17 ライシャワー教授のスペシャル授業
ライシャワー教授のスペシャル授業は、大教室が満席になる盛況で、ユーリはこんなに大人数なら、フォン・フォレストの名前に気づかれることも無いだろうと安心する。
せっかくのライシャワー教授の喋る猪『サイレーン』の講義を、フォン・フォレストの反乱なんて大昔の話題で邪魔したく無かった。
それと、女性のアン・グレンジャー講師には言いやすかった生き残った女性領主の苦労話を、男性の教授とは話したくない気持ちもあった。
「おはようございます!」
水色の予科生の制服を着た、ハロルド、ジュリアン、ユリアンも、サマースクールの最後でもあるライシャワー教授の講義を受けにきている。
グレゴリウスやフランツにも挨拶したが、三人はユーリに恩義を感じていたし、竜騎士としての格段上の能力を尊敬していたので、手にキスをして丁寧に挨拶する。
「予科生の授業は如何ですか? 竜には慣れましたか?」
三人は学力、武術は、今すぐにでも見習い竜騎士になっても不足はないが、竜騎士の資質がないと間違った判定をされてからというものの、竜を避けて暮らしていたので、竜とのコミュニケーション能力が一番のネックだ。
「指導教官にビシバシ鍛えられてます。でも、少しずつ竜に慣れてきましたよ。カイトに会ってやって下さい」
「私のコリンにも会って下さい」
「いや、私のジャスがユーリ嬢に会いたいと言ったんだ」
すっかり竜馬鹿の仲間入りの三人を笑いながら、カイト、コリン、ジャスに会う約束をする。
「ぷぷぷっ……また、イリスが嫉妬するよ」
フランツは笑いをこらえながらユーリに忠告したが、グレゴリウスが吹き出すと、我慢の限界で大爆笑する。
「フランツ、皇太子殿下、酷いわ! 馬鹿なイリスの戯言をいつまでも」
ハロルド達三人がぷんぷん怒るユーリと爆笑する二人に唖然としてると、受付の仕事をすましたエドアルドが席にやってきて怪訝な顔をする。
「何?」さぁ? とハロルド、ジェラルド、ユリアンは肩を竦める。
「イリスが余りに嫉妬深いから、不思議に思って皆で質問したら……すごく可笑しい例え話で、答えたから」
真っ赤になったユーリがフランツの口を塞いでる間に、グレゴリウスが続きをバラす。
「ユーリは、色っぽい奥方が他人の旦那様や、独身の若い子を無意識に誘惑して回ってるようなものだって……痛い! ユーリ! イリスが言ったんだよ」
ユーリが真っ赤になって、イリスの戯言をバラしたグレゴリウスの頭をポカスカ殴っているのを、エドアルドと学友達は驚いて見る。
「イリスはどこでそんな話を聞いたんだろうね? 酷い例えだけど、イリスが嫉妬深いのは理解できたよね~なのに、また新しい愛人と、それも三人と逢い引き……痛たた!」
フランツもユーリにポカスカ殴られたが、子犬が大型犬にじゃれついてるようなものだ。
「もう、知らない! エドアルド皇太子殿下、本気になさらないで下さいね」
ユーリが真っ赤になって抗議する姿は愛らしかったが、エドアルドもイリスの過保護と嫉妬深さには驚いていたので、色っぽい奥方説は妙なツボにはまってしまって笑いが止まらない。
「そうか! マルスも凄くユーリ嬢に会いたがるのは、色っぽい奥方と逢い引きしたがってるってことかな。え~、そういうことは浮気されてるの?」
エドアルドにまでからかわれてプンプン怒ったが、少し他の竜と親しくするのは止めるべきかもと反省する。
「そうね、これからは貞淑な奥方を目指しますから、他の竜とは話さないようにするわ。アラミス、ルース、マルスとも話さないから、浮気を心配しなくても大丈夫ですわ」
「え~、ルースに怒られちゃうよ。ユーリ、ごめん、謝るからさ~機嫌なおしてよ」
これでユーリが竜達と話さなくなったら、竜達に総すかんをくってしまうとグレゴリウスも謝る。
「ごめん、ユーリは親戚の綺麗なお姉さんを目指せば良いんじゃないかな。ほら、イリスがマキシウス卿のことを親戚の厳しくて優しい伯父さんって言ってたじゃないか」
グレゴリウスが真剣に謝っているのに、フランツが「親戚の綺麗なお姉さん」と吹き出して笑うから、台無しになる。
ライシャワー教授が入室したので、この話はそれまでになった。
イリスはユーリを『色っぽい奥方』と評したが、同じく他の竜達とよく話をするマキシウスのことも面白く評した。
『親戚の厳しくて優しい伯父さんが、元気か? ちゃんとやってるか? と肩をポンと叩いてくれる感じ。
口うるさいけど、問題あったら相談にのってくれるし、任せとけば解決してくれる頼りになる伯父さん』
イリスの評価にユーリは依怙贔屓だわと怒った。
その場にいた竜達と竜騎士達は妙にイリスの評したマキシウスが、竜騎士隊長としての厳めしい印象の割に、竜達には優しい感じを上手く捕らえてるなと感心して、ユーリの色っぽい奥方説も妙に合ってる気がして、爆笑してしまった。
ユーリが笑った相手に少しツンとしている間に、ライシャワー教授の助手のアレックスが学生達にレジュメを配る。
ユーリ達が座ってる席の前で、持っていたレジュメの束をバラバラと床に落としたのを、ハロルド達は手伝って拾ってやったが、御礼もそこそこ次の席に配っている姿を、エドアルドは学者馬鹿ではないかと少し不快に思う。
「なんだか浮き世離れした感じの助手ですね~」
フランツも変な感じだと思ったので、柔らかな表現で口に出したが、グレゴリウスはユーリを見て動揺したように感じて不安を覚える。
ライシャワー教授の『サイレーン』の講義のレジュメは旧帝国語で書かれていて、一枚目を見た全員から悲鳴とざわめきが涌く。
「うっ、旧帝国語じゃないか」
今の三国は旧帝国から別れたからほぼ言語も一緒だが、旧帝国語は古典というか言い回しとか少し今と違ってたり、文語体で書かれているので読みにくいので、苦手な学生が多かった。
「ユーリ嬢、旧帝国語みたいですが大丈夫ですか?
私も読めはしますが、少し苦手なんです」
エドアルドは、サマースクールなのだから受講者はパロマ大学生だけではないのにと、象牙の塔に籠もっているライシャワー教授の配慮の無さに呆れる。
「私もリューデンハイムで習いましたが、旧帝国語で授業されるのでしたら、わかり難いかもしれませんね」
ハロルド達はサマースクールの実行委員だっただけに、一般の受講者に理解できない講義だと困ると眉を顰める。
だが、レジュメは旧帝国語だったが、それを参考にしながらの教授の話は、面白くて聴く人を惹きつける物だったので安心して講義を楽しむ。
「良かった! ちょっと偏屈な教授だから、旧帝国語で講義するつもりなのかと心配したんだ」
ユリアンは前に教授にサマースクールでスペシャル授業をして欲しいと頼みに行った時の、研究を邪魔されたと不機嫌な様子と、散らばった紙や本で足の踏み場もない埃だらけの研究室を思い出して肩を竦める。
「やはり深く研究しているだけに、軽い話でも面白いね。喋る猪サイレーンの文献だけで、こんなに有るんだね~」
レジュメをパラパラと捲りながらフランツは休憩後は、どの文献を取り上げられるのかなとザッと読む。
「フランツ卿は旧帝国語がお得意なのですね」
エドアルドはフランツが斜め読みとはいえ、スラスラとレジュメを読みすすめているのに感嘆する。
「フランツは、ユージーン卿の弟ですから、優等生ですよ」
グレゴリウスの言葉にカザリア王国の全員が納得して、整いすぎて冷たく見えるユージーンが何でも完璧やってのける姿を思い出し、その弟は苦労してるのだろうと、呑気そうな雰囲気のフランツに同情する。
グレゴリウスはユーリがまだイリスの戯言で怒っているのかと、フランツやユージーンの話なら、いっぱいネタがありそうなのに話に乗ってこないのを心配した。
「ユーリ、まだ怒ってるの?」
グレゴリウスが勘違いしてるので、いいえと首を振って否定したが、少し元気がない。
「ちょっと、ホームシックになっただけ。喋る猪サイレーンの皮肉な口調と変な義侠心に、似た狼を思い出したのよ。私の子守は狼だったから、サイレーンが捨て子の赤ちゃんを育てるエピソードを聞いて、シルバーを思い出したの」
シルバーは狼としてはかなり高齢で、魔力のある動物は長生きだとお祖母様に聞いても、会う度に黒っぽい銀色だった毛並みが、白っぽくなっていくのを悲しく思い出したのだ。
「ユーリは、狼に子守して貰ったの?」
グレゴリウスは驚いて聞き返す。
「ええ、シルバーは話せる狼だったから、色々教えてくれたわ。それに面倒見も良かったから、ヨチヨチ歩きの私が転んでも、いつもお尻の下にはシルバーがいてくれたから怪我をしたことなかったの。森に行って迷子になっても、連れて帰ってくれたし、いつもシルバーと一緒だったわ」
話せる狼! そこにいた全員が驚いたが、ユーリからすれば竜は話せるので当然の事でしかない。
「そりゃ、竜は特別な生き物だから話せても当たり前だけど、狼が話すのですか?」
皆の疑問に、ゴルチェ大陸の蛇を崇めているスーラ国には話せる蛇がいるじゃないと例をあげる。
「スーラ国の蛇神様のことを信じるの? 君は王妃様の用事で欠席だったけど、僕達は受講して蛇神様が話すという実例と称されているのを聞いたけど、眉唾だと感じたね」
フランツの質問にユーリは答えなかった。ライシャワー教授と助手のアレックスの視線を感じて、口を噤んだからだ。
「私の名前は、ユーリ・キャシディということにして……何だか、変な感じなんですもの」
小声で素早く言うと何事も無かったようにレジュメを読んでいる振りをしたユーリの様子に同調して、全員がパラパラとページを捲りだしたのは少し不自然だった。
休憩後の授業も、サイレーンの面白いエピソードが次々と文献を元に講義されて、ユーリは過剰反応だったかなと自分を笑う。
教授専用食堂にご招待しますよとエドアルドに言われたが、何となくライシャワー教授に近づきたくない気持ちがして、天気も好いし芝生で食べると断る。
「ひぇ~! 早く買いに行かないとサンドイッチしか残ってないよ。適当に芝生に座ってて下さい。私達が何か買って行きますから」
ユーリは自分も食堂に買いに行くわと言ったが、エドアルドに大教室の全員が一斉に食堂に殺到するので危険ですよと止められた。
フランツは他のメンバーと買い出しに走り、エドアルド、グレゴリウス、ユーリは風の気持ちの良い木陰に座って待つ。
「ライシャワー教授は苦手ですか?」
エドアルドは、ユーリが教授専用食堂を避けたのに気づいた。
「ええ、ちょっと……私の気のせいかもしれませんけど……フォン・フォレストの家名のせいなのか、迂闊にシルバーの話をしたせいなのか解りませんけど、視線を授業中も感じて。助手の方もちょくちょく目があうし……あんなに沢山の生徒がいるのですもの、名前もご存知ないでしょうし、シルバーの話も後ろの方の席ですから聞こえないわよね……自意識過剰なのかしら?」
吹き渡る風に当たって、夏の木洩れ日を楽しんでいると、教室で感じた視線は勘違いのような気がしてきてユーリは元気を取り戻す。
グレゴリウスはユーリの竜騎士としてだけでなく、他にも魔力も知っているから、自意識過剰ではないのではと疑念を持つ。
「そうだ! 話す狼のシルバーは、今どこにいるのですか?」
エドアルドの質問に、ユーリは少し寂しそうに笑う。
「シルバーは父と絆を結んだ狼でしたから、父が亡くなったので森に帰りましたわ。時々は顔を見せてくれますが、抱きしめられなくて寂しいの。小さい頃、悲しいことがあったら、シルバーのフカフカの毛皮に顔をうずめて慰めて貰ってたのに……今は子育て中で、人間の匂いが移ると子ども達が人間を怖がらなくなると駄目だからと禁止されたの。でも、いつか話せる狼が生まれたら、私に育てさせてくれると約束してるから楽しみに待ってるの」
元気になったユーリに、二人の皇太子はほっとする。
「話せる狼かぁ、いるんですね。では鷹のターシュもいるかな? 子どもの頃に憧れたんだ。ターシュの物語は、今のカザリア王国が舞台だしね」
そうこうしているうちにフランツとハロルド達が、両手に色々な食べ物を持ってやってきたので、シルバーやターシュの話はそのままになってしまった。




