6 フォン・フォレストへ
キリエはヒースヒルを後にすると、上昇気流に乗ってスピードを上げた。
ユーリは初めて竜に乗って、風に吹き飛ばされてしまうのではないかと心配したが、竜の魔力で護られ風は感じるものの速度に対応した強い風ではなかった。
腕の中にいるシルバーはウィリーが亡くなってから、自身も怪我をしているせいか元気がなく、ユーリが話かけても言葉少なく返事するだけだ。
シルバーの毛皮に顔をうずめていると、ユーリはいつも安心するのだが、竜も年を取るのなら、話せる狼のシルバーも年を取るのだと悲しく思った。
途中で何度か着地しては休憩し、夜は小さな町だが真っ当なベッドがあると、ハインリッヒが推薦した旅館に泊まった。
ユーリはヒースヒルから出たことないので、見る物すべてに興味を持った。
しかし、竜騎士と麗しい貴婦人の突然の宿泊で、あたふたしている旅館の主人に一番良い部屋に通された。
顔を洗うお湯にタオル、料理ともてなされ、部屋から出ないまま、次の朝ご飯を食べるやいなや竜に乗って飛び立った。
「もうすぐ着きますよ」
ハインリッヒの言葉で下を見ると、どんどんと地上が近づいて、キラキラ青く輝く海と濃い緑の深い森に囲まれた、緑の牧草地が見えた。
「海だわ、海に近いのね」
内陸部のヒースヒルは、川は流れていたが海からは遠かった。
川魚を釣って食べていたが、やはり元島国生まれのユーリとしては海の近くといえば、魚が美味しい! のではと期待する。
そんなユーリの海への賛美は無視して、シルバーはクゥンと鼻を鳴らした。
『森だ、私の生まれた森の臭いがする』
『シルバーはフォン・フォレストの森で生まれたの?
ここが故郷なの?』
『そうだ』
言葉少なく答えると、シルバーは故郷の森の空気を深く吸い込んだ。
やがて、竜は大きな古い館の庭に着地した。
「わぁ~! お城みたい!」
前の大きな館も古そうだが、その後ろには巨大な古ぼけた館が建っていた。
前の館の中からバタバタと使用人が出てきて、モガーナとユーリとチェストを竜から降ろした。
シルバーは竜が着地するやいなや『森に行ってくる!』とユーリに言い残すと走り去った。
ハインリッヒは寄ってお茶でもと勧めるモガーナに、長旅でお疲れでしょうから、また改めてと飛び立つ。
ハインリッヒを見送ると、モガーナはテキパキとユーリを部屋に案内して、湯浴みの支度をするようにと使用人に言いつけた。
通された部屋はユーリの家が丸ごと入る大きさで、続きの間にユーリがこの世界で一番不自由に感じていたトイレとバスタブがあった。
しかし、流石にお風呂は蛇口からお湯はでないようで使用人が桶で運んできた。
大きな館のどこから運んでくるのかと申し訳なく感じたが、桶での湯浴みではなく、猫脚のバスタブいっぱいのお湯に浸かる贅沢をユーリは楽しんだ。
もちろん、洗おうとする侍女には自分でできると断った。
香りの良い石鹸で洗って、清潔を堪能すると、すすぎのお湯を侍女が持ってきた。
今までは狭い桶で身体と髪を洗って、すすぎのお湯も少しだけだったので、裸を見られるのは恥ずかしかったが、 たっぷりのお湯は嬉しかった。
バスタブのお湯は栓を抜くと排水管に流れるようになっており、それを見て、もしかしたらとトイレを見直すと天井付近にタンクがあり、そこから金鎖がぶら下がっている。
『水洗トイレだわ!』
水は人力で入れるにしても下水は管で流れるのだと感激する。
お風呂はやっぱり良いなぁ~と感慨に浸っていたユーリは、自分の脱いだ喪服と下着が無いのに気づいて困った。
バスタブの側の椅子に置いてあったバスタオルを身体に巻きつけると、さっきの侍女が脱いだ服を持っていってしまったんだと思った。
両親の死を知ったアマリアとベティが急いで作ってくれた喪服しか黒い服は無いけど良いのかなと思案しながら、チェストの中から下着と学校行きの茶色のワンピースを出して着替える。
髪の毛をタオルで乾かすと、部屋に置いてあるドレッサーの前に座った。
引き出しの中のブラシでとかしていると、先ほどの侍女が喪服を持ってきた。
「お嬢様、私がいたしますのに」
慌ててブラシを取り上げようとする侍女を止めて名前を尋ねた。
「メアリーと申します。
お嬢様のお世話をさせて頂きます」
テキパキと自分でなんでもする幼い子どもに調子が狂わされてるメアリーに、ユーリはお嬢様ではなく名前で呼んでと頼んだ。
何度か辞退するメアリーとの間でユーリ様という妥協点を見つけて、お互いヤレヤレと安堵した。
「お館様がお待ちです」と他の侍女に声を掛けられ、慌ててブラシで旅の埃を払いアイロンをかけられた喪服に着替え、モガーナの部屋に急いだ。
モガーナは洗った髪を侍女に纏めさせながら、部屋着で長椅子にくつろいでいた。
「こんな格好でごめんなさいね。
長旅で疲れたものだから、今日は着替えて食堂で食事する気分になれなくて。
こちらで頂こうと思っていますのよ。
女の身内だけですもの、ユーリ、よろしくて?」
よろしくても何も、今まで夕食の為に着替えるとか考えてもなかったユーリとしては、見てはないが多分だだっ広い食堂での食事より、祖母の部屋で気軽に食べる方が良いと思った。
「それで結構です」
言葉少なく答えたユーリに、生まれて今まで田舎の小さな農家に住んでいたのに、環境の激変にも動揺していないのをモガーナは訝しく思う。
軽い食事を侍女達に整えさせると、モガーナとユーリはお互いを観察するかのように黙って食べた。
食事が終わり、お茶を飲みながら、モガーナはユーリに何か質問がありますかと尋ねた。
「お祖母様、父と母は駆け落ちしたのですか?
母の家族はどこにいるのでしょう?」
ユーリは祖母に一番聞きたかった事をぶつけた。
モガーナはまだ幼いユーリに聞かして良いものか少し悩んだ。
しかし、自分が話さなくても世間が黙っていないだろうと話しだした。
「ウィリアムは、首都のユングフラウに竜騎士になるために出かけて、そこでロザリモンド姫と出会ったのです。
あの子は美しい姫君に一目惚れしたのでしょう。
ロザリモンド姫はマウリッツ公爵と王様の妹君キャサリン王女の間にお生まれになった王家の血を引く姫君で、あの子とは身分違いでした。
その上、ロザリモンド姫にはローラン王国の皇太子との縁談が進められてたのです。
それなのにウィリアムは竜騎士に叙される前の日に、ロザリモンド姫と駆け落ちしたのです」
ユーリもママが良い家のお嬢様ではないかと考えていたが、まさか王家の血を引く姫君だとは考えていなかった。
「ローラン王国の皇太子とは、今の国王なんですね。
カザリア王国と戦争したり、我が国に攻めてきたりしている王様なんかと、ママが結婚しなくて良かったわ」
ユーリの言葉に8才とは思えないわねと感心しながら、少し厳しい意見も聞かさないといけないとモガーナは覚悟した。
「私もゲオルク王は嫌いですわ。
戦争なんて野蛮ですもの。
でも、ユーリ、他の考え方をする人もいるのですよ。
ユーリはイルバニアの歴史をどれくらい知っていますか?」
ユーリは小学校で歴史は少ししか習って無いと祖母に告げる。
「元々、イルバニア王国とローラン王国とカザリア王国は一つの帝国でした。
それが別れて三国になったのです。
そして三国の王家は結婚を繰り返し、今のゲオルク王とアルフォンス王は従兄同士です。
ゲオルク王は新帝国の創立を唱えていて、それに賛同する愚か者もいるのですわ。
その人達にとって、ゲオルク王とロザリモンド姫の結婚は、望ましいものだったのです」
もっと幼い時に、夜中にパパとママが言い争っていた内容は、このことだったのねとユーリは頷いた。
「でも、王様には皇太子様とそのお子様の皇太孫様がいらっしゃると聞いてます。
他にも王家の方はいらっしゃると思います。
ゲオルク王は従兄に過ぎませんし、母も姪に過ぎません。
二人が結婚しても二つの国を統一できないのではないですか?」
モガーナはユーリの指摘の鋭さに舌を巻いた。
「そうですわね、普通に考えればゲオルク王の継承権は遠いものですわね。
でも、イルバニア王国には旧帝国以来の不文律があるのです。
王になる者は竜騎士でなくてはならないのです。
アルフォンス王は竜騎士ですが、皇太子は身体も弱くて竜騎士になれなかったのです。
メルローズ王女も、アリエナ王女も、竜騎士の素質をお持ちではありません。
そして皇太孫はまだ幼い。
それなのになぜかいけ好かないゲオルク王は竜騎士なのです」
モガーナは竜騎士でなくては王になれないなんて馬鹿馬鹿しいと毒づいた。
「竜もゲオルク王を選ぶなんて、能無しですわ!」
竜にも悪態をついていたが、ふと黙るとユーリの両肩をガシッとつかんで重大な事実を言い聞かせる。
「ユーリ、あなたは多分竜騎士になる素質があります。
そして、ロザリモンド姫から王家の血を引いています。
という事は、今現在では貴女は皇太孫の次の継承権を持つということなのですよ」
祖母の言葉はユーリに衝撃を与えた。
「いりません! 継承権? そんなのいりません!
私は田舎でスローライフが目標なんです!
皇太子にもっとお子様が生まれれば良いのですよね。
メルローズ王女や、アリエナ王女のお子様が、これからたくさん生まれるかもしれませんよね。
皇太孫も大きくなられたら結婚されるでしょうし、お子様をたくさんつくられるでしょう。
私なんかの出る幕じゃないです」
ユーリの言葉を聞いて、モガーナは頭を抱えてしまった。
現在のイルバニア王国にはゲオルク王より高い王位継承権を持つ者は、幼い皇太孫しかいないのだ。
「身体の弱い皇太子が王子を作れた事すら奇跡と言われてるのに、他にお子様が望めるとは思えないですわね。
メルローズ王女は公爵家に嫁いで5年が経つけどお子様に恵まれていないし、アリエナ王女は皇太子より病弱でお輿入れは無理だと噂されています。
王家にお子様が少なすぎるのですわ」
祖母に自分の希望を打ち砕かれて、ユーリはがっくりした。
「でも、母と父は駆け落ちしたのですよね。
前に、貴族や、王族の結婚は、王様の許可が必要だと聞いた事があります。
となると、私は王の認めた結婚で生まれた子どもでないから、継承権も認められないのではないでしょうか?」
ユーリの反撃は、モガーナの昔の苦い経験を呼び起こした。
「私とマキシウスの結婚も、王様の許可がおりませんでしたのよ。
フォン・アリスト家は代々竜騎士を出した名門で、フォン・フォレスト家はあまり世間の評判がよくありませんからね。
結局、竜馬鹿のマキシウスとの結婚は長続きしませんでした。
ウィリアムを彼は認知しましたけど、私はあの子をフォン・フォレスト家の跡取りとして育てました。
貴女がロザリモンド姫の娘であるのは間違いないのだから、継承権は問題ないはずですよ。
やだわ、法律上はマウリッツ公爵家の孫になるのかしら。
いえ、ウィリアムは当然認知してるでしょうから、ユーリは私の孫で問題ないですわ」
私の望みは田舎でスローライフなのに、王家の継承権とかはいらないわ! と内心で毒づいた。
「お祖母様、どうしたら継承権とは無縁に田舎でスローライフできるでしょう?
私がママの娘だとバレなければいいのではないかしら。
パパがママと駆け落ちしたのが周知なら、私はお祖母様の孫ではなく、遠縁の娘としてはいかがでしょう?
そして、私は竜騎士になるつもりはないから大丈夫ですよね」
継承権があると初めて聞いた孫の徹底的な拒否のしかたと、回避するための方法を考える早さにモガーナは驚いた。
この孫は単純に賢いだけでは無い! 何かを持っていると確信した。
「ユーリ、貴女を遠縁の子供と偽っても、直ぐにバレてしまいますよ。
ウィリアムは戦場で戦死したのです。
田舎でひっそりと病気で亡くなったのであれば、誤魔化す事もできたでしょう。
でも、戦場には大勢の目撃者がいますからね。
それにウィリアムとロザリモンド姫の駆け落ちは国を揺るがすスキャンダルでしたから、きっと北の砦でも注目されたでしょう」
モガーナは駆け落ちした時の騒ぎを思い出して、一旦言葉を止めて深呼吸した。
「それより、マキシウスに貴女が竜と話せると知られたのがまずいですわね。
あの方は竜馬鹿ですから、貴女を竜騎士にしたがるでしょう。
でも、貴女が竜騎士にならなければ、継承権は意味を持たないのです」
ユーリは祖母の言葉に強く頷き、パパも竜騎士になる素質があったのにならなかったのだから、自分も竜騎士にならなければ良いのだと決心した。
色々な情報にショックを受けたユーリは、自室の慣れないベッドで、夜遅くまで考えを巡らす。
でも、やはりパパとママの事を思い出すと涙がこぼれ落ち、小さな時から一緒でユーリが落ち込んだ時はいつも慰めてくれるシルバーの不在を悲しく思った。
「シルバー、帰ってくるよね」
枕を涙で濡らしながら眠りについたユーリは、赤ん坊の頃からの友人と別れるなんて考えた事もなかった。
シルバーとユーリには絆があった。
しかし、それはシルバーとウィリーの絆の二次的なもので、それですらこんなに離れ難いのに、狼とは比べ物にならない魔力を持つ竜との絆がどれほど強いのかまだ知らなかった。
ウィリアムが自分の騎竜となるはずのイリスより、ロザリモンド姫を選んだ時、どれほどの犠牲を払ったのかユーリは理解していなかった。
モガーナもユーリに竜騎士にならないようにと言い聞かせたものの、竜の呼び声に耐えれるかしらと不安を感じていた。
『竜は魔力の塊だわ!
そして竜の生きる目的は自分の絆の竜騎士を得ること。
竜はユーリの高い竜騎士の素質に惹きつけられるでしょう。
そして、強大な魔力で魅了して絆を結ぼうと全力を尽くす筈だわ』
モガーナはフィン・フォレストの魔女と怖れられている程の先祖返りの魔力を持っていたが、竜とは相容れない魔力だった。
しかし、優れた竜騎士であるマキシウスと激しい恋に落ち、産まれたウィリアムには竜騎士の素質が受け継がれた。
『ウィリアムも竜に魅了されて、私の反対を押し切ってまで竜騎士になる為のリューデンハイムに入学したわ。
でも、ウィリアムはロザリモンド姫と駆け落ちするために竜を諦めたのよ。
だから、ユーリにも竜の魅了する魔力に抗う力が有るかも、いえ、抗う力を身につけさせねば!』
モガーナはそう決意して、明日からビシビシ仕込まなくてはと眠りについた。