セレスティン/リーベルカ
ヴェネト王国とイヴォケード魔法学園は隣接しているが、交通の便は決して良くはない。その間には大平原と呼ばれる不毛の大地があり、交通を阻んでいる。通常は転移魔方陣を用意して輸送の便を整えたり空路を整備するが、魔力のない大平原が絶縁体の役割を果たし、これらの方式は使えない。
そのため、迂回するように別の国を経由しての入国という手段をとることが多い。
しかし、直通の陸路も存在している。
その道は王国の国境沿いの町から魔法学園の正門まで一直線で伸びており、日々乗合馬車が行き来している。転移魔方陣や空路を使用するには相応の金額がかかるため、先立つもののない人間はこの道を使うことが多い。小麦や塩を中心とした日持ちのする食料も、主にこの道を使用して輸入される。
この道は、王の道と呼ばれている。
煉瓦で舗装されたその道を、壮麗な一団が進んでいた。
中央にヴェネト王国の王家の紋章を冠した豪奢な魔道馬車が位置し、その周辺を近衛の兵が取り囲んでいる。馬車とはいっても動力はほぼ魔力に依っているのでかすかな揺れしかない代物だ。周囲の兵たちは箒と駆け足が半々程度。この草原は土地の魔力がないため魔力の損耗が激しく、並走する別の魔道馬車の人員と適時入れ替えたり、魔法石で魔力の補給をして移動をしている。
兵士たちの表情はそこまで緊張したものではない。戦争中とはいっても戦線から離れたこの場に帝国軍が現れる可能性はない。ある程度の緊張感は持ちつつも、そこここで雑談が交わされている。
馬車の外から漏れ聞こえる兵たちの話し声を聞きながら、ヴェネト王国のセレスティン王女は馬車の中でじっと座り物思いにふけっていた。王都を出てからしばらくは久しぶりの外出がもの珍しく、窓から外を覗き込むことが多かった。だが、この平原に入ってからは変わり映えのしない景色ばかり。今では時折視線を向けるくらいなもの。
その向かいに座るのは彼女の侍女であるニーム。幼馴染のような存在の小柄な少女。彼女はぼうっとしていられる質ではないので、外を眺めたり、持ち込んでいる本や教科書をぱらぱらと読んだり、幌から顔を出して御者と会話をしたりとせわしない。
セレスティン王女はそんな様子に時折目を移すと、微笑ましげに口の端を緩めた。見知らぬ場所への旅立ちにセレスティンは不安を強く抱いているが、ニームは希望を持っているようだった。
セレスティンはそんな気質の違いを、少しだけ羨ましく思った。彼女自身、学園生活に希望を持って楽しめるなら楽しみたいものだった。だがそれでも、住み慣れた王都を後にして行ったこともない土地で暮らすことになり、しかも顔見知りはニームだけという今後を思うと、憂いは晴れなかった。
戦時中にこんな小さなことで悩むなど、贅沢なものだ。そうは思っても、それで気持ちが晴れるものでもない。
「姫様、そろそろ学園が見えてくるそうですよ」
外の御者と会話をしていたニームが戻ってきて、そう伝える。その表情はうきうきとしていて、普段よりも子供っぽい表情に見える。
「そう」
その言葉に答えて、学園が見える側ではないと知っていても反射的にちらりと窓の外に目をやる。相変わらずの平原。もう丸一日以上は同じ景色を見ていて、うんざりさせられる景色だった。
こんな景色が続く中、唐突に世界最大の学園が姿を現す様はきっと壮観だろう。そう思っても、彼女の心は浮き立ちはしない。
そんな主人の様子を見て、ニームは困ったような顔をする。普段から活発な印象はないが、王都を出てからというもの気分が塞いで改善の見込みが見られない。精神的に強いわけでもないのに、気負いやすい性格のセレスティンのことを思うと心配でいたたまれなくなる。
なにか、気分転換になるものでもあればいいけど……ニームはそう思って馬車の中を見回して、ちょうどいいものが目についた。壁に掛けられたイヴォケード魔法学園の指定制服。
「そういえば、姫様、学園に着くまえに制服に着替えますか? 学園に着いたらこの馬車は降りて、別の新入生用の馬車に乗り換えるそうですよ。他の新入生がどうしているのかはよく知らないんですけど、敷地内に入るんですから制服にしておいたほうがいいんでしょうか。でも、この恰好のままのほうがよろしいですか?」
セレスティンは比較的簡素な淡い色合いのドレスを着ている。ニームの方はヴェネト王国の侍女が着用している指定服装。
学園生に顔を見せる機会もあるだろう。ドレスのほうが映えるだろうか、と少し悩む。
「ええと、そうね、せっかくだから制服に着替えましょう」
言いながら立ち上がるセレスティン。
学園制服の方が、一学生として入学する意思がよく見えるだろう。
「はい、わかりました」
答えて、窓に覆いをかけるニーム。
「ニームが制服を着ている姿は、まだ見ていないわね」
「そういえばそうですね。私も着付けで一回着ただけですから」
「あなたにはよく似合いそうだわ」
「姫様こそ、よくお似合いでしたよ。それにこれからは毎日制服姿なんて見ることになります」
「ええ、そうね……」
セレスティンはかすかに微笑み、掛けてある制服を手に取ると着替えを始めようとする。
だが、外からの呼び鈴があり、その手が止まった。緊急事態、とでもいうような荒々しい鳴らし方ではない。ニームが応対に出て、すぐに興奮した様子で戻ってくる。
「姫様っ」
「ニーム、どうかしましたか?」
「はい、学園が見えてきましたっ」
「ああ、それを教えてくれる合図だったんですね」
「姫様も見てみてくださいっ」
「そうね……」
みだりに外に出るのは好ましくはないが、見咎められるような場面でもないだろう。
ニームに促されて、御者台へと出る覆いをくぐる。
思いのほか眩しい陽光に目をつむり、薄目を開けて前を見ると、王女はすぐにその眼を見開いた。
地平線、うっすらと連なる山々の前に、その学園があった。正面に見える威容は中央校舎。遠目にも美しい防壁。
「これは、姫様。もうしばらくすれば、到着しますよ」
御者の男が立ち尽くす王女を見やって、にこりと笑う。セレスティンはそんな言葉も聞こえぬように、じっと眼前を眺めていた。いろいろな思いが去来する。
不安に決意に、少しの期待。これから数年は過ごすことになる場所。
そんな時。
不意に、学園の敷地内から上空にひとつの魔法が撃ち出された。光弾。それは、音もなく空高くへと昇り、やがて光となって弾けた。
それは、魔法花火ともいわれる転写魔法。通常は火薬の花火と同様に模様を撃ち出すことが多いが、中空で輝くそれは違った。模様ではなく、文字だった。
『入学おめでとう!
ようこそイヴォケードへ!』
その文章は、遠くからも十分判別できるものだった。
セレスティンは呆然と空へと輝く一文を見上げる。周辺を歩いている兵たちは感嘆の声を漏らす。隣のニームははしゃいで小さく飛び跳ねる。
「わ、わっ、すごいですねっ。転写魔法で文字の判別ができるレベルなんて、そうそうできないですよ。しかも文章ですっ」
「いやいや、それもすごいですけどね、何よりすごいのは学園守備隊の防御をかいくぐってあれを撃ち上げたことですよ! 絶対に、あれは校則違反ですよっ」
御者が興奮した様子で答える。彼もかつては、この学園で青春を送った過去があったのだろう。だからこそ、これが容易ならざることであると理解ができる。
「こ、校則違反なんですか?」
「はい、ニーム様。ですが心配いりません。あの学園には罰則のない校則違反というものが存在しますので。あれは校則違反ですが、犯罪行為ではないですよ」
「なんだか変な話ですね。さすがはイヴォケード」
「あれだけ大きな魔法が撃ち出されるとなれば、相応の魔方陣を用意しないといけないですが、それを守備隊から隠し通すというのは至難の技ですよっ」
「……」
セレスティンは、そんな言葉を半ば聞き流しながら、空の文字を眺めていた。
入学おめでとう、入学おめでとう。
ようこそ、ようこそ。
その文面が、頭の内に何度も響く。今この瞬間は、その魔法の難度より、ただただ単純に、そこに込められた気持ちが心に染み入った。
現在、彼女の祖国は隣国との戦争中だ。兄は戦場に出征していて、戦自体の旗色も悪い。
そこから目を背けるようにしてこの学園へと入学する罪悪感、危険から遠くへと移動する安堵。父から託された王族に連綿と続く使命に対する自負と不安。自らの立場に対する責任。
それら全てが今の瞬間だけは溶けて消え、彼女と同様にこの文面を見上げている学内の新入生たちと同じように自然と表情はほころんでいた。
あの空中の文言は、新入生である自分にも向けられているのだ。
「ニーム」
「あ、はいっ」
呼びかけられて主の方を向いて、ニームは目を見開く。塞ぎがちだった彼女の表情は、滅多に見られない自然な笑顔だったから。
「制服に着替えをします。中に戻りましょう」
「わかりましたっ」
馬車の中へと戻る前、セレスティンはもう一度学園を振り返る。空へと撃たれた魔法に呼応するように、学内のあちこちから小規模な魔法花火が撃ち上げられていた。それを眺めてにこりと笑い、彼女らは馬車の中へと戻った。
「大したものね」
学園の中央通り。ひとりの女性が空に撃ち出された文字を見上げて、その魔法の精度に感心したように息をつく。
顔をすっぽりと覆うようなフードといういで立ち。傍目には怪しげな格好であるが、同じような姿の人間もそれなりにいる。
首からは見えるように入校許可証もぶら下げているため、誰何されることもない。
リーベルカ・オリガ・スーラ・ティル・イリヤ=エミール。
それはイリヤ=エミール帝国の第六皇女にして、姫将軍と呼ばれ軍の一部を率い、帝国内で絶大な人気を誇る女性の姿だった。
「はい、凄まじいです」
帝国内であれほどの精度の魔法陣魔法を使える人間は五人もいないでしょう、と呟く傍仕えの少年。皇女の見出した秘蔵っ子の軍師見習いであるシン・ライラック。
ふたりは帝国が勢力を拡大するうちでいずれ障害となるであろうこの学園の調査のため、ほとんど護衛も付けずにこの場所を訪れていた。
多くの人間が出入りする春のこの時期、侵入は容易い。普通ならば皇帝の親族がこうも自由に動き回ることはできないが、リーベルカ皇女はすでに皇位継承から外されている。それも、政治よりも戦いの方が性に合っていると申し出て自ら時期皇帝争いを退いた身だ。
それでもこんな勝手をしていると周囲にいい顔はされないが、それを気にするような性格ではない。
これといった目的もなく中央通りの人ごみに紛れていたが、そこに空への転写魔法が撃ち出された。周囲の生徒たちは、それに歓声を上げている。じっと文面を見上げて微笑んでいるのは、この学園の新入生たちだろうか。
そんな様子に、リーベルカは少し羨ましい気持ちになる。彼女自身、学校に通うという経験をしたことがなかった。だが、こんな騒がしい日々を送る青春もあるものかと新鮮な気分になる。
「なんだか、今日はいつもよりも学内の雰囲気がざわついているような印象があるわ」
「そうですね。やはり、セレスティン王女がおいでになる日だからでしょうか」
今日のふたりは敵国ヴェネトの王女の姿を見物しにこの大通りに来ているところ。暗殺など血なまぐさい理由でもなく、単純に見物だ。王女がどんな様子で入学してくるかを見てみたい、という興味本位が大きい。
それにそもそも、この学園を訪れている最大の理由はイヴォケードを包む結界の研究である。
今の時期にしか見られない中央通りの結界は、見るたびに感嘆する他ない。この結界はできて百年は経つものだが、未だにこれを超える強度の結界など存在しない。
近年の魔法の進歩は目覚ましいが、この技術革新以前の産物はそれでも世界最強を誇っている。結界魔法がそもそも、土地の魔力に大きく影響される技能なのだからそれは致し方ないことであるが、上昇志向の強い帝国にとってはずっと超えるべき好敵手として捉えられている。
「セレスティンか。顔を見るのは久し振りね」
リーベルカ皇女は懐かしげに口の端を綻ばせる。現在は戦争中だが、開戦前は関係が悪かったとはいえ国交があった。その中で、両者は何度か顔を合わせたことがあった。
そしてなんとなく、彼女には感じるものがある。
「セレスティン王女は聖女とも呼ばれて人気があるとか。それに、治癒魔法については王国始まって以来の天才と噂されていますね」
「魔法の才能については見たことがないから知らないわ。でも、噂はたしかに有名ね。こちらとしては、その天才が戦いの技能でないのがありがたいわ」
治癒魔法はあくまでも個人にかける魔法。戦争で大局に影響を与えるようなものではない。だが、使いようによっては人々に大きな希望を与える力であろう。
魔法の才能という点に関しては疑うべくもなく天才。現在リーベルカが人々を導いていると同様、あるいはそれ以上の存在として台頭してくる可能性がある。
だが、それは可能性の話だった。
「でも、あの子には野心というものがないわ。人に言われたことをしているだけ。放っておいても害はないでしょう」
「あ、そんな性格なんですね」
「ええ。人の上に立つような器はないわね。まあ、うまく担ぎ上げられれば別かもしれないけれど」
あけすけな物言いに困ったように周囲をうかがうシン。幸い、周囲の生徒に聞かれているような様子はなく胸をなでおろす。
「でも、それはかえっていいことかもしれないわ。あんまり野心家だと将来併合した時に排除しなきゃいけなくなるから。個人的にはあの子のことは嫌いじゃないから、切り捨てたくはないのよね」
「あ、あの、そういうことはあんまり言わない方がいいのでは」
「相手があなただから言っているのよ。私の言うこと、他に漏らしたりしないでしょ?」
「もちろん、しませんっ」
慌てて答える。
シン・ライラック。彼は皇女に見出されるまでは士官学校で不遇の日々を送っていた。こうして若くして一軍の指揮官の補佐をできるということ自体、奇跡のようなことなのだ。主を裏切ることはできない。
だが前提として、こんな往来で危険な発言はしてほしくなかったが。
「それを信頼して言っているのよ」
「はい、わかりました」
「まあ、マクガイル将軍の意向によるけどね」
「まあ……そうですね」
その名を口に出すと、ふたりとも揃って苦笑交じりの苦い顔をした。
マクガイル・グウェイン・ヴィラ・エル=シド。
リーベルカの指揮する軍の軍師にして老練な将軍。リーベルカの率いる一軍で皇女はあくまで象徴であって、実質は将軍の意向が大きく影響しているのが現実だ。
リーベルカへの忠誠心は高くうまく折り合いをつけてやってはいるが、いずれは全ての采配を自ら振るいたい皇女としてはありがたくも煙たい存在である。
「なんだか物々しくなってきたわね」
空に目をやったリーベルカは、箒に乗って旋回する守備隊士の姿を見やって話を変えるようにつぶやく。先ほどの空へと打ち上げられた魔法に呼応して、その数が増えている。
「はい。やはり、この結界が今日までだということですから、あれを警戒しているのでしょう。もちろん、セレスティン王女が通るからということもあるでしょうが」
「結界破り、ね。今年は例年よりも結界が強力だと聞いたけれど、こんなの破れる人がいるのかしら?」
「それは、わかりませんが……」
シンは困ったように言葉を濁し、結界を見やる。相変わらず、非常に強力な結界。
帝国の技術の粋を集めてもこれほどの結界を構築することはできないだろう。そもそも、土地の持つ魔力量が違うのだ。魔法は場の力に左右されるので、同じことを帝国でやろうとしても無理がある。
いずれこの地を制圧する日が来れば、イリヤ=エミール帝国もこの結界を超えるものが作れるかもしれないが……。
「ただ、破るならば魔導兵器を使えばできるかしら。でも、兵器の利用はおそらく野暮といわれるでしょうね、この学園では」
「でしょうね」
軍用の兵器は生身での魔法の威力を凌駕する。だが、あくまで結界破りは娯楽の範疇。兵器を持ち出して破ることができるのは当然のことだ……もっとも、生半可な兵器では破壊できないだろうが。
生徒たちは杖や魔方陣などの補助具や技術のみを駆使して結界の一部破壊に挑む。単純な個人の力では破壊は無理だろうし、数を揃えれば破壊できるというものでもない。綿密な計画を立てなければ達成は難しい。
そして、結界破りは守備隊を出し抜かなくてはならないという難題も孕んでいる。
ここ数日、皇女と軍師はイヴォケードの中を散策し、その中で多くの守備隊士の姿を見かけた。非戦闘員であるシンには隊士の実力を肌で感じることはできなかったが、幼い頃から訓練に明け暮れていたリーベルカはそうではない。
彼女は守備隊の能力と統率に肌が粟立つほどの恐怖と感心、そしていずれは事を構えることもあるだろう期待を抱いた。
同じ数ならば、帝国軍の最精鋭をぶつけても勝つことはできない。そう確信できるほどの実力差。
リーベルカ自身皇家が始まって以来の戦いの天才と呼ばれているが、彼女の実力はよくて守備隊士の下の中程度というところだろう。高貴な家柄だからと言って、必然的に戦闘能力が高いわけではない。
それにそもそも、リーベルカの売りは用兵能力にある。
「まあ、今年は結界破りというのも成功者はいないみたいね。今のところは」
「でしょうね。こちらとしては、壊された結界がどう復旧されるか確認したかったのですが」
結界は復旧の仕方で構造が把握できることが多い。そして、その知識はそれを破る時に応用ができる。
「そううまくはいかないわね……あら」
行き来する学園生たちの中に、見知った姿を見つけて声を上げるリーベルカ。
四人組の男女。二人の顔は知らないが、残る二人は知っている。昨日空から落ちているのを助けて知り合った学園生。
「あれ、ユイリじゃない。あと、ユウ」
「ああ、昨日の……」
ぱたぱたと、慌てた様子で人混みの中を駆けていく。少し離れた場所にいたリーベルカに気付いた様子はない。
走り去っていく後姿を眺めながら、皇女はくすくすと笑った。
「あの子、いつも慌てている感じね。気の毒そうにも見えるんだけど、なんだかおかしいわね」
「姫様、手紙をもらうとか言っていましたが、あれは本気なんですか?」
「楽しそうじゃない。私、ああいう子結構好きよ。可愛いし」
「はあ……」
シンは疲れたように息をつく。これからあの少女の身元の洗い出しもしておいた方がよさそうだ。
リーベルカは基本的に相手の好ましい点を見つけて信頼する癖がある。高貴な血をひく人間にしては珍しい気質だった。その分、周囲の人間は危険を近づけないように気を付ける必要がある。とはいえ、ある程度の危機など自分で切り抜けられる実力を持っているが。
「それに、ユイリと一緒にいた男の子。ユウ・フタバ。あの子は強いわ。並の守備隊士よりも、よっぽどね」
「そうなんですか」
「慌ててたけど、なにかしら。ちょっと追ってみましょう。なんだか、面白そうな気がするわ」
「あ、わっ」
言うが早いが駆け出す皇女。哀れ従者は慌ててその後を追う。
「勝手に行かないでくださいっ。危ないですよ!」
「危なくないわよ。大丈夫」
まったく悪びれない主人に、シンはため息をつく。
結界によって狭まってしまっている大通りを、人込みをかき分けて進む。周辺の生徒たちは結界の脇のあたりに座っている者も多い。大方、そろそろここを通るであろうセレスティン王女を待っているのだろう。行き交う生徒たちもどことなく正門の方を気にしている様子だった。
中央通りを正門側に少し進んで、ユイリたちは立ち止まる。王女の来る方向をうかがって、そのあと小声で何やら話し合う。その表情は、真剣だった。美しい隣国の姫君を一目見ようとここに来た、というような浮ついた様子はなかった。
そして、よくよく見てみると、姫を待ちわびる笑い合う生徒たちの中に、ぽつぽつと緊張した様子の集団が混じっていることに気付く。
そんな様子にリーベルカは合点する。
「シン、前に資料でもらったことがあるわね。この通りの結界は強力だけど、構造的に弱い部分があるって」
「はい……。その通りです」
答えるシンの息は荒い。
「あなた……ちょっと走っただけでもう疲れたの?」
「座学ばかりしているもので、運動はちょっと」
「走り込みをしなさい、走り込みを。戦いで最後に生き残るのは長く走れる人間よ」
「ど、努力してみます。ともかく」
脳筋気味な発言をやり過ごして、先を促す。
「ここ大通りの結界はこの学園を覆っている巨大な結界……いわゆる学園結界ですね、その一部分を構成しています。学園結界の円形魔方陣に大通りの直線状の魔法陣が組み込まれているので、継ぎ目のような場所があるんです。そして、そのひとつが……」
「ここというわけね」
「はい、その通りです」
「通りで、緊迫感があるわね」
「そうなんですか?」
「周りをよく見てみまなさい。いくつか、事を起こしそうな集団があるわ。あの子たちもその一員かしら」
リーベルカの視線の先には、少しでも結界に近づこうと人ごみをかき分けているユイリたちの姿があった。
地味な印象の少女だったが、こんな騒ぎに手を貸しているのは少し意外だった。祭りがあれば騒ぐのがここの学園生の気質らしいから、そういうものなのかもしれない。
だが、と彼女は思いをはせる。
両者ともに不思議と惹かれるものを感じたのは同じ。少女の方は地味で無害な印象だけど、少年の方は奇妙な印象があったな、と。無気力なようにも見えるが、覚悟を宿しているような印象もある。箒から落ちた彼を助けた際に感じた独特の感覚は、何か魔法的な特質を感じさせるものだった。そして、本能的にわかったことだが、彼は明らかに戦闘技能は彼女を超えていた。
リーベルカはユウ・フタバのことは何も知らない。だが、印象だけは強烈だった。この学園で過ごしていると存在感の強い人物に出会うことは珍しくないが、彼の場合はむしろ存在感は希薄なのだ。それなのに、気にかかる。
今にして思えば、そんな感覚があったからこそ、彼の友人のユイリと手紙を交わすなどということを思いついたのかもしれない。繋がりを保っておけば、いずれ不思議は解決するかもしれない。
そんな思考は、鳴り響くファンファーレと周りの歓声で打ち切られる。
「セレスティン王女を乗せた馬車が、こちらに来るようですね」
周辺の生徒たちと同様、正門の方に背伸びしているシン。
軍師としての智謀は買っているとはいえ、年齢的には彼はこの学園の新入生と同じだ。彼の無邪気な様子にリーベルカはくすりと笑う。
「ええ。お祭りの始まりね」
空を見上げる。守備隊士が旋回している。
前を見つめる。強く輝く大通りの結界。
周りを見渡す。お祭りに浮かれて騒ぐ学園生。
「お手並み拝見と行きましょうか」
リーベルカ皇女は、鋭い眼光であたりを見回すと、楽しそうに口の端を緩めた。