■プロローグ
■プロローグ
酷く降りしきる雨と雷鳴が轟く中、泥で濁った水たまりを蹴散らす何足もの軍靴。
森を雨が叩く音に負けないくらいに飛び交う慌ただしい罵声と、激しく揺すられた甲冑の留め金が発するいくつもの金属音。
そこは戦場と化していた。
眺望する視界いっぱいが真っ黒に塗りつぶされた中、突如遠くに吹き上がる何柱もの火柱。その火柱で夜の闇がオレンジ色に染まり、視界一面が広大な森であったことが分かる。
遅れ鳴り響く火柱を源とする轟音。一層にその森が広大であることを感じさせると共に、戦場の最前線が随分と遠くにまで及んでいることを示していた。
森を望む岡。
何本もの火柱が断続的に吹き上がり、だんだんと離れていく。
次第に遠ざかる轟音が引き立て役となってこそ感じる静けさ。
ガシャン!
突如の音。
その音にビクリと身を震わせる人影に囲まれるように、周りの者より豪奢な甲冑を着た男が設営されたテントの中心に置かれた机を蹴り上げていた。
ピリピリと張りつめた空気の中、豪奢な甲冑を着た男は感情的に怒鳴り散らす。
「ええい! 我々は一体何をしている!? 戦っているのか? 帝国軍とか!? 違うだろう! 我々は戦っているのではない、たった一人を拘束しようとしているだけなのだぞ!」
声を荒げた男が怒り心頭であるのはもっともだった。
今、彼が率いているのは約百四十名からなる一個中隊。たった一人を拘束するにはあまりにも大掛かり過ぎる編成のはずであったし、彼らの任務はたった一人の拘束。
間違っても戦闘と呼べる規模に発展するはずもないのだから。
そんなテントの中へ駆け込んでくる伝令兵。
「第一小隊から中隊長殿! 三個小隊の隊列は南北へ大きく伸び、戦線は拡大。これ以上の目標追跡は困難。中隊本部の判断を仰ぐ。以上!」
豪奢な甲冑を着た男はプルプルと震えだし、伝令兵に怒鳴りつける。
「戦線ではないッ! これは包囲網だッ! そして理解しろ、貴様らに許したのは攻撃ではなく威嚇行為だッ!!」
しかし、前線の状態を知っている伝令兵は挫けずに事実を叫ぶ。それが彼の仕事なのだから。
「畏れながら申し上げます! 目標はこちらの威嚇ではその進行を止められず、死者そこ出ていないものの負傷者も出ております。中隊長殿のご命令である、生かして拘束は困難を極め、三個小隊長総意により、出立前に厳命された大隊上位命令である生存問わず拘束必達に移行やむなしと!」
「ぐぬぬ……。無能な連中どもめ! いけ好かないアイツの命令を優先すると言うのかッ! 魔法も使わぬ怪しげな出で立ちの奇術士、たった一人を生け捕りにできないと言うのかぁッッ~」
テントの中で荒れ狂っていた中隊長と呼ばれた男は、ギリリと歯を食いしばり呻くのだった。
同時刻、中隊本部より七キロほど離れた前線。
闇夜に踊る一つの影があった。
それは深い森を移動するにはあまりに速く、一切の音をまとわぬ人影であった。
「そっちへ回れ! 挟撃するっ!」
「了解!」
人影を執拗に追撃する兵士達の掛け声。
木々の間に見え隠れする人影に狙いをつけ炎系戦術魔法が矢継ぎ早に展開される。
その瞬間、爆音と共に吹き上がる火柱。
「やったかっ!?」
兵士の手に確かな手応え、期待と共に煙が晴れるのを待つ。
森の木々の間に立ち込め、視界を塞ぐ煙の中を相手を捕らえようと目を凝らす兵士。
そんな兵士の眼前に煙の中から突如伸ばされる黒い片腕。
声を上げる暇もなく顔面を掴まれ、そのまま背後にあった木の幹に後頭部を打ち付けられる。
そしてゴツリという鈍い音を立て、後頭部を打ち付けられた兵士は意識を手放した。
「おいッ! どうした!? 畜生、また一人やられた!」
そうやって一人、また一人と脱落していく兵士達。
そんな事を数時間も繰り返せば、威嚇と証していた行為が、次第に攻撃にエスカレートしていくのもやむをえない事であった。
事態を重く見た現場指揮官である小隊長達は、出立前に大隊長から示達されていた生存問わずという上位命令、その時はたった一人に過剰な兵力を投入することから軽く考えていた命令、それが冗談ではなはないのだと判断。
過剰な兵力を投入する背景、そして上位命令をよくよく考えれば、それは末端が知ることを許されない何か重大な事に今回の目標が絡んでいるのだと、むしろ想像させた。
それらは普段から大隊長を煙たがっており、己の出世と大隊長の鼻を明かすことにしか興味がなく、上位命令を無視した生け捕りを命じた中隊長を見限るに十分な論拠となった。
こうして、そこは戦場と化していった。
「回れ回れ回れッ! 四時方向だ、三人で掛かれッ! 暴爆魔法展開準備、一名は防壁魔法を展開!! 同期とれ! 三、二、一、てッ!!」
第一小隊隊長の掛け声と共に放たれた魔法。
鈍い音と、一瞬の閃光が辺りを照らし、その仕儀の瞬間には爆風が木々を薙ぎ倒す。
メキメキと音を立て余波を受けた木々が倒れだす。
「追撃準備ッ! 同方向、突風魔法で煙を散らしながら、目標を吹き飛ばすぞ! 同期ッ! 三、二、一、てッ!!」
嵐より激しい突風が、視界を奪っていた煙を吹き飛ばすのみならず、倒れ掛かっていた木々を反対方向に薙ぎ倒す。
「斥候ッ! 目標を再探知しろ!」
その命令を受け、突風が駆け抜けていった方向に走り出す数名の兵士。
その兵士達は走りながら両の手を前から左右に広げながら、掌を暗闇に向ける。
掌より多少大きい程度の魔方陣がボゥと光り、両の手を覆う。
「目標健在ッ!! 六時方向ッ!! 第二小隊目前まで移動しています!!」
「クソがッ!! どうしてあの中を移動できる!! 第二小隊へ至急連絡を送れ!」
指示を受けて第二小隊方向へ手をかざす伝令兵。
しかし、
「第二小隊伝令と連絡が取れませんっ!!」
悲鳴のように声を上げる伝令兵。
指示を飛ばした第一小隊の隊長である兵士が、口を開くより先に第二小隊付近で爆炎が上がり始める。どうやら、時既に遅く戦闘状態に突入したようだ。
人影は踊る。
夜の闇、更に深い、星明りも頼れない森の中を。
走り抜ける人影。それは音も無くただ只管に速く、とても森の中、木々の間を抜けるような速さではなかった。明るい昼間の太陽の光の中でさえ、たとえ木々の無い街道でさえ、人はそんな速さでは駆けていけないのだろう。
人影は闇に紛れる黒を全身に纏い、唯一の印とばかりに暗く青く発光し、移動共に軌跡を残す双眸をつなぐゴーグルライン。
追跡者をかわし、時には無力化しながら、一層激しさを増すばかりの攻撃の中を駆け抜けていた。
深い闇であるはずの世界。
その人影が見ている世界と同じはず。
しかし、人影は違った世界を見ていた。
それは深い暗闇ではなく、まるで昼間のような明るい世界。
暗闇の森を吹く風にゆれる木々の葉、その一枚一枚までもがくっきりと見えていた。
ピピ!
その人影、その当人にのみ認知可能な自然界では聞かない人工的な音が鳴る。それは電子音。
音に続いて、夜間視覚増幅された昼間のような明るい視界に半透明で表示される地図。
その中心点から放射状に円表示が広がると、地図には敵性情報である明滅する光点がマップされる。
「広域戦線マップ、敵性情報を再プロット。半径三百メートル範囲敵影十四。統計危機レベル三。六秒後に推定交戦域に入ります。ただし、交戦はせず通過を推奨」
あくまで冷静、そして感情のこもらない男性的な合成音声。
必要最低限、事実を淡々と述べるだけ。
その口上に人影は返答しようと息を僅かばかり吸い込む。
しかし、その直後に聞こえるのは人影の声ではなく、人影の至近距離に着弾する爆炎の轟音だった。
荒れ狂う熱衝撃波。
その衝撃波に体を持っていかれそうになる人影。
ピピ!
「耐爆身体固定アンカー射出。無機高分子ベクターコンバージョン装甲稼働状況、衝撃圧直交変換率11-9(Eleven-Nine 99.999999999%)、圧電効果ユニットへの衝撃圧接続率四十八パーセント、余剰衝撃圧対地接続率十八パーセント、二十三パーセントは装甲内相殺により熱変換廃熱処理中、残り十一パーセントはベクターコンバージョン継続により装甲内循環滞留、処理待機中。千百ミリ秒後には全衝げ――全衝撃圧処理完了」
体全体をピッチリと覆う黒いスーツの上に、爪先から太股半ばまでを覆う鋭角的、そして艶消しの金属質なブーツ。そのブーツにの踝辺りから、脹脛までの側面に附属するボックス上のユニット。そのユニット底面から地面に深々と刺さる金属棒が人影を荒れ狂う衝撃波から、その体を繋ぎ止めていた。
足だけ地面に固定された状態であれば、上半身は強風に晒された草の様に薙ぎ倒されてしまっていただろう。
しかし、全身を覆うスーツとそれを覆う鋭角的な金属質は脚だけでなく、太股外側でブーツと腰をベルトの様に取り巻く構造物と連結しており、そのベルトは背中を広く覆うやはり鋭角的な薄い甲羅の様なものと連結されていた。
そして、背中の甲羅の上には、ボックス上の大き目のバックパックが取り付けられ、両肩から二の腕、肘から手首までをスッポリと覆う、やはりこちらも鋭角的な金属質のものと連結されていた。
脚のユニット同様、両腕の肘から手首までの上部にもボックス上のユニットが見受けられる。
最後に、首周りから頭部全体を覆う鋭角的、そして機械的なフルフェイス上のヘルム。そのヘルムも、うなじを通る二本の金属質なもので背中の甲羅と連結されていた。
上体の前面はあまり金属質のもので覆われてはいないが、胸部から腹部、脇腹に関しては周りよりも厚手に見える。
総合的に全体をパッと見た限り、全身スーツと全身鎧の中間程の姿であった。
そして、これらは地面に繋ぎ止められた脚と、次々に着弾する爆発の衝撃波に晒される全身を強靭に支え、上体をピクリともブレさせない。
それどころか、衝撃波に晒される中でその人影は送る足に連動する脚部のアンカーを交互に地面に突き刺しながら、変わらない速度で駆け抜けていた。
「広域戦線マップ、敵性情報を再プロット。半径四百メートル範囲敵影四。統計危機レベル一。敵包囲網の瓦解を確認。現状の戦闘移動速度を維持することで一五二秒後には戦線を完全に突破、安全圏まで移動できます」
あくまで冷静、そして感情のこもらない男性的な合成音声。
必要最低限、事実を淡々と述べるだけ
「分かったわ、このペースで逃げ切りましょう!」
これに答えたのは、正反対に感情と人間味にあふれた少女の声だった。
その声にはあれだけの追跡であったと言うのに、悲壮感はなく、だからと言って必要以上に気負っている様子も見受けられない。
少女元来の気質もあるが、それ以上に少女にとって重要なことがあったため。
しかし、それを語るのは今ではない。
少女の声に応えるのは、相も変わらず感情を感じさせない合成音声のみ。
その合成音声は事実のみ、そして聞く者が聞けば意味不明な言葉の羅列を述べていた。
「統計危機レベル閾値を下回ったため、警戒モードに再調整。身体能力アシスト維持。火器管制鎮圧モード維持。耐物理干渉保護レベル維持、耐化学干渉保護レベル維持、耐生物干渉保護オフ、耐原子物理干渉保護オフ、耐光学干渉保護オフ、耐電磁気干渉保護オフ、耐重力干渉保護オフ。燃焼ガス濃度安全域まで低下のため、呼気吸気保護フィルタおよび耐爆気密フィルタ平時モードへ移行。広域戦線マップ、アクティブ更新オフ、パッシブ更新間隔千ミリ秒へ再調整。敵性判定サポートベクターマシン、評定フィードバック、ソフトマージン再調整、学習完了。演算処理省電力モードへ移行。戦闘推論タスク優先度減、戦術推論タスクスリープ。作戦行動オーダーキューエンプティ、戦略推論システム通信途絶中のためスタンドアロンモード維持。総消費エネルギー減少に連動し、ジェネレータ出力〇.八パーセントに再調整」
「長いわよ! もっと簡潔に喋られるようになってよ、もう~!」
人影は駆けてゆく、森の奥深くへと。
プロローグ End
もし期待してくださる方がいらっしゃれば、筆が遅いので毎度更新はとてもお待たせしてしまうと思いますが、お付き合い頂ければ幸いです。