子を見て心中を慮ってくれたのか、ユウさんはそう言ってくれる。


「あの時結界破りをしたのは、俺の意思だ。お前には責任はない。責任があったとしても、それは二人の責任だ。俺は気にしていないから、お前もそれは気にするな」

「……わかりました。ありがとうございます」


 精神感応系の魔法でも使ったかのようにわたしの心中をずばり言い当ててくれるユウさん。わたしはそれほど考えていることが顔に出やすいのでしょうか。

 ですが、彼の言葉で少しだけ気が楽になったのも確かです。

 わたしは頷く。

 ユウさんが気を使ってくれるのは新鮮で、なんだかこそばゆいような気がします。ですが、あまりそれに甘えるわけにもいかないでしょう。


「でも、ああいう危険そうな勧誘があったら、ちゃんとわたしにも言ってくださいね? もちろん、必要なら学園の助けが必要になるというのもあるんですけれど、そういうのとは別に、やっぱり心配なんです」


 わたしは確かに、ユウさんのお目付け役として彼の日常の素行は取りまとめて副校長に送っています。ですが、そういう役割ということを抜きにしても、放っておくことはできません。

 そう思い、きちんと相手の目を見て言うと、ユウさんは神妙な顔つきで頷いた。普段冷めた眼差しをしている彼にしては、珍しい表情でした。


「わかった。今度から、言うことにする」

「うん。そうしましょう」


 わたしたちは、ある意味一心同体みたいなものなのです。

 何かあれば、一緒に協力して取り組んでいくべきでしょう。


「……で、あの女の説得は終わったのか?」

「はい。裏の公園で待ってもらっていますので、行きましょうか」


 張りつめていた空気がやや弛緩して、ちょっとほっとします。

 わたしはユウさんを伴って教会を出ます。

 外でさっきの人が待ち構えていたらと少しびくびくしてしまいましたが、どうやら今日のところはもういなくなったようです。多分、元々ユウさんが一人になるタイミングをうかがっていたのでしょう。

 ひとり胸をなでおろしていると、ユウさんに置いて行かれそうになってわたしは慌てて後を追いました。











 教会の裏手の公園。

 というよりは、木が生えていてベンチのおいてある空き地ですね。広場といった方がいいかもしれません。

 一番隅のベンチに隠れるようにして、チサさんが座っていました。わたしたちの姿を見ると、ほっとしたように立ち上がって傍に寄ってくる。


「チサさん、お待たせしました」

「いえ。何かあったんですか?」


 ちょっと時間がかかったので、トラブルでもあったのかと心配してくれているようです。

 実際トラブルはあったのですが、心配させるようなことを言うのはやめておきます。


「いえ、ちょっと教会の中を見ていました」

「小さい教会ですよね。この学園に来る前も教会の寄宿舎に住んでいて、そんな繋がりでここの寮を紹介されたんです。教会の管理寮ですし、場所とかもちょうどいいからって」


 この公園が傍にあるからいつでも魔力を暴走させられる、という意味でしょうか。あるいは、周囲に学園の重要施設などがない単なる住宅地だからという含みもあるのかもしれません。

 特待生として入学しながらも、冷遇されている感じがひしひしと漂ってきます。

 とはいえ、特待生でしたら基本的な生活費は支給されているはずで、暮らすだけなら何の問題もないのは事実でしょう。境遇は悪いですが、待遇は普通くらいでしょうか。

 わたしも一年生の時は特待生扱いでしたが、寮のランクは普通でした。

 特待生としてちやほやされるには、実力を示し続けなければいけないのです。それができないならば不要、と切り捨てる校風がここにはあります。

 わたしたちはなんとなく、しみじみとした目線を交わし合ってしまう。


「で、こいつの魔力を吸えばいいんだな?」


 話の進まないわたしたちに身も蓋もない言い方で話に入るユウさん。もう少し段階を踏んで話を持っていくつもりでしたが、まあいいでしょう。

 わたしは頷く。


「はい、やりましょうか」

「そ、そうですね」


 チサさんも緊張した面持ちになりました。

 ユウさんの能力で魔力を吸い取り、チサさんの過剰な魔力を安全圏まで落とすというのが今回の作戦。

 ユウさんはできると言っていましたが、試したわけではありません。まだ、まずはやってみて、うまくいかなければ調節していく必要があるでしょう。

 この成否いかんによって、チサさんの今後の学園生活は変わってきます。ユウさんの力で暴走を抑えることができるならば、学園生活にかかる暗い影はかなりの部分払拭されるはずです。

 けっこう重要な場面なのですが、ユウさんの表情はどう見ても、面倒だからさっさと終わらせてしまいたい、という感がありありと浮かんでいます。引き締めたチサさんの表情がすぐさま不安そうになってきました。


「あの、ユウくん、お願いします」


 チサさんが頭を下げる。


「ユウさん、やるのはここでやるんですか?」


 今いる場所は公園の片隅。あたりに人の姿はありません。万一うまくいかなくて魔力が暴走したとしても、人的被害はないでしょう。

 ユウさんも同じことを考えたのでしょう。周囲を見渡し、頷く。


「場所を変える必要ないだろ」

「わ、私、どうしていればいいですか? このままでいいですか?」

「そのまま、立ってろ」


 ユウさんに言われて、ぴしっと背筋を伸ばして直立するチサさん。


「あの、ちなみにユウさんの方は負担とかないですか?」


 ことを始める前に、気になることを聞いておく。前に大丈夫、とは言っていましたが、いざとなると不安になります。魔力を吸う感覚というのは、わたしにはよくわかりません。実は苦痛を伴うという可能性もあります。


「わ、私も気になります。もし、辛いようだったら、迷惑かけられません」


 チサさんにも聞かれて、ユウさんは腕を組んでちょっとだけ考える。


「そこまででもない。負担というか……そうだな、水を飲むような気分だな。喉がかわいていない時に水を飲んで腹が膨れるような感覚だな。負担と言えるかもしれないが、実際そう大したものではない」

「へええ、そういう気分なんですね」

「ああ。とりあえず、心配されるほどのものではない」

「魔力を吸う量に限界とかってないんですか?」

「体に留めようとしたことがないな。基本的に吸った傍から散っていくから、わからない」

「すごいですねえ」


 わたしの称賛を肩をすくめてやり過ごし、ユウさんはつぶやく。


「やるか」

「は、はいっ。よろしくお願いしますっ」


 深くお辞儀をするチサさんに対して、そんな大したことをするわけでもないんだが、というような冷めた視線を向ける。

 そして、次の瞬間、空気が少し揺らいだような感覚。


「あっ」


 チサさんがわずかに身じろぎをする。


「終わった」


 なんでもないようにユウさんがこちらを見た。


「……はい?」


 ユウさんとチサさんはずっと向かい合って立っていたままです。手を差し伸べたり、魔力がばーっと周囲に満ちたり、発光したり、そういうものはないのでしょうか。

 一瞬のことでした。こういっては何ですが、感動もなければ感懐もありません。地味な絵面でした。


「もう、終わったんですか?」

「そう言っただろ」


 あっという間のことでした。空気が変わったようなあの感覚は、おそらく魔力がチサさんからユウさんに流れたせいでしょう。わたしの魔力の感度は正直魔法使いとしては低い方ですので、なんとなくでしかわかりませんでしたが。

 ユウさんの様子は普段通り、けろっとした様子です。特に疲労している印象もありません。


 チサさんの方を見てみる。


「ち、チサさん?」


 わたしは思わず、彼女の名前を呼んでしまう。そうしてしまうくらい、恍惚とした表情をしました。


「き、気持ちいい……」

「あ、そうなんですか……」

「なんだか、体中の毒が抜けていったような気分です」

「毒じゃなくて、魔力だけどな」

「あの、ユウくん。もう一回お願いします」

「……」


 チサさんに詰め寄られて、ユウさんが呆れたように息をついた。

 そして。


「あふぁぁ~……」


 またチサさんの魔力を抜いてあげたのでしょう。チサさんの表情がだらしなく緩んだ。


「多分これ以上抜くと、魔力欠乏で気分が悪くなるぞ」

「ユウくん、ありがとうございまふ……。でも、魔力欠乏なんてなったことないから、経験してみたいかもしれません……」

「……」


 なんでしょう、魔力を抜くとデトックス効果でもあるんでしょうか。


「ユウさんユウさん、わたしの魔力もちょっと抜いてみてくれませんか?」

「お前の魔力を抜くと、一発で魔力欠乏だぞ。まあ、吸う量は調節できるんだが、お前の場合は魔力量が少な過ぎる」

「……」


 魔力欠乏に陥ると、吐き気と倦怠感にしばらく襲われることになります。

 というか、わたしへのディスりかなり激しいですね。まあ、魔力量はこの学園の生徒としては最下層なのは知っていますけど?


「ユウくん、明日また吸ってくれますか、魔力」

「はいはい……」


 緊張していた先ほどの様子とは打って変わって、チサさんはふにゃふにゃと笑った。

 ともあれ、こうしてチサさんの魔力が暴発してしまう現状は変えることができそうでした。同時にお互い一緒に過ごす相手ができたことでもあり、ふたりの学園生活も良くなるのではないか、と期待をすることもできそうです。

 わたしは明るい展望を胸に秘め、ちょっとだけ距離が近くなった様子のふたりを眺めていました。


 殲滅魔術師。

 これまではそんな色眼鏡で見られてこの学園から爪はじきにされていたチサさんですが、ユウさんによる魔力の抜き取りは一発で成功してしまいました。

 これからは彼女は魔力の暴走というくびきを外れて、一人の生徒として過ごすことができるはずです。

 一からのスタートです。

 それは不安で、だけど何となく輝かしいもののような気がしました。

 にこにこと笑っているチサさんの顔を見ていると、自然とわたしには、そう思えました。


「チサさん」


 わたしは彼女の肩を小突く。


「ユウさんに、例の話を言いましょう?」


 小声で言うと、チサさんは戸惑った表情を浮かべた。


「え? ほんとに言うんですか?」

「え? そうですけど?」


 これから校舎の中ではわりと一緒に過ごすことになるであろう二人です。まずは友達からスタートするべきだと思うんですけど。

 不思議そうに首をひねっているとチサさんは決意を固めたようで、ユウさんに向き直る。


「ユウくんっ」

「なんだ? もう終わったんだから寮に帰れば?」

「先輩っ!」


 うるうるした目で助けを求めてきました。


「ユウさん、ちょっと黙っていてくださいね」

「……」


 黙るユウさん。


「ゆ、ユウくん? いいですか?」

「いいっていうか、もう何でもいい」

「あの、私とお友達になってくださいっ」

「断る」

「先輩っ!」


 わたしにしがみついてくるチサさん。

 どうやら心が折れたようです。


「ユウさん?」

「いや、いきなりそんなの言われても困るだろ。友達? なんでそんな話になるんだ?」

「あ、私も実はそれは思っています」

「チサさん!?」


 思わずチサさんを二度見すると、彼女はくすくすと笑った。

 なんとなく、それで興が削がれてまあいいかという気分になってきました。

 一緒にいれば、お互い情も湧いてくることでしょう。しばらくはうまくいくようにフォローに入って助けてあげようかと思いをはせる。


 ともかく、こうして、この日からわたしたちには、日々を一緒に過ごす仲間が一人、増えたのでした。

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