日常
春。
イヴォケード魔法学園は、卒業生を見送り、新入生を迎えます。
現在はその入れ替わり期間。春休みです。
クラブや研究会など、団体に所属する生徒はこぞって新入生を獲得しようと、画策して暗躍します。今は一年の中でもこの学園が最も盛り上がる時期のひとつとしていいでしょう。
ですが、その盛り上がりは勧誘活動をしている側の話。わたしみたいに特にどこのクラブにも所属していない身となれば、この時期は結構暇です。
この春から所属することになるゼミはありますが、そこは三年生のみのゼミですので新入生の勧誘とは関係ありません。ついでに言えば大したことないゼミなので、事前課題や集まりもありません。
いいんですけど。
お休みですのでいつもよりちょっとだけ長くベッドでまどろんだ後、着替えて食堂に向かいます。
わたしの住む寮、銀の聖杯亭はかなり大きい寮で、建物は五階建てで寮生は二百人以上。
その分食堂もかなりの広さがあります。中に入ると、食事をする寮生で賑わっています。
友達同士で集まって楽しそうにおしゃべりしている集団もあれば、随分深刻な顔をしている一団もありますし、徹夜明けというような疲れた表情で朝食をかきこむ方もいます。千差万別ですね。
この寮で唯一の友達であるルドミーラの姿を探しますが、いないようです。約束していたわけでもないので仕方ないと思い直して、空いている席に着きます。
昨年度までは奨学金の大半を実家に送っていたので基本的に貧乏していて、節約で朝食は抜くことも多かったのですが、こうして毎朝ちゃんと食事をとれるというのはやっぱりいいものです。
ここのご飯はそれなりに値が張るのですが、この春から奨学給付金の額が大幅アップしているので、やっとちゃんとした生活が送れそうです。
「ユイリさん。失礼していいかしら?」
「え? あ、はい」
黙々と食事をしていると、前の席にひとりの女生徒が腰かけます。
それは、話をしたことはないけれど、知っている方でした。長い黒髪。優しげですが、利発そうな風貌。
女子寮の寮監、魔法科六年、リーズウッド・ポポロン・ドレスラー。
この寮の寮生の女子生徒の代表者。
直接話すのは初めてです。
先日、彼女を中傷する張り紙が男子寮に張られる事件が発生したことがあったそうですが、その際にあっという間に犯人の男子生徒を捜し出し、見るも無残に痛めつけて半日ほど談話室の天井から吊り下げる事件がありました。落ち着いた風貌とは逆にかなり苛烈な印象があります。
「お、おはようございます、リーズウッド先輩」
わたしは思わず立ち上がり、ぺこぺこと頭を下げます。
中傷するビラを貼るつもりはありませんが、気を悪くして半殺しにされるのは嫌です。
先輩はその様子にくすくす笑って、座るように促します。
「ごめんなさい、食事中に話し掛けて」
「いえ、全然構わないです」
リーズウッド先輩は朝食の乗ったお盆を持っているということもなく、手ぶらです。
「えっと、なにかご用ですか?」
「大したことでもないけれど、寮生のみんなとは一度話をすることにしているの。あなたまだ入寮したばかりじゃない? 寮杯もあるから、どんな子か知っておくべきだし」
わざわざ声をかけてくれるなんて、寮監というのも大変なようです。本人は、苦ともしている様子はないですが。
寮杯。秋にあるという、有名寮の対抗試合のことでしょう。
とはいえ、わたしになにができるという気もしないのですが。錬金術師としての実力では、多分三年生で最低か、ほぼ最低という水準です。他に特に特技もありません。寮杯という行事があるらしいけれど、まあのんびり応援しようかな、程度にしか考えていませんでした。
……もしかして、強制参加なのでしょうか。わたしのできなさ加減が存分にアピールされてしまうのでしょうか。
「寮杯は全員参加というわけでもないし、まだ内容はわからないのよ。だから、それはまだ気にしなくて大丈夫。単に人となりを知りたいって思っただけ」
「あ、そうですか」
わたしの顔色を見て取ってか、フォローを入れてくれる先輩
それなら、一安心です。この学園に入った当初は二年間の奨学給付金を約束されている特待生として大いに期待され、そして身の程が露見し失望されてきた身です。もう重圧は避けたいところですから。
わたしたちはそれぞれ自己紹介をします。とはいえ、わたしはリーズウッド先輩のことは元から知っているし、彼女も事前にわたしのことはそれなりに知っているようで、あくまでも形式的なものです。
「どう、この寮には慣れた?」
「はい。まだ戸惑うこともありますけど、ひとまずは困ってることはないです」
「なら、よかったわ。全然毛色の違う寮からくると大変かもしれないけど、困ったことがあったら言ってね」
「ありがとうございます」
なんだか、面接みたいですね。
「ええと、先輩はいつから寮監なんですか?」
「この春から。一昨年から副寮監はやってたんだけど」
わたしみたいな末席の寮生にまで声をかけてくれるなんて、寮監になったということで使命感に燃えているのでしょうか。
話し振りからして、わたしが本来なら既に卒業という名の放校処分になっていてもおかしくない劣等生なのは知らないようです。あるいは、知っていてもおくびにも出さないのか。
ともかく、こうしてルドミーラ以外の学園生とお話しするというのは久しぶりな気分です。なんとなく人恋しい気分もあったのか、わたしもついつい色々とおしゃべりをしてしまいます。
先輩は真面目な風貌ですけど結構性格は明るいようで、どうでもいいことにも興味を持って聞いてくれます。先輩も腰を落ち着けるつもりになったのか、飲み物を注文しています。
そうしてい話しているうちに、ぽつぽつと他の寮生たちも周りに集まってきました。性別や学年は様々。先輩は包容力のある雰囲気ですので慕われているようです。
何人かはわたしの顔に見覚えがあるようで、リーズウッド先輩が紹介してくれます。
なんだか、いきなりいっぱい知り合いが増えました。先輩は、それも見越して声をかけてくれたのかもしれません。ううん、ありがたい限りです。
「今年は結界破りができるのかなあ」
みんなでこうして集まって、話題はこの時期の風物詩の結界破りの話。
結界破り。それは中央通りの強力な結界を破るという生徒の力試しです。ついでにというか、結界破りと同時に所属するクラブの宣伝をしたりして、その時期の話題をさらうことができますし、新聞にも載ります。
例年こぞって多くの生徒が結界破りをするものですが、今年はいまだに誰ひとりとしてそれに成功していないそうです。
「毎年けっこう成功している気がするんですけど、今年はなにか違うんですか?」
わたしが疑問を口にすると、リーズウッド先輩が説明してくれます。
「今年の結界は、すごいの」
「うん、あんな強い結界初めて見た。去年までと比べて、そもそも色が違うもんね」
「ああ。俺昨日結界破りをしようとしてる奴を見たんだけどさ、全然歯が立たなくて即効で守備隊に連行されてった」
「へえぇ、そうなんですか」
どうやら、桁違いのようですね。わたしは入学時くらいしかこの時期の大通りに近づいていないので、いまいち違いが分かりません。
「ま、今年は王女様がくるからなあ」
ひとりの先輩がそう言うと、一同頷きます。そういえば、聞いたことがあります。
今年の新入生の中には隣国であるヴェネト王国の王女様がいる、という話。
この学園は寄付金を手土産に多くの諸外国の貴族の子弟が通っていますが、直系の王族が通うという例はあまりありません。基本的に、そういう方々は学園に通わなかったり、あるいは国内の指定された所に入るのでしょう。
なにせここは、学園国家。貴族ならば箔をつけるという話で留学も黙認されていますが、王族となればそうもいかないでしょう。
それに、今のヴェネト王国をめぐる情勢は微妙です。ヴェネト王国は目下イリヤ=エミール帝国と戦争中。今のところ敗色濃厚で日々王国の領土は帝国に削り取られていると聞きます。
そんな身の上の王女様が通る新入生のための結界。まるで亡命のような入学。例年よりも強力になって当然かもしれません。
「しかも今年の結界防護は第三守備隊が担当だろ」
「ウサコ隊長か。あの人帝国嫌いだもんな。たしかヴェネト出身だし」
「手を抜くタイプじゃないみたいだからな。結構、苛烈って話も聞くし」
第三守備隊隊長、ウサコ・メイラー。不意に知っている名前が出てきて、びくっとしてしまいます。
そっか、そういえば、ウサコさんは今や守備隊の隊長様です。かつてウサコさんが平隊士で、わたしが辺境の住人だったころからの付き合いなのですが、なんだかわたしだけ、なにも成長せずに足踏みしているような気がします。
「そういや、結界破りの計画のことは聞いたか?」
輪の中のひとりが、声を潜めるようにしてわたしたちを見回します。
「おい、それは秘密なんだろ?」
「ここにいる連中は生徒会とか教授連に繋がりはないだろ。ユイリさんも、クラブ寄りの人?」
「え? あ、はい」
急に話を振られて、わたしは思わず頷きます。どちらかというと、同じ学生側のクラブ寄りの考えではあるかもしれません。
わたしの返事に安心したのか、彼らは話を続けます。
「決行する方向で話が動いているらしいぜ」
「マジか。どれくらいクラブが集まるのかな」
「たしか第三魔術研究会が中心になってるんでしょ? あそこが動くとなると、結構本気だよね」
「うちのクラブにはたぶんまだ誘いが来てないな。ホントにやるのか?」
「知らないわよ、そんなの。まだ噂なんでしょ」
「いや、これはうちのクラブの部長が聞いた話らしいんだけどさ……」
噂話が盛り上がる。
どうやら、結界破りのための大々的な計画が進行しているよう。話の中にはわたしも名前を知っているような有名な生徒の名前がぽんぽんと出てきて、端で聞いているだけでもなんだかすごい会話だなあ、などと感心しきりになってしまいます。
そうしてやがて話も終わり、わたしたちを囲んでいた人の輪は徐々にほどけていく。朝ごはん時にちょっと輪になって集まっただけですが、久しぶりにたくさんの人と話をしたような気がします。
「それじゃあね」
「ユイリちゃん、またね」
「今日はなにするかなぁ」
「さーて、これから部活だっ」
「あー、寝直そ……」
三々五々、散り散りになります。
基本的にここの学園生はクラブや研究室などに所属しているので、多忙な人ばかりです。その中での一流の寮の寮生ともなれば、相応の立場にいるのでしょう。
まあ、一部暇そうな人もいましたけど。そんな人たちは劣等ゆえに暇なわたしとは違い、優秀だからこそ暇を選んでいるのでしょう、多分。
「ユイリ、それじゃ私も、そろそろ行くね」
リーズウッド先輩の口調も、最初よりは砕けた印象。
「はい。先輩、ありがとうございました」
頭を下げて見送ると、にっこり笑って去ってく。爽やかな去り際です。なんだか、あっという間にこの寮の知り合いがずいぶん増えたような気がします。それもひとえに、寮監の先輩のおかげです。
わたしもとっくに食べ終わっていた朝食を下げてもらって、自室に戻ります。
道中、ふと思い出されるのは結界破りの噂話。
王女様の入学を機に今年は結界が強化され、守備隊が力を入れて警護していること。そして、それに対抗するようにクラブなどの組織が結界を打破しようと動いているという話。
水面下で、事態は動いているようです。とはいえ、それはお祭り騒ぎの一環ですが。これは昨年度のように、学園の端っこで日常を送っているだけでは見えなかった景色かもしれません。
でも、まあ、入学してきてからトラブルは無縁でしたし、これからも無縁でいたいところです。特に、今年はユウさんというよくわからない校長候補生の方と過ごすことになるのだから尚更です。
この学校で、お祭り騒ぎはいつもの話。わたしのように学園の中枢からは遠く離れた身の上ならば、後から新聞や噂でお話を聞ければいいかな、というくらいの感想しかない。
それよりは……。
わたしは女子寮・男子寮の分かれ道の片隅に貼ってあるビラに気付いてしまいました。
『おっぱい魔法の使い手、リーズウッド寮監参上!』
『リーズウッド先輩のおっぱいポロロン』
リーズウッド・ポポロン・ドレスラー。この銀の聖杯亭の女子寮寮監。気は優しいけれど、怒ると怖いという噂の先輩。たしかに思い起こしてみると彼女の胸の存在感は相当のものでしたが……。
この再び誰かによって貼られている中傷ビラについて、彼女に報告するべきか否か。そちらの方が、まったくもって、重要な問題です。
誰がやったのかは知らないですが、彼女の雷が近いうちにまた落ちるのだろうな、などと思うとわたしは頭を抱えて、そしてちょっとだけ苦笑しました。
朝ご飯を食べてしばらく部屋で過ごしていましたが、やがて身支度を整えて外出します。部屋にこもっていると、ついつい特務委員の金色の宝玉を眺めて呆然としてしまいます。そうしていると、先行き不安になって悶々としてしまいます。すごいものを持つのは怖いですよ。
外で落とすのも怖いので、部屋の中の封印魔法の引き出しにしまっておくことにしました。
寮を出ると、既にあたりは多くの人が行き交っています。そのほとんどは学園生。他にちょくちょく、生徒ではない商人の方も見かけます。
多くの生徒が外出しはじめる昼前までに、寮や商店に納品とか作業を済ませてしまおうという様子で魔法馬車を操縦しています。
ここは学園国家ですが、当然学生だけで国が回るわけはなく、学生や教員以外にも国民がいます。多くは転移魔方陣で繋がっている姉妹都市や友好都市の業者ですが、国民として学園内に常駐している人ももちろん相当人数います。彼らにとってこの時期は書き入れ時であると共に、中央通りが結界で交通規制されている悩ましい時期でもあるはずです。
思考が結界のことに思い及び、ふと空を見上げると守備隊の隊士が上空を旋回しているのが見えました。
ここは中央通りのすぐ近く。隊士たちは結界破りをする生徒が現れないように見張っているのでしょう。こんな朝から、大変です。
そんな忙しそうな人たちを尻目に、わたしの方は特にやることもない。
この春から入る研究室はギリギリ落第を免れた生徒たちの受け皿のようなところですので、事前の課題が出ているわけでもありません。成績不振ながらも学園に残留を許されている生徒が集まるという時点で、わたしのように特殊な事情を抱えていたり別方面で一芸があったりと、最底辺の研究室にはむしろ多彩な生徒が集まるという噂を聞いたことがあるので、それはそれで心配の種です。
また、クラブなどに所属しているわけでもないので、その方面で拘束されるということもありません。
やることなくて暇と言ってしまえばそれまでですが、今日は混みあわないうちに中央通りのお店を散策してみます。
寮から少し歩くと、すぐに大通りに出ます。さすがの都会ですので、朝早くでもそれなりに人通りがあります。
青白い顔の人が多いのは、夜通し飲み明かしたからなのかもしれない。この時期、終日営業の飲食店や部室などでは連日連夜の新入生歓迎パーティが開催されているはずですからねえ。
飲食店以外のお店も、深夜帯以外は大体営業しているのがここ中央通りのすごいところ。
ぶらぶら歩いている内に、ふと思いついて何度も行ったことのある錬金術の素材を取り扱っているお店へと足を向けました。
プラムスフィード魔法商会イヴォケード本店。
全五階建ての建物全部が、全て素材屋。錬金術科の生徒ならば、劣等生でも天才でも、等しくわくわくするような店です。
特にわたしのおススメは三階の薬草や漢方のコーナー。ずらっと並んだ薬箪笥とツンとくる刺激臭がたまりません。逆にいただけないのは五階の鉱物階。硫黄臭がその階全体に漂っているのはたまに来るとちょっときついです。それも醍醐味ですが。
ともかく、広い店内は一日ではとても全部見ることはできません。この時期混んでますし。今日も、まだまだ朝という時間帯ですが店内には結構お客さんが入っていて、狭い通路を行き来しています。
わたしは触媒のコーナーの奥、中和剤の棚まで来るとじっくりと棚を眺めます。
わたしの研究のテーマである中和剤。
これは基本的には消耗品として扱われていて量り売りされているようなものですが、それでも種類は多様です。
というよりも、あらゆる物質が大なり小なり中和剤としての機能を持っているので、研究の領域としてはかなり広い分野ですね。
現在はどんな調合にもわりと一定の効果を及ぼすようなタイプのものが世間的には優勢で、大量生産されています。が、わたしの研究は特定の調合に特に効果を現すような中和剤の作成です。
時折他のお客さんが来て、汎用中和剤をぱっぱと買って行ったり、配送の手配をしていきます。
そして、去り際にちらりとわたしのことを眺めます。その視線は、中和剤の棚を吟味しているなんて変な奴だな、という類いの意味合いです。
そう、中和剤は基本的に単なる脇役、消耗品に過ぎず吟味して選ぶものとは考えられていません。
錬金術においては中和剤の質を高めるよりは素材の質を高めた方が生成物の純度や効果は明らかに向上するので、わざわざこちらを吟味する人は少数派です。
でも、まあ、わたしはそこまで魔法の才能がないのでそもそもこの学園の錬金術師が研究するような高度な調合ができません。なのでこうして魔力が少なくても研究できる中和剤の道に進んでいます。そもそも、わたしがこの学園に入るきっかけになったものが中和剤でしたし。
お店の棚には大量生産の安価な中和剤の他に、より特化型の中和剤も何種類も並んでいます。また、素材ギルドと言われる錬金術師組合の方から回されてきた個人製作の中和剤もあり、来るたびに新たな発見があります。
個人製作のものはレシピが添付されているものもあり、それを読むだけでも勉強になったりします。
以前はなかなかここに来ることもなかったですが、このたび歩いていける距離に引っ越してきたので常連になってしまいそうです。
あ、この中和剤は発色も美しく、光にかざすと中身がキラキラ光ります。うん、このキラキラは薬の効果には関係ないでしょうが、自己満足的な細かなギミックがそそりますねえ……。
……。
散々中和剤を眺めてほくほくしました。入学当初は他に道がなくて中和剤研究を始めたものですが、今では立派な中和剤中毒になってしまいました。
実は奥が深い世界なのですが、この学園ですらその良さを分かち合える人がほとんどいません。数多くあるクラブの中にも、『中和剤を愛でる会』『中和剤愛好家協会』というようなものはないですからねえ。自分で旗揚げするつもりも、ないですし。
そろそろお昼という時間になってきて、学園生たちも起きだして活動を始めたのでしょう、店内はずいぶん混みあってきました。こうして見ていると、比較的一年生が多い印象があります。
それも当然。なにせ五階建て全て錬金術素材の店なんて、他にはありません。錬金術科の生徒ならば、入学してきたらまず見たいお店でしょう。とりあえず入学もしたし、かの有名な魔法商会に通い詰める、というのはまっとうな考え方です。
実際、わたしも入学早々にこのお店を訪れて度肝を抜かれた思い出があります。そもそも、大きな町でなければ素材屋などというお店はなく、基本的に素材はすべて自ら調達する必要がありますから。
そして当然のように、そんないたいけな新入生を付け狙う恐ろしい上級生もこの店にやってきます。
わたしの視線の先には、ひとり棚を見ていた新入生に馴れ馴れしい様子で声をかける上級生。
「おっと君、錬金術を学びたいならいい研究室があるぜ」
「えっ?」
「今見ているのは、火舌石かな? 魔法石研究に興味があるなら、うちのクラブに詳しい奴がいるよ。あ、もしかして、さらにその先で杖の研究とかも目指してたりする? そしたら、うちはもう最適だよ。かなり実績もあるしさ。ほら、聞いたことない? ゼス魔法研究会っていう……」
「ええと……」
「おい待てよ。この子、困ってるだろっ。……大丈夫だったかい? ここは危ないから、ちょっと外で休もうか。近くにうちの部室があるから。その時にこの学園での処世術も教えてあげるよ。それに、ちょうどいい。うちのクラブは君みたいにやる気のある新入生を探していたんだよ」
「おいおいおい、てめえ、先に俺が目をつけてたんだよ。研究生が足りないんだよっ」
「うっせぇ、こっちも同じだっ」
ああ、新入生の女の子が喧嘩を始めた上級生に挟まれてオロオロしています。あ、店員さんが止めに入って上級生たちに失神魔法を浴びせかけました。店内での勧誘行為に手厳しいお店です。
上級生たちは魔法をレジストしたようで気絶こそしませんでしたが、さすがにいそいそと帰っていきます。そうみせかけて、多分また戻ってくるんでしょうけど。
「あ、あの、ありがとうございます」
新入生の女の子が、ぺこぺこと店員さんに頭を下げます。店員さん側はいつものことなのか、涼しい顔をしていました。
「別にいいよ。ところで、うちの店、バイト募集中だから……いつでも応募してくれよなっ」
「はあ……」
女の子にアルバイト募集のチラシを渡して、爽やかな笑顔で去っていきます。どうやら、店員さんすらも勧誘者だったようです。
女の子の方は、その後姿を目を白黒させて見送っていました。まだきっと、昨日あたりに入学してきたばかりなのでしょう。
うん、よくある光景。わたしは苦笑して、その場を後にします。
お店を出ると、いつのまにか日も高く上がり周囲は行き交う生徒で溢れていました。中央通りの結界のおかげもあって、今日も相変わらずのすごい人出。
こうなる前に帰りたかったのですが、ついつい長居してしまいました。
帰り道、時折結界の中を新入生を乗せた馬車が行き過ぎます。中央通りを歩く生徒たちが、その度によってたかって声援を送ります。
昨日と違って鞄の中に分不相応の宝玉を入れているわけでもないので、のんびりとその様子を眺めることができます。
新入生を乗せた馬車を先導するのは基本的に守備隊士ですが、時折隊長が先導することがあります。そんな時には、声援はいつも以上の盛り上がりを見せます。
「第三守備隊だ! 隊長だぞっ!」
誰かが叫んだその言葉に、周囲の生徒はわっと結界の傍に寄りました。昨日、第一守備隊が通った時には巻き込まれて辛い思いをしましたが、今日は離れた場所にいたので平気です。
少し離れた、結界の中をパレードが行き過ぎます。その先頭。
わたしはぴょんぴょんその場ではねて、馬に乗って先導する姿を見ます。守備隊の銀色の鎧を身にまとう、懐かしい姿。
ゆるく三つ編みにした赤毛。愛想のかけらもない表情で前を見据える横顔。
第三守備隊隊長、ウサコ・メイラー。
寒村暮らしをしていたわたしの『新薬』を見出してこの学園に提出することを提案してくれたのは、当時魔物討伐を専門にする第二守備隊に所属していたウサコさんでした。
おかげでここに入学できたので、わたしにとっての恩人と言っていいかもしれません。若い世代の守備隊士では最も出世しているのが彼女です。何度か手紙を送ったりもしましたが、あまり時間を取らせるのも悪いと思って最近は疎遠になっていました。
でも、こうして元気そうな姿を目にするとなんだかほっとします。
ウサコさんは、学内でも最強の一角に食い込むと言われている魔法戦闘の強さ、そしてその美貌で女性隊士の中でもかなりの人気を誇ります。
今も周囲の生徒(特に男子生徒)の熱狂がすごい。ウサコさんに動じている様子はないですが。
昨日は第一守備隊の副隊長イスナインさん、今日はウサコさんと、懐かしい顔をよく見かけます。やはり、この学園一番の繁華街の近くに寄宿していると、彼らのように有名人を見かけることも多いのでしょう。
その姿は、二年半前、父が魔物に殺されて、魔物討伐として派遣されてきたおふたりと一緒に冒険をした時のことを思い出させました。あれから時が流れて、ふたりともずいぶん出世した様子ですが、わたしは未だに、なにも成せていないままです。
ぼうっとしているうちに、既にウサコさんの姿は見えなくなっていました。
先導のあとに新入生が顔をのぞかせている馬車が続きます。彼らのその顔は、この学園での生活に思いを馳せているようでした。わたしはそんな様子を見ながら、まだ見ぬ校長候補生の方のことを思ってかすかに胸を痛めました。
ユウ・フタバ。彼と会うのは明日の予定。待ち合わせ場所は、正門です。
通常は新入生は正門から馬車に乗って中央校舎に入り、そこで簡単な入学式があります。だけど彼にはそれがない。他の生徒からは区別されて、入学式に参加することもありません。彼の身分がどんなものなのか、わたしにはわかりません。ですが、他の新入生と同じ体験ができないというのは、悲しいことのような気がします。
わたしには、それはどうしようもありません。それなら、少しは彼を元気付けるようなことができればいいんですけど。
中央通りの喧騒を眺めながら、わたしは明日のことに思いを馳せました。
これから一緒に過ごす人。彼との出会いを、うまくやれればいいな、と。
わたしは小さく気合を入れて、再び歩き出しました。




