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魔法学園へようこそ!  作者: cymbal
第2章 結界破り
16/42

結界破り

 わたしたちはフォロンさんとヴィクトール先輩を失い、四人になってしまいました。

 でも、落ち込んでばかりはいきません。なにせ計画は、ここからが本番といってもいいのですから。


 転移魔方陣で移動してきたこの部室棟は大通りからは離れた場所に位置しているようです。転移魔方陣はここが終着点。早く大通りに戻らないと、結界破りのタイミングに間に合わなくなってしまいます。


「大丈夫です。王女様も正門で入学手続きがありますから」


 慌てるわたしを見て、なだめるように言ってくれるクローディア先輩。


「は、はい」

「ですけど、花束を買いに行かなきゃいけないですからね。予約はしてあるので、あとは受け取りだけですけど」


 時計を確認しながら言うコンラートさん。表情から、そこまで余裕があるというわけでもなさそうです。

 というか、そういえば、花束を渡すんでしたっけ。愛の花束大作戦とかなんとか、ルカ先輩が言っていたのを思い出す。この名称もうちょっと何とかならないんでしょうか。というか花束は必須なんでしょうか。


 ともかく。


 わたしたちは部室棟を出て、行き交う生徒の波に交じります。歩いてみると、多くの人が大通りの方を目指しています。


 先ほど打ち上げた花火。それを合図にしてみなさん王女様が近付いていることに気が付いたようです。

 あれは学内の新入生に向けるものであると同時に、王女様への言葉でもあります。


 今日は大通りの結界が張られる最終日。

 結界破りの計画を知らない生徒も、今日で見納めとなれば一目見ようと足が向く気持ちはわかります。これまで毎日大混雑でしたが、今日はいちばんの人出になるでしょう。


 わたしたちは足早に大通りに戻ります。

 ふと上空を見上げてみると、守備隊士が上空を行き来している姿が見られます。ここ最近で一番たくさんの人数がいる印象。

 先ほど皆さんが打ち上げた大きな魔方陣を見て警戒を強めているのか、これから何か騒ぎが起きそうだという空気を感じ取って増員をかけたのか、なんにせよ慌てているような印象があります。というか、さっきの合図のせいで無用に守備隊を呼び寄せてしまったような気がするんですが、大丈夫なんでしょうか。


 そんな守備隊の混乱は周囲の生徒たちも感じているようで、通り過ぎる時に聞こえる彼らの会話の端々に、先ほどの花火をたたえるような言葉が混じっています。守備隊はこの学園の誇りですが、それを出し抜くクラブだって同様にイヴォケードの象徴ですので、小気味よく感じる人が多いのでしょう。


「さっきの転写魔法、すごかったよな」

「ああ。この時期にあんなのを打ち上げるなんて見たことないぜ。どこのクラブがやったんだろうな」

「あれができるようなとこなんて、そもそも限られてるよな。相当有名な研究室か有力なクラブか……」

「名乗りがなかったのがカッコいいよな」


 そんな会話を聞くと、わたしの口元はついつい綻びます。わたしが何したということはないのですが、それでも自分を褒められているような気分になります。


「おまえ、ニヤニヤするなよ」


 おっと、つい傍で聞こえた会話に反応してしまっているとユウさんに呆れた目で見られてしまいました。


「す、すみません。でも、なんだか嬉しくないですか」

「いや、おまえ、何もしてないだろ」

「まあそうなんですが……」

「僕もその気持ちわかりますよ。やっぱり、学園生の反応があると励みになりますよね」


 前を歩いていたコンラートさんがフォローしてくれる。


「あなたはまだ入学してきたばかりだから、そういう感性がわからないのかもしれません。実際、コンラートだって入学してすぐの頃は騒ぎを起こすことにびくびくしていたし」

「そうでしたっけ? なにせ二年も前ですから、よく覚えてないですけど」

「私自身も、入学したばかりの頃は学園の独特の空気に驚きましたが……大丈夫です。ユウさんもすぐにわかるようになりますから」

「別になりたくないんだが」


 この人、五年生のクローディア先輩にもずけずけ言いますねえ。

 幸いにして先輩はあまり気にした風でもないのが助かります。ユウさんの性格を把握してくださっているようです。


「そうはいっても、さっき、ユウさんも協力してくれたじゃないですか」


 先ほど、屋上での守備隊との小競り合い。最後に脱出する際に、相手方の魔法を打ち消してみせてわたしたちを救ってくれたのはユウさんです。


 わたしの言葉に、ユウさんは苦々しい表情になる。


「別に、そういうつもりじゃない。反射的にやっただけだ。魔法がこっちにきていたからな。自衛だ」


 素直じゃないのか本気でそう思っているのかよくわからない顔ですね。


「それでも、おかげでここまで逃げることができたわけですし、本当に助かりました。魔法の打ち消し、僕の魔法とは比べ物にならない威力ですね。まあ僕は向きを変えるだけですけど」

「はい。私はあなたの魔法を見るのはあれが初めてでしたが、かなり強力な魔法ですね」


 口々に褒められ、ユウさんは忌々しげに顔を背ける。これは照れて……ないですね。嫌そうですね。

 しばらく一緒に過ごしていて感じますが、ユウさんは自分の持っている直接干渉の魔法があんまり好きではないみたいですね。

 特殊な力ですから、耳目を浴びがちなこの魔法のことが嫌いなのでしょうか。

 でも、それもなんとなくもったいないような気がします。自分の魔法とうまく付き合っていくのは難しいですが、大切なことです。


 とはいえ、それをわたしが偉そうに言うことはできません。わたし自身、自分がかつて作った魔法薬の効用に振り回されている節がありますから。

 ひとり歩きしているユイリ新薬の名声に追いつけるように努力はしているつもりですが。


 そんなことを考えながら、人込みを歩いていきます。


 中央通りにやってきて、花屋で王女様に渡す予定の花束を受け取る。

 王女様がすでに正門に着いていて、じきにこの通りを進んでくるという話を周りの生徒たちが話しているのが漏れ聞こえてきます。


「時間がないので、走りましょう」


 コンラートさんが時計を気にしながら言う。


「え、もう大通りに着いているからいいんじゃないんですか?」

「ユイリ、ここでもダメではないんですけど、もっと結界破りに適した場所があるんですよ」


 クローディア先輩がわたしの疑問に答えてくれる。どうやら、比較的結界を破りやすい場所というのがあるようです。

 それに、やはりやるからにはより目立つ場所で実行するつもりなのでしょう。


「多分、走れば間に合います。すみません、大変な思いをさせてしまいますけど」


 コンラートさんが申し訳なさそうな顔をして、わたしは思わずぶんぶんと頭を振ってしまいます。


「あ、いえ、いいですよ全然。ね、ユウさん」

「よくないぞ全然」

「いいですよねっ!?」

「……いい、いい。というかもうなんでもいい」


 呆れたように息をつくユウさん。力技で頷かせてしまいました。

 クローディア先輩とコンラートさんがぱたぱたと駆け出す後を追います。ちらっと後ろを振り返ると、ユウさんもちゃんと付いてきています。


「あの、ほんとにいいですか? わたし、勝手にいろいろ決めすぎですか?」


 ユウさんはいろいろ不精なところがあるので外に連れ出してあげようという気持ちがあるのですが、本人がどう思っているのかよくわかりません。つい不安になってそんな質問をすると、ユウさんはふん、と小さく笑って見せました。


「嫌なら付いていかない」

「あ、そうなんですかっ。ユウさんも、楽しんでくれているならよかったですっ」


 結界破りの右往左往。

 わたしのこれまでの生活ではありえなかったような冒険に、すごくわくわくしています。ユウさんも同じように感じてくれているなら、それはとても嬉しいことでした。


「いや、楽しんでいるというほどでもないが」

「え」

「嫌がる理由もない」

「ええー……」


 あんまり興味はなしですか。つい肩を落としてしまう。

 そんなわたしの様子を見て、ユウさんは眼前を顎で示しました。


「ほら、さっさと行くぞ」

「あ、はいっ」


 先に行ってしまうユウさんの後に続く。

 王女様を待ちわびて楽しげにさざめく人波をかき分けて、わたしたちは駆けていく。


 前を小走りに行くユウさんの背中を見つめながら、わたしはちょっとだけ思います。

 ユウさん、楽しんでいるというほどでもないと言いながら、結構楽しそうじゃないですか。

 そんなことを口にしそうになって、でも、言っても彼は同意はしてくれないだろうなと思う。だからわたしはユウさんを追い越して、笑って後ろを振り返りました。


「早くいかないと、置いてかれちゃいますよっ」

「おまえ、結構浮かれてるな」

「え、そうでしょうか」


 そうでしょうか。


 ……でも、ユウさんだって、実は結構浮かれているような感じもするんですよ。

 わたしはそんな言葉を飲み込んで、また前を向きました。


 笑いさざめく人の声。大きく膨らんだ期待の空気。後ろをついてくるユウさんの気配。











 たどり着いたのは交差点。

 普通に歩いていて魔法的におかしいというような印象はないようなところです。まあ、わかりやすく魔法のつぎはぎがあるということもありえないでしょう。わたしは魔法的な感受性は強くないのでわからないですが、見る人が見れば結界破りに適した場所だとわかるのでしょう。

 道が円形の広場のような形になっていてそれを取り囲むように出店も多くあり、割と混雑しやすい場所です。


「ここですか?」

「はい。学園を包む魔法陣の二つの回路がここで接続していて、他の場所よりも破りやすいはずです」

「ここなら場所も広いですしね。コンラート、できそうですか?」

「えーと、なんだかこの間見た時よりも結界の出力が上がっているような感じがしますね。まだ上があったんだ」


 結界のすぐ傍は多くの生徒たちが詰めかけていていて、遠目に見ている状況です。たしかに、言われてみるといつもよりも結界の輝きが強いような印象があります。

 コンラートさんは苦笑しながら、小さな声で「大丈夫かな」とつぶやきました。


「死ぬ気で頑張ってください」

「そうですね。時間をかければ何とかなると思います」

「あの、わたしも応援しています」

「ありがとうございます、ユイリさん」

「ユウさんも応援しているそうですよ。ね、ユウさん」

「そうなんですか、ユウさん」

「ありがとうございます、ユウさん」

「……俺は何も言ってない」


 話をユウさんに振ってみると、クローディア先輩とコンラートさんが尻馬に乗ってきて、ユウさんは疲れたように息をつきました。


「人の名前を連呼するな」


 照れているんでしょうか。

 ともかく、くだらない話で少しはコンラートさんの緊張もほぐれたでしょうか。


「ユイリさん。すみません、持っていてもらっていいですか」

「あ、はい」


 コンラートさんはわたしに花束を渡すと、気を取り直したように結界のほうを見やりました。さっきは緊張した面持ちでしたが、今は少しリラックスしたような雰囲気です。


「それじゃ、行きましょうか」

「ええ」


 結界破りをするために、まずはすぐ傍まで近づかなくてはなりません。混雑したこの状況、当然席取りなんてものはありません。もはや肉弾戦。結界のところまで人ごみをかき分けて進むのみです。

 とはいえ、ここにいる一同全員結構細身ですので大変そうですが……。

 そんな心配を抱きつつ、コンラートさん、クローディア先輩、わたし、ユウさんの順で割り込んでいく。

 すると、思いの外人ごみをかき分けるのに苦労はありません。先頭を行くコンラートさんが肩を割り込ませて進んでいくと、人混みが簡単に割れていきます。


「コンラートの魔法の応用です」


 前を行くクローディア先輩が教えてくれる。


「あの子の魔法は方向転換。さっき屋上で使ったみたいに反射する、という使い方をすることが多いんですが、魔力を含んだ物質を動かすこともできます」


 人間も極端に言ってしまえば魔力を含んだ物質です。基本というか、あらゆるものが大なり小なり魔力を含んでいます。つまり、魔法で人を押しのけているということでしょうか。うーん、偉大な才能がなんだかすごくしょうもない使われ方のような感じがしますねえ。

 とはいえ、地味に便利です。押しのけられた側の人はなんだかよくわからないけれど横に動かされているような圧を感じているのでしょうから、なんだかちょっと悪い感じもしますが。


「離れないようにしてくださいね。さすがにはぐれたら合流できないかもしれませんから」

「はい」

「あと、痴漢に気を付けてくださいね。こういう混雑だと多いんです」

「はい。……でも、この状況で気を付けるも何もないですけど」


 ぎゅうぎゅうです。


「ユウさん、何かあったら守ってくださいね」


 わたしは後ろを振り返り、最後尾を付いてきているユウさんに声をかけます。


「あぁ、まぁ、ああ」

「やる気なし!?」

「冗談だ。心配するな」

「そうですか。お願いします……」


 まああんまりそんな心配はしていないですけど。

 むしろクローディア先輩がその心配をしたほうがいいような気がします。美人さんですから。


 ともかく、歩く距離自体は大したものではないのですぐに結界の真横まで辿り着きました。正門側を眺めてみますが、王女様を乗せた馬車はまだ見えてきません。

 ですが、少し向こうの上空は守備隊士が密になって護衛している気配があるので、じきに見えてくるでしょう。


「間に合いましたね」

「はい、ギリギリでした。結局、無事ここに着いたと部長に合図する余裕はありませんでしたね」

「まあ、仕方ありません。部長の方も、こちらのことを確認している余裕があるかどうかわかりませんし」

「そうですね」


 言葉を交わしながらコンラートさんは結界を調べてみています。少しして顔をしかめていて、やはり結界破りはかなり大変そうな雰囲気をにおわせます。

 そんな様子を余所に、ユウさんも同様に結界に手を当てて様子を見ています。彼が結界に触れると、その輝きはぶれぶれと揺らいでいるような感じ。

 彼の直接干渉魔法が効力を及ぼしているのでしょうか。


「ユウさんだったら、結界破りはできますか?」


 小声で尋ねてみると、彼は興味なさそうな様子で肩をすくめて見せました。


「さあ、どうだろうな」

「……」


 答えてくれる気はないようです。

 でも、もうちょっと粘ってみます。


「……」

「……」


 じっと見つめていると、彼は根負けしたように息をつきました。そして、わたしにだけ聞こえるようにそっと耳元でささやきます。


「できる」

「えっ」

「俺の魔法は効果の打消しだからな。人に当てる場合はレジストされてうまく効果が出ないこともあるが、打ち出された後の魔法や結界に対しては問題ない。この結界は強力だが、俺にとっては魔法の強さはあまり関係がないからな」

「それ、本当ですか」


 彼ならば、やろうと思えば結界破りができる。その静かな宣告。


「予め俺の魔法に対抗するような術式を魔方陣に組み込むこと自体はできるだろうが、俺専用の対策をわざわざを組み込むことはありえない」

「……」


 わたしはつい、彼に期待を込めた視線を向けてしまう。ですが、ユウさんは迷惑そうに顔をしかめます。


「だが、俺は……」


 言いかけたその時、周囲の生徒がわっと沸き立ちました。遠くのほうに王女様を乗せた馬車が見え始めています。

 とはいえ、まだまだ遠い距離です。彼女が乗っているのはここ数日で見慣れた新入生を乗せる馬車。特別製というわけでもないようです。新入生に貴賤はなし、ということでしょうか。


「ユイリさん、ユウさん、じきに合図がありますよ。そうしたら結界破りを始めます」


 コンラートさんが喧噪の中、そっと声をかけてくる。


「おそらく、多くのクラブがこの辺りで結界破りをやろうとするでしょうね。なにせ、セレスティン王女の御前ですから。ほら、見てみてください。向こうとか、それっぽい人がいるでしょう」


 クローディア先輩に言われて結界を隔てた向こう側を見てみると、馬車のやってくる方向を見ている学園生たちの中にちらほら緊張した面持ちで話し合いをしていたり杖を持って瞑想している様子の生徒があります。

 なるほど、他の団体もこの場所ならば御しやすいと見て集まっているのでしょう。

 それに、王女様がこのあたりに差し掛かったタイミングで一斉に挑戦が始まるようで、普通にやるよりもより目立つでしょう。ただし、上空の守備隊の人員も多いので、それは難点でしょうが。


 ふと空を見上げたわたしの心中を察してか、クローディア先輩が教えてくれる。


「守備隊の人員は基本的に上空にいますからね、合図と一緒にまずは制空権を奪う計画です。さっき大々的に合図を打ち上げたのはこのあたりに守備隊を集めておいて先制攻撃を仕掛ける意味合いもあったんです。部長たちが担当している陽動部隊がその役目ですね。そちらはそちらで派手にやるそうですから、合図があったら上を見てみてください」

「守備隊と戦うって、みなさん、大丈夫ですかね?」

「まあ、死にはしないでしょう」

「えええ! ざっくり!?」

「軟弱な生徒はそちらには参加しない予定ですから、大丈夫です。戦闘不能になった人が上から落ちてくる可能性があるので、ユイリこそ気を付けてくださいね」

「いえ、あの、これだけ混んでると避けようもないですよ……」

「そこは気合です」

「先輩、意外に根性論の人なんですね」

「そうでしょうか。ユウさん、いざとなったらあなたが守ってあげてくださいね」


 先輩は結界破りに臨むコンラートさんのフォローをする必要があるのでしょう。ユウさんにそんなお願いをする。


「はいはい……」


 面倒くさそうにうなずくユウさん。

 とはいえそんな返事でもそれなりに満足はしたのか、クローディア先輩はうんうんとうなずく。


 そして、空を見上げた。


「あぁ、始まりますね」


 つぶやき。クローディア先輩の表情が、さっと緊張の色合いを帯びる。

 それと同じくして、ぴいいっと笛の音にも似た甲高い音を立てながら、光の筋が昇っていく。鏑矢にも似たそれが、呼応するようにあちこちから飛んだ。


 一瞬、ざわめいていた生徒たちは歓声を止めて、何事かと空を見上げた。

 上空。空へと昇った幾筋もの光が、ぱんぱんと音を立てて弾けた。


 どこからか、ファンファーレの音が鳴った。

 初めて聞く、勇ましくも賑やかなファンファーレ。


 同時に、守備隊が陣取っていた上空に、箒にまたがる生徒たちが躍り出た。何人も、何十人も……いや、もっとかもしれません。天気のいい春の日差しが、彼らの影で遮られる。

 結界破りの、最終日。数えきれないほどのクラブ生たちが一致団結して学園の空を彩りました。



 ……うわああああぁぁぁぁぁ!!!



 周りの生徒たちが、大歓声を上げた。

 地面が揺れたような気がする。


 わたしはそれにも気付かぬように、じっと空を見上げた。

 空へと飛び立つクラブ生。箒の先には、各々が大きな横断幕をくくり付けていた。


『東方魔術研究部、見参!』『魔法料理研究会、部員大募集!』『武装生活指導委員会で楽しい学園生活♪』『決闘クラブの名門、貴族殺しに入部してください』『空中飛脚部をヨロシク!』『へそ魔法の会、みんな来てね!』『時雨坂ポテト最新作「鼻で歩く生物たち」発売中。書店にて!』『現代魔法絵画の会、部室は第七部室棟へ!』『王女様親衛隊、今こそ集え!』『イヴォケード環境保護会は聖山保護の活動をしています』『尻から魔法を撃ちたい君は、尻魔術研究部の門を叩け!(尻で!)』『実績多数! 恋文技術研究会!』『図書館部! 図書館迷宮探索マップ(お試し版)を無料配布中!』『東洋の神秘♪巫女研究会』『エレクセシル研究室は魔法都市構造学の名門!』『大魔法詩吟部に入らずして口述魔法の道はない!』『今は惚れ薬を製作中♪ ナジュ錬金協会』『☆プロデュース研究会☆』『映画「白昼天武舞」絶賛公開中。衝撃のラストを目撃せよ!』『詭弁論部は今すぐ廃部しろ! 弁論部にぜひ入部してください』『連休の際は羽を伸ばして! イヴォケード山脈の温泉宿、喝采亭にぜひお越しください。合宿可』『学園女子家政部にみんなおいでっ!』『奇妙なもの、買い取りいたします。天獅子通り13号、道具屋「バラトン笛」 ◎雲の欠片入荷いたしました』『弟子募集中:コード00400235468226844』『不思議を探ろう! 学園地下迷宮研究部』『初心者歓迎♪毒薬製作♪ 調合クラブ「ヘロベの鳥」』『執政官・外交官になるノウハウあります。政治研究会』『次世代の乗り物を一緒に作ろう! 石火鉄道管理準備室(学園非公式)』『滾る! 魂の震える音! 太鼓部』『本好きはここに入部・図書館警察』『整理整頓委員会は絶賛部員募集中!』『あなたの名作、本にします。書肆半魚人』『管楽魔法を研究しています。興味のある方はぜひ! ピドナ魔法結社へ』『名物料理「とろろなす」を是非ご賞味あれ! 昨年学内人気店ランキング入り! 学生食堂ヴァンクーヴァー・ノヴァ』『倶楽部環境天使・第三部室棟二階に部室有。魔導環境学は最先端の研究です』『貧乳は希少価値! 品乳研究会はお悩みの女子生徒歓迎! 男子禁制・入会試験有』『学園内引越し手伝います。お部屋探しはイヴォケードすむすむへ!』『魔法もいいけど、漫画もね? 漫画研究会零式』『魔法大会「ワイルドファイア」昨年優勝! 古典魔法部』『魔法精霊使役の名門・ハル研究会』『魅惑の妖精亭で楽しくお仕事♪賄い有り』『野球しようぜ(∵) 学園硬球部』『占有競技場あります 航空部』『報道部で学園の明日を拓け! 部員大募集!』『弁論部は地獄に落ちろ! 詭弁論部の明日を切り開くのは君だ!』『台風飛行クラブは入部縛りなし! 希望者は台風の日の正午に第三飛行場に集合せよ!』『まりも同好会 癒される~』『禁断魔術研究会にぜひ入部を! 学園公認です! 現在は古代の時空魔法を研究中』『呪詛研究会で楽しい学園生活! 男子部員歓迎! 女子部員大歓迎!』『地下格闘技場の若き皇帝レニード・ピントンの王座防衛戦本日開幕! 委細掲示板03346120324へ』『魔法の深淵を極めんとする新入生は魔法クラブ「青き唇」へ』『フォロス魔法病院で快適な(!?)入院生活を。赤土通り32号』『未来学研究会をよろしく』『ラーガブナ学士会は楽しく安全な学園生活を応援しています♪』『混成楽団≪百科事典≫、欠員に付き「非常に優れた」バリトンの方募集。明日第七部室棟部室にてオーディション開催。参加者粗品謹呈いたします』『極めよ女子力! 求めよバラ色の学園生活! 入部せよ第三女子家政部!』『魔法における四大元素説の再考にて実績あり。アリス魔道学士会は新入部員大募集中!』『総合文芸誌「学びと遊び」今月号の特集は「三日月亭ウェイトレス強奪事件の真実」 ご注目あれ! 部員も募集!』『第一写真部は今季統合テーマ「魔法と生活」黒レンガ通り11番地専用ギャラリーあります』『エッサイ魔法系統樹研究会は地味だけど楽しいクラブ! 魔法科以外の生徒も大歓迎!』『高品質なゴーレムの受注生産承ります。ロベール魔道具店』『学内のパブ散策が活動です ピバ飲酒党』『学園公認アイドル、アルエ・ルルノア・プリティーちゃんファンクラブは月初週末第四公民館会議室にてチェキ会開催しています』『我らの裏門は常に開いている。イリス王国最終クラブ新入部員募集中。試験有委細応相談』『文芸サークル「人の生きかす」最新作「空飛ぶ少女の憩い」書店にて発売中! 部室にて朗読会も開催中』『第七お笑い研究会にみんな来て! かわいい子きて!』『塔と灯台に興味がある方は第四部室棟のクラブ高い城へお越しください』『クオーン狩猟クラブ』『転移魔方陣を格安で使う方法とは? 学内のお得情報は無料雑誌「星と唐辛子」でチェック!』『錬金術を極めるならばプルーム錬金協会へ!』『楽しい学園生活は冒険クラブ「大七」で決まりだね!』『聖印評議会はベルナルド公国の志ある若者を募集中!』『自らの肉体で山を制する喜び! 登山部新入部員急募!』『秘密錬金クラブ「ウゾソポク」公認第一大食堂3-25テーブルにて』『バンドやろうぜ! 軽音部』


 読みきれないほどの横断幕。

 空に飛び上がった無数の学園生は、盛大にチラシを撒いて華麗な魔法を散らす。

 あまりにも唐突の出来事で、周囲の生徒も呆気に取られた様子の人も多い。熱狂的に騒いでいる者もいて、それは水面下でのこの作戦を知っている人なのでしょう。


 空を行き交う箒の群れ。先ほどまで陣取っていた守備隊を駆逐して、今は思う様に陽動部隊が飛び交っています。学園の空をこんな雑然とした様子で飛行するなんて、そうめったにあることではありません。


 その情景に、胸がじーんとしびれました。

 上空に飛び上がった生徒たちはすぐさま横断幕は取り外し、ビラ撒きも衆目を集めるための魔法も取りやめて、杖をかざした。

 …もちろん彼らの目的は、これで終わりではありません。

 空へ止まって、ビラを撒く。それだけで満足するような控えめな学園生は、そもそもこんな無茶苦茶なことはしない。


 まだ無傷の結界。

 そこへ、


「撃てーーーーーーーーーーーっ!!」


 号令。

 同時に、結界に何十という魔法が突き刺さった。

 光が弾けて、空気が揺れる。溢れんばかりの魔力に体がうわっと脈打つ感じ。

 周囲の学園生が盛大な歓声をあげる。

 ですが、結界はびくともしていません。先ほどの攻撃は各々適当に結界を攻撃したという感じで、威嚇、もしくは景気づけというものでしょうか。

 結界に弾かれ、霧散した魔力がきらきらとした光となってかすんで消えた。


 そこに、守備隊の隊士が一斉蜂起した学園生たちを鎮圧しようと飛び込んできました。この突然のことに一時下がっていたようですが、隊列を組んで制空権を確保にかかります。

 空の学園生たちが小さく固まり、守備隊を迎え撃ち、空中あちこちで火花が散った。


 大狂乱。


 空中を覆いつくすほどに生徒たちが入り乱れて乱戦を繰り広げる。

 地上の生徒たちは、上空で始まった戦いを半狂乱ではやし立てている。

 お祭り騒ぎのそのまた上を行くような、大騒ぎ。


「わっ、うわっ、すごいことになりましたっ!」


 わたしは空を見上げて、興奮で思わずその場で跳ねて、隣のユウさんにしきりに空の大狂乱を指さします。


「わかった。そうだな。お前は落ち着け」

「わあっ! 人が落ちてくるっ!?」


 魔法で箒から振り落とされたクラブ生が近くの人ごみに落ちていきました。うわ、大丈夫でしょうか。

 ですが、その程度の騒ぎなどものともしないほどに周囲は大熱狂。


「あ、ユウさん、何か言いましたかっ?」

「いや、もういい。すごいすごい」

「はいっ。そうですねっ!」

「……」


 ユウさんもこの状況を楽しんでくれているようです。

 あれ、なんだか呆れた目をしている気もしますが。


 ちょっと冷静になって周りを見てみると、コンラートさんは空の戦いを一瞥することもなく結界に向かい、手を当てています。結界の彼が手を当てている場所はゆらゆらと揺れていて、魔法で干渉している様がうかがえます。ですが、それは未だ微かなものに見えます。揺らぎは水面の波紋のように結界に広がっている印象がありますが、まるで、大きな池に石を投げ込んだのみ、というような心もとなささえあります。

 コンラートさんの、直接干渉魔法。方向転換。ベクトルの力。その魔法で結界に風穴を開けようとしているようですが、なかなかうまくはいきません。

 クローディア先輩は厳しい表情でその様子を眺めています。おそらく、想定以上に結界が堅牢なのでしょう。

 こうして妨害も受けずに結界破りに臨める場は用意できましたが、肝心の結界そのものがあまりに強力で難易度が高いことに変わりはないようです。


 周辺を見ていると、そこここでいくつもの集団が結界に取り付いて試行錯誤している様子が目につきます。

 何人かで同時に魔法を打ち込んでいる集団があったり、一人の生徒に加護を与えて魔力を増強して一点突破を図っている人たちもいたり、ハンマーのような形の魔術具を使用している姿も見られます。ですが、未だに誰も結界の中に入ることはできていません。


 その結界の中、すぐ近くまで来ていた王女様を乗せた馬車は狂乱に驚いたようにその場に止まっています。

 あ、ウサコさんが御者台に立っているのが見えます。顔をしかめて今のありさまを眺めています。そして、その隣に制服に着替えたセレスティン王女の姿が見えます。表情ははっきりとは見えませんが、傍目にも明らかなくらい不安そうな様子をしているのがわかります。それはそうでしょうねえ。

 もちろんこの学園の噂話などは聞いているとは思いますが、実際に来てみてこんな騒ぎの中心に放り出されれば不安にもなるものでしょう。

 その横、従者と思しき小柄な少女はむしろ楽しそうな表情でウサコさんに何やら話しかけている様子。この騒ぎが危害を与えようという攻撃などではなく、お祭り騒ぎの一環なのだとわかっているのでしょう。


 周囲の様子をひとしきり眺めて再び上空に視線を移す。


「……あれ」


 そして、つい小さくつぶやいてしまう。

 ちょっと目を離した隙に、さっきまであれほどたくさんいた上空のクラブ生たちが、なんだかずいぶん減っているような気がします。


「もう、ずいぶんやられてるぞ」


 わたしの様子を見てか、ユウさんが教えてくれる。


「やられてるって、守備隊にですか?」

「ああ」

「あんなにたくさんいたのにですか?」

「そうだ。見てみろ」


 たしかに、まるで鋭利な刃物で紙でも切り裂くように、守備隊士の一団が上空のクラブ生の集団に切り込むとぼとぼとと生徒たちが落ちていきます。そして、落ちていく生徒の中に守備隊士の姿はありません。クラブ生が一方的にやられているのです。


「そろそろここもまずいな」


 ユウさんの言う通り、今にも制空権は奪還されそうな様子。未だになんとか残った生徒たちは守備隊が地上に降りるのを妨害しているようですが、いつまで持つかはわかりません。

 近く地上も戦場になるだろうとみてか、さっきまで結界のすぐ傍に取り次いで一緒に騒いでいた結果破りの側でない生徒たちの相当数は遠くに引いてしまっています。これでは、結界破りをしようとしている生徒の姿が丸見えです。

 そんな周囲の様子に、ユウさんはからかうような声音でつぶやく。


「さあ、どうする?」

「どうもこうもないです」


 その言葉に、クローディア先輩が焦った様子で答える。


「うちはコンラートに賭けています。少しでも時間を稼ぐ。それだけです」

「そうか」


 そのコンラートさんは、この会話にも反応しません。一心に結界に向き合っているのみです。

 そして、結界の揺らぎははっきりとさっきよりも強くなっています。まったく太刀打ちできていないわけではないのがわかります。ただ、まだ時間がかかりそうな様子なのは明らかです。

 わたしははらはらしながら結界と、コンラートさんと、上空の戦況と、クローディア先輩とユウさんと視線を移す。


 かなり厳しい状況なのは明らか。

 例年以上に強力な結界。それを守備する学園守備隊。いくら天才・異才の学園生でも、さすがにこの壁は高すぎたのでしょうか。

 わたしは助けを求めるように空を見上げる。すると、その思いに応えるかのように上空を見知った姿が駆けていきました。


「突撃ーーーーっ!」


 ミスラ先輩。この第三魔術研究会の先輩でした。

 先輩はわたしたちの姿に気付いた様子もなく、何人かのクラブ生を率いて上空の守備隊士の一団に襲い掛かる。ですが守備隊は陣形をとって包み込むようにしてその突進を迎え撃ち、あっという間に殲滅してしまう。

 何人かの守備隊士は倒したようですが、空から落ちるミスラ先輩の姿が建物の向こうに消えていき、わたしは目の前が真っ暗になってしまうような気分になりました。

 そして、クローディア先輩もその光景を見ていたようです。呆然とした様子で立ち尽くしています。


「まずいですね。精鋭の部隊だったんですが」


 先輩の杖を持つ手の力が抜けて、地面に落としそうになるその瞬間。わたしは思わずその手をはっしと握りしめていました。


「……諦めちゃだめですよっ」


 クローディア先輩とコンラートさんが、わたしの言葉に顔を向ける。

 つい、閉塞感に嫌気がさして、わたしは口を開いてしまっていました。


「絶対に、結界破りは、できます。だから頑張ってくださいっ」


 横で見ているわたしの身分。なにをのんきな、などと言われても構いません。

 ただ、ぼうっとしているだけのわたしですが、それでもなにかもしたいと思いました。

 そんな勝手なわたしの発破を、先輩は笑って受け入れてくれる。


「それもそうですね」


 いつものように、冷静な口調でした。ふん、と不敵に笑ってみせます。


「陽動部隊が負けることは、そもそも織り込み済みです。時間稼ぎでしかないですからね。最終的に、誰かが結界破りに成功すればいいんです。そうすれば、ミスラの犠牲も浮かばれます」

「死んでないですけどね」

「ま、そうですね」


 クローディア先輩は、勝気な様子で杖を持ち、ばしばしコンラートさんの背を叩きます。


「早く結界を破ってしまいなさい、コンラート。守備隊は待ってくれませんよ」

「わ、わかってます。あの、痛いですから」


 コンラートさんがそう言って笑う。


「嫌ならどんどん、やってやってください」

「はい。任せくださいっ」


 空のどんぱちを気にもせず、結界破りにまた取り掛かる。

 高くて青い空の下、くるくると箒に乗った姿が飛び交っているのを眺めていて……やがて、地上の制圧が始まりました。


 何人も一緒になって結界に魔法を撃ち込んでいた集団は、迎撃に追われてもはや結界への干渉を継続することはできていません。数人がかりで一人の術者を補佐していた集団は、補佐役の何人かを防衛役に転換させてぎりぎり結界破りを維持している状態です。ここから離れたあたりで魔術具を振り回していた結界破りの一団が地上に降り立った守備隊士に捕まり、連行されていく姿が見えます。


「守備隊が来るぞ!」


 すぐ傍。誰かの声。

 見ると、空から守備隊士の一団がこちらに一直線に向かってきています。そして、それを防御する陽動部隊は近くに見えません。


 クローディア先輩が迎え撃とうと杖を構える。

 相手は三人。互いの魔法が交錯するかと思ったその時、上空から魔法が撃ち込まれて、守備隊士は押し込まれるようにして少し離れた地上に降り立ちました。そして、わたしたちと守備隊の間に十人ほどのクラブ生の集団が防衛に入る。

 その中に、見知った顔もありました。


「部長!」


 クローディア先輩の言葉に、ルカ先輩がちらりとこちらを振り返ってニヤッと笑いました。その横のウェーブがかった長い髪の女性もこちらを振り返って小さく手を振ります。見たことない方ですが、お知り合いのようです。

 ですが、和んでいる暇などそうはありません。すぐさまクラブ生の集団が守備隊がぶつかり合って、その場には気絶した三人の守備隊士と戦闘不能に陥った何人かのクラブ生が残されました。

 まだ戦える方は、再び箒にまたがって空へと戻っていく。


 すごい、守備隊士を見事にやっつけてみせました。さすがに何人かはやられてしまったようですが、それでも互角に渡り合っています。

 どうやら、ルカ先輩が率いていた今の集団がクラブ生の最精鋭のようです。


 ……とはいえ、そんな天下も長くは続きません。

 少ししたら、そのルカ先輩の部隊も総攻撃を受けて全滅してしまったようです。上空はほぼ完全に守備隊が奪還し、再びすぐ傍に守備隊士が降り立つ。


 周辺を見ると、未だに結界破りを成功させた団体はなく、結界破りを続けている集団すらもほとんど見られなくなっています。

 挑戦していた生徒たちは次々に捕縛されてしまい、無力化させられている。


 ですが、遠巻きに眺めている生徒たちはクラブ生側に一心に声援を送ってくれています。当初は歓声だったものの、守備隊の制圧が進むにつれてその叫びは悲痛なものになっています。


「がんばれーっ!」

「いけるぞっ! やってやれっ!」

「結界、かなりたわんでるぞ! もう少しだ!」

「お前ら第三魔術研究会だろ! もっと意地を見せろ意地を!」


 そんな声援を受けて、クローディア先輩が目の前の守備隊に杖を向けます。

 相手は六人。どう見ても多勢に無勢です。コンラートさんは結界に向き合ったままですので、戦えるのはクローディア先輩だけ。声援を送る生徒たちも戦いに乱入する様子はないようです。


「決闘をしましょう」


 クローディア先輩の凛とした声が、騒がしいこの場にあっても透き通るように響きました。


「クローディア・プレシオン。第三魔術研究会の副部長です。我こそはという方は、私がお相手いたしましょう」


 まるで挑発するように、杖先を揺する。一騎討ちの誘い。

 それを見て、守備隊士の一人が乗り気な様子で杖を持ち、前に出てくる。

 どうやら、こちらの時間稼ぎに乗ってくれたようです……などと思うのも束の間、件の守備隊士を制する人がありました。

 ウサコさんと同じようなマントをしています。どうやら、守備隊の中でも偉い人のようです。前に出ていこうとした隊士に挑発に乗るな、と諌めている様子。


「第七守備隊隊長ともあろうものが、怖気づきましたか」


 思った通りに事態が進まず、顔をゆがめるクローディア先輩。

 相手の細身で眼光鋭い中年女性は、守備隊隊長のようです。そういえば、何かで顔を見たことがあるような気がします。わたしは名前までは知らないですが。

 でも、独特の雰囲気を持っているのは少し離れた場所にいるわたしにもわかります。


「時間稼ぎをしたいようだけど、邪魔させてもらうよ」


 守備隊長はなんだか疲れたような口調でそう言うと、他の隊士も率いて一斉に飛びかかってくる!

 そして、クローディア先輩は鋭く杖を閃かせ、目にも追えない速さでそれを迎え撃つ!


 戦いが始まりました。

 そして十秒後。

 ばったりとその場に倒れたクローディア先輩が守備隊士に引きずられていきました。


 うわぁ……。


 あんなに涼しげな雰囲気で凛としていて、向かうところ敵なしという雰囲気の先輩ですが……守備隊士に囲まれると無残なくらいにぼっこぼこなんですねぇ……。

 それはまあ当たり前なんですが、まざまざと目にするともうえげつないですねぇ……。


 そして、何人かの守備隊士が結界に向き合っていたコンラートさんの首根っこを掴み、引っ立てていく。


「うわああああぁぁぁぁーーーーーー……」


 コンラートさんは、そんな叫び声だけ残して連れられて行ってしまいました。

 うーん。なんだか彼が本丸なのについでのような扱いですねえ。

 せっかく頑張って結界破りをしていたというのに、あまりにもあっけない最後です。


 わたしとユウさんは、横で棒立ちしていただけなので無関係と思われたのか、危険はないと判断されたのか、ともかく一瞥されただけで何も言われませんでした。ほとんど鎮圧されたとはいってもまだまだあちこちで結界破りは続いているのでしょうし、余計な労力は割けないのでしょう。


「あの、ユウさん。コンラートさんは結界破り、できそうだったんでしょうか?」

「まあ、六割方というくらいだったな」

「六割」


 結構時間をかけましたが、それでもまだまだ足りなかったようです。

 今ではもう、コンラートさんが向き合っていた結界の場所は自動的に修復されてしまっていて、かけた苦労も水の泡。それを思うと、なんだか胸が痛みました。


 守備隊が結界破りの人員の掃討に切り込んできていて一時はあたりも騒然としていましたが、徐々にまた生徒たちが結界の傍に集まってきます。周りに戻ってきた人たちは、どことなく気落ちしたような様子です。

 わたしはその気持ちがわかります。

 みんなやはり、結界が強力であればあるほど、それを突破することを望んでいたのでしょう。ですがもはや、それは失敗してしまっています。

 相手が強大であればこそ、打ち破ってほしかった。求めていたのは大番狂わせ。守備隊も結界もやっぱりすごかった、などという結論は望んではいないのです。


 上空を見上げると、そこには守備隊が警戒するように旋回する姿があります。

 もはや交戦するクラブ生は一人もありません。みんなやられてしまったのでしょう。


 たくさんの生徒が集まって、計画を練って、秘密裏にあれだけのことをやってみせた。中央通りのお祭り騒ぎ。沸き立つ周りの生徒たち。ですけど、その計画の行き着く先は無残にも失敗でした。あれだけ、頑張っていたのに。

 そんなことを考えて、わたしはぐっと唇をかみました。

 なんだか、悔しい。

 わたしは横で見ていただけだけど、それでもその気持ちに嘘はありません。


「おい、見ろよ」


 周りの生徒たちが言葉を交わしあっている。


「あ、馬車が……」

「ああ。王女様のお通りだ」


 そんな会話につられて結界の中、大通りの先を見る。

 さっきまでの大混乱で、様子をうかがうように止まっていた王女様の乗る馬車が少しずつ動き出していました。混乱が収束したので、また動き出したのでしょう。


 わたしは、まだ遠めにしか見ることのできないそんな様子を目にして、ぎゅっと手に持った花束を握りしめる。

 本当は、この花束を王女様に渡すという計画でした。見事に結界を打ち破って、声援の中コンラートさんが、クローディア先輩が王女様に相対する。そんな光景を求めていたのに。


「あの、ユウさん」

「なんだ」


 わたしはすがるように、ユウさんのほうを向く。


「ユウさんなら、結界破りをできるんですよね?」

「なんで、そんなことを聞く」


 うっとうしそうな顔をされる。

 でも、めげません。


「もし、それができるなら……ぜひ、ユウさんにそれをやってみせてほしいんです」


 言ってしまいました。

 ユウさんは校長候補生。わたしは詳細などは知りませんが、きっと特殊な出自なのでしょう。

 彼は直接干渉と呼ばれる特殊な魔法の使い手。大っぴらにしていいものなのかはわかりません。

 だから、そんな彼に対してそんな目立つことをしろと望むのは、わたしの立場から言えば行き過ぎた要求なのかもしれません。それでも。


「お願いします」

「え、嫌だ」

「どうしてでしょうか。できないんですか」


 あえて挑発っぽく言ってみると、ユウさんはこちらの出方はお見通しと言わんばかりに微かに笑います。


「する意味がない。それだけだ」

「意味ならありますよ」

「その花束を渡したい、だろ。目立ちたいだけか」

「わたし目立つのそんな好きじゃないですけど」

「だろうな。そんなことをしても意味がない。得しない」

「……でも、きっと楽しいですよ」

「……」


 わたしの言葉に、ユウさんはきょとんとした顔をした。


「結界破りで大騒ぎして、王女様に花束を渡して。きっと、それは、楽しいですよ」


 そうです。

 わたしがユウさんの付き人をする時に頼まれたことは、彼がまっとうな生活を送るように注意を払うこと。

 それでは、この学園の中でまっとうに過ごすとは、どんなことでしょうか。

 それは、問われるまでもありません。

 魔法使いには変人が多い。ここはいつでもだれかが大騒ぎをしているような場所です。楽しく日々を過ごす場所です。

 だから、彼にもこの学園の一員として、楽しく日々を過ごしてほしい。

 それがわたしに望まれたことであり、わたしが望むことです。


「おまえ馬鹿だろ」

「馬鹿ですよ」


 呆れたように言うユウさんにすぐさまそう答えると、彼は不思議そうな顔をする。

 そんな表情を見ながら、わたしは続けます。


「ここの学園生は、みんな馬鹿なんです。ここはそういう学園なんです。ユウさんも、入学したんですから、そんな学園生の一員なんですよ」


 この騒ぎを騒動の中心から眺めていて芽生えたわたしの気持ち。

 そんな気持ちが伝わったのでしょうか。ユウさんは仏頂面を作って、すぐに破顔してみせました。


「おまえ馬鹿だろ」

「え……」


 再度ひどいことを言われて、戸惑うわたし。

 でもユウさんはそんな様子を気にもせず、言葉を続けました。


「馬鹿馬鹿しいが……今はお前を信じることにする」

「えっ」

「なんだその反応は。自信満々に言ったの、おまえだろ」


 そう言ってそっぽを向くユウさん。

 わたしは少し呆然としていましたが、すぐさま彼の言った意味が飲み込めてくる。


「ありがとうございます。わたしのこと、信じてくれるんですね」

「いや、別に信じてないが」

「えっ」


 五秒で前言を翻すユウさん。


「……信じてはいないが、やってみてもいいって思った。それだけだ」


 その言葉に、わたしは笑顔になる。


「はいっ」

「なんだよ」

「はいっ。はいはい、保証しますよっ。きっと、楽しいですよっ!」


 彼は、つまり、わたしを信用してくれるということです。

 うれしい。

 その場で小さくぴょんぴょん跳ねると、うっとうしそうな顔をされてしまい慌ててやめる。


「少し、場所を開けろ」


 ユウさんが周囲の生徒に声をかける。


「この結界を破る」


 周りの人たちがざわつきました。


「マジで?」

「君ひとりで?」

「無理だろさすがに」

「いや、頑張れば、どうだろうなあ」

「でもすぐに守備隊が来そうだぜ」

「ああ。あれだけやって無理だったんだから、どうしようもないだろ」

「ていうか、この一年の顔どっかで見たような……」

「さっき第三魔術研究会と一緒にいた奴だろ? なにか作戦があるんじゃないのか」

「作戦あるならさっきまでの混乱中に出せよ」


 そんな周りの反応に不快そうに顔をゆがめてあたりを睥睨すると、生徒たちは驚いたように若干の空間を開ける。とはいえ、両手を広げられる程度の広さです。あたりは混み合っているので、このくらいが限界ですね。

 わたしはぱたぱたと彼の後ろに移動して、様子を見守ります。

 と、不意に彼はわたしの腕を取りました。


「えっ!?」

「おまえに言われて始めることだ。付き合ってもらうぞ」

「え、えっ」


 どぎまぎしている内に、彼の真横に引っ張られる。

 目の前には結界。周りには様子をうかがう生徒たち。


「多少気分が悪くなるかもしれないが、我慢しろ」


 ユウさんが顔を寄せてささやきます。


「えっ、はいっ」


 背筋を伸ばしてこくこくうなずく。どうしよう、緊張してきました。


「歩き出せ」

「え?」

「前に歩け」


 その言葉に、わたしは思わず前を向く。

 青い光。

 今年、あらゆる作戦を跳ね除けてきた中央通りの結界です。ぶつかれば、壁でもあるかのような衝撃に見舞われるでしょう。


「俺が行けると信じているなら、まずはお前が歩き出せ」

「……」


 わたしはうなずく。

 うん。

 わたしはユウさんを信じます。彼ができると言うならば、わたしはそれを信じてあげます。


 結界に向かって、足を踏み出す。それと一緒に、手をつないでいるユウさんも歩き出します。

 不意に感じる、倦怠感。魔力を使いすぎた時の倦怠感です。

 わたしはぎゅっと目を閉じて、それでも前に進みます。

 ユウさんの魔法は、特殊な魔法。魔法を打ち消す魔法。人に向けて使えば、生体維持に必要な魔力まで奪われてよくない影響を与えてしまいます。この魔法をわたしに向けて使っているわけではないとわかっていますが、それでも結界破りの余波があるのでしょう。気分が悪くなって、そのまま地面に膝をつきたくなりますが、なんとか堪えます。わたしはユウさんを信じてあげると示してあげたいですし、こんな歩いているだけで倒れているようでは年上として沽券にかかわります。

 ああ、でも気持ち悪い。


 ……。

 ……おえ。


「おい」

「おえ?」


 いつしか、固く目を閉じて歯を食いしばっていたようです。ユウさんに声をかけられて、目を開ける。

 彼は相変わらずの仏頂面で、わたしの顔を覗き込んでいました。


「おえってなんだ。気分悪いのか、ユイリ」

「大丈夫です。……あの、いぇーい、って言ったんですよ」

「絶対嘘だろ」

「はい……。あ、でも、もう大丈夫です」


 そんな話をして、はっとしてあたりを見回す。

 周りには、生徒たちはいませんでした。青い光の向こうに、驚いた顔が並んでいるのが見えました。

 あたりはしんとしています。

 それは当然でしょう。

 さっきまでの作戦が失敗して、終わったと思っていたさなか、唐突に、音もなくわたしたちは結界破りを成功させていたのです(わたしはお供ですが)。


 ユウさんもわたしと同様、あたりを見回していました。

 中央通り、周りを結界に囲まれたこの時期に内側から外を覗くことは、通常、新入生として中を通る時の一度限りしかありません。ユウさんは入学時にこの中を通ることはありませんでしたので、これでやっと、他の新入生と同じ経験ができたということです。そしてわたしは、二度目。結界破りの成功者にしか許されない特権です。


「やりやがった……」


 呆然としている結界の外側の誰かが呟きました。それが、端緒。


 …うわああああーーーーーーっっ!!


 地面が揺れるくらいの歓声。

 私は驚いて辺りを見回す。

 驚き、羨望、狂喜乱舞。様々な視線がわたしとユウさんに向かって飛び込んできた。刺されるくらいの大量の視線。そして歓声。


 それを受けて、さっきまでぎゅうぎゅうになって通りの外側にいたことを思い出し、自分がこうもあっけなく結界を破って大通りの中に入り込んだことを実感する。

 ユウさんのおまけとはいえ…わたしも、この春誰もなしえなかった結界の中に入っている。

 こうして声援を受けて、その感動がどんどん強く湧き起ってきました。


 すごい…。


「すごいっ」


 わたしは感動して、ぎゅっとユウさんを抱き寄せた。


「すごいっ、すごいですっ! 誰もできなかったのに、本当にできるなんて!」

「おい、馬鹿、くっつくなっ」

「あっはっはーーー!」

「おまえ落ち着け…」

「…はっ」


 慌てて、注目を浴びていることに気付いて体を離す。

 うぅ、衆目の中でとんでもないことをしてしまいました…。


「こ、こほん」


 気持ちを落ち着けます。

 ふう、少し自分を見失ってしまいました。でもそれでも、まだまだ興奮冷めやりません。


「喜んでいるところ悪いが、これからが本番だ」

「え?」

「その花束を、渡すんだろう?」


 そうです。

 わたしは同じく結界の中、道の向こうを見ました。いつの間にか、王女様を乗せた馬車は傍まで来ています。王女様は中に戻ってしまったようです。

 そして、その御者台に座るのは……


「ウサコさん!」


 思わず、彼女の名前を呼びます。

 が、周りの声援がうるさくて、彼女にそれは聞こえなかったようです。それでも顔見知りのわたしの存在には気付いているようで、ウサコさんは驚いた顔をしてそこを降り、近くへとやってきます。


「あれが王女か?」

「違いますよ。というか守備隊の鎧着てるでしょ。あの人は第三守備隊の隊長のウサコさんです」

「王女は、中か」

「そうですね。わたし、ちょうどウサコさんとは顔見知りなので事情を説明しますね」


 わたしはそう言い、ウサコさんのところに向かう。


「ユイリ」

「ウサコさん」

「……驚いたわ。まさか今年の結界を破る生徒がいるなんて。あなたがやったわけじゃないわよね」


 さすがに、呆然としているようです。


「いえ、違いますよ。ほら、この間送った手紙にも書いたわたしがお世話にしている人じゃいるじゃないですか。あの人です。ユウさんです」

「ええ。え? 男?」

「あ、はい」


 男性の世話をしている、というのがなんだか気恥ずかしくて性別は書かなかったですね、そういえば。

なんだかウサコさんが睨むようにしてユウさんを見ています。その視線に気づいたユウさんも睨み返す。

 え? 険悪? あの、ケンカしないでほしいんですが。


 わたしはウサコさんに、早口に計画のことを説明します。花束を王女様に渡したいという計画で、危害を加えるつもりはありませんので、やってもいいですかね?

 それに対し、ウサコさんはまあいいんじゃない、といつものような投げやりというか適当な返事をよこしてきます。


「なら、呼んできなさい」


 ウサコさんはそう言うと、馬車のほうを振り返り中から顔をのぞかせている少女に頷いてみせます。その子は不安そうな表情でしたが、ウサコさんの合図を受けて少し表情が和らぎます。王女様とは別の人ですね。


「あの子はニーム。セレスティン王女の侍女よ。話の分かる子だと思うから、頼んでみなさい」

「あ、はい」

「私はあの子と話してみるわ」

「ユウさんと?」

「あなた、手紙で苦労してるって書いていたじゃない。一言言っておくわ」


 そういえば書きましたね。そういえば返事も来ていないですけど。


「あのー、穏便に、どうぞ」

「向こうの出方によるわね」

「……」


 大丈夫かなあ、などと思いながらわたしは馬車に近寄ります。


「こんにちは」


 小柄な少女です。

 ニームさんは若干の警戒をにじませて、挨拶をしてくる。

 わたしは彼女に挨拶を返し、ウサコさんと顔見知りであり、危害を与えるつもりもなく、純粋に歓迎の気持ちを込めて花束をお持ちしたことを説明します。

 始め不審げだった様子でしたが、ニームさんは説明を聞いてほっとしたような表情になりました。そして、なんだか面白いものでも見つけたような無邪気な顔になる。


「お話は分かりました。お取次ぎいたしますので、少々お待ちくださいませ」

「はい。すみません」

「いえ、いえ」


 にこっと笑って、馬車の中に入っていく。

 少しして、中から制服姿の王女様が現れました。

 その姿を見て、周りの生徒たちは大盛り上がり。地面が揺れるというほどに、あたりに絶叫が響きました。

 びっくりするわたしですが、さすが王女様、冷静な様子であたりをちらりと見やると、しずしずと上品な身のこなしでわたしの目の前までやってきます。


 はっ、思わず気品に見とれていて、棒立ちしていました。ですが、礼を失しているわたしの態度を特に気にした様子もなく、彼女はすぐ手前までやってくるとかすかに首をかしげます。

 実物を至近距離で見ると改めて分かりますが、かわいい。王族だからといって自動的に容色に優れているというものではないはずですが、はっと目を引く可憐な人です。さすが、聖女と呼ばれるお人です。


「お話はうかがっております」


 セレスティン王女が口を開き、わたしはやっと動き出します。とはいえ頭を下げる程度のものですが。


「どうぞ楽にしてください。わたくしたちは同じこの学園の生徒なのですから」

「は、はい。ありがとうございます」


 わたしは花束を渡そうとして、動きを止めます。わたしがこんないいところをいただいてしまうなんて、ないですね。すべてはユウさんの功績です。なればこそ、ユウさんがこの役を負うべきでしょう。


「この学園を代表してと言うとおこがましいのですけれど、入学をお祝いしたいと思いましてささやかな贈り物を用意しました。ですが、わたしはお渡しする適任ではありませんので、あの、少しお待ちいただいてよろしいでしょうか?」

「ええ、構いません」

「あの、あなた方はあの結界を破ったんですよね? すごいですっ」


 お供の方のほうが、うずうずした様子で声をかけてくる。


「ニーム……」

「あ、申し訳ございません。つい……」


 なんだか、殿上人というような印象が崩れます。でも、当たり前といえば当たり前ですね。彼女らもわたしと同年代の子なのですから。


「はは、わたしは横にいただけで、やってくれたのは全部彼のほうですけれど」


 少しだけ緊張がほどけて、わたしは雑談めいた調子でユウさんのほうに視線を向けます。

 その先で、ユウさんとウサコさんが何やら言葉を交わしている様子が見えます。


「……」


 いえ……。

 というか、なんだか、口論しているような感じがするんですが。


 そういえば、さっきウサコさんは彼に文句言ってやる、というようなことを言っていました。ですが、ユウさんがそれで素直に頭を下げるような展開はあり得ません。

 わたしは王女様に声だけかけて踵を返し、険悪な雰囲気になっていたユウさんとウサコさんの間に割って入る。


「あ、あのっ、どうしたんですか一体っ」

「どうしたもないわ」

「こいつがケンカを売ってきた」

「は?」

「あ?」


 身構える両者。


「ちょ、ちょ、落ち着いてくださいねっ」


 どうも詳しく話を聞いてみるとわたしの処遇が焦点になって険悪な空気になったようですが、なんだか、それ以前にふたりの波長が合わないような印象があります。

 まあ、どっちも唯我独尊な感じの人たちですからねえ……。


 そうこうしている内に、結界の外側の生徒たちが囃し立てるような声をかけてきます。

 そうです、ついに成功した結界破り、彼らが求めているのはフィナーレです。この大騒ぎを完結させるほど、説得力のある終幕。

 ああたしかに、この場合はウサコさんの存在がボスみたいなものですね。周りからも「やっちまえ!」的な声援がわあっと寄せられています。

 ウサコさんはそれに対してイライラした様子で舌打ちをします。怖。ウサコさん、怖いです。

 声援を受けて、二人の間の敵愾心が煽られているのがすごくわかる。


「ユイリどきなさい。この一年調子に乗りすぎね。なんだか腹が立ってきたわ」

「それは俺のセリフだ。おいユイリ、おまえどいてろ。邪魔になる」

「は? あなた何様よ」


 なぜかわたしへの暴言にウサコさんが怒る。まあ暴言というほどのものでもないですけど。


「なんでお前が出てくるんだよ。黙ってろ」

「……」


 ウサコさんは黙ってわたしを脇に寄せ、腰に結わいていた木刀を取り出しました。一緒に佩いていた真剣のほうを取り出さなかったあたりまだ冷静……なんでしょうか。

 ユウさんは黙って距離を取り、同じく木刀を構えます。


 剣を構えて向き合う二人。

 えーと、これは……


「わ……」


 わああああーーーーーーーっ!!! というわたしと周囲の声が同時に湧き起りました。


 ただし周りはいよいよ最終決戦というような歓声ですが、わたしの方は最悪なことになったという悲鳴です。

 わたしは慌てて逃げ出します。後ろの方で二人が剣を打ち合っているようですが、それを振り向く余裕もない。


 戦いが始まってしまいました。

 ウサコさんは同年代では並ぶ者がないと言われるくらいに並外れた強さで有名です。対してユウさんも、これまで涼しい顔して戦いを制する場面しか見たことがなく、土に手をつく印象はありません。

そんな戦いを間近で見るのは危なすぎます。


 わたしは慌てて王女様の方へと逃げ戻ります。

 王女様の手前にはニームと名前を呼ばれていた先ほどの小さな女の子が庇うように立ち、戦いの趨勢を見守っていました。わたしはふたりの横に立ち、やっと戦場の方を見てみる。

 どうやら、勝負は互角のようでした。距離を取りながら打ち合っていますが、なかなか決定打には至っていないようです。


「あなた方は、何者でしょうか」


 冷たい声音に顔を向けると、ニームさんが片手をこちらに突き出してじっとわたしを見据えていました。わたしの方へと向いた腕。見てみると、その腕には刺青のような文様が刻まれていて、かすかに光を帯びて明滅していました。

 体に刻んだ魔方陣。それは呪縛と呼ばれる魔法でした。

 実物は初めて見ます。

 その魔法は捨て身の攻撃を示します。腕を一本犠牲にして、わたしを吹き飛ばそうと突き出された腕。ですが、彼女のその腕は恐れるように震えていました。そしてその目は、迷ったように揺れていました。

彼女らから見れば、わたしたちは怪しい相手かもしれません。さっきは挨拶と言いましたが、いざ目の前でユウさんとウサコさんが戦い始めたら「実は暗殺者だったのか?」などと思っても不思議はありません。こんな弱そうな暗殺者、いるわけないですが。

 ですが、見てみると、王女様の方は真っ青な顔をして見るからに怯えています。えぇー、何の武器も持っていないわたしに対してそこまで怖がりますか……という気にもなります。ニームさんの方も、怖がって虚勢を張っている様子です。


「あ、あの、違うんです」


 かくいうわたしも、さすがにこの状況で落ち着いてなどはいられません。しどろもどろにユウさんとウサコさんがガン付け合ってかつ周囲に煽られてケンカを始めた……などという説明しているだけで情けなくなる状況説明をします。

 誠意が伝わったのか、どうやらおふたりはその話をある程度は受け入れてくれたようで、警戒を緩めてくれます。


「あの、なんだか、大変ですね」

「……」


 王女様が思わずというようにかけた素の感想に、なんだかわたしはため息をついてしまいます。

 大変ですよ、ええまあ。

 なんででしょう、王女様の方から「わかります」というような同情の眼差しを感じます。

 主人がそんな調子だからか、ニームさんの方も「まあいいか」というような様子になっていくのがわかります。そんな簡単に警戒を緩めていいんでしょうか。わたしに彼女らを害する実力も度胸もないことを見抜いているだけなのかもしれないですけれど。


 ともかく、視線をまた戦いに戻す。


 初めは剣の打ち合いでしたが、今では距離を取ってウサコさんが攻撃魔法を繰り出してユウさんを攻めたてているようです。ですが、それらを全部かき消すユウさん。そんな様子に、周囲の生徒は大盛り上がりです。秋に開催される武闘会というものがありますが、なんとなくそれに似た空気ですねえ。


 でもそれもそうかもしれません。

 魔法をかき消す、などという芸当はなかなかお目にかかれません。相手の魔法にぴったり合わせた魔法で相殺する、という高等技術らしいですからね。ユウさんの場合はそういうのじゃなくて無理やりかき消しているだけなんですけど、周りのうるさいこの場では、そこまで冷静に観察している人は稀でしょう。

ウサコさんが片手をかざすと、その目の前に何枚も何枚もたくさんの魔法陣は輝き現れる。

 いわゆる魔法の重ね掛け。

 重ねる数が多くなればなるほど、扱いが加速度的に難しくなると言われる高等技術のはずですが、いとも簡単にそんなことをやってのける彼女はまさに天才です。ウサコ・メイラーといえばこの圧倒的、理不尽なまでに強力な多段魔法。その魔法は山をも削ると言われているもの。

 ……って。


「ウサコさーーーーん!!」


 そんな魔法が直撃したら、ユウさん死んじゃいますよー! 跡形も残りませんよーっ!

 慌てて彼女の名を叫びますが、ウサコさんはわたしの言葉にちらりと振り返ると軽く手を振って応えます。いえ声援じゃないですからこれ!

 などと思っている間にも、魔法は完成して光の奔流がユウさんに襲い掛かる!

 結界の外で声援を送っていた生徒たちも一瞬息を呑むような圧倒的な輝きが弾丸のようにユウさんに迫る。ですが、当のユウさんは棒立ちのようで逃げようともしません。

 その光がそのままユウさんに直撃する、その瞬間、わたしは思わずぎゅっと目を閉じて顔をそむけてしまいます。ですが、すぐさま湧き起る圧倒的な歓声に顔を上げてみると、ユウさんはそのままの体勢でその場に生きていました。耐えたのです。


「すごい……」


 ほう、とつぶやく隣の王女様。


「あの攻撃魔法、とても無傷でやり過ごせるようなものじゃないと思うんですけど……さすが結界破りをしたお方」


 ニームさんの方も、わくわくした様子で観戦モードですね。

 わたしの方は、見ていてはらはらしてしまって、もうぐったりしてきてしまいます。


「今、どうやって防御したんですか? 結界を張ったような感じもなかったですし、あれを相殺するのは普通に考えて無理ですし」


 ニームさんが不思議そうにわたしを見てくる。


「ええと、その……」


 正直に彼の能力を言っていいものか、よくわかりません。

 ですが、その様子である程度のことは察したようです。


「あ、そうか。あれは普通の魔法じゃなくて……」


 そう、どう見てもあれは普通の魔法じゃありません。普通の魔法では、あんなことはできません。

 ニームさんと同様、ウサコさんもユウさんが直接干渉魔法の使い手であることに気が付いたのでしょう、距離を取って魔法を放っていても無意味ということにわかったとでもいうように木刀を構える。

 ユウさんには魔法は基本効かないようですので(よく知らないですが)、物理攻撃するしかない、という結論でしょう。

 ユウさんも構えて、ウサコさんを迎え撃つ。

 魔法で身体能力を上げてユウさんに打ち掛かりますが、ウサコさんはどうにもやりづらそうな様子です。周りの生徒たちはウサコさんが不調なのかと考えるかもしれないですが、わたしにはわかる。

 ユウさんがウサコさんの身体能力向上の魔法さえも打ち消して対応をしているのでしょう。ウサコさんも、それにレジストしながら魔法を維持しているようです。

 先日、多くの生徒がユウさんの直接干渉魔法に抵抗もできず屈していたのと比べると、対抗できているウサコさんはかなり特別なのでしょう。ユウさんもそこまで対抗されるとは思っていなかったようで、焦った様子が見て取れる。

 ううん、互角な感じなんでしょうか。よくわからないです。

 周りの声援はおおむねユウさん贔屓のようです。まあ、この状況になってしまえばそれも当たり前ですね。

 そんな後押しの効果もあってか、徐々にユウさんが押し返し始めます。

 というより、ウサコさんの動きが覚束なくなってきた印象です。いよいよユウさんの魔法が功を奏したのでしょうか、と思っていたその時、ウサコさんの攻撃をかわしたユウさんが、その脳天に木刀を打ち下ろしました。

 がん、とここまで音が聞こえてきそうなくらいな攻撃をもらって、さすがにウサコさんは足をつく。さすがに魔法で防御しているので致命傷というわけでもなさそうですが、それでもこれにて、勝負あり。

周りの生徒がわきました。


「うおおおおーーーーっ!!」

「やったーーーーー!」

「すげぇ、勝ったぞ!?」

「あの男、何者だ!? 見たことない奴だぞ!」

「いや、新聞で顔が載ってたよたしかっ!」


 思わず顔をしかめてしまいそうなくらいな声量。


「すごい……」


 王女様がそんな様子を見て、ぼんやりと呟きます。


「あの方は守備隊の隊長で、若い世代では敵もないほどの実力者だとうかがっていましたが……」

「はい。さすがはイヴォケード。上には上がいるんでしょうか」


 わたしと同じように、ふたりとも単なる観客として先ほどの戦いを見守っていたようです。勝負がついて、ほっと息をついてそんな感想を漏らしています。

 わたしは慌てて彼らに駆け寄りました。


「ユウさんっ!」


 うずくまるウサコさんを見下ろし、肩で息をするユウさんの側へ。彼は疲れた顔をしていましたが、わたしの姿を見るとふっと口の端を緩めました。珍しい表情です。やっぱり、思いっきり体を動かして勝利を掴んだから、充実した気分なのでしょうか。


「あの、怪我とかはないですか」

「問題ない。それより」


 彼はそう言い、視線をわたしの顔から王女様の待つ方へと向けます。


「その花を渡すんだろ」

「あ、はい。ですが……」


 わたしは手に持っていた花束をユウさんに渡します。熱気にあてられ、ぎゅっとずっと握りしめられ、ややくたびれた印象もある花束。そばで見ていただけのわたしに、それを渡す資格があるとは思えません。

 わたしは主役ではない。

 主役は、ユウさんと王女様です。


「おめでとうございます。これは、ユウさんが渡してあげてください」

「俺が? ま、いいけど」


 素直です。

 まあ、周りの生徒たちの期待する空気がかなりひしひしと感じられますから、彼もそれを察しているのでしょう。

 ユウさんは受け取った花束を乱暴に肩に担ぐような格好で、さっさと王女様の方へと歩いていく。それを視界の端で見て、わたしはウサコさんの様子をうかがいます。


「ウサコさん、大丈夫ですか」

「痛いわ」


 しゃがんで顔を覗き込むと、忌々しげな顔をしていたウサコさんと目が合う。目が怖いです目が。


「でも、大した傷じゃないわ。それより、ねぇユイリ。あの子、新入生なのよね?」


 言いながら、ユウさんの方を振り返る。


「あ、はい。そうなんですよ」

「……年上以外に負けたの、初めてだわ」


 悔しそうに唇を噛みます。というか、同年代に負けなしというのがむしろ異常なんですけど。


「惜しかったですよ」

「途中で気付いたわ。直接干渉魔法ね。あんな厄介な使い方されたのは初めてよ」

「厄介?」

「私の魔法を妨害してきて、レジストしようとしたら妨害を解除して、気を抜いたら妨害。嫌らしい戦い方ね」


 どうやら、直接干渉魔法を使ったり使わなかったりを切り替えて、相手にペースを握らせなかったということでしょうか。


「それも言い訳ね。あなたに、格好悪いところを見せたわね……」

「そんなことはないですよ。ウサコさんは、いつでもカッコいいです」

「……ありがとう」


 そこまで話して会話を止めて、わたしたちはユウさんと王女様の方を向きます。

 今ちょうど、なにか言葉を交わしているようです。そして、ユウさんが何かを言いながら花束を手渡しました。

 ここからではユウさんの表情も見えませんが、それでも、彼がなんて言ったのかはわたしにもわかりました。


 不安定な政情に追われてこの学園へとやってきた隣国ヴェネトの王女様。きっと不安でいっぱいな彼女を迎えるに、言うべき言葉はひとつです。


「ようこそ!」


 わたしは、花束を持った王女様に向かってそう叫ぶ。周りの生徒の声にかき消され、その声は届かなかったかもしれませんが、それでも、気持ちが届けばそれでいい。


「ようこそ、イヴォケードへ!」


 そしてその言葉は、ユウさんにも一緒に向けられたものでした。

 ようこそ、ようこそ。

 この学園は、イヴォケード。

 天才、秀才、異才が集い、知と技を競う、世界に誇る最高学府。

 多くの生徒が事情を抱えて集まる場所で、寄り添い、競い、笑う場所。


 わたしはユウさんが抱えている事情は知りません。

 ユウ・フタバ。希少な魔法を使える、この学園の校長候補生。

 わたしは、わたしたちは、そんな彼を歓迎します。


「ようこそ、イヴォケードへ!」

「入学おめでとう!」

「歓迎するのじゃーっ!!」


 周りの生徒がしゃにむに叫ぶ。

 嵐のような、祝福の言葉。そんな渦中の只中で、王女様は花束を抱えてはにかんで笑いました。ユウさんはわたしの方を振り返り、苦笑するように口の端を緩めました。


 沸き立つ周りの空気。

 それに応えるかのように、ユウさんは不敵に笑って腕を振り上げました。

その瞬間。空気が震えて、光がはじける。


 わたしたちの周囲を覆っていた薄い膜……結界があっという間に消え去りました。

 結界のあった外枠に押しかけていた生徒たちは一瞬何が起こったのか理解できなかったようだけど……すぐさま、声を上げて中央通りに駆け込んでくる。

 今日一番の、大歓声。

 私は押しかけてくる人並みに呑まれてもみくちゃになりながら、苦笑するしかないです。

 ……結界の全解除、きっとユウさんの仕業です。ひとりでまさか、こんなことができるなんて。

 こんな大騒動を起こすなんて、彼は彼なりに、もしかしたらこの学園への挨拶なのかもしれない。


 中央通りの、大騒動。


 ウサコさんは慌てた様子で王女様の護衛に向かい、空の守備隊は慌てて静止にかかり、中央に入り込んだ生徒たちは「自分も結界破りをした!」と好き勝手に名乗りを上げての大騒ぎ。

 まず間違いなく、この学園にユウ・フタバの名前をとどろかすことになるであろうこの結界破り。きっと傍にいるわたしの元にも、騒ぎの余波はくるでしょう。

 でも、わたしはそんな未来のことなんて考えることもなく、ただただ、ユウさんに尋ねてみたかった。


 ユウさん。

 学園生活は、楽しくなりそうですか?


 あの不敵な表情で、今なら、彼はなんて言うことだろうか。

 だけど今はそれを聞いてみる余裕なんてありません。

 わたしは無茶苦茶になった大通り、学園生の大騒動の中心で、天に届くほどに笑い声を上げていました。

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