無月寮
チサさんと部室棟を訪れた日から何日か過ぎました。
彼女の魔力の暴発。そんなことがあったせいか、学校はしばらく休んでいるそうです。
このままでは、わたしたちの関係はそのまま薄れて消えていくものでしょう。でも、わたしはどうしても放っておく気にはなれませんでした。
とにかく、チサさんとお話をしたい。わたしの気持ちを伝えてあげたい。
このまま学校に出てくるのを待つということも考えましたが、それではいつ会えるかのわかりません。
そこで一念発起、わたしは意を決して、チサさんの下宿に押し掛けることにしました。ユウさんと一緒に。
ユウさんは完全にとばっちりみたいな感じですが、お願いしたら呆れた様子で「はいはい」と言ってくれていましたので、たぶん大丈夫でしょう。
ちなみにチサさんの住所はレイシアの新聞部の力で入手済みです。
そういうわけで放課後、わたしは慣れた足取りでユウさんの通う校舎へとやってきました。
校門のあたりで生徒たちが三々五々、下校する姿をぼおおっと眺める。
ユウさんが出てくるのを待っていると、いつものように見知った一年生たちが挨拶をしてくれたりする。
「ユイリ先輩、こんにちは」
「また男待ちですかー?」
「言い方っ」
顔見知りになった子たちはわりと気安い感じに話しかけてきてくれたりして、なんだかわたしの存在も随分認識されてきたものだなあという気がする。
特に急いでいない生徒なんかは、足を止めてちょっと世間話などをしてくれます。
「おっ」
「ユイリ先輩じゃん」
顔見知りの女の子と雑談をしていると、不意に横合いから声をかけられる。
「あ、ええと、こんにちは」
制服を着崩している三人の男子生徒。
彼らはユウさんのクラスメートです。かつて、隣国ヴェネト王国の貴族であるディラックさんに近づき、その後ユウさんの傘下につこうとして失敗したという人たち。
彼らは未だユウさんの名声のおこぼれにあずかろうという思惑があるようで、たまにこうして会うと親しげな様子で話しかけてきます。
表情はにこやかですが、打算を感じます。わたしは反射的に、身構えてしまうような気分になる。
「久し振りじゃん」
「相変わらずかわいいっすね」
わたしと話をしていた女の子を追い出すような形で帰らせて、取り囲むようにしてあれこれとおしゃべりを始める。
話の内容は彼らの間で最近ブームの近くの賭場でのことばかりで、わたしはうまく口を挟めない。
まいったなあ、などと思いつつ、でもユウさんが来るまでの辛抱なので、愛想笑いなどをしてやり過ごします。
そんなわたしたちの姿を、新入生たちは遠巻きに眺めながら帰っていく。顔見知りの生徒も、どことなく心配そうな視線を向けてきたり、校舎の方へと引き返したりという姿はあるものの、止めに入ってくれるという人はありません。話に付き合わされているだけですので、それもそうですけれど。
周囲のこの反応だけで、この三人組が大体どんな評価を受けているかがわかります。
「俺たちこれからまたカジノに行こうと思うんだけど、先輩もいかない?」
「いいねえ。先輩全然よくわかってなさそうだから、俺らが遊び方教えてあげるよ」
「い、いえっ、あの、わたしはユウさんを待っているので」
「いいじゃん、全然来ないし、あいつ先に帰ったんじゃないの?」
「そういや、俺もうあいつが帰るの見たぜ」
「じゃあ先輩置いてかれたんじゃね? あいつはほっとこうぜ」
「え、え……?」
ユウさんとは約束をしているのでそれを反故にするようなことはありませんし、ここで待っていますがユウさんは通っていないはずです。
ぽかんとしていたら、いつの間にか話の方向性がきな臭くなってきました。
「行こうぜ、ユイリ先輩」
「遊び方教えてやるよ」
ひとりがわたしの腰を抱いて歩き始める。
「あ、ちょっ」
囲まれて、ずりずりと連れていかれる。
三人の顔を見るとニヤニヤとした表情。わたしは身をすくませる。怖い。
流されてはいけないと思って足を踏ん張りますが、あまり意味はなく、半ば引きずられてるような形です。そんな状況ですので、先ほどは生暖かい目で見られているのみでしたが今は、足を止めて様子をうかがう生徒も何人かいます。
助けを求めるように周囲を見回すと、こちらに駆け寄ってくる姿が目に入った。
「おい、おまえら。そこまでにしろ」
顔をしかめてやってきたのは、ディラックさんでした。助けを呼びに行っていたのでしょうか、わたしたちの様子を見てきびすを返して戻っていった生徒たちが何人か後ろに控えている。
その姿を見て三人組は舌打ちをして、拘束を解く。これ幸い、わたしは慌てて脇へと逃げる。
拒絶反応をしたわたしに忌々しげな視線を向けられますが、わたしはそれを直視できずそっと顔を背ける。
そんな様子を見て、ディラックさんは顔をしかめて一同を見回す。
「どういうつもりかは知らないが、無理強いして連れ出すような真似をするな。お前たちもヴェネト王国の出身だろう。学内で馬鹿なことをすれば、国の評判にも関わるぞ」
ディラックさんは屹然とした態度です。彼は貴族様で権威もあり、実力としても新入生ではかなりのものです。その言葉には力がある。
三人組の方は真っ向から対峙するほどの度胸はないようでした。曖昧に笑って弁解する。
「そうか、すみません。ユイリ先輩も喜んでくれてるよ思ったんだけど」
「ディラック様も正義感がありますね。風紀委員会か整理整頓委員会とかに入った方がいいんじゃないですか」
そんなことを言うだけ言って、さっさと立ち去ってしまった。
旗色が悪いと見るや、引き際だけは鮮やかです。その後姿を見て、ともすればどこかに連れ込まれていたかもしれないと思い、今さらながら身震いする。
学園生は善人ばかりではない。
当然といえば当然です。
劣等生やこの国で育った人たち……普通科の生徒を見下してはばからない人はいます。傷害、暴行、窃盗にはてや殺人まで犯して本国へと送還される生徒だっています。
学園生同士の揉め事は、決闘騒ぎに代表される騒動以外に、単純に犯罪だって起こりえます。
彼らがどの程度本気でわたしを引っ張っていたのか、それはよくわかりません。もちろん、愛情表現が下手なだけなのかもしれません。
ですけどただただ、今となってはもう怖い。あのままだったら、どうなっていたことか。
わたしはこの状況で助けてくれたディラックさんにお礼を言おうとして……他の新入生に取り囲まれた。
「ユイリさん、大丈夫でしたか?」
「助けを呼ぶのが遅れてすみませんでした」
「止めたいとも思ったんですけど、あいつらには魔法じゃ勝てないから」
「よかった、ちょっと危なかったですよね」
「え、えっと、ありがとうございます」
絡まれているわたしの姿を見て校舎の方へと引き返していた生徒たち。どうやら、彼らがディラックさんを呼んでくれたようです。
「おかげさまで、助かりました。みなさんのおかげです」
……そうして、ひとしきりお礼を言って無事を祝って、しかるのちに彼らと別れる。
後にはわたしとディラックさんが残りました。
遠巻きに手持無沙汰にしていたディラックさんが寄ってくる。ばたばたしてきちんとお礼を言えていませんでしたが、わたしは丁寧に腰を折って彼にお礼をする。それくらい感謝しないといけない場面でしたでしょう。
「ありがとうございました。おかげさまで、助かりました」
「礼はいい。先輩が無事でよかったよ」
あいつらにも困ったものだ、と顔をしかめるディラックさん。
「先輩はあいつの使用人みたいに見られている向きがあるからな、一部の連中は、それを見てああいった態度に出ることもある。今の時代、身分の差なんて絶対的なものではないんだがな」
「はあ」
わたしはユウさんの世話役みたいな立ち位置です。とはいえ、傍から見ればたしかにユウさんに使われている下女みたいに見えるのかもしれません。
そして、そういう人間はとかく侮られやすいのは事実でしょう。
「……わたし、下に見られているんでしょうか」
「まあ、あいつらはそう見ている、というだけだ。他の連中は先輩を助けようとしていただろ。むしろそっちが普通だ。下に見ている奴はそう多くないし、気にしなくていい」
慌ててフォローしてくれるディラックさん。やっぱりこの人は、そんなに愛想がいい感じではないですが優しいところがあって、いいなあという感じがします。
ユウさんと仲良くなってくれればいいんですけど。
「ありがとうございます。ところで、ユウさんってまだ校舎の中ですか?」
「たしか清掃係だな。もう終わる時間だと思うが」
そういえば、一年生の頃は放課後に持ち回りで校舎内の清掃をするという規則がありました。二年生以降はそんな役目はなくなったので、今となっては懐かしいイベントですね。
とはいえ、その辺りの文化は校舎によっても違うみたいで、掃除当番をやったことがない、という生徒もそれなりにいると聞きます。
校舎の方を見てみても、ユウさんはまだ来ないようです。
ディラックさんも立ち去る時期がつかめないからか、そのままわたしの横に立っている。
いえ、また誰かに絡まれたりしないように見守ってくれているのかもしれません。
「あの、ディラックさん」
「なんだ」
「チサさんは、クラスではどんな感じなんでしょうか」
無言で待っているのも何なので、世間話がてらチサさんのことを相談してみる。彼女が仲良くできる人を欲しているようであること、彼女の持つ魔法の難しさ、そして一度拒絶されていることなど。
「まあ、孤立してるな。あいつの暴走は有名だし、周りは完全に遠巻きに見てる感じだな。自分の才能に振り回されている感じが強いから、冷めた目で見ている生徒も多い」
あっさりと、冷たすぎるくらいの返事をするディラックさん。たしかにこの学園は実力主義的な側面は強く、生徒の中にも格差は存在します。
ちなみにわたしはかなり最下層です。
「ディラックさんも、そうですか?」
「俺はそこまでではないな。才能自体は本物だろ。魔力量は力だ。いずれ制御できるようになればそれはれっきとした実力だし、それが無理ならどう転んでも無駄なものでしかないだろうな」
揶揄はしないが、フォローもしない、というくらいのスタンスのようです。
「それなら、チサさんが自分の魔法を制御できるようになったら、友達になってくれますか?」
ユウさんもそうですが、チサさんのお友達探しも懸案事項です。わたしは校舎も学年も違うのであまり力になれませんが、同じクラスに協力者がいればずいぶん違うでしょう。
わたしの要望にディラックさんは戸惑った様子です。
「まずは同性の友達を探したらどうだ? というか友達はそんな頼まれてなるもんじゃないだろ。そもそも先輩はいったいどうしてユウといい、友達作りに熱心なんだ?」
呆れたように言われてしまって、ちょっと赤面するわたし。
冷静に考えてみると、故郷にいた仲人になるのが大好きなおばさんみたいなことをしているような気がします。
「たしかにわたしも自分で差し出がましいとは思っているんですけれど……」
慌てて言い訳をしていると、ディラックさんはふっと笑う。
「優しいんだな」
「……どうでしょうか。よくわからないです。好きなようにやっているから、勝手なだけかもしれませんよ?」
「そうかもしれない」
言い合って、笑い合う。
なんだか少し、ディラックさんとの距離が縮まったような気がしました。
「おっと、来たな。それじゃ、失礼しよう」
ディラックさんの視線を追うと、ユウさんがこちらに向かってくる姿が見えました。
「あの、ありがとうございました」
「ああ」
礼を言うと、そっけなく頷いて去っていく。うーん、いい人ですねえ。
わたしは頭を下げて、その後姿を見送りました。
「あいつ、何をしてたんだ?」
入れ替わりにやってきたユウさんが、目を細めてディラックさんの後姿を見やる。
「ええと……」
わたしは少し考えて、さっき連れ去られそうになったことは濁すことにする。いえ、連れ去りというと語弊があるかもしれませんね。ナンパというくらいでしょう。
「たまたまここで会いまして、お話をしていたんです」
「ふうん」
気のない様子で呟いて、ユウさんは視線をこちらに戻す。
「行くのか」
「はい、付いてきてください」
手短に言葉を交わし、わたしたちは歩き出す。
無月寮。チサさんの住んでいる寮。
そんな名前ですが、実際は寮というほどのものではありません。畏教の教会の脇にくっついている寄宿舎とでもいうようなものでしょう。
町の教会には孤児院を併設しているものがありますが、それが寮になった、という感じですね。
学園の僻地、城壁沿いの学内南東の端の方にその寮はありました。
この辺りは初めて来ます。この学園にとってはかなり重要度の低い地域でしょう。学園生・魔法使いではない一般国民が多く住む住宅街です。
学園は大きく西、中央、東に分類されます。西は生産が盛んな工業地区、中央は学園の中枢たる商業・行政地区、東は教員や卒業生の多く住む学業地区。
中央は南北まんべんなく栄えてお店や校舎や寮などがびっしりと埋まっていますが、西と東は違います。南の大平原から城壁を経て学内に入り、北の山脈へと連なる魔法学園において、奥の北側だけが発展しています。
学内において、東南と西南の地区は目ぼしいもののない住宅地です。基本的に、寮はほとんどありません。
そんなところに住んでいるという時点で、チサさんが特待生といえど結構冷遇されている現状が見て取れます。
魔力を暴走させてあらゆるものを消し飛ばす危険があると思えば、隅に追いやるのは道理かもしれません。
ですけど、それで納得ができるかといえば否です。
「ここか」
「はい」
教会の前に立ち、建物を見上げる。畏教の教会はつんつん尖った凝った装飾になっていることが多いのですが、この教会は簡素です。そのへんの村の教会にさえも及ばないくらいで、上についている釣り鐘がなければぱっと見工場みたいな見た目です。かまぼこ型の屋根に、細長い建物。
教会の奥から通路が繋がり、寄宿舎につながっているようです。
周囲の住宅は塀に囲まれていて、あたりに人影はない。空飛ぶ人の姿もありません。この学内にあって上を誰も飛んでいないというのは、ちょっと違和感のある光景です。考えてみれば、自由に空を飛べるくらいに魔力を持っている人というのは世間的には少数派です。
学園指定のマントを付けているわたしたちの姿は、ここではやや浮いた印象があります。
周りに学園生がいないというのは不思議な感覚です。これからチサさんに会うのだという緊張もあって、そわそわしてくる。
「ユウさん、見てくださいこの花。オニリンドウですよ。中和剤の材料になるんですよ」
「それじゃ、もいでくか」
「捕まりますから! 多分!」
軽くユウさんと話をして、気を紛らわせます。
ユウさんの方は何とも思っていないのか、いつもの感じですね。まあ、矢面に立つのはわたしですけど。
でも、決めたことです。わたしはやりたいことをすることにします。
意を決する。
「行きましょうか」
「ああ」
教会の中から寮へ渡り廊下が続いています。赤色の魔法煉瓦で作られた教会と違い、寮の方は木造です。寮の入り口を覗いてみますが、中はしんとしています。玄関で室内履きに履き替えるみたいで、土間には脱ぎ散らかした革靴が転がっています。教会の付属寮ですが、かなり緩い空気がします。入口のすぐ脇には上への階段。一階の奥には食堂があるようです。明かりがついていないので、よくわかりませんが。
どうやら、一階は共用の施設で、二階以上が個室になっているようです。
チサさんの住んでいる部屋番号は知らないので、誰かに聞かないといけないのですが、奥の炊事場の方も人の気配がありません。今の時間なら、夜ご飯の準備しているはずなんですけど……。
「ねえ、そこの不審者」
玄関から首を伸ばして中をうかがっていると、後ろから声をかけられる。
びくーん! と身をすくませて振り返ると、いつの間にか後ろには一人の女子生徒がいました。
破れたズボンに多色入り混じった染めのシャツ、髪の毛は尖ったショートカット。
パンクです。パンクがいます。
見た目だけ言えば浮浪者みたいになるはずなのですが、物もまとめ方も小綺麗で、洗練された印象があります。胸元のネックレスは二年生を示す黄色の宝玉が光っています。指定制服は着ていませんが、学園生のようです。というか、ここの寮生でしょうか。
ちなみにユウさんは彼女が近付いていたことを忠告してくれることもなく、今は渡り廊下の手すりに寄りかかってボーっと教会の入り口の方を見ています。
わたしは思わずその視線の先を見てみますが、特に何もありません。カトンボでも飛んでいたのだろうと気にしないことにして、女子生徒に向き直る。
「おっと、先輩だったか」
わたしの胸元の三年生を示す宝玉を見て女子生徒が笑うと、口の中でからからと音がしました。飴でも舐めているのでしょう。服装はかなり独特ですが、笑うとあどけないです。
彼女の宝玉の中には見慣れない魔法石が入っていました。外周で接する三つの円。学年色の宝玉に入った魔法石は基本的に学部を示すものですが(ちなみに魔法科は魔法石なし、錬金術科は三角形です)、これはよく知りません。
「珍しい? そうかもね、服飾科だよ」
「あぁ、それで……」
服飾科、かなり希少な生徒です。同じ希少でも騎士科や航空科などの超エリートのところとは違い、とにかくファッションや変わった趣向が好きな生徒が通う学科です。それでいて、しっかりと魔法の才能も前提とされるので、正直わけのわからない学科ではあります。
「ヒメリョウ・ユミカ。このボロ屋に、何か用?」
せせら笑うように顎でくいと無月寮を示した。
わたしはちらりと無月寮をみやる。古い木造家屋で、ささくれ立って風化した感じは否めません。
「ユイリ・アマリアスです。ここの寮生を訪ねて来ました」
「あ、ほんとにそういう要件なんだ? あっちの道に変な男がいたから、そのお仲間かと思ったよ」
「変な男?」
「違うならいいけどね。辛気臭さを煮詰めたような顔の奴。最近、この辺りは物騒でね」
「そうなんですか……」
この学内も、当然安全というわけではありませんからね。こういう都会の住宅街ですと、空き巣被害なども結構あると聞きます。
「そいつのことは気にしなくていい」
ユウさんが口を挟む。
「俺たちとは無関係だ」
「え? そんな人いました?」
「気付いていなかったか? 後を付けてきていた。だが、気にするな。最近俺に変な勧誘をしてくる奴がいるんだが、そいつだろ」
こともなげに言うユウさん。
対してわたしの脳内は、一瞬白紙になりました。
「だだだっ!」
「だ?」
「なになに?」
「大問題じゃないですかっ! なんで教えてくれなかったんですか!?」
一気呵成に叫びます。わたしはユウさんの生活管理みたいなこともやっています。まあ大体真面目に勉強しているみたいですくらいしか書いていませんけど? ですけど、それでもわたしに何の相談もなかったのはショックです。それに、問題でもあります。
ユウさんのことを探っているとなると、そこから大問題につながる可能性はあります。まあ、どんな可能性か知りませんけど?
わたしに怒られて、ユウさんは面倒そうに顔をそむけた。
「大した問題じゃない。勧誘みたいなものだ」
「それでも、そういうのはちゃんと言ってください。信頼されていないんじゃないかって不安になりますから」
「信頼? 別に、していないが」
「ユウさんっ!」
「わかったわかった……。今度から、言うことにする」
「よろしくお願いしますね、ほんと……」
いつもといえばいつものやり取りを交わしていると、横でそれを聞いていたヒメリョウさんがニヤニヤとしているのに気付く。
わたしはなんとなく、赤面してしまう。
「す、すみません。お恥ずかしいところを見られました」
「いいよ、面白かった」
「見世物じゃないぞ」
「ユウさんはちょっと黙っててくれません? あの、チサ・ツヴァイクという一年生を訪ねてきたんです」
本来の要件に戻ると、ヒメリョウさんの口元がくいと冷笑的に歪む。
「へえ? あの問題児に何か用? また問題でも起こしたの?」
「……」
まあ、問題は起こしてしまって、今の来訪に繋がってはいますが。
ですけれど、彼女の冷たい対応が気にかかる。
わたしはおずおずとチサさんとの間でトラブルでもあったのかと尋ねると、ヒメリョウさんは説明してくれる。
原因は言うまでもなくチサさんの魔力の暴走です。彼女がこの寮に入ってから、毎朝裏手にある公園で一度魔力を発散しているそうです。発散といっても、放出される魔力量は相当のもの。
わたしも先日第四クラブ会館で感じた、肌があわ立つような魔力の奔流。そしてそれに伴う突風と騒音。
毎日そんなものを間近で感じて、ここの寮生のみならず近隣住民も彼女に対しては悪感情を持っているそうです。
「保証金は出ているみたいだし、本人にどうしようもないことっていうのはわかっているよ。でも、頭でわかっていても、毎朝あれではたき起こされているとそんなの関係なくムカついてくるんだ。ま、とばっちりかもしれないけど」
ヒメリョウさんも面と向かって罵倒するのは筋が違う、ということはわかっているようでした。ですけど、たしかに毎朝の騒音被害をこうむればちょっとわかる気もします。見舞金をもらえば自動的に悪く思うこともない、なんてあるはずありません。
日々の実害をこうむっていないわたしはなんとも言えず、曖昧な返事しかできません。
わたしたちがチサさんの魔法の暴走を防ぐ手立てを考えてやってきたことを伝えると、彼女は相好を崩して喜びました。
悪い子ではないんですよね、うん。
「そういうことなら大歓迎だよ。あたしに聞いてよかったね。あそこのシスターにでも聞いてたら、塩振りかけられるくらいはしたかも」
言いながら、顎で教会の方を示してみる。
たしかに彼女が通りかかっていなかったら、母屋(?)である教会の方に聞きに行っていたでしょう。そして、どうやら教会関係者の間ではチサさんはかなり憎まれているようです。
「先輩、付いてきな」
ヒメリョウさんは寮に入って行く。彼女がぽんぽーんと脱ぎ捨てた靴を揃えつつ、上がります。来客用の室内履きがあるかと探しますが、それらしきものはありません。
「ほら、これ。普通に歩くと靴下汚れるよ? ろくに掃除してないからさ」
言いながら、室内履きのスリッパを蹴り寄こしてくれます。ビニール製の安いスリッパです。妖怪のキャラクターでしょうか、ちょうちんみたいな照明器具に目と口が付いたものがプリントされています(ちなみに妖怪というのは、魔物に似た架空の存在のことです)。
「歌行燈」
しげしげとそれを眺めるわたしに、一言それだけ声をかける。そういう名前のキャラクターなのでしょうか。
「あ、一年生。あんたは入っちゃダメだよ」
「は?」
わたしに続いていたユウさんが制止され、不思議そうな声をあげる。
「ここ、女子寮。あんたは?」
「……男だな」
「うん、そういうこと」
「女子寮……?」
ユウさんはもの言いたげな様子で室内を見回しました。
教会の付属施設であるはずですが、あまり管理はされていないようです。寮生による自治などもないのでしょう、まともに掃除されていないようです。中は照明もなく薄暗い。人があまり通らないであろう廊下の隅は埃が積もっていて、壁は簡素な板張りです。破れかかった「慈愛と清貧」という標語札がわびしさを際立たせます。
奥にある食堂も、どうやらあまり機能していないようです。
「ああ、あっちは朝だけやってるの」
奥を見ていたわたしの視線を追って、説明してくれる。
「部屋案内してあげる。本人いるかは知らないけど。あ、君は外で待ってて。でもあの変な男に付きまとわれているのか。それじゃ教会の中で祈ってれば? 深刻そうな顔してるし、祈りたいことくらいあるでしょ? ま、うちの神父もシスターも屑しかいないからご利益あるかは知らないけど」
吐き捨てるようなことを言いますが、本人はあっけらかんとした様子ですので嫌味にも感じません。
ユウさんは呆れた顔をして「そうする」と短く言って、教会の方に行ってしまう。
「行くよ」
「はいっ」
ふたり、歩き出す。
ぎし、ぎし……。
「……」
床、抜けないのでしょうか? 大丈夫でしょうか?
チサさんと会って話をするという不安以前に、この寮大丈夫なのだろうかという不安をかなりひしひしと感じます。
そういう意味では、乱れた心もうまく中和されたのかもしれません。……いえ、余計、千々に乱れただけですね。
ともかく、気を取り直して、わたしはチサさんの部屋を目指しました。




