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魔法学園へようこそ!  作者: cymbal
第1章 校長候補生
1/42

喧騒

「入学おめでとう!」

「ようこそ、イヴォケードへ!」


 暖かな日差しの下、活気のある声がそこここで飛び交う。

 春。出会いと別れの季節。

 わたしにとって、この学園で迎える三度目の春がきました。


 卒業生が去り新入生を迎えるこの時期が、年末と並んでこの学園の沸き立つ時期です。

 入学式はまだ先ですが、早い時期から学園に『入国』してきている生徒はたくさんいます。そして、そんな新入生を目当ての上級生が自分の所属するクラブに勧誘しようと舌なめずりして待ち受けて声をかけて回っています。


 この学園の中央通りは、すごい人出。

 学内の様子を見ようとふらりと外出した新入生を見つけると、上級生たちが取って食べようとするような勢いで勧誘して、チラシを渡して、手を引いて部室に連れ込もうとします。


 クラブ、研究会、同好会、秘密結社、ファンクラブ……。公認を受けている団体もありますが、その他怪しげな組織はこの学園に数えきれないほど存在しています。『魔法使いには変人が多い』という不名誉なあだ名もありますが、この学園に跳梁跋扈する色々な人たちのことを思うと、それもなんだか頷いてしまいます。


 このお祭り騒ぎのような勧誘攻勢を知らない新入生は、この通過儀礼を経て学園の一員となります。夜寝ていたら枕元に勧誘の上級生が立っていた、などという怪談めいた話があるほど、この時期の盛り上がりは独特です。

 わたしも、二年前……新入生だった頃は、やっぱり同じようにクラブ勧誘の騒動に巻き込まれました。今思い出しても恐ろしい、いえ、懐かしいです。とはいえ、やっぱり、この時期の騒ぎにはいつまで経っても慣れません。


 ちょうど時間は今は昼。昼食時ですので、あたりはまっすぐ歩くこともできないほどの大賑わいです。

 あたりで不安そうに、物珍しそうに周囲を見渡すのは新入生でしょう。胸に着けている学年などを示す証……宝玉の色を確かめるまでもありません。


 あ、その子にはすぐに勧誘の魔の手が伸びています。なにやら親しげに話しかけられて、慌てているような様子がちょっとおかしい。

 別に連れ立って周囲をうかがっているのは、勧誘をしようとしているどこかのクラブでしょう。

 友達同士昼食に出てきている姿もありますし、わたしみたいにひとりで歩く生徒もいます。教師と思しき姿も時折見えます。この騒がしさに閉口した様子の人もいれば楽しげな人もいて、それについては千差万別です。


 わたしは普段こういう人ごみを歩き慣れていないので、気をつけていないと他の人にぶつかってしまいそうです。

 特に今は、早く家路につきたいところ。大通りを迂回すればよかったな、などと思いますが今更後戻りもできません。


 この時期、大通りは交通規制が敷かれていて、基本的には一方通行という状況です。普段は箒で空を飛んでいくこともできますが、今の季節はそれも限定されているため、結果通りは大混雑。

 大きな道の両側には学園随一の繁華街として有名な商店やサロンが並んでいますが、目当てのお店にたどり着くだけでも大変です。


 そして、なにより。


 目につくのはこの通りの中央に張られている結界です。

 馬車が楽々通れる広さが結界として封鎖されていて、道の両端が普通に歩くことのできるスペースになっています。結界の分大通りの方は圧迫されてしまっていて、普段の混雑に拍車をかけています。


 この結界は、学園の正門で入学手続きをした新入生をそのまま大通りの先の中央校舎へと馬車で乗せていく直通路として使用されていて、上級生は通常中に入ることはできません。新入生は、この結界の中からこの学園のお祭り騒ぎを初めて目の当たりにするのが伝統です。

 わたし自身、田舎から出てきた身だったので、ずいぶんすごい所に来てしまったな、と馬車の中で呆然としてしまったのが懐かしい。


 不意に、甲高いファンファーレ。


 わあわあと騒いでいた周囲の生徒たちが、はっとして、身構えるようにして南の正門側に視線を向けました。

 新入生を乗せた馬車が通る合図です。わっと彼らは結界の周りに集まって、わたしも巻き添えで一緒に結界の方に近付いていってしまう。ああ、早く帰りたいんですけど、全然抜け出せそうな気がしません。

 わたしは肩から下げた麻の鞄をぎゅっと胸に抱いて、ともかく新入生の乗合馬車が行き過ぎて、またあたりが落ち着くのを待つことにします。

 いえ、正確には、周りのみんなが待ちわびているのは新入生の乗合馬車というよりは、それを先導する……。


「守備隊、見えるか?」

「いや、まだわかんねぇな」


 あたりの生徒が、噂し合う。


「上を旋回しているの、何班かわかる?」

「ちょっと遠すぎるだろ。わかんねぇよ」


 わくわくしたような様子。

 その会話に釣られて空を見上げると、空を箒に乗って旋回する銀色の鎧を着込んだ姿。それは、この学園の守備隊の装備です。


 新入生のパレードを先導するのは、彼ら学園守備隊です。一国で言うなら、精鋭の騎士団とでも呼んでいい存在です。そして、この学園で精鋭ということは、世界最強ということと同義です。

 だからこそ、この学園の内外を問わず人気があります。部隊によってのファンがいたり、個人にファンがつくことも多いようです。非公式な写真が売買され、ファンクラブなども存在しているということを聞いたこともあります。


 わたしも決して興味がないというわけじゃありません。ひょいっと背を伸ばして結界の中、新入生の馬車を先導する姿を見ようかとしますが、うーん、よく見えませんね。

 ふと、新入生たちのやってくる方向から歓声が上がった。


「おっ、見えた!」


 わたしより少し前の方で結界に張り付いていた生徒の一人が、嬉しそうに振り返りました。


「一番隊だ!」


 歓声が湧く。


 私はぐっと背を伸ばして、パレードの来る方向を眺めます。ですが、ダメです。まだ遠い。みんな同様に目を凝らしている様子。

 やれやれと思っておとなしく待つことにします。


「あの、先輩」


 隣の女子生徒の二人連れが小声で言葉を交わすのが、ちょっとだけ聞こえてきます。


「ん? 何?」

「守備隊がすごくて有名っているのは知っているんですけど、今言ってた一番隊っていうのはそんなすごいんですか?」


 小柄な女の子の方は、一年生のようです。


「あぁ、入学したばかりだとまだまだそのあたりはよくわからないわよね。守備隊は全部で十三の部隊があるんだけど、それぞれ色々特徴があるの。一番隊っていうのは中央校舎の警備をしている最精鋭ね。イナヴ隊長は人類最強、とかって言われてるわ」

「人類最強ですか」


 軽口でそう言ったと思ったのか、下級生の女の子はくすくす笑う。でも、先輩の方の真面目な表情は変わらない。それを見て冗談を言っているわけではないとわかったのか、表情はぽかんとしたものに変わった。


「……ほんとですか?」

「本当よ」

「さ、さすがイヴォケード……!」


 どことなく、感動したような様子でした。とはいえ、わたしにもその気持ちはわかります。

 あらゆる天才や秀才が集まるこの学園、その看板に偽りはなかったと思う時は不思議な感動があります。

 いきなり人類最強などという言葉が出てくるあたりが、もう校風かもしれません。


 そう、一番隊は守備隊の中でも特に有名な部隊です。校内の有名人に疎いわたしでも名前を知っているような人が何人もいます。

 そして、今、その中でも特に人気があるのは……


「イスナイン様!」

「イスナイン様が先導してるわ!」


 周りの生徒たち、特に女生徒がきゃあきゃあと騒ぎます。

 わたしは背伸びしてなんとか先が見えないかと試してみますが、全然見えません。


 イスナイン・ブランデンブルク。

 精鋭部隊の守備隊の第一部隊に入隊し、あっという間に副隊長まで昇格した隊士です。

 すごくカッコい、と人気急上昇中というのは聞いていましたが、まさかここまでとは。ずっと学園の端の方で生活していたおかけで、こういう世事にはずいぶん疎くなってしまっています。


 周りの生徒たちは、イスナインさんを一目見ようとなんとか結界の周囲に集まっている集団の前に行こうと押してきます。


 いたたたたたっ、誰ですかちょっとちょっと、足踏んでます鞄がどっか行っちゃいます中にはものすごく大事なものもあるんですけれどっ!

 黄色い歓声をあげる生徒たちの足元を転がるようにして、いつの間にか、わたしは結界のすぐ傍までたどり着いてしまいました。


 転げまわって、足のあたりが痛いです。でも、鞄はなんとか無事でした。

 ほっとして顔を上げます。

 目の前の結界。薄青く輝く結界の中、向こうから守備隊の先導する新入生の乗合馬車がやってくるところでした。周囲の生徒は大騒ぎ。わたしはぼおっとしてパレードが近づくのを見守ります。


 長いパレードの先頭。銀色の鎧をきらめかせて乗馬する二人の隊士の姿がありました。

 先程噂し合っていたのを横で聞いた、イナヴ隊長は四十歳くらいだったはずですが、やけに若く見える顔立ちです。周囲の喧騒に構うこともなく、ただ前を見据えてパレードを率いています。

 わたしは武道とかそういうことはわからないので見ただけで強さがわかるということはないですが、それでも静かな威圧感を感じさせる姿に見えます。少し、怖い印象さえあるくらいです。

 その隣に副隊長のイスナインさん。怖い雰囲気のある隊長さんに比べると華やかな印象があります。薄褐色の肌の色、深い藍色の髪、優しげな微笑み。

 爽やかです。ミーハーというわけでもないわたしでも、確かにカッコイイと納得してしまう感じ。性格も、優しくてマメな人です。


 ……久しぶりに顔を見たけれど、元気そうでよかった。

 わたしは知り合いの変わりない様子に少しほっとします。


 パレードが目の前を歩いていく。先頭のイスナインさんは周囲に手を振っていたけれど、不意にわたしと目が合って動きが止まる。

 すぐさま、一瞬だけこちらに懐かしい笑顔を向けて、また周囲に愛想を振りまき始めます。


 そして、そのあとに続く新入生を乗せた馬車。世界各地の天才、異才、秀才を乗せた馬車です。

 窓から恐る恐る、という様子で顔をのぞかせる姿は、どことなく幼く感じます。彼らはこれから、この学園生活に揉まれていっぱしのイヴォケードの学園生になっていくのでしょう。


「……」


 ……そして、と思う。


 そして、彼らのうち何割かは落第し、この学園に居続けることは許されることはないのでしょう。


 イヴォケード魔法学園。大陸一の学校。すべての学生の最高学府。神童たちが集う場所。ここでは天才が凡才。


 だから、地方で秀才ともてはやされたにすぎない生徒は、劣等生でしかありません。


 ぼうっとしているうちに、パレードは過ぎ去りました。

 熱狂していた生徒たちも、いいもの見た、と噂しあいながら散っていきます。パレードが来る前はすごい人ごみだと思ったけれど、今の騒ぎの後だとなんだかすいているように感じてしまいます。


 わたしは結界の中を馬車が通っていった先をちらりと見やり、ぎゅっと自分のローブの留め金にあしらわれている宝玉を握りしめます。

 わたしの宝玉は三角形の魔法石が埋め込まれた緑色。それは、錬金術科の三年生を示すものです。


 この学園は、二年制です。ですがそれは、最低二年ということ。

 天才と謳われて、この学園で名声を手にする生徒は何年も何年も学生籍で在籍し続けることができますが、才能が満たないと判断された生徒は二年で学園から卒業となります。それは放校と言っていいほどに強制的なものです。

 才能の限界を見破られてしまうと、ここでは途端に扱いが悪くなる。

 去年のわたしが、そうなったように。


 残念ながらわたしは、天才ではなかった。


 巡りあわせでこの学園にたどり着きましたが、居続けるような才覚はありませんでした。魔力の少ないような田舎の土地で育ち、素人に毛の生えたような野良錬金術師の父に技術を学んだに過ぎないわたしは、入学直後を除いてはほとんど周囲に顧みられるようなこともない劣等生でした。


 それでも、わたしをふるさとの英雄としてこの学園に送り出してくれた家族や町の人たちのことを思うとおめおめと放逐されることは許されませんでした。

 一縷の望みをかけて、なんとか残留することができないかと昨年度の教授に相談し、結果、わたしはとある依頼を条件にここに残ることを許されました。


 ……その依頼の全貌がどんなものなのか、わたしはいまだに知りません。


 足を止めて、振り返る。

 人でごった返す大通りのずっと先、お城のように巨大で威厳ある中央校舎が見えます。


 わたしはさっきまで、あの場所にいました。そして、そこで、この学園の最高権力者である副校長と面談をして、ここに居続ける対価としての任務を任されました。


 劣等生のわたしがここに残るために受け入れたお役目。時折、学業が振るわなくても別の一芸で残留が残される生徒がいるという話を聞いたことはありましたが、まさか自分がそんな人たちの一員になるとは思ってもみませんでした。


 わたしの任務のひとつは、とある新入生のお目付け役となること。生活の不便を解消し、素行が乱れないよう注意し、まっとうな生活を送らせること。

 要するに姉代わりとなってくれればいい、と言われてほっとしてしまいました。


 そして、その新入生は『校長候補生』であること。


 ……校長候補生?

 それは先ほど副校長の口から出た言葉です。はじめに聞いた時と同じように、わたしは再び頭をひねる。


 イヴォケード魔法学園。この学園に、校長はいません。

 この学園を設立した初代校長だけが校長であり、その後の最高権力者は代々副校長を名乗っています。ここでは、校長とは初代校長だけが名乗ることを許された名誉職のようなものだと思われています。


 だから『校長候補生』がどういう意味なのか掴み切れませんが、冗談を言っている雰囲気でもありませんでした。詳しい説明などもなく、事実だからとそう教えられた。ただそれだけです。


 わたしはつい鞄を持ち直します。その中には、副校長からいただいた金色の宝玉が入っています。

 宝玉は身分を示す学生証。色や中に埋め込まれた触媒によって、学年や所属を示します。ある程度は、宝玉ひとつでこの学内でのヒエラルキーを示す印という意味合いすらあります。

 そして、金色の宝玉は警備隊である自治委員や守備隊の隊士までも一時的に指揮下に入れることができるという噂の幻の宝玉。すなわち、それは、特務委員を示す証です。


 ユイリ・アマリアス。

 学園の劣等生のわたしは、いつの間にかずいぶんな身分になってしまいました。本人は、周りの状況がどうなっているかも、全然わかっていないというのに。

 そう思うと、ついつい乾いた笑いがでます。


 踵を返して歩き出す。

 それでも、この学園に残るために降って湧いてきたチャンスを逃したくはありません。


 この学園での、三度目の春。新しい季節。

 わたしはこれまで同じくらいの成績の子たちと過ごしてきたので、一緒に過ごしていた友達はほとんどみんな卒業してしまいました。残されたわたしは、校長候補生という不思議な生徒の姉代わりとして日々を送ることになります。


 出会いと別れの季節。

 ふんふん、と心に気合を入れて、わたしは家路につきました。


 大通り、春の空にはファンファーレ。街の中には笑い声。











 銀の聖杯亭。

 それが、わたしのこの春からの新居です。ほとんどの学生はなにかしらの寮に入寮するのがこの学園の慣例ですが、当然、そこにはランクがあります。

 少し前までのわたしはお風呂もなく、食事もなく、管理人さんもいない上に老朽化が激しくて学園の僻地にある、と最低ランクと言っていいような生活環境でしたが、特務委員となって、その環境は一変しました。

 そもそも、大通りから一本入ったところにある好立地は、有数の高級寮と言っていいはず。

 よほどの成績上位者か特殊なコネのある生徒でないと入れないのが普通です。わたしにとっては、人跡未踏の別天地と言われている魔法界に匹敵すると言ってもいいくらいの魔境です。


 乳白色の錬成煉瓦を組んで作られる外装は美しく、開校当初に遡れるほど由緒は正しい。

 寮の中に入るのに受付で学生証と宝玉の提示を求められるというのが普通ではないことです。その慣習は高級寮では当然のことらしく、最初はそういう文化に慣れずかなり戸惑いましたが、さすがに入寮してそろそろ半月、今ではそれなりに寮の規則に慣れつつあります。


 やっと顔見知りになってきた衛兵さんに学生証を提示し、検査機に宝玉をかざして中に。

 入ってすぐの談話室を足早に通り過ぎます。何人かの寮生がいましたが、知っている顔はありませんでした。わたしは新参者なので、この寮ではただひとりの友人を除いて、他に知り合いはいません。


 秋には有名寮の対抗試合があるそうで、それまでにはそれなりに交友関係を広げたいところではあります。

 他の寮生の方々も、学年が上がってそのままここに住んでいる方も多いでしょうが、それでも何割かは新たに入居した人です。談話室の面々はちらりとこちらを見ますが、声をかけるというほどではありません。


「やぁ、ユイリちゃん、おかえり」

「ヘラルドさん。こんにちは」


 女子棟に足を踏み入れたところで顔見知りの給仕の方に声をかけられました。

 ヘラルドさんは、文学青年然とした落ち着いた風貌の男性です。いつもどことなく上機嫌なしゃべり方をするのが特徴かもしれません。

 わたしと同じくらいの時期にこの寮に配属になったそうで、時々言葉を交わすことがあります。

 手には空のグラスののったお盆を持っているので、どこかの部屋に出前した飲み物を回収してきたところなのでしょうか。

 ううう、そんなサービス、さすが高級寮、とついつい唸ってしまいます。ちなみにわたしは恐れ多くて、いまだにそんな機能を利用したことはないのですが。


「どうだい、大通りの方は? 今の時間だと混んでたでしょ」

「すごかったです……」


 わたしは肩を落とします。とはいえ、この疲労の感じはさっきの人混みばかりではありません。

 大元はその前に行っていた中央校舎でのことです。わたしがなぜか特務委員などというすごい役職についてしまったこと、託されたお役目、なぜかこの学園で一番偉い副校長にお目通りしたこと……。


 ほぼ、そんな気疲れです。


 こんな由緒ある寮に住めるようになった時点で、ちょっとおかしいな、とはたしかに感じていたのですが、それでも予想以上に自分の境遇が心配になってきました。

 わたし、大変なことに巻き込まれてないですかね。


 そんな内心など露知らず、ヘラルドさんはそうだろう、などと呑気に笑っています。


「大通りは、この時期結界があるからね。懐かしいな、僕も昔は結界破りをしたことがあったからさ」

「え、そうなんですか?」


 この時期新入生の通路として使用する中央通りに張られる結界は、学園の髄を結集していると言っていいくらいに強力です。

 なにせまごうことなき天才たちが張った結界です。おまけに都市構造的に見て結界をより堅牢にする工夫が凝らされているらしいです(わたしは詳しくないのですが、建築科のお友達からそう聞いたことがあります)。

 ですが、結界は所詮面の展開ですので、一極集中で破ろうとすれば結界破りが可能です。もちろんそんなことができるような人間はそれこそ天才という他ないのですが、幸か不幸かこの学園には天才児が溢れかえっています。

 面白半分で破っちゃいけない結界を破る輩というのがこの時期にはよく現れて、風物詩のようなものと言われています。


 ヘラルドさんが学園の卒業生ということは聞いたことがありましたが、結界破りをしたことがあるとなると卒業生の中でもかなり優秀であるはずです。……なんで寮の給仕をしているのでしょうか。

 わたしの内心の疑問に頓着することなく、ヘラルドさんはそれじゃあね、と爽やかな笑顔を残して歩き去っていってしまいます。


 ううん、実は成績優秀者だった、という話を聞くとその颯爽とした後姿さえどことなく実力者のそれに見えてくるから、不思議なものです。


 わたしはふかふかした絨毯が敷かれた廊下を歩き出します。窓からは寮の中庭が見え、片隅の方で寮生が集団になって楽しそうにおしゃべりをしている様子がうかがえます。

 色とりどりの季節の花や、魔法石で作られた噴水。贅を凝らしていて、とても生徒のための寮とも思えない。わたしの住んでいた町にはこんなすごい施設なかったですよ。


 ううん、やはりどうしても、場違いな所に暮らしているような気がします。


 いそいそと廊下を通り抜けて、心休まる自分の部屋に。


「あ、ユイリ、おかえりー」

「うん、ただいま」


 やっぱり、自室に戻ると落ち着きます。見慣れた私物に囲まれた空間というのは、いいものです。錬金術の中和剤研究がわたしの専門ですので、独特の薬剤臭を嗅ぐとなんだか落ち着きます。


 わたしの部屋は、奥の寝室、お風呂とトイレ(共用のものの方が立派ですが)、そしてこの大部屋で構成されています。大部屋の片隅に簡易な台所がありますが、それ以外の壁はほとんどが棚で埋められています。

 棚には、勉強のものも趣味のものも含めて書籍類や、あとは試作品の色とりどりの中和剤が並んでいます。同様に、中和剤の材料の純水の入った大型のタンクや薬草類、鉱物、工具類など。部屋の奥側には勉強机や錬金釜があります。一応は研究職に身を置いているので、割と雑然とした印象の部屋ですね。


 そして、手前に申し訳程度にあるソファと机の応接スペース。そこに一名部外者がいました。小さな体をソファーに横たわらせて、すっかりくつろいだ様子で本を読んでいるその姿。


「ルドミーラ、勝手に入らないでよ。というか、鍵かかってなかった?」

「私の力にかかれば、あんなの全然開けられる魔法錠だよっ」

「……」


 この寮の防犯体制が心配になりました。とはいえ、ルドミーラはこの方面では天才児の扱いですので、致し方ないのかもしれないですが。


 ルドミーラ・アルビーナ・フォン・リュベック。建築科の三年生。

 友達のほとんどが卒業してしまったわたしに残された、最後の友人です。基本的に同じくらいの学力でグループになるので、わたしの周りは全員祖国に帰って行ってしまいました。


 ルドミーラはむしろ学内でも成績上位者に属する子ですので、授業が一緒だったというようなわけではなく、入学時にひょんなことから知り合った仲です。

 魔法都市構造学を専攻していてそっちはそれなりの成績らしいですが、むしろそれよりは鍵あけを中心に錠前破りが有名らしいです。実家は近くの国の下級貴族らしいのですが、まさか信じてこの学園に送り出した娘が盗賊みたいな才能を開花させるとは家族の方も想像していなかったでしょう。

 さすがにその技能の悪用はしていないみたいですが。


 ルドミーラも元は別の寮に暮らしていましたが、わたしが中央の地区に引っ越してくると聞いて、この寮の入寮試験を受けたそうです。

 結果無事同じ屋根の下で暮らせるようになって、以来結構わたしの部屋に入り浸り気味です。


 奥の机に鞄を置いて一息つくわたしの後をとことこと追いかけてきます。


「ユイリ、この『ビースト召喚士ZERO』、面白いね。続きないの?」


 物語本を見せてくる。人の本棚を物色しておいて、全然悪びれた素振りもないです。


「次の巻は、来月発売」

「楽しみーっ」


 下の妹が何人もいるので、ルドミーラと話しているとその子たちのことを思い出して和みます。

 わたしの実家は田舎ですので、おいそれと帰れる距離にはありません。一番大きい妹から遊びに来たいという手紙はよく来ますが、足が不自由ですのでそれもままならず、結局長い間会っていないことになります。


「それで、ユイリ。どうだった? この寮に入る代わりに、学園から頼まれごとがあるんでしょ?」


 ルドミーラが土産話を待ち望んでいた、というキラキラした瞳でわたしを見上げます。


 思わずたじろぐ。

 この子にはなんとか仕事をすることで学園に残れるようになったという話はしていましたが……まさか、いきなり副校長が出てきたとか、そういうことを言うわけにはいきません。まして特務委員の宝玉を見せるのは論外。一応、これでも、守秘義務が課されている身です。


「ええっと、親戚が入学することになって、その身の回りの世話とかをすることを頼まれたの。保証人みたいなものかな」


 だから、対外的にはそう答えることにすると示し合わせてあります。


「へえ、ユイリが?」

「他に身寄りがいない子だから」

「そうなんだ。大変だね」


 この説明で納得した様子。ルドミーラは一応貴族様ですので、こういうことには疎くて助かります。


 現実的には、一生徒を補佐するためにわたしみたいな劣等生をわざわざ進級させてまでその傍に置くか? というもっともな疑問が湧いてくるところでしょうけれど。

 わたし自身その理由は知らないし、気になっているところではあります。


 そこで気にかかるのが、わたしが学園に残留するにあたって受けたもうひとつの任務です。副校長から直々に依頼された、別の仕事が鍵を握っている気がします。


 それは、わたしの専攻する研究を完成させること。失われた中和剤、かつてわたしの名前を冠して『ユイリ新薬』と恥ずかしい呼び名までつけられた中和剤を量産することです。

 片田舎の野良錬金術師の娘が推薦で世界最高の学園に進学を許された要因となったその研究は、この二年間で完全に袋小路に陥ってこれ以上進む余地もないのですが……。まさかそんな内情を話せるわけもなく、努力しますと言ったきりです。あんまり期待されると困ってしまうのですが。


 ため息をつきたくなるわたしの心中も知らず、ルドミーラはにこにこと笑っています。


「それでさ、ユイリ、その子はどんな子なの? 名前は?」

「名前……」


 わたしは、事前に知らされている校長候補生の情報を思い返します。


「ユウさんですよ。ユウ・フタバ」


 ふたつの名前を持つということは、彼もわたしと同じ一般人なのでしょうか。あるいは、特別な家名を持っているけれど隠す事情でもあるのかもしれません。

 基本的に富裕層は三つの名前、貴族様は四つの名前、ごく限られた貴族や王族は五つの名前を持ちます。


「へえ、女の子の名前なの? それとも男の子?」

「男の人です」


 あまり馴染みない名前の響きだから、性別の判断が付かないのも無理ありません。

 そのまま、ルドミーラに聞かれるままに差支えのない範囲でユウさんのことを話します。近いうちに同じ寮に入寮すること、魔法科に入ること、剣を使えるということ。

 いくつか質問に答えて、ルドミーラはすぐにユウさんの話題に飽きてしまったようでした。まだ会ったこともない人の話ですから、興味が湧くということがないのも当然です。


「私にも何かできることがあったら手伝うから、その時は言ってね」

「うん。ありがとう」


 ルドミーラの心遣いがうれしいです。

 とはいえ、この子も結構忙しそうな研究室に入っているようなので、なんにでも駆り出すというわけにはいかないでしょう。

 対してわたしの成績はひどいので、とれる授業の選択肢があまりたくさんはなくてそれなりに時間があります。それはいいのか悪いのか。

 それでも、こうして助けになってくれる友達がいるというのは心強いです。


 わたしたちが笑顔を交わすと、それに合わせたかのように窓の外で花火がぽんぽんと鳴りました。


 春。

 進級して変化した環境と、課せられた二つのお役目。


 そうして、わたしの、新しい季節が始まります。

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