昔のはなし
わたしのふるさとはイヴォケードから遠く離れた場所にある小国、フォス王国。山に囲まれたピッテントという小さな町です。
人口は千人ほどの小規模な町です。
父親は町で唯一の錬金術師であり、そして町一番の魔法使いでした。魔法薬の精製を中心に家業を営み、時々頼まれて工場の魔力炉の調整や学校の講師として授業を行い、町の顔役としても活躍をしていました。
母親は森の民の出身。部族がピッテントに寄った際に父と恋に落ちて、そのまま町に居ついた異邦人です。当初文化の違いで軋轢もあったそうですが、やがて定住生活にも馴染み知識を生かして父の魔法薬の作成を助け、家事や子育てに精を出していました。
長女としてわたしユイリ。その下には妹ふたりと弟ふたり。
わたしは魔力量こそ父には及ばないものの、魔力の調節や箒乗りについては結構な才能を持って生まれ、幼い頃から神童扱いをされて父の補助をしたり、子供たちのまとめ役みたいなことをしていました。
そうはいっても所詮は田舎での話です。父に連れられて行く大きな街で自分以上の魔法使いを知る機会もあり、そこまで天狗になるということまではありませんでした。
このまま小さな故郷で、父の後継者として錬金術師になるものだろう。そう思っていた矢先、わたしの人生は突如曲がり角を迎えました。
父の死です。
錬金術師見習いの上の妹を伴って薬草の採取に出かけていた父が、魔物に襲われて帰らぬ人となりました。
父は妹をかばって魔物に食べられて、その隙に妹は片足を失うという重症を負いながらも命からがら町へと逃げ込んできたそうです。
わたしも薬師として妹の手術に同席しましたが、あの時のことはあまり記憶にありません。それだけショックが大きかったのでしょう。
魔物の出現に町は厳戒態勢となり、領主様のもとにはわたしが箒に乗って伝令に赴くことになりました。
まるで危機の町から逃げ出すようで心苦しく、狼狽する母の傍にいたい気持ちもありましたが、こんな時に町一番の箒乗りが役に立てないというわけにはいきません。内心では、魔物が近くに潜む町から離れられるという気持ちも少しはあったかもしれません。
最新の都市は魔力の空白地帯を周囲に作り、魔物避けとしています。ですが、ふるさとはそんな設備はありません。柵がゆるく囲われている程度。だからいつ、魔物が襲ってくるとも限らない。そして、その場合狙われるのは父に次いで魔力の高いわたしである可能性が高い。
役目を与え、わたしは町の人たちに逃がしてもらったのです。それは、後になって思い返してからわかったことでしたけど。
魔物の襲来はそうあることではなく、わたしの伝令はすぐさま政府へと伝えられ、翌日にはイヴォケード魔法学園という伝説的な国から魔物狩りを専門とする守備隊士がやってきました。
第二守備隊、ウサコ小隊。わたしとウサコさんの出会いでした。
彼らを伴って町へと舞い戻り、守備隊士が町を守る防衛網を構築し、その日が終わる。
結界の維持に守備隊士を割かなければいかず、魔物の盗伐は少数精鋭で隊長のウサコさんと副長イスナインさんで赴くことに決まりました。ピッテントを未曽有の恐怖に陥れた魔物は、歴戦の守備隊士にしてみればひと部隊の、それも戦力を分散しても討伐できると判断される程度のものだったということです。
わたしは魔物の討伐に向かうおふたりに無理矢理付いていき、三人で魔物の殲滅に成功しました。
その際、当初同行を拒否されていたわたしが役に立つからと自作した魔法薬が、のちにユイリ新薬と呼ばれることになる中和剤でした。
そもそも、中和剤は魔法薬の繋ぎに使うものですが、純度を高めると魔力を消し去る効果を持つようになり、聖水とも呼ばれます。
魔法界と呼ばれる異界から現れる魔物は身体のほとんどが魔力です。この聖水を忌避し、武器に聖水をかけることで効果を上乗せすることもできます。
この聖水を作った際、なにか特殊な製法をしたからか、ありえないほど効力の高い聖水を作ることに成功していました。その聖水を作った製作者だからということもあり、また、魔物が潜んでいるであろう町周辺の魔力の高い場所を把握していることもあり、わたしは同行を許されたのです。
そうして魔物を撃破した後しばらくして、ウサコさんからよければイヴォケードの推薦を受けてみないか、という誘いがありました。
彼女はしばらくわたしの実家で暮らしていて気心も知れていましたし、中和剤の効能についても評価してくれて一旦それを学園に持ち帰っていました。
まぐれだったのか、その後同じ効能の中和剤を作れていなかったわたしは躊躇しましたが、家族や町の人たちの後押しもあり、イヴォケードの推薦入試を受けることを決めました。
そして、あっけないほど簡単に、わたしは合格してしまったのです。
ですが誤算だったのは、わたしが想像していた以上に新薬は評価されており、そして、わたし自身はその再現ができていなかったということです。
珍しい錬金術科の特待生。わたしは入学当初から有名人でした。入学したばかりの頃は、たくさんの人がこぞってわたしに話しかけてくれました。
ですが、わたしが一度限りしか新薬を作れていないと知り、その他の能力はこの学園ではかなり下位に属するとわかると、あっという間にもてはやした人たちは去っていきました。
もてはやされて失望されて、それでもなんとかこの学園にとどまって自分の研究を続けようと思っている時、わたしはユウさんのお世話係の仕事に巡り合ったのです。
……ということを道すがらユウさんに話す。
自分の生い立ちをまとまった形で話すなんて、さすがに初めてのことでした。なんだか照れくさいようでもありますし、全体的に暗いトーンの話なのでこんなの聞かせて悪いなあ、という気持ちもあります。
「なるほどな」
わたしがチサさんを気にかけてしまう理由。彼女がわたしと似ていると思った理由。わたしの身の上話から、それらを感じ取ってくれたのでしょう。ユウさんが感懐深げに頷く。
「腑に落ちた」
「はい」
「あの女を気にしている理由もそうだが、覚えているか、前に中央校舎で副校長に会った時、お前が俺を救ってくれるかもしれないと言っていたこと」
「あー、ありましたね」
ユウさんとまだ出会ったばかりの頃です。応接室みたいなところに通されて、ジル・エレフガルド副校長、グスタフ・イザール・レイン守備隊総長、オリバ・モルゲタウン生徒会長といったそうそうたる面々と会談をしたことがありました。
今思い出しても、それが現実にあったことなのか、どこか心配になってしまいます。
そんな彼らと話をする中で、ユウさんの言ったように、わたしが彼を救いうる、というような話がありました。正直何のことなのかは全然わからず、その後流してしまっていました。
後見役のわたしを大切にしろ、的な意味合いなのかななどと一人合点していたのですが。
「あの時はなぜそう言われたのか、わからなかった。おまえがそんな特別な才能を持っているようにも思わなかったし、むしろ……いや、ともかく」
ユウさんが気まずげにわたしから視線をそらせた。
「い、言いたいことがあったら言ってくれてもいいんですからねっ」
「ともかく、その理由がわかった。おまえがここに入学するきっかけになった中和剤、あれがその理由だ」
「あの中和剤、ですか」
ユイリ新薬。わたしがこの学園に来るきっかけとなった中和剤。
魔力を消し去るその効能は、使い出としては大きく分けて二つあります。
一つは魔力の絶縁体として使う工業的な使い方。そしてもう一つは魔物や魔法使い対策に特化した兵器としての使い方。
この話の流れでは、わたしの中和剤に見出された価値というのは後者でしょう。
魔力を消し去るその力。それがユウさんを救いうる? 性質はユウさんの直接干渉魔法に近いですけれど、それが何かあるのでしょうか。
考えてみますが、そもそも、わたしはユウさんのことは全然知りません。答えなんて出るはずもありません。
ユウさんはそれ以上この話を続けませんでした。言えない事情でもあるからなのかわかりませんが、わたしも深追いはしないことにします。
「それで、結局、まだあいつに関わるつもりか?」
「チサさんが本気で放っておいてくれ、という感じだったら無理に関わろうとも思っていないです」
嫌がる相手であれば、それは余計なおせっかいでしょう。
ですけど、チサさんは他人と距離を置きながらも、近づいてきてくれる誰かを求めているような印象がありました。
きちんと会話を交わすようになったのは今日が初めてです。そう長い交友でもありませんが、一緒にいて嬉しそうにしていた。その様子を知ってしまったら、放っておくわけにもいかないと思えました。
わたしが思っていることを告げると、ユウさんは黙って頷きます。
「そうか」
「ここまで聞いたんですから、協力してくれてもいいんですからね」
「なんで念押しがちょっと弱気なんだよ」
「まあその……」
だって冷たく断りそうですし。
そう正直言おうか考えていると、ユウさんはひとつ息をついて頷く。
「別に構わない」
「えっ」
「ここで断っても、おまえ、説得してくるだろ」
「ええまあ」
「だったら、最初から了承しておいた方が早い」
「ええと……?」
こう言ってくれているということは、彼も結局、チサさんのことに完全に無関心というわけでもないのでしょう。
この人の言うことは一度脳内に変換しないといけないのでややこしいのですが、ともあれ、力を貸してくれるようです。
「ありがとうございます、ユウさん」
「で、対策はあるのか?」
問われて、わたしは考える。
最終的に、チサさんが(ユウさんも)友達に囲まれて学園生活を送ることが目的です。そして、そのための手段として入部するクラブを探していました。だけどそれは頓挫。原因は、有名人で遠巻きにされているということもありますが、さらにその元、魔力の暴走をなんとかしないと話が始まりません。
先ほどの魔力の暴走の跡片付けの際。手伝おうとしましたが、いられるだけで怖くて迷惑、というように拒絶されてしまいました。こんな状況では学園生活をうまくやるのは問題外でしょう。
「まずは、問題は魔力の制御ができるようになることですね」
でも、魔力の暴走って……どうすれば解決するのでしょうか?
わたしには暴走させるだけの魔力もないので、全然わかりませんねえ。
というよりは人間が持つ魔力量では、通常暴走云々という規模にはなりえません。
魔法操作の技能はやればやるほど熟練するものです。まずはうまい暴走のさせ方を勉強するべきなのでしょうか。ですが、チサさんは魔力を溜め込みすぎないようこまめに発散させるようにしていると言っていましたし、この方向性は既に実行済みかもしれません。
そもそも暴走しないようにする方法はないのでしょうか。そこのところをぱっぱと解決できるような案なんてないですね。
この学園の敷地内の濃厚な魔力。それを自然に取り込んでしまうのは生理現象です。そして魔力は自然と体から排出されていくものです。コップに水を注ぎ、溢れた分がこぼれていくようなイメージですね。ですがチサさんの場合はコップがあまりに大きく、水があふれる前にコップが割れてしまうような感じでしょう。
ならば、魔力が溢れる前に暴走以外の方法で魔力を抜いてあげるしかありません。
「……暴走しそうになったら聖水をかけるのはどうでしょう?」
聖水は、魔力を中和して消し去る性質があります。人の体に宿る魔力にも、ある程度は効き目があるはず。
「無理だろ。聖水じゃ、焼け石に水もいいところだろうな。意味がない。それに、仮に意味があったとしても、おまえは暴走しそうになったらその都度あの女に水をかけるのか?」
「……」
たしかに、チサさんが暴発しそうになる度にばしゃっと聖水をかけるって、絵面的にかなりまずい感じです。
多分泣いちゃいますね。
「ダメですね」
「ああ。口に出す前に頭で考えろ」
「……辛辣すぎません?」
「そうか?」
「……」
わたしは考える。
が、全然、いい案が浮かばない。現時点で定期的なガス抜きをしているようですが、それに限界があるような状況です。そして、現状のやり方では周囲に馴染むことはできない。もっと優れた方法が必要なのです。
「ゆ、ユウさんはなにかないんですか?」
考えるのを諦めてユウさんに聞いてみると、あきれた視線を返される。
「な、なんですか、その目は?」
「別に」
「ユウさんもないんじゃないですかっ?」
わたしだけダメな子扱いされるのも悔しいんですがっ!
「いや、単純に俺が横にいれば解決する」
「ん?」
「魔力の暴走の規模が最大どのくらいかはわからないが、今日のあのくらいであれば、問題ない」
「……ユウさんの直接干渉!」
「そうだ」
ユウさんの特異な能力、魔力を吸い取るその力。
わたしの聖水案と同じ効果を、ユウさんは直接干渉魔法で与えることができます。
確かに、溢れるチサさんの力を抑えることはできそうです。なにせ先日、学園を守護している巨大な結界をひとりで破ってしまった人です。チサさんの魔力をうまくやり過ごすことができるかもしれません。
思いもよらなかった方法です。そもそも、ユウさんが自ら骨を折るような提案をしてくるとも思ってもみませんでした。
彼も精神的に成長しているのでしょうか。この学園のことを、好きになってくれたのでしょうか。
「ですが、ユウさんはあんなたくさんの魔力を吸い込んでしまって、大丈夫なんですか?」
「俺は魔力を溜め込むような体質ではないからな。勝手に抜けていくから、暴走みたいになることはない」
「それでしたら、暴走しそうになった場合については大丈夫ですね。あとはチサさんがうまく魔力を制御できるようになるのを待つしかないですかね」
対症療法的に暴走をこれで抑えて、あとはチサさん自身の修業あるのみです。うん、現実的な対応に思えます。
「だろうな」
「というか、今思ったんですけれど、さっきチサさんの魔力が暴走してしまった時に今のやり方をしてくれていればよかったような……」
そうすればあんな騒ぎになることもなかったような気がするんですが。
そんなわたしの問いに、ユウさんは首を振る。
「暴走しだしたら、止めるのはかなり難しいぞ。ああなる前に対策しないと駄目だな」
「なるほど、そうなんですね」
思い返してみると、あの時、慌てるわたしをユウさんが守ってくれていたような気がします。あの状況で、暴走も抑えろなどというのは過分な要求でしょう。
「あれ? あの時、もしかしてわたしを庇ってくれていました?」
「いや、庇ったというか、お前に怪我とかされると手当てするの俺だろ。それは面倒だからな」
「ありがとうございます」
頭を下げるわたしを面倒くさそうな目で見るユウさん。
「今日はこれから、どうするんだ?」
話を逸らしてくる。
なんとなく照れ隠しのような気がするので、あまりいじらずわたしはその話に乗っておきます。
「そうですね。部室に顔でも出しましょうか。最近みなさん忙しそうですけれど、手伝えることもあるかもしれませんし」
来月に開催される魔法発表会。魔法科の研究室を中心に魔法の新理論や技術発表などを行うイベントです。
この学園の国民のみならず、全世界から魔法学の研究者の集うお祭りめいた催しです。講堂での公演や大きなホールにブースを立ち上げての発表や技術紹介など、大小様々な学術発表が行われます。
この学園が行う魔法の発表会は秋と年始にもありますが、春の発表会が一番有名でしょう。
この季節、世界各国から政財界の要人がやってきます。魔法は国力の源ですから、新技術の発掘には各国余念がありません。
例年はそこにクラブが噛むことはないのですが、学外の賓客から有名なイヴォケードのクラブ活動の様子も見てみたいという要望があったようで、発表会の後に懇親会という名のクラブの活動報告会みたいなものを開催することになったようです。
活動報告会などというと真面目な文言ですが、実際はクラブ活動をアピールしながら騒ぐだけ、という内容になりそうな見込みみたいですけど。
このクラブのお祭りに関してわたしも籍を置く第三魔術研究会に最初の打診があり、その後実質的な運営はプロデュース研究会に投げ、現在は参加団体を募る説明会や勧誘などでみなさん忙しく立ち回っています。わたしはあんまり役に立っていないのですけど。
最近はそのあたりもわりと片が付いてきて、今度は第三魔術研究会で何かできないか、というような話になりつつある趨勢ですね。今の段階からでしたら、何か手伝えることはあるでしょう。
わたしの提案にユウさんは頷き、中央部室棟へと足を伸ばす。
第三魔術研究会の部室に足を踏み入れる。
わりといつもいるルカ部長とその奥さんのアイシャ先輩の姿はなく、中にいたのは四人です。
クローディア先輩、コンラートさん、ヴィクトール先輩、そしてもう一人。
先のほうが緩くカールしたふわっとした長い髪。おっとりした感じの目鼻立ちの美人さんです。
「あら?」
「あ、ええと」
視線が合うと、にこりと笑って首をかしげる女生徒。
なんだか気恥ずかしくなり慌てて視線を逸らせると、ちょうどその先にいたコンラートさんが笑いながら彼女を紹介してくれる。
「ああ、ユイリさんは会うの初めてですよね。部員のエステル先輩ですよ。先輩、このふたりが今年の新入部員の」
「ええ。ユイリさんに、ユウくんね」
のんびりした口調でこっくりと頷く先輩を、わたしはまじまじと見やる。
エステル先輩。まだ顔を合わせていなかった第三魔術研究会の最後のひとりです。そして彼女は、この学園の生徒会副会長でもあります。言うまでもなく、この学園においては結構な権力を持つ人。
見た感じ優しげな人であありますし、特に悪い噂を聞いていることもないですが、それでもなんとなく緊張する。
わたしはきちんと頭を下げる。
「新しく部員になりました、錬金術科三年生のユイリ・アマリアスです。こちらが……」
ユウさんに目配せをする。
「ユウ・フタバ」
愛想の欠片もない自己紹介ですねえ。
いい加減こういうやり取りをするのも慣れてきたので、話を振られたことは察してくれたようです。頼むから礼儀正しくしてくれというわたしの願いは察していないですが。
ユウさんのその態度にいつもながらはらはらしますが、エステル先輩は全く気にするそぶりはない。わたしたちを見比べると、ふふっと穏やかに笑う。
「やっと会えて、よかったわ。生徒会のほうを抜け出してきた甲斐があったわ」
ぽん、と手を合わせてにこにこしている。
「え……抜け出しちゃって、いいんですか?」
生徒会は最近忙しいから当分会えないだろうという話を聞いたことがあるんですが。
「いいのよ」
「いいわけないんですけどね」
当人とは真逆のことを言って苦笑するのは、いつもの席にかけているコンラートさん。
「そうか、おまえら、初対面か」
ぼおっと頬杖をついて成り行きを見守っていたヴィクトール先輩が言う。
「はい。わたしたちも、毎日ここに来れているわけじゃないですし」
「しばらく、エステルの方が顔を出せていませんでしたから。新歓や入学式の行事に今度は発表会と、この時期は生徒会の方がかなり忙しいですから」
淡々と続けるクローディア先輩。
「そうなのよねぇ。毎日毎日、講義が終わると生徒会役員が校門で待ってて、無理矢理連れていかれるのよ。ひどいと思わない?」
怒っているようですが、なんだか可愛いだけです。ちょっと和みます。
「た、大変ですね……」
「ええ。振り切るの、大変だったわ。大通りを通りかかった時に、魔法でパパッと目くらましをして、ナッシュ君とカナちゃんを近くの酒場にけりこんで逃げてきたの」
「えぇ……」
そんな話、にこにこしながらされても……。
エステル先輩、結構無茶する人みたいです。
「それ、大丈夫なのか? ナッシュって奴は知らないが、もう一人はカナカナ・トロミだろ。有名な生徒会の炎の会計」
「あ、聞いたことあります」
現在の生徒会でも結構有名な生徒です。今の生徒会に武闘派は少ないので目立つというのもあるのでしょうが。
そんな人を酒場にけりこんでくるとは……。
「大丈夫ないのかしら。たぶん、ちょうどいいし一杯やってから来るかなあって」
笑顔を崩さないエステル先輩は完全に大物ですねえ……。
「駄目そうだな」
最初は心配そうだったヴィクトール先輩でしたが、さじを投げてしまう。
うーん、生徒会の大事な仕事を放り出してきちゃったって、トラブルの気配を感じます。
などと思っていると……
「副会長ーっ!!」
「エステル、いるんでしょ!!」
ばたばたばたばた、とせわしない足音がするかと思ったら、部室の扉がバンバンバンと叩かれる。
わたしは思わず身をすくめました。すごく怒っている声音です。
「すごい……もう追いついたの。行き先も言ってなかったのに。追跡魔法……存在していたの?」
「あなたが逃げてくるなんて、ここくらいでしょう」
おろおろしだすエステル先輩に、クローディア先輩は呆れたように言う。
「悪いことは言いませんから、出頭したらどうですか? さすがに、生徒会が忙しいのは放っておけないでしょう」
「でも、もう事務仕事は嫌なの~。せっかくの新入部員と、私だけ全然お喋りできてないし……。うん、ここはなんとか、乗り切るわっ」
エステル先輩はそう言うと、何を思ったか、部室の隅にある巨大な壺(もとは錬金壺だったようですが、今は箒が無造作に突っ込まれているもの)の中に入ろうとする。箒が邪魔だと思ったのか、抜いてその辺りに置くと、スカートをひらめかせてぴょんっと中に入り込んだ。
隠れてやり過ごそう、というようです。
そして、そんな間も乱暴なノックは続く。
「ナッシュ。もうこの扉破らない? 賠償は相手持ちでいいでしょ」
「同意したいが、ダメだろ。カナカナ先輩頭に血が上りすぎ」
「でも、中で話声するのに明らかに居留守でしょ? 生徒会権限使っちゃう?」
物騒な会話が漏れ聞こえてくる。
「あの、エステル先輩。さすがに部室を壊されそうなのは許容できないんですけど……」
コンラートさんが壺から顔だけ出しているエステル先輩に苦言を呈しますが、先輩の方はどこ吹く風です。
下に落ちた箒を指さして、「さしてさして」とアピールしています。抜いた箒を元に戻して、隠蔽工作ということですね。
何とも言えない表情のコンラートさんと、面白そうな様子で加わったヴィクトール先輩が箒を戻していく。
「きゃっ、コンラート君、箒の柄をおっぱいに当てないでほしいな」
「ち、違うんですっ。すみませんっ!」
「おっと、それじゃ俺も当てちゃおっかな~」
「……ふんっ!!」
軽口をいうヴィクトール先輩が、クローディア先輩の腰の入ったパンチで吹き飛んでいく。
「……何をやっているんだ、本当に」
「ええまあ……」
隣でため息をつくユウさんについ同意してしまう。わりといつもの平和な光景……。
呑気な部内と鳴るノック。
この部室に来る前は結構深刻な話をしていたはずなんですが、なんだか、馬鹿馬鹿しくなってきました。もちろん、それを望んでここに来たというのもあるんですけどねえ……。
「お待たせいたしました。いかがいたしましたか?」
コンラートさんが外にいた生徒会役員のお二方を中に招き入れる。
長身で怜悧な印象の男子生徒と、小柄で勝気そうな女子生徒。特徴的なデコボココンビ。二人は部内をぐるりと見まわします。
「中でなんかごそごそしてたけど、なにしてたの? 隠し事をしていると、ロクなことにはならないわよ。ただでさえ、あんたらうちの覚え悪いんだから」
「それはともかく、エステル先輩来てるでしょ。あの人逃げ込むところ、ここくらいだし」
ピリピリした口調です。やはり、生徒会とクラブというのはあまり仲が良くないようです。
「いや、すぐに開けられなかったのは悪い。ちょっと俺がみんなに裸踊りを披露しててな。今、服着てた」
ははは、と悪びれる風もなく嘘をつくヴィクトール先輩。退屈そうな表情を作って杖の点検をしているクローディア先輩の片眉がぴくりと動きましたが、口出しまではしない。
「は、裸っ!?」
女子役員の方が、目を白黒させて後ずさる。
「ああ。失礼に当たるかと思って服だけは着たんだがな。もしご希望とあれば、さっきみんなに披露していた踊り、生徒会役員様にも見せてもいいぞ」
さすがこの部の最上級生。その態度は堂々たるものでした。まったく感心はできませんが。
「い、いいっ! いいから!」
女子生徒が顔を赤くして、わたわたと手を振る。なんだか、かわいい子のようです。
「つまり、副会長は来ていないと?」
男子生徒が落ち着いた様子で聞く。
「この頭のおかしい人が勝手に騒いでいますが、私たちは来月の魔法発表会のクラブ側のイベントについて話し合っていたんです。生徒会と一緒にこのイベントを成功させるために、ですよ。それを邪魔されて、その上こんな冷たい対応をされるというのは心外ですね」
さらっと質問には答えないクローディア先輩。
嘘はつかないが、真実も言いませんよ? というしたたかな意思が見て取れます。
「……そうですか。ここにいないのでしたら、残念ですね。では、もし副会長がきたら伝言だけお願いできますか?」
「どうぞ」
「今日はおやつに副会長が食べたいと言っていた旧馬車通りのケーキ屋の新作を用意していると」
壺ががたりと動いた。
「……」
「……」
部内が静かになる。
男子生徒はどこか呆れたような目で、壺の方を見る。
かつかつと壺の方へと近づくと、観念したのか、エステル先輩が顔だけちょこんとそこから出した。
「ナッシュ君、今日ケーキあるの?」
「ありません」
「……」
「……」
「エステル副会長ぅ~!」
「あ、あっ、カナカナちゃん、引っ張らないで~! 引っかかってる、引っかかってるから~!」
哀れエステル先輩は女子生徒に無理矢理引っ張り出されて、がっくりとうなだれています。ああもう、使っていない壺の中に隠れていたから服から髪から埃まるけ。
わたしは駆け寄って先輩の埃を取ってあげる。
「ユイリちゃん……優しいっ!」
先輩は嬉しそうにわたしにひしっと抱き着いてくる。
完全に悪気はなさそうですが、おかげでわたしも今埃まるけになったんですが。ひっそりと絶望しますが、まあ先輩が嬉しそうなのでいいかな……。
「ところで、クローディア先輩。さっき、副会長はいないって言ってなかった?」
カナちゃん、と呼ばれている女子生徒が剣呑な視線をクローディア先輩に向ける。
「いえ、私はいないとは言っていませんよ。どうやら、いつの間にか来ていたようですね。それにしてもエステル、私に気付かれずに壺に隠れていたなんて、天才ですね」
「クローディアちゃん、酷いよっ」
クローディア先輩はどうやらエステル先輩を見捨てることにしたようです。
いけしゃあしゃあとそんなことを言い、ぶうぶう文句を言うエステル先輩に首をかしげてみせます。
生徒会役員のおふたりは怒る気力もないのか忙しくて突っ込むのも面倒くさいのか、これ以上部員に文句を言うつもりはなさそうです。
「副会長、行きますよ。備品の発注や教授会との折衝がありますし、昨日の会議の続きもあります」
「そうです、行きましょう。手続きの書類で未処理のものがありますし、機材の準備もありますよ。原稿の下読みと、宿泊施設についても確認が必要です。あと予算ももう少し節約しないといけないので、どこを削るか検討しないといけません」
生徒会のおふたりが淡々と口にする事務仕事の事項は多岐にわたり、向こうは今は鉄火場のごとき忙しさなのだろうなと思われます。
「み、みんな~……」
助けを求めるエステル先輩から一同視線を逸らし、連行される姿への手向けとしました。
「裏切者ー」という声が遠ざかっていく。
「さて、エステルもいなくなりましたし、続きをしましょうか」
「そうですね」
「いや、もう今日もお開きでいいだろ。思い付いたらメモだけすればいいし」
初めから部室にいたお三方はすぐさま話題を切り替えて、いつもの席に着く。まだ扉の向こうから声が聞こえてきているのに、すでにエステル先輩のいなくなった余韻すら部室の中にはない感じですねえ。
「わたしたちが来るまで、何をしていたんですか?」
進行役をしているクローディア先輩に尋ねる。
「この間から変わっていませんよ。今度の魔法発表会、うちで何やるかの案だしです」
「なるほど」
クローディア先輩の手元のメモにはいくつか候補が並んでいます。が、このメモは一昨日来た時も同じ場所にありそこから案が増えていないようです。どうも停滞しているようですね。
魔法発表会の場でクラブ側に席を設けるということ自体が初めての試みで、なかなか何をやるかが定まりづらいということもあります。
「結局、クラブ連として何をやるか決まっていないですからね。それがわからないと、始まらないですから」
わたしの視線を追って内心を察してくれたのでしょう、コンラートさんが言う。
今回の魔法発表会は各研究室が学園生や各国の研究者、貴族や高位軍人を招いて成果を発表する場です。元々はクラブのイベントではなく、研究室主催。
夕方から夜にかけて何かする、という話にはなっているものの、詳細は未定です。別会場で何か出し物をするのか、あるいはゼミがはけた後の講堂やホールを使っていいのかなど、よくわかりません。
やりようがわからないので何をするか案もうまく出ない状況です。
この辺りはクラブ側の運営を総括するプロデュース研究会と研究室側を統べる生徒会が主導して決めていくことになります。
そして今は、それが決まるまでの間の時期。クラブ側としては、どんどん準備を始めてしまいたいがなかなか踏み出せない微妙な時期であります。
微妙ゆえに首脳側は忙しいようで、部長のルカ先輩やこの部の渉外役を担っているアイシャ先輩、ミスラ先輩がいないのはその余波でしょう。フォロンがいないのは多分研究室絡みですね。あの子研究室にも入っていますから。
「発表方式が決まるまでもう何日かかかりそうです」
昨日部長が言っていました、と気のない様子で呟くクローディア先輩。
「先輩。僕は昨日部長に会えていないんですけど、見込みがどうかとかは言っていなかったんですか?」
「基本的に発表に使える場所は例年通り研究室が抑えています。大講堂と、周辺の大きな建物ですね。なので、それ以外の場所でブースとして使えるところがないか当たっているようです」
「やっぱり、研究室側とは別会場になりそうってことか? 時間区切ればいいだろうに、向こうのクラブ嫌いも相当だな。この状況じゃ、どこも乗り気にならないぞ」
魔法発表会は学園東部にある湖水地方で行われます。学園の生活用水を供給する湖の傍は学生の校舎はほとんどなく、卒業生中心の研究室や各国の大使館などがある学術と外交の要の地です。学内で最も町並みが整備されており、観光地としても有名です。
それ故に、基本的に場所の余裕はあまりないような気がします。あの地方にある校舎は上級生専門の校舎ばかりでクラブに開放できる場所ではありませんし、かといってそれ以外に受け入れができるような建物はありません。まあ公園とかは多いのでその辺りで何かできるかもしれませんが。
ともあれ、その辺りの場所探しでルカ先輩は奔走しているようです。今日は多分、中央校舎か湖水地方に行っているのでしょう。現状、どうなるかはまだよくわからない感じですね。
コンラートさんも同じことを思ったようで、困ったような顔をしている。
「ま、続報を待とうぜ」
ヴィクトール先輩はやる気なさそうな感じです。でも、その気持ちもわからないではありません。
なんとなく部内に弛緩した空気が漂い、ヴィクトール先輩はさっさと新聞を取り出して読み始める。
クローディア先輩が一息つき、諦めたように手に持つペンを転がして、それが合図でこの話し合いは終わる。退屈そうな表情のまま、背もたれに体重を預けて顔だけこちらに向ける。
「ユイリは研究室の方でなにか発表があったりしないんですか?」
「せ、先輩。もうわたしの成績知ってますよね。全然、発表会に関係あるようなすごい研究室に入ってないですから」
わたしの研究室は、誰でも入れる劣等生の救済処置的な研究室です。各々勝手に研究をして各自発表会をする、というくらいの活動。生徒はもちろん教授の方も、学業で結果を残そうという気概はありません。学業以外のひと芸でこの学園に引っかかっているような人ばかりですし。
そもそも三年生で発表会に関わることができるような優秀な生徒は稀です。ルドミーラは何か発表展示があるようで最近も相変わらず忙しそうにしていますが。
わたしは劣等生。こう言ってしまってはなんですが、わたしの研究室で発表会に興味を示す学生が皆無です。
このクラブの人たちは、なんとなくわたしを過大評価する傾向があるような気がします。
「でもユイリは結構成績いいんでしょう?」
「通常科目は悪くないと思いますけど、魔法系はだめです」
そして、この学園での成績は魔法成績が重要視されます。
これ以上自分のだめさが白日の下にさらされる前に話を打ち切ってしまいたい。
「今はダメでも新薬が完成したら天才扱いされるだろ」
錬金術ってそういうもんだしな、と言いながら新聞から顔を上げるヴィクトール先輩。
「まあ、そうかもしれないですけど」
でも、完成する予兆すらないんですが。
「そういえば、エステル先輩には初めてお会いしたんですけど、面白い人でしたね」
このままわたしの話を続けられるのも気まずいので、話の矛先を変える。
「さっきユイリがちょっと話した感じ、エステルはあれで全部です。裏表がないんですよ」
「うちのクラブだとユイリとユウの次に新人だな。つってもあいつはもう一年くらいいるけど」
「そうですね。創設メンバーが部長と私とアイシャ。その後コンラートが入って、ヴィクトール、ミスラ、フォロン、エステルの順ですね」
クローディア先輩が簡単に解説してくれる。
「あ、ここって結構新しい部だったんですね」
今部長をしているルカ先輩が、そのままこの部の創立者だとは知りませんでした。
できて数年の部だとは思えないほどの知名度です。この学園で名声を稼ぐのは結構大変ですので、意外な感じもします。もちろん部員はみんな一癖もある天才児ばかりですけど。
「私と部長とアイシャと、元々魔術研究会に所属していたんですよ。でも反りが合わなくて、分裂したんです。その時に第二、第三の魔術研究会ができました」
「へえぇ」
第一、第二魔術研究会というのは存在を知りませんでした。でも、考えてみればあってしかるべきですね。
「最初は三人でしたが、今では十人ですから、ずいぶん大所帯になりました」
感懐深げな様子。わたしは新参者ですので、みなさんほどに思いふけることはできません。
「今にして思うと、新しく部員が入るたびに部としてできることが増えた気がしますね。最近だと先輩が入ったおかげで伝手がかなり広がりましたし」
「……」
ユウさんはともかく、わたしを入部させた意義が全然ない気がして冷汗が止まらない。
「でも、エステル先輩は最近忙しそうですよね」
そんなわたしの様子を他所に、コンラートさんは気づかわしげにそんなことを言う。
たしかに、今日部室に来るのも久しぶりと言っていました。この部が好きそうな様子をさせていたのに来れなかったということは、やはり相応に忙しかったはず。
「ええ。発表会が終わればひと段落、とは言いましたが、無理かもしれませんね。最近はいつにも増してスパイみたいな人が潜入しているみたいで、生徒会でも動いているみたいですよ。魔法発表会の後も今の状況が続くなら、今度はそちらの対処があるでしょう」
「スパイ? この学園にですか?」
わたしはつい素っ頓狂な声をあげてしまう。スパイなんて、物語の世界みたいな印象です。
でも、考えてみればそういう人がいてもおかしくはないな、と思い直す。世界中から天才児が集うここイヴォケード。都市国家みたいなものですので領地はごく小規模ですが、魔法研究は世界で最先端です。イベント事があれば各国の首脳が集い、平時でも多くの国の貴族や有力者の子女が暮らしています。戦力も相当でしょうし、警戒されるのも当然かもしれません。
「元々多いんですよ。でも最近はイリヤ=エミール帝国からかなりの人数が入り込んでるみたいですよ。正直、この学園は入国しやすいですからね」
「へぇ……」
わたしには縁遠い話でしょうが、それでもなんとなく気味が悪い印象があります。
気にかかるのは、帝国と戦争中であるヴェネト王国の王女様が入学したばかりだということ。守備隊の知己であるウサコさんはこの王女様の護衛を務めています。スパイ増員という状況が、大変な事態に発展しなければいいんですが。
心落ち着く部室で歓談をしながら、それでも、わたしの心中にはかすかな不安が芽生えていました。