もし江戸に萌え絵が現れたら
○ 寛政五年(1793年) 江戸
浮世絵師・喜多川歌麿が、自宅の長屋で新作『ポペンを吹く娘』の版下絵(浮世絵の原画)を描いている。あまりに素晴らしい出来栄えに、絵を掲げながら思わず自画自賛。
歌麿「人生に全盛期というものがあるなら、今がその時だ。これ以上魅力的な女を描くことはもう誰にもできない…」
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○ 版元:蔦屋重三郎の店
歌麿、蔦屋重三郎(通称:蔦重)に先ほどの版下絵を見せる。すばらしい出来に蔦重も大興奮。
蔦重「歌麿さん、これは傑作だ!! 歴史に残る絵だ!!」
大得意の歌麿。しかし、不意になにかを感じて横を見る。これまでまったく見たことのない絵が店頭で売られている。
異様に大きな目に、行きすぎたデフォルメ。謎のコスチューム。しかし不思議な魅力を放っている。歌麿は度肝を抜かれながらも釘付けになる。
歌麿「な、なんだこれは…!?」
蔦重「ああ、なんか変な兄ちゃんが来てさ。浮世絵じゃなくて『萌絵』だってさ。面白いから試しに置いてみてるんだ」
歌麿「……も…『萌え』ー!!」
蔦重「!?」
歌麿「はっ……なんだ『萌え』って!?」
血走った目で、蔦重の肩を思い切りつかむ歌麿。
歌麿「蔦重さん、作者の住所を教えてくれ!!」
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○ 萌え絵師の長屋
どこにでもあるごく普通の長屋。4畳半の部屋にその男はいた。歌麿が訪ねると、萌え絵師は「あの歌麿さん!?」と驚き、お茶を入れてくれた。
萌え絵師「はじめまして、萌え絵師と申します。お会いできて光栄です」
歌麿「回りくどいのは嫌いでね… お前さん、何者だ? お前さんの絵は江戸はもちろん、舶来のものとも明らかに違う。誰の弟子だ?」
萌え絵師「独学です。師匠はいません」
歌麿「独学であんなに上手くなれるはずないだろう」
萌え絵師「上手い下手と、師匠の有無は別問題かと……」
歌麿、ギロリと睨む。
歌麿「……お前さん、この歌麿をコケにするのか?」
萌え絵師「………」
歌麿「本当のことを言え」
萌え絵師、目をそらす。
萌え絵師「…ひとつも嘘は言っておりません」
歌麿、激怒。
歌麿「礼儀も知らんのか!!」
萌え絵師「………」
しかし歌麿は、激怒しつつも帰らない。
歌麿「まったく、茶までまずい……」
萌え絵師(……なんで歌麿さん、怒ってるのに帰らないんだ?)
歌麿は激怒しつつも、どうしても立ち去り難いものを感じていた。なぜなら、この若者はこれまでの世界に存在せず、そして、歴史の局面を大きく変える者だったからだ……
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○ 江戸の繁華街
江戸の繁華街に人だかりができている。中心にいるのはバニーガールの格好をした女の子だ。格好こそバニーガールではあるが、ヘアスタイルは結髪なので、かなり異様な風体になっている。それでも江戸人には大ウケだ。
コスプレ「萌え絵『兎娘』の服を縫ってみたの!」
町人A「イイネ!」
町人B「脚出しすぎじゃね?」
コスプレ「こういうの『コスプレ』って言うんだって!」
町人A「萌え絵師さんは面白いこと考えるなァ… まさに時代の最先端だ」
町人B「ついこの前まで、歌麿ほどカッコイイ絵描きはいないと思ってたけど、もう完全に時代遅れだなぁ…」
江戸人は「宵越しの銭は持たない」といわれるほど金払いがよく、面白い格好をして一発笑わせるだけでおひねりをもらえたりした。バニーガールの足元にも、どんどんおひねりが投げ込まれている。
それを横目で見ながら、歌麿がとぼとぼと歩いて行く。
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○ 屋台・夕方
煮売屋の屋台で酒を飲みながら、店主にくだを巻く歌麿。煮売屋とは、現代でいう居酒屋のようなところだ。
歌麿「てやんでぇ…萌え絵がなんでぇバーロー…… あんな世間知らずのガキがよォ…」
店主「歌麿さん、飲み過ぎですよ…」
歌麿「ほっとけ! 売れない絵描きなんざどうせ野垂れ死によ……」
そこに、謎の連中がドヤドヤとやってくる。大半が男だが、一団を率いているのは怪しげな女だ。
女「……歌麿さんですね」
歌麿「な…なんだお前ら」
女たち、懐からいっせいに浮世絵を取り出す。
女浮世絵師「同業者ですよ。もっとも、今じゃ失業寸前ですけどね…… 話を聞いてくれますか?」