10秒の壁
◯ 浮世絵師集会所
いつもの秘密会議。今回は蔦重も秘密会議に加わっている。
蔦重「萌え絵師さんの正体は大体聞いた。彼が未来人だろうと妖怪だろうと、ワシにはどうでもいい。彼の一強状態だけが問題だ。多少ヒントが出たいまこそ、どうすれば追いつけるか本気で考えたい」
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◯ 萌え絵師の長屋(朝)
長屋の通りを萌え絵師が眠そうに歩いている。長屋の大家のおばさんが声をかける。
大家「おはよう、萌え絵師さん」
萌え絵師「おはようございます、大家さん」
大家「今日は神田明神の『萌え祭』に行くんでしょ?」
萌え絵師「えっ、なんですかそれは!?」
大家「あら… 萌え絵のお祭りっていうから、てっきり萌え絵師さんが絡んでるのかと… よくは知らないけど、確か今日だったはずよ」
萌え絵師「……!?」
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◯ 神田明神 萌え祭
神田明神
萌え絵師、神田明神に到着。境内一面にゴザがしかれ、萌え絵を売っている。机かゴザかの違いはあるが、その光景は平成の同人誌即売会に似ているようにも見える。
萌え絵師「こ、これは…同人誌即売会……!?」
ひと通り見て回る。とりあえず、その辺のサークル(?)に声をかけてみる。
萌え絵師「すいません、一部ください。いくらです?」
サークル「ありがとうございます。お金じゃなくて点数制なので、社務所で『萌点』を買って下さい」
萌え絵師「『萌点』……!?」
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◯ 神田明神 社務所
萌え絵師、さっそく社務所に行く。
萌え絵師「すいません、『萌点』がほしいのですが……あっ!?」
社務所の奥に蔦重を見つける。
蔦重「おっ、来たな」
萌え絵師「蔦重さん!? この祭り、蔦重さんの差し金ですか!?」
蔦重「おうよ。まあ、ワシだけじゃないがな」
蔦重、社務所から表に出てくる。
蔦重「萌え絵師さんの登場で、浮世絵は萌絵に進化した。ただ、変化が激しすぎたんだな… どいつもこいつもアップアップだ。だからちょいと策を打ったのさ」
萌え絵師「……」
蔦重「とりあえず、みんなを競わせることにした。浮世絵師も、ズブの素人も入り交じってな。商売に向いてる奴ぁ、店をもたせりゃ勝手に育っていく。そうなりゃいいなと思って。師匠について何年も勉強する旧来のやり方は、モノになる割合は高いだろうが、敷居が高すぎるし、時間もかかりすぎる。だからとりあえず戦わせてみて、実戦の中で学ばせるんだ」
萌え絵師「………」
蔦重「萌絵を直接売り買いできればもっといいんだろうが、しょせん素人の集まり。まだまだ金をとれるレベルじゃない。だからお祭りという前提で、点数制にしたのさ」
蔦重、一冊の本を取り出す。
蔦重「そうだ、萌え絵師さんも『絵師台帳』にちょっと書いてくれないか?」
萌え絵師「『絵師台帳』…?」
萌え絵師、絵師台帳をパラパラと見てみる。ひとり一見開きで、プロフィールや連絡先などが書いてある。
そこに、若い女性が社務所に絵馬を買いに来る。女性は、買った絵馬に萌え絵を描きはじめる。萌え絵師またもや衝撃を受ける。
萌え絵師「い、痛絵馬……!? 200年も前に……!?」
絵馬を描く女性に、別の女性が声をかけてくる。
女性B「わぁ、かわいい絵!」
女性A「ありがとう」
女性B「ねぇ、私も絵を描くんだ」
女性Bも痛絵馬を見せる。
女性A「すごーい、上手! 描き方教えて!!」
女性B「いいよー 私にも描き方教えて」
蔦重が二人に声をかける。
蔦重「お嬢さんがた、萌え祭どうだい?」
女性A「はい、楽しかったです! 女が絵を描く機会ってあんまり無いですけど、絵って、女の子に向いてると思うんですよね」
女性B「第二回、今から楽しみです!」
女性たち、キャッキャと楽しそうに話しながら痛絵馬を奉納しに行く。その後ろ姿を見ながら、蔦重が萌え絵師にささやく。
蔦重「絵馬のところに行ってみな。ビックリするぜ」
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◯ 神田明神 絵馬コーナー
萌え絵師、走って絵馬コーナーへ。すると、痛絵馬の中に、絵の描き方・テクニックを解説した絵馬が何枚も奉納されている。
萌え絵師「こっ、これは……『講座』!?」
蔦重が説明する。
蔦重「和算には『算額』ってのがある。難しい問題を問いたら、絵馬に解法を書いて奉納するんだ。絵でもそれをやろうと思ってな。俺は『絵額』と呼んでるがね」
萌え絵師、衝撃に震える。
萌え絵師(だれでも自由に絵を発表できて、点数で評価され、プロフィールページがあり、絵描き同士で交流ができ、講座まである…… ぴ…『PIXIV』だ……!! 江戸時代にお絵描きSNSが誕生した……!?)
萌え絵師、心の底から震える。蔦重が続ける。
蔦重「あと、『萌え茶屋』ってのもの作ったんだよ」
萌え絵師「!?」
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◯ 萌え茶屋
萌え絵師、早速『萌え茶屋』に行ってみる。玄関を開けて中に入る。
店員「いらっしゃいませ~」
出迎えてくれた女性店員は、なんとコスプレしている。
萌え絵師「コスプレ店員!?」
女性店員「はい、萌え萌えコスプレですw」
萌え絵師、呆れる。
萌え絵師「日本人はこの200年、何も変わってない…!!」
店内をよく見ると、机が並べられており、絵描きたちが絵を描いたり、版木をほったりしている。萌え絵師に店員が声をかける。
店員「当店のご利用ははじめてですか?」
萌え絵師「はい」
店員「当店は時間制で、一刻10文になります。画材は無料で貸し出しいたします。当店自慢の『解体新書』はあちらになります」
萌え絵師「解体新書!?」
見ると、棚の上に解体新書が飾られている。
店員「お読みいただくことで、人体への理解を深められます。ぜひお読みください」
萌え絵師の額に汗が浮かぶ。
萌え絵師(江戸人が……解剖学をマスターしようとしている……!?)
店員「また、あちらをご覧ください」
店の奥の方に摺師がおり、萌え絵を摺っている。
店員「当店では1枚1文で、摺師による摺り代行を行なっています。ただし、彫りは時間がかかるため、ご自分で行なっていただいてます。なお、彫りの道具は無料でお貸しいたします。お茶は飲み放題です。ごゆっくりどうそ~」
萌え絵師愕然。脳裏に、平成の秋葉原のある店が思い浮かぶ。レンタルの漫画オフィス『クリエイターズカフェ 秋葉原制作所』だ。
1時間500円(3時間1200円)で机やパソコンを借り、ドリンク飲み放題でイラストや漫画を描くことができる。自動でコピーから製本までできる『オンデマンド印刷機』が備え付けられており、店内で全自動でコピー誌を印刷することもできる。それに酷似している。
萌え絵師(これは『クリエイターズカフェ』……!! (人力)オンデマンド印刷機まである……!!)
想像を絶する時代の超越ぶりに、萌え絵師震える。
萌え絵師(浮世絵師たちの本気度は半端じゃない……)
萌え絵師の脳裏にあるイメージが浮かぶ。全力で逃げる萌え絵師に、背後から異形の怪物たちが奇声を上げながら全速力で追いかけてくるイメージだ。
萌え絵師「江戸の超天才たちが……全力で俺をつぶしに来ている!!」
……陸上競技の100メートル走では、一昔前まで『10秒の壁』を破ることは人類に不可能だと思われていた。
しかし、1968年に9.95秒の記録が出たあと、戦いの舞台は完全に9秒台に移る。その後も壁は破られ続け、現在では9.5秒台での戦いになっている。
スポーツではよくあることだ。それまで限界とされていた壁を誰かひとりが突破すると、誰も超えられなかったはずの壁を越えるものが次々と現れる。そして『壁の向こうの戦い』は異次元のレベルへと変化していく…
萌え絵師という『突破者』の出現によって、江戸の絵画も『異次元』に突入しようとしていた……