シャルと夏の日その1!夕方!
夕方、あれからもシャルの戯れ合いに付き合わされて私が疲れ始めたあと、お父さんが帰ってきた。
そしてお父さんはすぐに夕食を作り出して、その間も私はシャルの面倒をみていた。
面倒とは言っても今度は遊び相手としてではなく、勉強相手としてだ。
ただやはりシャルは勉強に関しては集中力が持たず、すぐに勉強とは無関係の話をし始めてしまうのだった。
「ねぇ、ご主人様。今日の夕食は何でしょうかね」
バランスボールやぬいぐるみが散らかったシャルの部屋で、シャルは勉強机に向かいながらそう言ってきた。
私はそのシャルの言葉に対して、ベッドの上に座って教科書を眺めながら答えた。
「んー、材料を見る限り今日は時間がかかるものね。圧力鍋を出していたし、何を作るかは察しがつくわ」
「私が好きなものですか?」
「そうね、シャルの好物の一つね」
とは言っても、シャルは酸っぱいもの以外なら何でも好物だ。
特に肉類があれば、それだけでシャルは大はしゃぎで喜ぶ。
それが分かってなのか、好物と聞いたシャルはペンを動かしながらを歓喜の声をあげた。
「本当ですか!それは待ちきれませんね。少し見に行ってもいいでしょうか?」
「そう言って勉強の手を止めるつもり?別に食べれなくなるわけじゃないんだから、様子を見に行く必要なんてないわよ。それに楽しみは取っておくものよ」
「くぅん……、確かにそうですけど、待ちきれない想いというものがあるのですよ。あぁ、気になりだして手が止まってしまいます」
シャルは言い訳がましいことを口にして、私の方へと振り向いてきた。
結局、勉強の手が止まっているので私は呆れ気味に言葉を漏らしてしまう。
「呆れた。せめてその数学のページだけでも記憶しなさい。数式を覚えているかどうかだけで、テストに限らず普段の授業の効率も変わるものよ」
「私、犬ですけど数学なんて意味あるのですかね…」
「犬でも今は人間と大差ないんだから、覚えなさいって。若くしてシャルを養うなんて、私は嫌よ」
「そんな、私のこと嫌いなんですか…?」
シャルは潤んだ瞳で私を見つめてくる。
そのことに教科書を眺めていた私は気づき、つい良心が痛む。
だから私は小さくため息をつきながらも、シャルの甘えに少しだけ負けてしまう。
「…シャルのことは好きよ。でもね、好きだからって養うってのは別よ。自立できるなら私は平気で自立させるわ」
「私はご主人様から離れたくありません。もし私に好意を寄せてくれる異性がいても、私はご主人様を常に一番で愛してます。だから自立しません!」
「何でかしらね。言葉の繋がりが凄くおかしく聞こえるわ。私が好きなのは勝手だけど、自立はして、お願いだから」
でないと、シャルの面倒を最期までみきれない。
それにもし私が何かの出来事でいなくなってしまったとき、それからのシャルのことが心配で
仕方ない。
だから生きる術は身につけて欲しい。
そのためにも、こうして私はシャルに勉強をさせている。
できるだけ二人で一緒に頑張って生きていたいからこそ、自立できる力があって欲しいのだ。
「所で勉強は進んでいるの?」
「ん…、少しは」
「因数分解よね。どれくらい把握できているのよ」
「少し」
「そう……」
数学において、少しだけ数式を理解しているということは全く理解していないに等しい。
つまりシャルは分かっていないことになる。
でもさすがに自力では難しいかと、私はベッドから降り立ってシャルに近づいた。
そしてシャルの落書きされたノートを覗き込み、ペンを手に取って代わりに数式を解いてあげる。
「いい、シャル。ウインナーの絵を描いている場合じゃないのよ」
「あ…いや、これは描きながら勉強していたんですよ。本当です!」
「好物だからってウインナーを描こうと思うのはなかなかのセンスね。……と、まずは一通りの解を書いてから説明するわよ」
私は数式の解答を書いてから、シャルに説明を始めた。
もちろんシャルは最初だけは真剣に聞いていたようだけど、一瞬でも理解できない時間ができるとすぐに集中力は散慢として視線がノートから泳いでしまう。
それに何度も頷きはするのだけど、時折唸る声が出ていたのでやはり理解が難しいようだった。
「なるほど、完璧に分かりました!」
必要以上に時間をかけて私の説明が終わったあと、シャルは大声で理解の意を示す言葉を発した。
本当に理解したのか、非常に怪しい。
「そう、ならこの問題は解けるわよね?基本的な数式だし、私のさっき解いてあげた問題と大差ないわよ」
「大丈夫です!ご主人様が説明した通りに書いていけばいいんですね!」
シャルはそう言ってはペンを手に取り、かなりの速さでペン先をノートに走らせた。
拙い文字ながらも、懸命に書いては数式を解いていく。
そしてほとんど考える時間が無かったのではと思う早さで、シャルは見事に解答を導いてみせた。
「どうです、ご主人様!正解ですか!?」
「……驚いた。自力の理解は難してくても、こうやって教えて貰ったらすぐに理解できるのね。合ってるわ、正解よ」
「わぅん、嬉しいです!」
思えばシャルは驚異的な早さで人間の生活に馴染んでいた。
最初は言葉も上手く話せなかったほどだった。
それが一年未満でこうして会話できるレベルに達しているから、飲み込みは異常に早いのかもしれない。
そもそも一年未満で中学レベルの教養は得ているため、こう見えてもシャルは天才肌なのか。
元はただの柴犬だから、と思っていただけにこの事実には衝撃を受けるものがある。
「じゃあ、続けていきましょうか」
この調子で私とシャルは勉強を続けていった。
すると、しばらくして下の階から私達を呼ぶお父さんの声が届いてきた。
「真理奈とシャルー。夕食の準備ができたぞー。冷めない内に勉強はきりあげて、降りて来てくれー」
「はーい!シャル、夕食ができたって。行くわよ」
「はい!盲導犬として有望なシャルの耳にも確かに聞こえました!いきましょう!一日の一番の楽しみの夕食に!いざ、決戦の時です!」
私とシャルは勉強をひとまずやめて、下の階の食卓へと早足で向かっていった。
そして向かう途中に、朝と同様にシャルは鼻を鳴らしては匂いを嗅いで、夕食が何かを視覚的情報を得る前より早くに言い当てる。
「この食欲を誘うクリーミーでスパイシーな匂い…。分かりました!今日はビーフシチューですね!やった、シャルの大好物なんですよ!」
「休日ならともかく、仕事から帰って手間をかける料理を作ってくれたお父さんには感謝ね」
「はい、パパさまは最高です!もう神様ですよ!シャルは胃袋を鷲掴みにされてます!」
「神様って大げさね」
私は薄く笑いながらも、シャルが見事夕食のメニューを言い当てたことに感心していた。
普段もこれだけ懸命に頭を働かせてくれれば、苦労はしないのにとちょっとだけ思ってしまう。
「パパさま、仕事と料理お疲れ様です!おいしく頂きますからね!白米さんは私が入れてあげますよ!」
食卓に着くなり、シャルは素早くお茶碗を手にとって炊飯器からしゃもじで全員分のご飯を入れていく。
ただ、ご飯の量は全てシャル基準なものだから、全部大盛りとなっていた。
本当に山盛りで、普通に食べていたら茶碗の底のご飯は冷めてしまいそうなほどだ。
「はい、ご主人様!私の愛をたっぷり乗せた白米さんです!受け取ってください!」
「愛は受け取らないけれど、ご飯は喜んで受け取るわ」
私はシャルから茶碗を受け取って、食卓へと並べていく。
そしてお父さんが今夜のメインであるビーフシチューを器へと流し込み、サラダと一緒に食卓のテーブルに置いていった。
その時のシャルの視線は、ビーフシチューに入れられた分厚いお肉に釘付けになっていた。
見るからに食欲が湧き出してしまっていて、口の中の涎が溢れて来ているのが分かる。
もはや待ちきれず、今にも犬食いをしてしまうのかと思ってしまうほどだった。
「さぁ、いただきますの時間です!ちなみに、お飲み物はかき氷の時に余った、ご主人様お手製のハニーティーですよ!」
「シロップ用じゃないから甘味は薄いけれどね。ほら、シャル。落ち着いて座って」
お父さんと私とシャルは食卓に着いて、豪華な品揃えを前に座り込んだ。
そして全員で食事の挨拶を口にした。
「頂きます」
「頂きますですよ、わぅん!」
食事が始まると、シャルはスプーンで真っ先にビーフシチューのお肉を口にいれては歓喜の声をあげた。
それを私がなだめては、お父さんがハニーティーを口にしておいしいなと褒めてくれる。
私はそのことに少し照れながらも、お父さんの料理を口にしておいしいと小さな声で言葉にした。
シャルのおかげで温かくも騒がしい夕食。
そんな幸せで楽しい夕食の時間を、私は大好きな家族と過ごした。