シャルと夏の日その1!マラソン練習!
準備体操もほどほどに済まして、早速マラソンの練習が始まる。
マラソンの練習の距離は約二km。
足の速い人なら本当にすぐに終わる距離だ。
でも、さすがに今回は全力で走るのは一人と一匹を除いていないと言っていいので、ほとんどの人はゆっくりとゴールするだろう。
私もゆっくりと一人静かにのんびりと、疲れきれない程度にゴールするつもりだ。
「はーい、みんな行くぞー」
先生が笛を口にしながら気だるみした声で言った。
全員スタート位置に着く中、一人の生徒が先生の笛の特殊な形に気づいて、走る姿勢をしながら話しかける。
「あれ、先生。それホイッスルじゃないですよね」
「ん、あぁ……かっこいい笛だろ。デザインが気に入って使っているんだ。ほら、始めるから前を向け」
その会話を何となく耳にしていた私は先生の笛に注目してみた。
確かに学校の備品のホイッスルじゃない。
細長くて金属製の笛に見える。
そしてスタート位置の先頭では、シャルとあずみが仲良く会話していた。
「私、あずみさんに絶対に負けませんからね!」
「にゃっはっはっは~、私に勝負を挑むなんてスポーツカーに対して一輪車で挑むくらいに無謀だねぇ!いくらライバルでも圧倒的な差があるということを教えてあげよう!そして同時に春にも勝つもんね!」
突如、話をふられた春は少し戸惑いながらも反応する。
どうも全力で走る気はないようで、勝負を繰り広げるつもりなのはシャルとあずみだけみたいだ。
「えっと、香奈恵様。どうしましょうか」
「さぁ?別に無理して合わせる必要なんか無いわよ。エネルギーの無駄使いになるだけだし。それより私が転んでも平気なように隣にいて欲しいわ」
「分かりました。安心して転んで下さいね」
「自分で言っておいてあれだけど、そんな簡単に転んだりしないわよ」
なんだか話が盛り上がる中、先生はいい加減に始めたいらしく、生徒に注意を呼びかけた。
明らかに悪いのは一匹と一人だけだ。
「おーい、始めるから黙ってろー。はい、スタート」
ほぼ間髪なく、先生はスタートと言っては笛を吹いた。
鳴り響く耳を突き抜けるような甲高い音。
スタートの音と共に、猛烈な速さで走り出すあずみ。
その隣を走るシャル……の姿はなかった。
どういうことかシャルは笛の音に釣られてしまい、耳と尻尾を振っては先生の方へ体を傾けていた。
「あぁ…先生が使っている笛をどこかで見たことあると思ったけど、あれって犬笛ね」
私はそう呟きながら、他の生徒同様に軽く走りだした。
そして転んだ香奈恵を受け止めている春さんを尻目に、私の出だしの順位は中盤くらいとなる。
多分これからどんどん抜かれていく。
元から早くないから当然だ。
その予想通りに私は次々と他の生徒に抜かれていき、あっという間に後ろの方となっている。
マラソン練習のコースは折り返しても同じ道を走るわけではないから、先頭と出会うことはない。
そのため速い人はどんなレースを繰り広げているのか分からない。
「ご主人様、お先に失礼しますね~」
だいぶ遅れてシャルが私を追い抜いた。
かなり出遅れているから、余程のことがない限り今回はあずみの勝ちになるのは間違いない。
あとは蒸し暑さと日光に耐えるだけの、何とも言い難い苦行のような時間となるだけだ。
いつも思うけど、こう走っていると飲み物が欲しくなる。
飲んでもたいして意味が無いことも、余計に走るのが辛くなのは知っている。
それでも私は飲み物が欲しい。
どうも雑念が多い。
景色が見慣れていて退屈なせいだ。
こうも前ばかり見て走っても退屈なので、私は少しだけ後ろを振り返った。
すると後ろでは、春が手にしている飲み物を飲む香奈恵の姿がある。
とても飲みづらそうだ。
でも、こうして見るとメイドが羨ましく思える。
私もシャルにこういう芸を仕込んで、メイド代わりにしてみたいものだ。
今は………私がシャルのメイドみたいなものだけど。
「あ、転んだ…」
また転んだ香奈恵を、見事に春が宙でキャッチした。
それから何事もなかったように香奈恵は走り続ける。
香奈恵の表情は、いつものように冷静だけど私は確かに見た。
とは言ってもスタート地点の時点で転んでいるから、クラス全員が転倒を見ている。
しかし自分の足で走ろうと思うのは素晴らしいけど、春に背負って貰った方がいいのではと思ってしまう。
「ん、だいたいこれで一kmか。もうあずみは着いている頃かな」
私のタイムは基本的には十三分近く。
走るコースはかなり走りやすいと聞いているから、相当遅いと思う。
でも毎日シャルに付き合っているから、本気で走ればまた違うかもしれない。
それでも十分代が限界なのは目に見える。
あとは香奈恵を後ろにしたまま、走り抜けていった。
シャルがどうなったのか少しだけ気になる。
これ以上遅く走っても余計に暑さに苛まれるだけなので、最後の数百メートルだけペースを上げて走った。
ほんの数人だけ抜いて、私は息を切らしながらゴールをする。
ゴールした途端、私は走るのをやめて軽く歩いて心臓の鼓動を抑えた。
こうした方が体の負担軽減に良いと聞いてから、すぐに座り込んだりしないようにしている。
本当は汗も出ていて、すぐに倒れ込みたい所だ。
「ごっ主人様~!」
軽快な声をあげながら、シャルが濡れたタオル手にして私に駆け寄ってきた。
私は身構えたが、身構えたのを関係なくシャルが私に抱きついた。
「暑い暑い暑い……、ちょっと勘弁してぇ…」
私は暑さに悶えるけど、シャルは聞こえていないのか、汗だらけの私の体に密着しては匂いを嗅いでくる。
シャルも汗をかいているみたいで、お互いの汗が変にベタついてしまう。
しかもシャルは汗が噴き出ているにも関わらず、私の首筋を舐めてしまう。
「ご主人様の味がします~」
「私を舐めているんだから当たり前でしょ…。これで豚肉の味がしたら私は豚なの?ってことになるわ。………誰が豚よ!こんな美少女が豚なわけないじゃない!」
「くぅん?ご、御主人様大丈夫ですか?暑さのあまりおかしくなっていません?」
「そう思ってくれるなら離れてちょうだい。あとそのタオルもちょうだい」
私は無理にシャルを突き放してはタオルも奪うようにして手に取り、自分の汗を拭き取った。
何だかタオルが僅かに獣くさい。
明らかにシャルの体臭がタオルに染み付いていた。
「そういえばシャル。あずみには勝てたの?」
「くぅ~ん、残念ながら勝てませんでした…。あずみさんは五分二十四秒で、私は五分三十四秒でした。最初につまずかなければ…きっと勝てました」
残念がるシャルに追い打ちかけるようにして、突如現れてはあずみが大声で笑った。
「にゃっはっはっは~!言っておくけど、私はまだ全速力じゃないからね!本気を出せば五分切れるから!」
「わ、私だって四本足で走れば五分切れますよ!四本も足ありませんけど!」
二人は走った後だというのに、暑さも無関係に元気よく言い張っていた。
私はその言い張り合いを聞きながらもタオルで汗を拭き取り、今ゴールすると同時に転ぶ香奈恵の姿を眺めていた。