失せもの探し
今日も今日とて、わたしはユウさんの通う校舎にやってきました。
校門を出たあたりのベンチに座り、中の様子をうかがう。
まだ放課にはなっていないようで、校舎の中を行き交う人はありません。用務員さんが振動系の魔法を組み込んだ芝刈りで植込みの刈り取りをしていて、草のにおいが漂ってくる。
それはわたしに、なんとなく、昔のことを思い出させました。わたしのふるさとは山の中にありましたから、草木のにおいは少女時代に直結します。特に、今は亡き父と一緒に山に採集に行ったことや、年少の子供たちを伴って山遊びをしたことなど。それはずいぶん昔のことに感じます。
この学園で暮らしていると、あまりこういうにおいを嗅ぐことはありません。なにせ、ほぼ完全に舗装されて開発されている土地ですからね。街路樹や公園などもありますが、相当に少ないです。現代の都市は、土地問題にかなり厳しいです。
わたしの暮らす銀の聖杯亭やこの校舎など、古い建物は比較的余裕を持った造りになっていて、自然がかろうじて残されています。
そう思うと、建物における緑の割合で、ある程度建物の古さを推し量ることができるのかもしれません。昨日も足を向けた中央部室棟も周囲は木々があり、歴史のある建物でした。
こういう歴史ある建物は権威もあって、そういう場所が身近になったのは、三年生になり、ユウさんと出会ってからのことです。
ユウさんも入学して大きく環境が変わったのですが、わたしも同じくらい、生活が変わりました。
そんなことをぼんやりと考えていると、チャイムが鳴りました。校舎の中に建つ時計塔を見てみる。どうやら、放課後になったようです。
やがてぽつぽつと生徒たちが帰途につく姿が見える。
入りたてのクラブに行くのかアルバイトでもあるのか、急ぐような様子で足早に出てくる生徒もいれば、さっそく意気投合したのかはしゃいだ様子で集団になってどこかへ向かう生徒たちもいます。たまに、とぼとぼと消沈した様子で出てくる子もいます(この学園のあまりのレベルの高さに、それまで地方で天才児扱いされていたプライドが粉々になるのはよくあるパターンです)。
出てくる生徒の何割かはわたしの顔はわかるようで、ちらりとこちらを見やる生徒もいます。でも、声をかけてくる生徒まではいません。多分みんなユウさんのことを怖がっていて、わたしに下手に関わるとどんな目に遭わされるかわからない、というような認識があるのでしょう。ユウさんはこの校舎の悪魔大王とでもいうべき人になってしまっているようです。ああもう。
とりあえずそんな方々にも会釈して、軽くあいさつくらいはしておきます。そうしつつ、わたしは何度目かもわからない息をつく。
ユウさんがすんなりと他の生徒と仲良くできるとも思っていませんでしたが、こうも手がかかるとも考えていませんでした。わたしに求められているお世話の条件からしてみると、放っておいてもいいんでしょうけど……そういうわけにもいきません。
わたしは結界破りの日のことを思い出します。生徒たちがわいわい騒いで、その中心で笑い声を上げた時。わたしは全部、決めました。
ユウさんにここでの学園生活を楽しんでもらえるように、できることはやってあげようと。
だから今、わたしはここにいます。
視線の先、待ち人が見えました。わたしは立ち上がって、彼に向かって一礼します。
それは、昨日ユウさんと決闘騒ぎを起こしていた人。ディラックさん。今日、わたしが待っているのはユウさんではありません。彼です。
ディラックさんは真っすぐこちらにやってくる。昨日と変わらず、顔立ちはきれいなのですがどことなく冷たいような表情をしている。怒っているわけでもなく、意味もなく柔らかい顔などしない人なんでしょう。
「ユイリ・アマリアスといったな。ユウ・フタバから話があるという言伝はもらっている」
「は、はいっ」
ぞんざいな物言いに、ぴくっと背筋が伸びる。
「何の用だ」
「え、えっとですね……」
色々言いたいことは考えていたんですが、わーっと頭から飛んでしまっています。
彼の口調は貴族様っぽいものの言い方で、田舎育ちのわたしはなんだかそれだけで気圧されてしまう。
昨日はご迷惑おかけしてすみませんでした、というようなことを言おうとしますが、言えない。射すくめられたように体が固まってしまう。ああ、昨日頑張ろうって決意したのにいざその場になってしまうと全然ダメです。
なんとか何かを言おうとしていると、さすがに相手の方は緊張しているわたしを哀れに思ったのか、なんだか気まずげな様子になりました。
「あー、いや、別に脅しているわけじゃない。というか……すまない、この学内ではあなたが先輩だ。礼を失しているのは、俺の方だな」
謝ろうとしたら相手に謝られる不思議。
でも、彼は貴族の身分を振りかざすタイプではないようです。昨日の態度や評判から、それはわかっていましたが。
「い、いえ、すみません。こちらの方こそ、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。その、昨日のこと」
頭を下げて、改めて昨日のことはお詫びします。あの時はばたばたしていて、うまく伝わったか不安でしたから。
ディラックさんは呆れたようにわたしを見て、ふるふると首を振る。
「別に気にしていない。俺の撒いた種だし、力不足だからな」
ふてぶてしい感じのしゃべり方ですが、これが彼の口調なのでしょう。怒っているからこんな調子というわけでもないようです。
「先輩は、そのことで俺を待っていたのか?」
「はい。本当はわたしがユウさんをコントロールすべきなんですが、全然できてなくて、結局あんな騒ぎになってしまって……。そちらも、お友達のためにがんばっていただけなのに」
「……いや、待て」
「?」
頭を下げるわたしを制するディラックさん。見てみると、彼はなんだか戸惑ったような顔をしていました。
「そもそも、先輩の認識は間違っている」
「え?」
「あいつの方に寝返ったあの連中が俺の友人?」
「はい。そうじゃないんですか?」
「違う。一時期周りにいたが、友人というわけではない」
「はぁ……」
一時期周りにいたなら、友達なんじゃないでしょうか。
まあ、その辺りの考え方は人それぞれですけど。
「そもそもあの連中は、この学園に入学してから俺の取り巻きのようになった連中だ。国にいた頃から面識があったような奴はほとんどいない。たまたま、今の校舎では俺が一番爵位が高い貴族だったからな。ちょうどいい宿り木だったってことだろう」
「そうなんですか……」
身分の高い人と友達になって、その権力を笠に着て学園生活を過ごそうとしていた人たちだったようです。この学園はわりと個人主義な学風ですが、当然ながら、派閥を作りたがる生徒もいます。
わたしは当初、ユウさんが友達を袖にしているような印象を受けていましたが、こうして話を聞いてみるとユウさんはむしろ不純な目的で近寄る取り巻きを振り払ったのみ、ということのようです。うーん、ユウさんにはこの件で思わず叱ってしまっているので、ちょっと謝っておいた方がいいかもしれませんね。
彼の話を聞いていて、ふとひとつ、疑問が浮かぶ。
「というか、あの、あなたはそれでもその取り巻きの人たちのためにユウさんと決闘をしたんですか? 向こうは、ディラックさんと仲良くするのは打算ありだってわかっていたんですよね」
わたしの問いに、ディラックさんはうなずく。
「ああ。向こうがどう思っていようが、一時は親交があったのは事実だし、あいつらのことはそれなりに個人的にも知っている。そんな奴らがないがしろにされている様子を見れば、何とかしてやりたいと思うのが当然だろう」
「そうだったんですか」
それでユウさんとの対決ですか。
というか、すごく真っ直ぐすぎる性質の人のようです。貴族様って結構粘着質な人たちという印象があるのですが、ルドミーラといいディラックさんといい、実は結構さっぱりした性格の人が多いのでしょうか。
わたしは思わず、感動してしまいました。
「ディラックさん、友達思いなんですね」
「友達じゃない。向こうだって、そう思っちゃいないだろう。だからある意味、決闘騒ぎは俺自身の自己満足だな。……まあ、結果は散々だったがな。あの男、本当に強いな。うちの家系は軍事の家系で、魔法使いは数多く見てきたが、同年代であれだけ強い奴は初めて見る。それも、あの『結界破り』を使わずの実力だからな。どんな生活してきたんだ、あいつは」
少し口調が早くなる。
闘える人というのは、こと話が戦闘能力のことに及ぶと盛り上がるものですが、彼もそちらの気質のようです。
が。
「ど、どうなんでしょうか」
同年代でも突出したユウさんの強さの理由。わたしも知りません、そんなの。
ですが、そんな態度に彼は不思議そうな顔をする。
「先輩は、あいつのことをあまり知らないのか?」
「ええと、まあ」
あいまいに濁します。正直言って、ぜんぜん、知りません。
ですが、ディラックさんは勝手に何か納得した様子を見せます。
「そうか、この春からの付き合いということか」
「はい、そうなんです」
「この学園に従者を連れてくるのは難しいからな」
この学園、基本的に才能がないとは入れないですからね。
入学と共に生徒の従者を連れてくる、というのはかなり大変です。貴族様の従者は、基本的にお金を積んで生徒として入れるか(かなりの大金を出さないといけないので、お金持ちの貴族様限定)、入学が決まっている他の新入生を従者として付けるか、というあたりの二択しかありません。わたしは後者だと思われたようです。たしかに、そう考えられても差し支えはないかもしれません。まあ、わたしは同学年ではありませんが。
「でも、わたしはユウさんの従者というわけでもないんですけどね」
そう言うほどに生活に密着したお世話はしていません。基本的に従者というと同性ですからね。わたしはほとんどユウさんの部屋に行くことはありませんし、寮でご飯を一緒に食べたり、たまに街歩きをしたりと、繋がりが深いというほどではありません。
「ああ、そうなのか」
「はい。お目付け役です」
「……」
わたしの言葉に、こちらをしげしげと眺めてから噴き出すディラックさん。
わかっています。お目付け役と名乗れる威厳がないことは。
「たしかに、先輩はなんとなく、面倒かけてはいけないと自戒させるようなキャラクターではある」
「そんな路線、目指してませんから」
「そうだな」
おかしそうに笑うディラックさん。
必要がなければ怜悧な表情ですが、感情が希薄なわけではないようです。
「最初会った時の印象でもっと怖い人かと思っていたんですけど、全然そんなことはないですね」
ぶっきらぼうな感じがしますが、それ以上にやさしい感じがします。ちょっとだけ、ユウさんにも似ているかもしれません。
「怖いかどうかは、知らん」
肩をすくめて、わたしの言葉はスルーする。
照れたような感じは、ユウさんにはあまりない反応ですが。
「ともかく、先輩が俺に対して謝罪をしたいというのはわかった。だが、謝罪は必要ない。さっきも言ったが、別に誰を恨んでいるというわけでもないし、報復を考えているというわけでもない。すべては終わったことだ」
さっぱりした答え。
わたしが心配していた、逆恨みで余計な遺恨を残すという展開にはならないようです。
ほっとすると同時に、ディラックさんに対してなんだか親近感が湧いてきます。むしろ、それは信頼感といってもいいかもしれません。
「わかりました」
「ああ」
話は終わり、とでもいうようにディラックさんはわたしから顔をそらし、行ってしまいそうなそぶりを見せる。
それを声をかけ、引き留める。
「あの、もうひとつお話が、というか、お願いがあるんですけれど」
「お願い? 俺に? 聞けるものかはわからないが、なんだ一体?」
「ユウさんと友達になってくれませんか?」
「……」
わたしの言葉に、黙り込むディラックさん。
そう。
わたしが彼と話していて、ふと思ったこと。それは、彼は結構ユウさんと仲良くやってくれるんじゃないのかな、という淡い希望でした。
未だに学園内で親しく話す友人がいる風でもないユウさん。ずっと、それを寂しいものだと眺めていました。
昨日彼らふたりが衝突したとして、それもひとつの縁でしょう。いいきっかけにしてうまくやっていくことができたなら、わたしはとてもうれしい気がします。
わたしは期待の眼差しをディラックさんに向ける。彼はそんな視線を戸惑ったように受け止めて、やがて顔をそらせる。
「先輩には悪いが、そのつもりはない。俺は別にあいつのことは好きじゃない。そもそも、友人とは、頼まれてなるものでもないだろう」
「そ、そうですか……」
ばっさりと断られて、肩を落とす。
「まあ、そうですよね……」
うーん、いい人が見つかったと思ったんですけれど、なかなかうまくはいきません。
ですが、落ち込んだわたしの様子を見てディラックさんはちょっと慌てる。
「いや、まあ、俺も気を付けて見ておこう」
「あ、すみません。ありがとうございます」
「別に構わない。大したことはできないから、気休めだが」
「いえ、心強いです」
わたしの言葉に、ディラックさんは頷く。
「それでは、失礼する」
「はい、ありがとうございました」
言葉を交わしあって、別れます。
貴族様なのに、一人で身軽に行動していていいのだろうか、などとぼんやりと思いつつ彼の後ろ姿を見送って、校舎の敷地内、武道場の方へと向かいました。
武道場の中、ユウさんは修行中です。
制服から動きやすい格好に着替えて、木刀を振ったり筋力トレーニングをしたり、真剣な表情で先生と話をしていたり、時々誰かと練習試合みたいなのをやったりしている。見慣れた光景です。ですが、いつ見ても、ユウさんの動きは他の生徒たちよりもキレがあります。
魔法使いの戦闘技能は身体能力の強化と攻撃魔法の組み立て能力の二本柱です。
自分が元々持っている魔力に加え、その土地の魔力をうまく体に取り込み、魔力の節約をしながら身体能力を強化する。そして取り込んだ魔力をうまく兼ね合いながら攻撃魔法の構築を行う。
ユウさんは魔法による身体強化という地力の部分では他の生徒と大して違わない……というか、この学内で一流にもならない程度らしいですが、戦い慣れているというか、勘の部分で圧倒しているそうです。
わたしにはよくわからないですが、以前ユウさんの決闘を横で見る羽目になった際にいきなり隣に現れた解説キャラっぽい男子生徒がそんな話をしてくれたことがあります。何より、たまにしか使わないですが強力な武器である直接干渉があります。
それにしても、ユウさんが入学してからずっと傍にいるのでよくわかりますが、この人いつも修行していますねえ。
この学園で暮らしていると、戦える人は多いので定期的に修行をしている人は多いですし、年に何度か戦争を意識した演習だってあります。そんな環境の中でも、彼は度を越した負担を自らに課しているように見えます。不健康なくらいです。
その姿は追いつめられているような感じがして、なんだか見ているとモヤモヤしてしまいます。
……。
「おい」
「はい?」
声をかけられて顔を上げると、制服に着替えたユウさんがわたしの方を馬鹿を見る目で見下ろしていました。
モヤモヤしている内にうとうとしまったようで、ユウさんの頑張っている姿を見ながらちょっと眠ってしまったみたいです。
「すみません。寝てしまったみたいですね」
昨日も中和剤づくりで夜更かししたので、最近けっこう寝不足です。
授業の方は大したことがないのですが、時間的・経済的な余裕が出てきて自分の研究に身を入れすぎているような気もします。
とは思いつつ、じゃあ研究を控えようという気はないのですが、
「けっこう道場うるさかったと思うが、よく眠れるな。頭が空っぽなのか」
「あ、頭の中身は関係ないですからっ」
正直、人が修業している姿って見ていても面白くないですから。まあ、それはわたしが非戦闘員だからかもしれませんが。
わたしは傍らの鞄を持って立ち上がる。
「帰りましょうか」
「ああ」
連れ立って武道場を出ます。
去り際、残っていた何人かの生徒が軽く声をかけてくる。ユウさんも愛想の欠片もない人ですが、さすがにここに通っている内に、言葉を交わす人くらいはできたようです。とはいえその調子は別に親しげでもなく、無視するわけではない、という程度の印象に過ぎません。
「どこか寄っていきたい所、ありますか?」
「ない」
「それじゃ、ギルド寄って行っていいですか?」
「構わない」
「あ、ユウさん、のど渇いたりしてるならどこかでお茶でもします?」
「どっちでもいい」
暖簾に腕押しという感じですね。いつものことですが。
盛り上がらない会話をしながら校門に向かって歩いていると、ユウさんがふいに足を止める。
「どうしました? トイレですか?」
「違う。忘れ物をした」
「え?」
「今日やらないといけないレポートがある。資料、教室に置いてきたままだ」
「それじゃ、取りに行きましょうか」
「ああ」
踵を返して校舎に戻ります。
ユウさんは意外に学業にも真面目に取り組んでいるようです。疲れているでしょうに、課題もしっかりこなしているみたい。わたしとしても、鼻が高いです。などというと本物のお姉さんみたいですが。
道中、わたしたちの姿を見ると有名人でも見たようにしげしげと観察されます。今は放課の時間ですので残っている生徒が多いわけでもありませんが、それでも視線が気になります。
わたしでさえこれでは、普段のユウさんの生活は視線にさらされて針のむしろのようなものでしょう。そんな状況では、なかなか人間関係を構築していくのも難しいかもしれません。
昇降口でユウさんと別れて、わたしはその脇のあたりにあるベンチに腰掛けて彼を待ちます。今日は天気も良く、春の陽気が穏やかです。なんだかまたうつらうつらとしてしまいそうだなあ、などと思うながらぼんやりしていると、視界の片隅に見知った姿を見つけました。
いえ、見知っているとは言っても、わたしの方が一方的に相手を知っているということです。
殲滅魔術師、という異名をとる新入生、チサ・ツヴァイク。
通常の人よりも桁違いに強い魔力をその身にため込む特殊な体質の女の子です。入学前から話題になっていた生徒で、望んでもいないのに噂になることの辛さはわたしにも思い当たる節があります。
彼女は何かを探すような様子で物陰を見て回っている様子です。
植込みをかき分けたり、あたりを見回したり。その表情は、なんとなく、今にも泣きだしそうで、寂しそうなものに映りました。
それを見て、わたしは思わず彼女の傍によって声をかける。
「なにか、落し物ですか?」
その言葉に、チサさんはびくりと体を震わせると怖々とした様子でわたしのことを眺めます。なんとなく、小動物みたいな印象のある女の子です。
フォロンなんかも小柄ですが、あの子とは小動物感の方向性が違う感じです。
まさか人に声を掛けられるなどとは思っていなかった、とでもいうような様子です。
「あ、あ……」
「……」
なんだか、どもっています。というか、なんだか、恐れられているような感じがします。人にこんな反応をされるのはさすがに初めてですので、わたしの方もなんだかまごついてしまいます。
「あ、あの……なにかを探している様子でしたので、少し気になったんです。驚かせてしまって、すみません」
「……」
チサさんはおどおどした様子でしたが、わたしの胸の宝玉の色を見てこちらの顔を見て顔を伏せて思い悩んだ様子を見せて、やがて小さな声でつぶやきます。
「すみません」
泣き出しそうな声でした。
「大丈夫です。大したものを探しているわけじゃ、ないです」
その割に、彼女はなんだか消耗した様子でした。
周囲には生徒の姿はまばらです。ほとんどが帰途についた時間帯。つまり、それなりの時間探し物をしていたということだとは思うのですが……。
「よければ、少しお手伝いしますよ。どこで落としたかわかりますか?」
「え、えっ」
縮こまるチサさん。ただでさえ小柄な子ですが、より一層小っちゃくなっちゃった感じがします。
というか、そんな恐縮しなくていいんですけど。わたしはそんな怖い顔はしていないです、たぶん。
でもまあ、この子からしたら怪しい他人という感じでしょう。学園生同士なら見ず知らずでもそれなりに言葉を交わすのは普通なのが校風ですけど、まだそういう空気に慣れていないのももっともです。
あんまり首を突っ込むのも悪いのかなあ、などと思っていると、チサさんがぷるぷると震えながら小さくつぶやく。
「……髪留めです」
どうやら、わたしのお手伝い進言を受け入れてくれるようでした。
受け入れてくれたようで、うれしくなる。わたしがにこっと笑うと、彼女も安心したように口の端にかすかな微笑みを浮かべた。
「わかりました。特徴はありますか?」
「べっこうの髪留めです。赤と白の花の柄が入っています」
「はい。どこにあるかは見当ついているんでしょうか?」
「いえ……。すみません」
「それじゃ、わたしはあっちの方を探してみますね」
「は、はい」
わたしは手近な花壇の植え込みのあたりを見てみます。ですが、まあ、そんなすぐに見つかるというものでもありません。地道に探すしかありませんね。
ふと顔を上げると、チサさんが探し物もせずにじっとわたしのことを眺めていました。目が合うと慌てたように探し物に戻り、立木に頭をぶつけて悶絶しています。
「大丈夫ですかっ?」
慌てて近づく。すごい音がしたんですけど。
「い、痛くないですから」
「そんな涙目で言われても」
「だ、大丈夫です」
まあ、本人が触れてほしくなさそうだったので、いいですが。
わたしは無言で回復魔法をかけてあげます。この学園生のレベルからいえばへっぽこでしょうが、多少の効き目はあるでしょう。
チサさんは恥ずかしそうな様子で黙って回復魔法を受け入れる。
そんなトラブルはありましたが、昇降口の周辺の探索を続けます。
そして、しばらくして、校門方面へと続く途中にある噴水で髪留めを見つけました。
「あ」
揺らめく水面の下、べっこうが柔らかく陽光を弾いていました。柄もチサさんが言っていたものです。
ただ、手の届く場所というわけではありません。
「……んしょ」
わたしは噴水の縁で靴と靴下を脱ぐと、スカートを横に縛りじゃぶじゃぶと中に入ります。
そこまで水深はないので、衣類が濡れるというほどでもありません。ただし、水底には藻がはっていて、滑りやすそうな感じがします。さすがに全身ずぶ濡れにはなりたくないので、慎重に歩く。
わたしの様子を見て探し物が見つかったと察したのでしょう、離れた場所を探っていたチサさんが傍まで寄ってきます。
「せ、先輩……」
拾い上げた髪留めを彼女に示してあげると、こくこくこくこくと高速で頷き返される。すごくたくさん頷く子です。ともかく、これで間違いないよう。ほっと一息ですね。
また、じゃぶじゃぶ水をかき分けて戻る。その途中……
「わっ」
ぬるりとぬめった水底に足を取られて、転びそうになる。
「あっ」
傍で様子を見ていたチサさんが小さく声を上げる。
転びそうっ! と思いましたが、何とか体勢を整えます。滑った勢いのままぐるんっと体を回して、身体をひねりながら腕を掲げる、変なポーズになって静止しました。
「……」
「……」
春の日差しの下で、わたしとチサさんはしばしの無言。
わたしはちょっと赤面しながら体勢を戻して、チサさんの傍に行く。
「こ、これでしょうか」
「は、はい。そうです」
受け取った髪留めをきゅっと胸に抱いて目を閉じるチサさん。どうも、感無量といった様子ですね。喜んでくれているようで、お手伝いをした甲斐があったなあ、と報われたような気分になります。
「あの、ありがとうございました」
噴水から出て濡れた足をハンカチで拭いていると、さっきよりも明るい表情になったチサさんが頭を下げる。
「いえ、見つかってよかったですね」
「はい。よかったです」
それから彼女は何度も礼を言い、頭を下げながら名残惜しそうに帰っていきました。
いいことをすると気分がいいなあ、などと思いながら視線をめぐらせてみると、昇降口を出たあたりでユウさんがこちらを見て立ち尽くしていました。
わたしは慌てて彼の方に寄る。
「すみません、わたしの方がお待たせしてしまいましたね」
チサさんの探し物のお手伝いは思いの外時間がかかってしまっていたようです。
「別にいい」
「それじゃ、帰りましょうか」
「ああ」
並んで帰途につきます。
「さっき、何をやっていたんだ?」
「探し物を手伝っていたんですよ。前にも、ユウさんに話をしたことがありますよね。同じ校舎に通っている、チサ・ツヴァイクさん。彼女が困っているようだったので、一緒に探していたんです」
「あぁ、なるほどな……。もうひとつ、質問があるんだが」
「はい、なんですか」
「噴水の中で、なんで決めポーズをしていたんだ?」
「……」
わたしは赤面します。そこ、見ていたんですね。
「噴水の底で何か見つけたみたいだったんだが、あれはお前の喜びのポーズなのか?」
「も、もうやめてくださいっ。その話はやめてくださいっ」
「こんなポーズだったぞ。ほら、こんな……」
「やめてくださいーっ!」
さっきのわたしの形態模写をしようとするユウさんを慌てて止めます。
そうして、人通りもない校門への道中、わたしたちは騒ぎながら歩いていきました。最近思ったのですが、ユウさんは、わたしをからかっている時は結構ひょうきんな一面を出すようになった気がします。
それは、まあ、構わないのですが……。わたしの赤っ恥を嬉々として話すのは、ちょっとやめてほしいなあ。
そんなことを思った、ある春の日のことでした。