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魔法学園へようこそ!  作者: cymbal
第2章 結界破り
12/42

西の町

 目を覚ますと、ぴきぴきと全身がきしんでいるような感じがしました。びっくりして体を起こして、自分の部屋の中を見回す。

 どうやら、机に向かって調合作業をしているうちに、そのままそこで眠ってしまったようです。


 そうだ、昨日は夜に中庭で新しい寮生を歓迎するパーティがあったんでした。

 わたしもユウさんも早々に引き揚げましたが、興奮しているのかすぐに寝付けなくて、気を紛らわせるために中和剤作りをしていました。そして、そのままついうとうとと眠ってしまったのでしょう。いまだに耳の奥に昨晩の寮生の嬌声やざわめきが残っているような感じがする。

 立ち上がって、体を伸ばします。体は痛みますが、思考はクリア。うん、お酒も結構飲んだ気もしますが、特にその名残はありませんね。


 身だしなみを整えて、ご飯を食べに食堂へ。

 今朝は全然人がいません。きっと、みんなまだベッドの上ということでしょう。どこに座ろうか、などと思って周囲を見渡すと、片隅に見覚えのある女の子がいました。


 フォロンさん。第三魔術研究会の部員の一人で、魔方陣製作では超一流というような才能の持ち主。

 そういえば、昨日ミスラ先輩とどこの寮に所属しているかという話になった時に、さらっと彼女もこの寮の所属だと言っていました。

 でも、この子を寮内で見かけるのは初めてかもしれません。昨夜のパーティでも姿はなかったような気がします。

 もっとも、あの場でわたしは新聞に載って今話題のユウさんと話をしようと多くの生徒が声をかけてくるのをさばくマネジメント業務に忙殺されていましたから、気が付かなくても仕方がないですが。


 明日はついに王女様がご入学される日であり、結界破りの決行日。わたしとユウさんは第三魔術研究会の方々と行動を共にすることになります。

 そして、フォロンさんもそのひとりです。以前部室で会った時は結局一言も言葉を交わさないまま辞してしまいました。それがちょっと気がかりだったので、こうしてここで会ったのはまたとない機会かもしれません。


 わたしはそう決めて、食堂の隅で魔導書を読んでいるフォロンさんに近づきます。彼女の前には飲み物の他パンとバターしか置いてありません。シンプルな朝食がお好みなのでしょうか。


「おはようございます」


 声をかける。


「……」


 ぜんぜん、顔を上げてくれません。いきなりめげそうになる。


「あのー、お、おはようございます?」


 もう一度声をかけると、そっと顔を上げてわたしのほうを見る。小柄で小動物みたいな印象の子です。

 彼女はきょろきょろと周囲を見回して、自分に挨拶をされたと気が付いたようです。


「あ……。おはよう、ございます?」


 初めて彼女の声を聞いた気がします。ともかく、読書に集中していただけで悪意を持って無視してやろうというわけではなかったみたいで安心するわたし。

 フォロンさんは、こちらを見て不思議そうに首をかしげています。まだ一度しか会っていないので、よく顔を覚えていないのかもしれません。

 残念ですが、仕方がない。そう思って改めて自己紹介をしようとすると、手で制される。


「大丈夫、わかる」

「あ、そうですか」

「すぐ傍の脱毛サロンの受付の……」

「大丈夫じゃない!? 全然わかってないですよっ!」

「……」


 思わず全力ツッコミを入れると、フォロンさんは若干やっちゃった感のある表情になりました。意外にひょうきんな子なのでしょうか。

 まあ、そういう人じゃないと第三魔術研究会ではやっていけないような感じもしますが。


「あ」


 何か思い出した様子でわたしに向き直る。


「この寮の女子寮のいちばん偉い人?」

「……」


 どうやら、リーズウッド先輩と勘違いしているようです。

 たしかに、見知らぬ生徒にも積極的に声をかけてくる寮生というのはそう多いわけではありません。そういう意味で、寮監の生徒だと思っても不思議はないです。


「あ……」


 ですが、すぐさま何かを察した様子で頭を振る。


「ううん、違う。あの人はもっと……」


 そう言いながら、視線はわたしの胸部に向いていた。

 ええまあ……。

 わたしのおっぱい戦闘力はあの偉大な先輩には及びませんが……。

 どよーんとするわたし。


「勘違いだった」

「そうですか」

「誰だか忘れた」

「ですよね」


 素直に頭を下げられて、苦笑するしかありません。


「この間部室でお会いしました、ユイリ・アマリアスです」

「……あー」


 腑に落ちた顔になる。思い出してくれたようです。

 彼女の前の席に座っていいかを尋ねると、こくんとうなずき了承をもらいます。


 注文を聞きにやってきたヘラルドさんに朝の定食を頼んで前を向くと、フォロンさんははむはむとパンを食べながらこちらをじっと伺っています。なんだかかわいい仕草です。


「何か用?」

「同じ寮というのはミスラ先輩から聞いていたんですけど、見かけたのは初めてだったので。この間は、お話しできなかったですし」


 フォロンさんはわたしの言葉にうなずくと、読んでいた本を閉じて見上げてくる。じっと続く言葉を待つ様子。

 え、そんな大層な話題もないので食べながらでいいんですけど。

 ちょっと焦ってしまいますが、それで話題が出てくるわけでもありません。


「あの、いつもこのくらいの時間にご飯食べているんですか?」

「ううん。いつもは、もうちょっと、はやい」

「今日は寝坊したんですか?」


 なにせ、昨日は歓迎パーティでした。あの場で会うことはなかったけれど、結構夜遅くまでみんな騒いでいましたからね。

 この食堂も、いつもより起きてきている寮生が少ないです。


「してない」


 聞いてみると、フォロンさんは昨日のパーティには参加していなかったようです。話しぶりから、そういうイベントに全然興味のなさそうなタイプなんだなあという感じがします。

 まあ、魔法使いに協調性を求めるものでもないですから、集まりに来ないくらいで白い目で見られるということはないでしょう。


「人が少ないから、ゆっくりしてるだけ」


 話を聞くと、普段は図書室や図書館に通い詰めているようです。

 あー、そういえば、わたしは行ったことがないですが、この寮には図書室もあります。それに、かなり大規模な図書館も傍にあります。そのあたり施設面での魅力でこの寮に暮らしているのでしょう。


 運ばれてきた朝食を食べながら、そんな話をぽつぽつ交わす。

 盛り上がる話をしているというわけでもありませんが、こうして喋りながら朝の時間を過ごすというのも悪くないものでした。先に朝食を食べ終わったフォロンさんも、さっさと片付けて去っていくということもなく、相手もそれなりに楽しんでくれているのならいいのですが。

 そうしていると、次第に食堂の人が増えてきました。みなさん、いつもより遅いながらも起きだしてきたようです。

 とはいえ普段と比べれば閑散としていますが、それでもフォロンさんは気になるようです。落着きなくあたりを見回します。


「あ、もう行きますか?」

「うん。……部屋くる?」


 唐突なお誘いに、ちょっと驚く。言葉を交わしていてもきゃーきゃーと盛り上がっていたわけではないのでフォロンさんがどう思っていたかはよくわからなかったのですが、お話するのを楽しんでくれていたようです。

 いいですよ、暇ですし、とも思いますが、まだ今日はユウさんを見ていないので、様子を見に行きたい気分ではあります。わたし自身の予定はなくとも、ユウさんがどこか出かけるかもしれないですし。

 そんなことを考えていると……


「おはよう」


 そこに現れたのは寮監のリーズウッド先輩。

 昨日のパーティでは運営の中心の一人として働いて、始まってからは寮生の間を取り持って動き回ったりと大忙しという様子でしたが、まったくそんな疲れも感じさせません。すごくできる女性という感じがします。


 わたしは先輩に挨拶を返す。フォロンさんの方は、無言で小さく頭を下げました。

 初めて見る組み合わせに、先輩は不思議そうにわたしたちを見比べる。


「ユイリ、フォロンさんと知り合いだったのね」

「はい、ちょっと前にお会いしたことがありまして。あの、昨日の歓迎会、お疲れ様でした」

「ありがと。楽しんでもらえた?」

「はい、とても」

「ならよかった。遠目に見てたけど、あなたの相方大人気だったわね」


 その言葉に苦笑する。

 たしかに、ユウさんは結構有名人になりつつあるので多くの人が話をしようとやってきました。

 彼に愛想よく対応するということができるとは思えないので、その間を取り持ってあれこれ話をしました。大変でした。それでも、同じ寮のお友達が増えるというのはいいことでしょう。

 ユウさんは確かに変わっていますが、同様にこの学園の生徒も変わっています。うまい具合に折り合いつけて、楽しくやっていけることでしょう、おそらく。


「相方?」


 フォロンさんが不思議そうにわたしを見る。


「ユウさんです。部室で一緒にいた」

「ああー」


 腑に落ちた顔になる。

 というか、わたしとユウさんは既にけっこうセット扱いなのでしょうか。まあいいんですけど。


「フォロンさん、わたしはそのユウさんを待たなきゃいけないので、遊びに行くのはまた今度にしますね」


 彼女さんのお誘いは、今日のところはまた今度。


「うん、いいよ。じゃあね、ユイリ。あと……」


 立ち上がり、立ち去ろうとしたフォロンさんがリーズウッド先輩の方を見て困った顔になる。どうやら、名前を思い出せないようです。

 そして、やがて、出てきた名前は……。


「おっぱい先輩」


 散々でした。


「リーズウッドよ」

「そうだった」


 疲れたような先輩のツッコミに無表情でうんうん頷き、行ってしまう。フォロンさん、面白い子です。

 リーズウッド先輩はそのままわたしの斜め向かいの席に腰かけました。ただ通り掛けに挨拶してくれただけだと思っていましたが……。


「フォロンさん、変わった子ね」

「大丈夫ですよ、先輩。この学園の生徒は割とみんな変わっていますから」

「心強くない励ましね……。まあ、でも、そうね。あの子なんか、私も話しかけようとはしているんだけど、なかなか慣れてくれる感じがしないのよね。この春から入寮してきた子だから、できれば他の生徒とも仲良くできないかなって心配していたんだけど、安心したわ。ちゃんと友達がいてくれるなら」


 なかなか周囲の人となじまないフォロンさんのことを心配していたようです。そんなところまで気にしているとは驚きです。

 でも、わたしも、フォロンさんとお友達というほどの間柄ではありません。知り合いくらいかな、という印象。もちろんこれから仲良くできればいいのですけど。そんなことを話してみると、驚いたような顔をされる。


「そうなの? 仲よさそうに見えたわ。あなた、人に好かれやすいタイプなのかもね。フォロンさんとかユウ君とか、人間関係広げようとしない子たちがこぞって仲良くしようとしてくるなんてすごいわ。優しそうだからかしら」

「えっ、別にこぞってはないと思いますが」


 成り行きですよ。でも、お友達が増えるのはわたしにとっても嬉しいことです。


「あなた人望集めるタイプかもしれないし、うちの寮の自治会に入ってみる? うまくやれれば、寮監とかも目指せるわよ」

「ええっ! わたしには、そんなの無理ですよっ。それにその、忙しいので」

「まあ、そうよね。ユウ君の従者だもんね」


 まあそういうものなんですが、どちらかというと監督官的なものなんですよ。などとも説明したいところですが、そんな立場にありません。

 結局、ムムム、と曖昧な表情をするしかない。


「気が向いたら言ってね。推薦するから」

「はい、ありがとうございます」


 リーズウッド先輩にわたしの去年の成績表を見せたらそのダメさに驚き椅子から滑り落ちて前言撤回されそうですが、ともかく、そうやって評価されることは嬉しいことです。

 その後ぽつぽつと食堂に現れる顔見知りの寮生たちもテーブルに加えて、わいわいと朝食の時間を過ごしました。











 朝食を済ませたのち、わたしとユウさんは連れだって街へと繰り出します。今日は特にこれといった用事はなし。衣類や生活用品で足りないものを見かけたら買い足そうかとは思っていますが、基本的には散歩のようなものです。

 ユウさんがこの学園に来てから学内の中心部にしか行っていなかったので、今日は外縁部のあたりを見てみることにします。


 帽子をかぶって変装オーケー。今日はユウさんも反抗せずに帽子をかぶっています。麦わら帽子よりは拒否感が少ないのでしょうか。


「昨日の歓迎会は楽しかったですか?」

「なんだか、疲れたな」

「わかります。色々な人が話しかけてきましたからね。お友達はできそうでしたか? 何人か、一年生もいましたよね」


 わたしたちの住む銀の聖杯亭は、学内でもかなり上位の寮です。大抵は成績優秀者が引っ越してきて入寮します。そんな事情もあり、基本的には一年生は少なく、わりと平均学年は高くなりがちです。

 それでも、入試の成績優秀者やコネを持つ生徒など、新入生で既にわたしたちの寮に住む方もいます。もちろん少数派ですが。

 わたしの問いに考え込むような様子でしたが、やがて頭を振ります。


「あまり覚えていない」

「新入生は少ないですから、ちゃんと覚えなきゃダメですよ。友達がいたほうが、絶対楽しいですし」

「どうだかな……」


 どうでもよさそうに言う。せっかくの学園生活なのに、楽しもうという気概に決定的に欠けている人です。

 見ているとやきもきします。わたしが連れ出さなかったら、部屋で平気に一日過ごしそうです。

 ……あ、いえ、そんなことはないかもしれませんね。昨日他の生徒と話をしているのを横で聞いていると、ユウさんはわたしの知らないところで稽古をしているようです。どうも中庭の端のほうに開けたスペースがあって、そこを武道場代わりに戦える寮生たちが使っているそうです。もちろんただの空き地なのでできることは限られているようですが、そこを使用する生徒の輪には入っているようです。友達というほどの気安さの人はいなかったですが、ちょっとした知り合い、という感じの人は何人かいた印象です。

 わたしの知らないところでも、そうやって交友関係を持つのは大事ですね。なにせ新学期が始まってしまえば、せいぜい朝晩しか一緒にいる時間はないのですし。


「昨日話している人の中では見なかったですけど、一年生であの広場に来ている人はいるんですか?」

「ああ。何人かいる」

「それじゃ、その人たちとお友達になれるように頑張りましょう。大丈夫です、にっこり笑ってちゃんと挨拶すれば、きっとすぐにお友達になれます。きっと相手だって早く友達ほしいと思っているんですし、何も難しいことはありませんよ」

「お前おせっかいすぎるだろ。別にそんなことのためにこの学園に入ってきたわけじゃない」


 励ますようなわたしの言葉に、そんな返事を返される。

 言われてみれば彼は校長候補生。正直事情はよくわからないですが、むやみに親しい人間を作ることを許されない身分なのかもしれません。もしそうだとしたら、わたしの言葉はすごく残酷なもののような気がしてくる。


「すみません」

「いや、別にいいが」

「なら、わたしがユウさんのお友達になってあげますからっ」

「え、いや、それこそ別にいい」

「あ、え、そうですか」


 単にユウさんがちょっと変わっている、ということなのかもしれませんね。よくわかりません。

 今日も今日とて人出の多い中央通りを横切り、ひとつ先の通りの最寄駅へと向かう。


「あ、あのー、クラブの勧誘なんですがー」


 道中、たまに声をかけられたりもします。

 そういえば今日のユウさんは学年色の宝玉をつけていますから、声はかけられやすい格好ですね。もっとも、クラブ活動をしている際につける赤い宝玉を身に着けている時でも勧誘を受けることはあります。

 クラブの掛け持ちをしている生徒も多いですからね。


 デフォルメされた目玉がちりばめられたデザインの三角帽子をかぶった女子生徒でした。傍に、同様の格好をした女生徒も控えています。

 ぱっと目を合わせると、素朴な顔立ちの少女がはにかみながら言葉を続けます。


「こ、こんにちはー。呪詛研究会ですー。どうぞよろしくお願いしますー。……は、入ってくれないと、呪っちゃうぞっ」


 言いながら、ぐっとこぶしを握る。


「……」

「……」


 わたしとユウさんは、ぽかんと彼女を見返した。

 そんな様子を見て、少女は慌てた様子で後ろを振り返った。


「だ、だめです先輩! 恥ずかしすぎますっ!」

「ううん、いいわ! あなたのその表情、いいわよ!」


 後ろのもうひとりの女子生徒は目を輝かせていましたが。

 どこかのクラブに所属した新入生が、さっそく部活の勧誘に駆り出されている、という感じでしょうか。クラブにも最低構成人数が定められていますので、廃部の危機に瀕している団体はこの時期必死に活動したりするそうです。


「どんな部活なんだ?」


 そんな様子を眺めつつ、ユウさんが尋ねる。


「え、そういうの興味あるんですか?」

「いや、そういうわけでもないんだが」


 どうやら、女子生徒の健気な様子にほだされてついそんなことを言ってしまったようですね。冷たいようでいて、結構人がいいですねえ。

 そんな反応もあって、女子生徒がうれしそうな様子で振り返る。


「あ、ありがとうございますー。あの、ヘンな部活じゃなくてですね、まじめに理論重視で研究をしているんです。もちろん校則に違反しない範囲でやってて、精神干渉とかはしていないので大丈夫です」


 一生懸命な様子になんだかほのぼのしてしまう。

 ちなみに、精神を操作するタイプの魔法を許可なく使用するのは犯罪です。


「今はどんなことをやっているんですか?」


 わたしの問いに、目に見えて慌てる。そこまで詳しくは知らないようです。


「えーと、あ、あの、先輩っ」

「ええ、説明するわ!」


 ずいっと前に出てくるもうひとりの女子生徒。頭上の帽子の目のところがぴかぴか光っています。どんな演出ですか。


「私たち呪詛研究会は、相手の感情を読み取って自動発動する呪いの研究を行っているのよっ」

「へー」

「そんなのがあるのか」


 感心するわたしたち。魔法にもいろいろありますねえ。


「簡単にレジストされるというのが欠点だけど、応用の仕方ではかなり幅広いことができると自負しているわ。どう、私たち呪詛研究会で楽しい学園生活!」


 堂に入った説明です。なんだかすごい意義ある研究をしているという空気をびしばし感じます。


「ちなみに今研究しているのは、自分に敵意を持っている相手の目を見るとM字開脚してしまう、『M字の呪い』よ!」

「……」

「……」

「ああっ、その目……わああーーーーーーっ!!」

「先輩、せんぱーーーーーいっ!」


 わたしとユウさんの冷たい目を受けて、目の前で足を開いて転ぶ女子生徒。どうやら研究のためか、自分に呪詛をかけているようです。

 あぁ、スカートじゃなくてズボン着用なのでよかったですが……。

 呪いを受けてあられもない格好をしている女子に駆け寄り介抱している後輩の子がなんだか不憫になってきました。


「おい、行くぞ。馬鹿が移る」

「ええまあ……。あの、わたしたちは行きますけど、勧誘がんばってくださいね。研究内容の説明はよした方がいいと思いますよ?」

「くっ、私としたことが迂闊だったわ! あ、でも、ねえねえ、私にこんな恥をかかせたんだから入部しなきゃダメよ!」

「す、すみません、急ぐので……」

「あほ」

「せんぱーーーーい!」











 道中、ちょっとしたトラブルに襲われながらも、わたしたちは駅へとたどり着きます。

 まだお昼前ですが、駅周辺も中央通りに勝るとも劣らない人の多さです。中央通りを見てみようと学園内の方々から人が集まってきているのでそんな新入生を目当てにした勧誘も多くあります。


 この駅は正門から中央校舎へ向かう南北の路線と直角に交わる学園を横断する東西の路線の乗り換え駅でもありますので、乗降客数でも随一。


 ここから東に向かうとイヴォケード魔法学園の生活用水を賄う学園湖や研究院などの高度な研究施設、領事館などの外交施設などが連なる湖水地方と呼ばれる地区へたどり着きます。

 主に生徒以外の上流階級が暮らす地域ですね。貴族様が入学したりすると、学生でもこの地方に住むことが多いですが。独特なお店も多く、観光地っぽい雰囲気の地区です。


 でも、今から向かうのは学園西側。工場や卸問屋、山地側には農場が広がる下町です。学生の多い地域とはまた別の活気がある場所ですね。

 静かでいい環境とは言いがたいのでその分家賃は安くて、懐事情の芳しくない生徒は西側に暮らすことが多いです。わたしも二年間西側の地域で暮らしていました。

 もっとも、こちらで暮らすから不遇というわけでもありません。錬金術科の他、農業科や産業科などの生徒は大体こちらの地域に住んでいますし、学内でも最高峰の人気と実力を備える航空科の生徒などは、西側地域の指定寮に住むことが義務付けられています。

 生産加工系の拠点が多いので、そっち系の学科に特化している地区でもありますね。


 窓口で切符を買って、ちょうど来た電車に乗り込みます。この時間に西に行く生徒は少数派で、空いている車内に並んで腰掛ける。

 西地区のことについてあれこれと説明をして、ユウさんは興味なさそうに相槌を打ってそれを聞いていて、そうこうしているうちに目的の駅へと着きます。

 学園国家といってもそんな広大な街でもないですから、移動に時間はかかりません。


 駅から出ると、独特のにおいが鼻をつきます。この先に革職人の工場が集まっていますので、そのにおいですね。わたしにとっては嗅ぎ慣れたにおいですので、なんだか帰ってきた、というような気分になります。

 たかが二年間しか住んでいない街ですが、それでも懐かしいものは懐かしい。


「工房でもあるのか」


 駅前の広場に立ち、ユウさんがつぶやく。


「はい。職人街ですね」


 このあたりの地域は学園生より一般の国民の方が多く、中央通りの辺りとはずいぶん雰囲気が違います。

 学生マントを着用している姿はそこまで多くなく、軽装の人が多い。幾何学模様の錬金術師のローブを着た姿もあります。

 わたしたちと同年代くらいの人もいますが、おそらく普通科の生徒でしょう。

 普通科は一般国民の青少年の通う学科で、入学に魔法の才能は関係ありません。この地に生まれただけでイヴォケードの生徒を名乗る、というやっかみや他の学科の生徒からのあからさまな見下しもあり、学内では特殊な立場の人たちかもしれません。

 また、他国からの商人らしき姿もそこここに見られます。大型の魔道馬車が行きかう光景は、学園西側独特の光景でしょう。


 わたしはユウさんを誘って、通りのひとつを進んでいきます。

 そこには人々のざわめきの他に工場の音や、金属音が鳴り響く。周囲の出店も雑多に商品を積み上げただけというような店が多くなり、洗練された商店は少なくなります。


「おっ、ユイリちゃんじゃないか」


 途中、見知った顔に出会う。

 以前住んでいた寮のご近所のおばさんでした。飲食店を営んでいるので、買い出しに行ってきた帰りというところでしょう。


「こんにちは、ナーガさん」

「久しぶりだねっ。あんたいなくなって、うちの亭主も寂しがってるよ」


 イヴォケードは割と物価が高いので、自炊するよりは食堂に行った方が安上がりだったりします。そんなこともあり、近所のお店には通い詰めていました。


「中央はどうだい? あんた友達みんな卒業したから、寂しがってんじゃないかって心配してるよ」

「なんとか、新しい寮で知り合いはできました。まだ学期が始まっていないので、なんともいえないですけど」

「がんばりなよっ。って、ユイリちゃん、この子は?」


 そこまで喋って、ユウさんの存在に気付いたようです。ユウさんは手持ち無沙汰な様子でぼおおっと立ち尽くしています。


「あ、すみません。えーと、この人はユウさんと言ってですね……」


 そこまでしゃべって、言葉を切る。うーん、どう説明するのが一番手っ取り早いでしょうか。

 そんなことを考えていたのですが、その間がいけなかったようです。おばさんがくわっと目を開いて、顔を寄せてくる。


「あんた、男できたの!?」

「ち、違いますよっ」

「しかも一年生じゃないの。奥手だと思ってたけど、やりよるねぇ」

「あの、おばさんっ」


 ああっ、わたしの言い分は完全に無視してユウさんのほうに行っちゃった!


「ねえあんた、この子なかなかいないようないい子だから、大切にしてあげてねっ」

「あー……」


 面倒くさそうな顔をするユウさん。


「あーってなんなの! しゃっきりしなさいっ」

「……」


 あ、ユウさんが困ってる。なんだか珍しい表情です。

 じゃなくて。


「あの、知り合いのところの子が入学してきたので、お世話しているだけなんです。おばさんが思ってるような関係じゃないですよ」


 慌てて間に入って説明をします。

 はじめはあまり信じていない様子でしたが、実際のわたしとユウさんの距離感からして恋人という感じはしないと感じたのでしょう、やがて納得してくれる。

 それでもなんだかつまらなそうな顔をしていますが。

 それからちょっと雑談をして、おばさんと別れます。お昼時も近づいているので、慌てた様子で去っていきました。

 彼女の後姿を見送りながら、ちょっと息をつく。うーん、恋愛の話になるとあんなに興奮するタイプだとは知りませんでした。


「ええと、びっくりしちゃいましたねっ」

「完全にとばっちりだったんだが」


 ユウさんは呆れた様子でこれ見よがしに息をつく。


「ま、いいが」

「すみません」

「ユイリが悪いわけでもないだろ」

「……」


 フォローの言葉に、ぽかんとする。


「なんだ、その目は」

「ユウさん、気遣いできたんですね」


 無言でぽこんと殴られた。


「痛いですっ」


 まあ、痛くはないですけど。


「失礼すぎるだろ」

「あ、そ、そうなんですがー」


 言い合いながら、歩き出す。ユウさんの仏頂面はかすかに緩んでいるようで、そんな表情を見るとわたしはほっとしました。

 こうして冗談めいたことを言い合うことができるようになったというのも、最初の出会いから比べてみれば進歩でしょう。


 それからしばらく歩いて、今日の目的地に到着。


「ここですよ」

「発着所?」


 市街地はすでに通り抜けて、割と閑散としているこのあたりの地区。

 その一角に不釣り合いなほどに大きく居を構えているお店の看板には、飛行発着所と掲げられています。


「はい。今の時期、箒に乗るならここですね」


 今日は特にこれといった用事があるわけでもないわたしたちですので、散歩がてらこの西地区を案内して箒に乗るのがひとまず立てた今日の計画でした。


「どこに連れていくと思ったが、箒か。別に乗りたくもないぞ」

「まあまあ。ものは試しですよ。ユウさん、乗ったことないって言ってたじゃないですか」


 ユウさんは顔をしかめて息をつきます。ぜんぜん乗り気じゃないですねこの人。


 でも、と気合を入れる。

 空から大地を見下ろすと、悩みも吹き飛ぶような気分になります。ユウさんにとってもいい気分転換になるでしょうし、学園の地理を覚える一助となりますし、俯瞰してみて少しでも学園が好きになってほしいです。男の子は大体空飛ぶの好きですし。


 中に入って、手続きを済ませる。

 昨年度は錬金術の素材を集めに学園北に広がる山脈に遠出することもあり、その際はここを使っていました。やり方は手慣れたものです。この場所をはじめとして敷地の縁のあたりにいくつか発着所があり、そこで一時的な飛行許可証を買ったうえでならば山地方面に飛ぶことができます。


 受付を通り過ぎて箒を選ぶ。今日は意外にここも賑わっているのか、箒が結構貸し出されている印象があります。

 柄の長い二人乗りのものがあったりもしますが、まずは基本の型のものを選びます。

 ちなみに、自前の箒があればそれを持ってきてもよく、以前利用していた頃は持ち込みをしていました。持込割引があったので。


 ここにある飛行機具は箒のみです。別の発着所にはここ数十年で発達した飛行機があったりもしますが、魔力を食ったり操縦が難しいなど難点も多く、ほとんど一般化はしていません。

 この学内でさえそう浸透しているわけではなく、あくまで専攻している生徒や専門職の人が使用しているだけ、という感じです。たまに高空域を飛ぶ姿が小さく見えたりしますが、わたしも間近では見たことはありません。飛行機ですらそんなものなので、最新鋭の戦闘用飛行船である空中要塞はお目にかかったことがありません。

 学園でも持っていて、たまに飛んだりするそうですが。まあ完全に軍用の技術ですね。


 ともあれ、そんな縁のないものはさておき、今は片手に持てる箒を持って柄の先端に飛行許可証をぶら下げます。ユウさんも同様に許可証を付ける。

 発着広場に出ると、ぽつぽつと人の姿があります。発着所ですので、人でごった返すというような場所でもないですね。


「さあ、それじゃ、飛ぶ練習をしましょうか」


 帽子を取りささっと髪を束ねて、初心者のユウさんに教習です。


「はいはい」


 わたしたちは広場の隅のほうで練習を開始します。ユウさんのやる気、ないですけれど。


 箒に手をかざし魔力を流して、腰のあたりの高さで浮かせる。

 箒の素材は魔力の伝導率の高い種類の木材を使うことが多い。霊木などとも呼ばれるきわめて伝導率の高い木材などになると高級品ですね。早い話、棒状で魔力が流れればなんでもいいんですが。箒はまっすぐな棒であることと穂先からの魔力の抜けのバランスがいいので定番の形です。

 こういった触媒なしで生身でも飛行はできますが、移動方向の指定と魔力消費の燃費に難があります。


「はい、やってみてください」

「ああ」


 ユウさんはわたしと同様、箒を包むように魔力を流して宙に浮かせる。安定感がなくて静止しているともいえないですが、許容範囲内でしょう。


「あ、うまいですねっ」


 ほめてやる気を引き出します。ユウさんはどうでもよさそうな顔をしているので、引き出せたかはわかりませんが。


「乗ります」


 横座りに柄に腰掛ける。単純に乗るわけじゃなくて、魔力を流して箒の柄と体を一体化させて固定するのがコツです。単純に乗るだけだと飛んでる最中振り落されてしまいますから。食い込んで痛いですし。


「座り方、跨るんじゃないんだな」

「あー、そういえば男の人は跨っているかもしれませんね。わたしも速度を出したい時は跨りますけど、今は制服ですので」


 制服はスカートです。長いスカートですが、それでも跨る座り方だと風が気になります。最近は制服にもスカートの中が二重構造になっていて下着が見えてしまわないようにガードできるデザインのものもあったりもしますが、わたし自身はそこまでして跨りたいわけでもありませんし。まあ好き好きですね。


 わたしの説明を聞いて、ユウさんはふうんと息をついて箒に跨る。

 そこから、今度は浮遊の説明です。箒で飛ぶのは魔力で体を押し上げるイメージです。進行方向は基本的に柄の先の向く方です。やろうとすれば横滑りするように動くこともできなくはないですが、高等技術な割に利用価値は低いので割愛。わたしはできますけどね。


 そんな説明を済ませると、試しにちょっとだけ地面から浮き上がります。箒に腰掛けて浮いているわたしの目線と立っているユウさんの目線が合うくらい。わたしは結構飛行は得意ですので、風などがなければふよふよと漂うこともなく、ぴたりと静止できます。

 それでも学園生の中では結構得意な方、というくらいの程度ですかね。地元では箒の操縦は大人顔負けの天才扱いでしたけど、ここではよくいるレベルです。


 ユウさんは柄を握りしめると、ふわりと浮き上がる。魔力を込めすぎたようで見上げるくらいの高さまで上がってしまいましたが、おっかなびっくりな感じにわたしと同じ高さまで降りてきます。

 でも、ぐらぐらしてます。転がり落ちて危ない高さではないですが、安定感はない。

 ユウさんは顔をしかめて箒の安定に努めていますが、なかなかうまくいかない。でも、初めてならこれくらいのものでしょう。

 学園生のレベルで判断すると才能ない感じがしますが、学園外世間一般の枠に当てはめてみれば普通くらいの印象です。


「ゆっくりしたスピードで前へ進んでみましょう」


 わたしは空中でくるりと方向転換してユウさんに並ぶと、先導するようにゆっくり進む。

 ユウさんもそれに付いてきて……すぐに、浮力を失って地面に足をついてしまい、たたらを踏んで止まった。

 わたしは急旋回してユウさんの脇に行く。


「大丈夫ですか?」

「ああ。だが、駄目だな」

「そんなことないですよ。最初はみんなそうです。練習すれば、すぐにうまくなりますよ」

「そうじゃない」


 慰めてみますが、ユウさんは淡々とした様子で首を振る。


「封印と呼んでいるんだが、俺が魔力を吸収することができるのは知ってるな」

「はい、直接干渉ですよね」


 ごくごく一部の人間だけが持っている能力。ユウさんは魔力を吸収することができる。


「それと、これは、相性が悪い」


 言いながら、箒を脇に立てて一瞥します。


「飛行魔法は周囲の魔力を利用して飛ぶ魔法だが、俺はその周囲の魔力を吸収してしまうからな。どうしても自分の魔力だけで制御することになるんだが、そうするとうまく操作ができない」

「え、直接干渉って常に発動しているんですね。抑えられないんですか?」

「普段から抑えているが、ゼロにはできない。安定しないな」


 飛行は、自分と箒を一体化させてその上で魔法を行使します。ユウさんは最初の一体化させる、という部分で躓いてしまうようです。

 安定というのが一番大事なことですが、それをすることができない。


「大方そうだろうと予想はしていたが、俺に飛行はできないな」


 淡々とした様子でしたが、どこか残念そうな印象もあります。あまり乗り気でなかったのは、飛べない可能性が高いことがわかっていたからなのかもしれません。

 そう思うと、事前に相談をせずにここに連れてきてしまったのが申し訳なくなってくる。


「すみません。わたし、余計なことをしてしまいましたね」

「いや、別に気にしてはいない。できないことが分かったというのも収穫だろ」


 淡々と呟くユウさんを見ていて、不意にわたしの頭に閃くものがありました。


「……わかりました!」

「なにがだよ」

「ユウさん、それなら、二人乗りをしましょうっ」

「は?」


 二人乗り。

 箒の二人乗りはある程度慣れが必要ですが割とよくある乗り方です。わたしも昔はよく弟妹を乗せて飛んでいましたので、それなりに慣れています。

 心配なのはユウさんが直接干渉魔法で魔力を乱すことですが、それはやってみないとわかりません。

 多少の危険はあるかもしれませんが、せっかくここまでやってきて、できませんでした残念、で帰るのは何ともさみしい感じがします。


 わたしは早口に二人乗りならば飛べるかもしれないことを説明して、ユウさんの分の箒も手に取ると事務所の方へと取って返して、今度は二人乗り用の長箒を借りて戻ってきます。

 そんな様子を、ユウさんは呆れた様子で見守っていました。


「別に無理にでも乗りたいわけでもないんだが」

「まあまあ、そう言わずに。飛ぶの、気持ちいいですよ。一度やったら病みつきです」

「……」


 不承不承という様子のユウさんを後部席に乗せて箒に腰掛ける。

 長箒に乗るの、久しぶりだな……。でも、特に問題はなさそう。


「あ、腰を掴んでいてくださいね。振り落とされたら危ないですから」


 箒と体を魔力で一体化させているわたしは落ちたりしないですが、同乗者はその限りではありません。


「ああ」


 わたしの言葉に、腰に手を回される。力強い感触は幼い弟や妹とは違ってどきりとさせられます。

 な、なんだか、くすぐったいですね。


「おい、ユイリ」

「は、はい、なんでしょう」


 呼びかけられて、どきどきしているのを気取られないように答える。


「この体勢、傍目にはすごく情けなく見えないか?」

「……」


 箒の上で女子生徒にしがみつく男子生徒……。


「はは、大丈夫ですよ」

「棒読みに聞こえるんだが」

「空に飛んじゃえばいいんですよ。そもそも今だって、別に人目があるわけじゃないですし」


 時折発着する姿はありますがほとんど人もいませんし、この広場に留まっている人は隅の方にいる係員くらいです。

 正直たしかに情けないような気はしますが、ユウさん個人の感想はともかく、外聞的には問題ないでしょう。


「ま、いいけど……」

「まずは練習にゆっくり飛びますね」

「わかった。俺は邪魔しないように自分の魔力を調整することにする」

「はい、ありがとうございます」


 地面からほんの少し浮き上がり、ゆっくりと旋回する。

 人一人分余計に重いので魔力を食いますが、この学園の空気は魔力に満ちているので、そこまで影響ありません。

 ユウさんの直接干渉で周辺の魔力が散らされている感じで、いつもより安定させるのに集中力が必要です。でも、それで飛べないかと言われれば問題ないですね。


「どうだ。おまえに影響ないようにしているんだが」


 ユウさんは抑えていても微弱ながら魔力を常に吸収してしまう体質らしいです。でも、接触していても吸われている感じはしません。うまく調節してくれているようです。

 そもそも普段から傍にいてあまり感じないですからね。


「はい、大丈夫です。これなら問題なさそうです」


 柄の先に視線を見据えていましたが、ちらっと後ろを振り返り、ユウさんと目を合わせる。


「それじゃあ、飛びますよっ」


 返事も待たず、箒の柄を上へと向ける。ぐん、と体に負荷がかかって、上昇していく。

 そこまでスピードは出していないけれど、それでも風を感じる。空へと昇るにしたがって、耳の奥がじーんとする感覚が高揚感を掻き立てる。

 春、暖かい季節に入ったけれど、まだまだちょっと肌寒い。お腹に回されたユウさんの腕がすごく熱く感じる。

 視線を巡らせる。眼下に学園の街並みが見える。この発着所の傍を歩いている人たちの表情が見える高さから、すぐにそれも判別できない距離へと浮かび上がる。


 鳥になったような気分。

 でも、鳥とは違って静止ができます。周りの建物を見下ろせるくらいの高さまで浮かび上がって止まり、ゆっくりと回転して周囲の景色を見やる。

 中央校舎が見える。白くて美しい建物が、春の陽射しの下ですっくと建っている。通りに沿って大きな建物が並んでいる。所々にある校舎は空からでもよく目立つ。色とりどりの建物。遠目には湖。そして北にそびえる連峰。

 今日はそこまで風が強くないので、箒乗りにはうれしい日です。


「ユウさん、どうですか」


 後ろを振り返って、ユウさんの様子をうかがう。

 彼はわたしにしがみついたまま、視線は眼下の街並みに釘付けでした。うん、歩いてみても楽しいですが、こうして空中から見下ろしてみるとまた別の感動がありますよね。


「でかいな、この学園は」

「本当、そうですね」


 ゆっくりと滑るように空を飛び、学園の奥側、山地方面へと向かいます。

 一般生徒の飛空域は限られているので、あまり学園の内側へと入り込むと空中公安委員会に引っ立てられて罰金を取られます。ちなみにあまりに高空域に行っても罰金を取られます。まあ、高度が高くなればなるほど魔力は薄くなっていくので、好き好んでやるものではありませんが。


 中央通りの方でぽんぽんと花火のはじける音がして、思わずそちらに目を向ける。きっと今日も、あのあたりは大盛り上がりでしょう。

 わたしが初めてこの空からの景色を見た時は、あまりの感動に呆然として見とれてしまいました。今でも、こうして空から見ているだけでわくわくしてきます。美しい景色。何かいいことが起こりそうな気配。


「もうちょっと高くまで行きますよ」


 そう言って、再び空へと昇っていきます。周辺を見てみると、少し低い辺りにぽつぽつと箒で飛んでいる人の姿が見えます。山の方面へと向かわずに学園の上空にいるということは、わたしたち同様、学園の景色を上から見てみようと思い立った人たちなのでしょう。

 高度を上げると学外の景色もよく見える。

 中空域ぎりぎり、というくらいの高度ですね。風も強くなってきた印象があります。これ以上高く上がるとペナルティでしょう。


 ここからだともはや人の姿は砂粒程度で、建物も個性は消えて街並みに溶け込んでしまっている。

 中央校舎と正門をつなぐまっすぐの通りが際立って見えます。正門の先には草原が広がっていて、中央校舎の奥にはイヴォケード山脈の山々が連なっていく。この高度から見ると、平原から山脈へと移り変わる縁のあたりに都市が築かれたのがよくわかります。


 もともと古い時代にはこの辺りには商業都市があったそうですが、100年ほど前に魔神と呼ばれる大型の魔物が出現し、大陸のそこここで暴れまわったそうです。この周辺地域はまさに最も蹂躙された地域であって、見るも無残な焼け野原となったそうです。その魔物が封じられた後、討伐した英雄が自国領として譲り受けたのがこの場所。そうして彼は再び災厄が訪れた時に人類の砦となるため堅牢な結界で守られた学び舎を築きました。


 上空を雲が通り、うわっと街の景色を暗く染めて、やがてその影が過ぎ去っていく。

 わたしたちは静かに魔法学園を見下ろします。高度を上げて強くなった風の音だけが、ごうごうと騒がしい。


「ねえ、ユウさんっ」


 風の音に負けないように、大きな声で振り返る。


「?」

「空を飛ぶのも、いいものでしょうっ」


 わたしの言葉に、ユウさんはちょっとだけ口の端を緩める。いつもは不機嫌そうにしているけれど、こうして笑うと年相応の幼げな印象に見える。


「ああ。そうかもしれないな」


 どうやら、喜んでくれたようです。その言葉で、なんだか報われたような気分になります。

 それに、わたしも空を飛ぶのは大好きです。彼が同じものを好きになってくれたならば、それもうれしい。

 ゆっくりと円を描きながら、徐々に高度を落としていく。


 今日はこれからどうしよう。せっかく箒に乗ったので、山脈のほうを周遊しても面白いかもしれません。この時期中央付近は一般生徒の飛行禁止ですので、空中をぐるりと迂回する形にはなりますがそのまま学園東側の湖水地方を見てみてもいいでしょう。

 これからの予定についてあれこれ考えていると、わたしの体に手をまわしているユウさんがつぶやく。


「最初はくだらないとも思っていたが、やってみるといい気分転換になった。……礼を言う」

「……えっ?」


 まさか予想だにしなかった、ユウさんの素直な言葉。

 わたしは驚いて後ろを振り返りました。一瞬、それが聞き間違いかと思ったから。


 でも、振り返った先にユウさんはいませんでした。

 いや違う!?

 ついびっくりして箒を勢いよく振り回してしまったようです。

 そういえば、さっきまで感じていた腰に回される腕の感覚がありません。ついでに、箒に感じる重さもありません。


「……」


 まさかと思って下を見下ろしてみると……


「わーーーっ!!」


 思わず叫ぶ!


 ユウさんが、落下してるーーーーっ!!


 慌てて箒を翻し、急降下!

 で、でも、初動が遅れたせいで間に合いません! この高さなら身体強化の魔法を使えば死にませんが、そういう問題でもありません!


 その時。


 脇のほうから物凄い速さで肉薄してきた箒の乗り手が、落下していくユウさんを空中でキャッチ!

 そのまま、ゆっくりとした速度で近場の建物の屋上に降り立ちました。


 わたしは慌ててその後を追います。

 ユウさんはさすがにびっくりしたのか座り込んでしまっていて、その脇には彼を助けてくれた女性。顔まですっぽり覆うようなフードを被っていたようですが、今の急降下で覆いははだけています。

 綺麗な銀髪の美人さんです。切れ長の涼しげな眼差しですが、さすがに彼女も空から落ちている人を助けたせいで少し慌てたような雰囲気があります。


「危なかったわね」


 傍に降り立ち駆け寄るわたしを見て、安心させるような微笑を向ける。う、思わずびりりとするような雰囲気の人です。穏やかなようなのに、すごく気高いような感じ。

 服装は制服ではないようですので、卒業生か教員か、あるいは観光に来た人か。あまり年齢が違う感じはしませんが。


「あ、あの、ありがとうございました」


 わたしは彼女に頭を下げて、ユウさんの傍に寄ります。


「ユウさん、大丈夫ですか?」


 顔を覗き込む。彼はちょっと青白くなった顔をしかめて、黙りこくっていました。


「……ユウさん?」

「し……」

「し? はい」

「死ぬかと思った」

「……」


 死ぬかと思った。

 それ、わたしのせいですね。


「すみません、わたしの不注意で……」


 言い訳しようもありません。びっくりして振り落してしまうなんてひどすぎですね。

 頭を下げるわたしに対して、立ち上がってげしげしと足蹴にしてくるユウさん。


「あ、あっ、痛いですっ」

「死ぬかと思ったんだが」

「すみませんーーーっ!!」


 自業自得といえばそうなのですが、微妙に容赦ない蹴りでした。痣になったらどうしよう……。


「あまり暴力を振るっては駄目よ。あなた、許す度量を持ちなさい」


 そんな様子を見て、鷹揚な様子で笑顔を見せる女性。


「は?」


 怒った様子でユウさんが振り返ると、その剣幕に押されてか相手の女性はわずかに後退して腰に手を当て、苦笑しました。今は帯剣していませんが、普段は剣でも佩いているのでしょうか。

 というか、助けてくれた方に殺さんばかりの眼差しはやめてほしいんですけど。


「だ、大丈夫ですかっ!」


 そこに、ひとりの少年が空中から降り立ち、女性の傍に駆け寄ります。


「お怪我は!?」

「見ればわかるでしょう。ないわ」

「そうですか……。あまり無理をされないでください。寿命が縮まりました」

「人が落ちていたら、助けるのが当然でしょう」

「ご自分の立場を分かってください……」

「できると思ったからやったまでよ」


 問答を繰り返すふたり。少年の方は、女性の付き人っていう雰囲気ですね。どうやら、やんごとない立場の人のようです。ちょっとおてんばみたいですが。

 わたしがぼおおっとそんな様子を眺めていると、言い募ろうとする従者っぽい少年を押しのけて、こちらに花の咲くような笑顔を向けます。


「それでは失礼いたしますわ」

「あ、あの、待ってください。助けていただいたのでぜひともお礼をさせてくださいっ」

「そんなつもりで助けたのではないのだけど。それに、特に必要としているものはないわ」

「う……」


 まあ、お金を要求されたりしても困ってしまいますし、わたしの持ち物で貴族様らしきこの人を満足させるようなものはありません。


「ああ、そうだ」


 言葉に詰まるわたしを見て、彼女は思いついたような表情になる。


「それなら、私とお友達になってくれない? 実は、私たちはこの学園について知りたいと思っていろいろ調べているの。他にもお願いしている人はいるんだけど、あなたにもこの学園での生活とか、周囲の状況をお手紙で教えてほしいんだけど、できる?」

「ええっ?」


 わたしより先に従者の少年が声をあげました。


「ダメですよっ。というかそんなの必要ないですっ」

「そう? そういう情報も、いいと思うのだけど?」

「危険ですっ」

「危険な感じはしないけど。ねえ、あなた、そんな危険な人ではないわよね?」


 からかうような視線を向けられてどきりとしてしまう。


「あ、あの、危険じゃないとは思いますけど」

「人を振り落しておいて、よく言うな」


 ユウさんがいらない口をはさむ。


「あ、あの、それは不可抗力ですっ」


 そんな様子を見て、女性はくすくすと笑いました。

 それから、わたしたちは連絡先を交換して別れました。


 彼女の名前はリルカ。イリヤ=エミールの出身で貴族の端くれとのことでした。お付きの人はシンさん。彼女たちは学園生ではないけれど、この学園に興味を持って観光に来ている、と言っていました。

 たまにウサコさんに手紙を書いていますので、文通相手がひとり増えても気になりません。むしろ、それはそれでうれしい感じもします。

 多分、リルカさんもこの学園に興味があるのでしょう。イリヤ=エミールは有能な人間は首都の国立学園に通うことになっていますから、通おうにも通えない人は多くいるという噂を聞いたことがあります。

 わたしたちは屋上でおふたりが去っていくのを見送って、自分たちも戻ることにします。


「えーと、あの、それじゃあ帰りましょうか」

「そうだな」


 気を取り直すわたしたち。

 さすがに箒で遠出をするという気分ではなくなりました。学園の西側地区にも色々と見どころはありますので、今日はそのあたりを回って過ごすことにしましょう。

 わたしは長箒に腰を下ろして、ユウさんを見やります。


「それじゃ、まずはこれを発着所に返しちゃいましょうか。さあ、乗ってください」


 わたしの言葉にユウさんが後ずさります。


「……嫌だ」

「え?」

「乗りたくない」


 くるりと振り返り、建物の隅の非常階段の方に行ってしまいます。

 呼び止める言葉をかけると、彼は苦々しげな表情でこちらを振り返り、泥でも吐き出すような口調で言い捨てました。


「お前の箒にはもう乗らない」

「……」


 ……。

 まあ……。

 そうでしょうねえ……。


 どうやら、わたしの箒の操縦技術は、ユウさんの心に大きな傷跡を残したようです。

 わたしはひとり寂しくふたり乗りの箒に乗って発着所へ向かい、この日は徒歩で戻ってきたユウさんと合流して西地区を散策しました。

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