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風は秋色  作者: 三塚未尋
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第4話

「他の女子はもう帰ったんだな」

「うん。待っててもらうのも悪いから、先に帰ってもらったの」

 滝は、中村の指が針を服の生地に沈めては引き抜くのを、ぼんやり見ていた。なんてか細い指だろうと思って、時々、切なくなる。彼女は白いきゃしゃな手をしていた。男の手のような、無駄な毛も、肉感も無い。まさしく少女の五指だ。

「劇の練習は順調?」

「そこそこ、かな。俺とか浜口はチョイ役だから、そんなに練習しなくていいから楽だけど、他の連中は大変だよ。何度も同じところのやり直しで、座って見てるとなんだか悪い気がしてくるぜ」

「そうなんだ」

 クスクスと、小振りな薄い唇が笑った。

 それきり。

 特に話すことも無く、二人は黙った。

 帰宅する生徒たちの喧噪も、もう聞こえてこない。

 開け放たれた窓から入ってくるそよ風が心地良い。

 窓枠に切り取られた空は、すっかり赤一色に染まっている。

 夕焼けの赤が、二人の足下に伸びていた。

「初めて、だよね」

 静けさを破ったのは、彼女のそんな一言だった。

「うん? なにが?」

「こうやって、滝くんと二人きりでお喋りするの」

「あー、言われてみれば。たしかにそうかもな」

「不思議だよね。今までずっと同じクラスだったのに」

 おかしそうに彼女が笑って、つられて滝も笑った。

 三年間。

 この学校に入学して以来、ずっと、二人は同じクラスだった。けれど、今のように二人きりになるどころか、会話らしい会話をしたことさえ無かった。機会はいくらでもあったはずなのに。

「どうしてだろうね?」

「さぁ……どうしてだろ?」

 なぜ話すことが無かったのか、その理由は滝にもわからない。

 それどころか、好きになった理由さえ、わからない。

 劇的な出来事があったわけでもない。ただ、気づいたら、好きになっていた。

 授業中、教師に当てられて黒板に答えを書く時、誰よりも中村彩子の視線が気になった。

 英語の音読を彼女がしている時、ヘタクソだなぁと思いながらも暖かい気持ちになった。

 知らない間に、彼女の存在が自分の中で大きくなっていたのだ。

「滝くんってさ」

「うん?」

 彼女の顔を見る。

 黒目の大きい、子供っぽくて可愛らしい瞳は手元の針を見ていた。そのままの姿勢で、彼女は尋ねてきた。

「マッチのファンなの?」

「いや、べつにファンってわけじゃないよ」

「そうなんだ。劇でマッチのモノマネするから、てっきり大ファンなのかと思ってたよ」

「まさか」

 滝は苦笑いを浮かべた。

 彼女の言うマッチのモノマネとは、劇中にコメディ要素として差し込むもので、近藤真彦の『ブルージーンズメモリー』を熱唱し、最後に「バカヤロー!」と叫ぶことだ。

「あれは浜口が勝手に提案したんだよ。前に俺がカラオケで歌ったら上手だったから、それを劇でやったら盛り上がるんじゃないかって。ホントは恥ずかしいからやりたくないんだぜ」

「うーん……でも、滝くんのマッチのモノマネ、わたし、見てみたい」

 手を止めて、彼女は顔を上げると、ニッコリと笑いながらそう言った。

「――まぁ、中村がそう言うなら、頑張ってみるけどよ」

 嬉しさを感じると同時に照れてしまい、滝はそっぽを向いた。

「滝くんの好きな歌手って誰?」

「松山千春」

「わぁ、しぶいね!」

「よく言われるよ。そういう中村は?」

「わたしは聖子ちゃん」

「へぇ、やっぱり女子は松田聖子か」

「うん。『青い珊瑚礁』が一番好き。今年の紅白にも出るといいなぁ」

 笑顔の彼女に、滝も思わず頬が緩む。

 こんなふうに楽しそうに話す中村彩子を近くで見るのは初めてだった。

「ん? でも、松田聖子が好きなのに、中村の髪型って――」

「あ……うん、これ」

 中村は右手で自分の前髪あたりに触れた。

「聖子ちゃんカットじゃないよな。どうしてだ?」

 何気なく尋ねると、彼女の顔がわずかに曇った。それを見て、すぐに背筋が冷たくなる。

「悪い。変なこと訊いちゃったな」

「あ、ううん、全然そんなことないよ! あのね――」

 上目遣いにこちらを見ながら、

「南原さんも聖子ちゃんカットでしょ? あの人と同じ髪型にするの嫌だから、この髪型なの」

 意外な答えに、滝は目を丸くした。

「中村って南原と仲が悪かったのか?」

「ううん、全然。普通にお喋りするよ。でも、南原さん、すっごく可愛いでしょ。同じ髪型にしても、一緒にはならないし――」

「あ、そっか……なるほど」

 南原に対して引け目を感じている、ということだった。

 女子らしいと言えば、女子らしい悩みだ。

「南原さんって、スゴイよね。スポーツも勉強も何でもできて、なのに、可愛くて。ホント、羨ましくなっちゃう」

 そう口にした中村の笑顔は、どこか寂しげだった。

 だから、つい、

「他の連中がどうかは知らないけどよ。俺は、中村の方が好きだぞ」

 思わず口を突いて出てきた言葉だった。それを訊いた彼女は驚いた顔を見せた。

 ――しまった。

 すぐに、自分が口走ったことの恥ずかしさに気づいたが、後の祭りだった。

「その、まぁ、なンだ。中村には中村だけのイイところがある。南原は、そういう所がたまたま目立つってだけで、そんな羨ましがらなくてもいいだろってことで……」

 しどろもどろになって言葉を濁す。

 すると、

「じゃあ、わたしのイイ所って、例えば?」

 疑いの、そして試すような瞳が向けられる。

「それは……こんなふうに、頑張ってるところだ。他の女子が帰っても、中村は終わるまで帰らなかっただろ。俺は、そういう頑張ってる中村が好きなんだよ」

「え?」

「――あ」

 二度目。

 背筋が凍ったように冷たくなる。

「べ、べつに、好きってそういう好きじゃないぞ。ただその、性格とかがイイっていうか、や、もちろん性格だけじゃないんだけど……」

 喋れば喋るだけボロが出てしまいそうで、滝は冷や汗をかいた末にとうとう口を閉じた。ここまで自分をバカだと思ったことはない。

 と、中村が不意にクスッと笑った。

「わたしも、滝くんのそういう優しいところ、大好き」

 そう言った後で、彼女はイタズラっぽく舌先を出した。夕暮れのせいか、その表情は赤く見えて、まるで照れているように思えた。


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