三章 3
その魔法学校はその名の通り、数百年前の大魔法使いドラホミールにゆかりのある公立の魔法学校だ。
彼の成した偉業の数々は魔法使いでない人々にも知られている。闇の魔物たちから都を守ったこと。数々の魔法技術の発展。人々への魔法による有形無形の貢献。病から人々を救ったとか、盗賊まがいの傭兵たちから村を守ったとか、そんな話には枚挙に暇がない。実際、黒死病への特効薬の開発には彼が深く関わっていたらしいし、魔法の戦闘技術は最高のものだったはずだ。魔法伝承学者の間では、彼は数々のダンジョンを攻略した凄腕の冒険者としても知られているのだ。
ドラホミールは政治には積極的に関わらなかった。母校であるブカレスク魔法学院のモットーの「魔法使いは世の光」を忠実に実践していたらしい。人々のために尽くす最強の魔法使い。
かっこよすぎる、とチェスワフはいつも思う。
そんなドラホミールは政治や戦争からはうまく距離を取りつつ、魔法使いの素質を持つ子どもたちを受け入れるための学校を作った。当時、ブカレスク魔法学院を含めて学院は各地にあった。だが、それらの魔法教育の環境は整っておらず、全ての子どもたちが平等な教育を受けることができるわけではなかった。
そこで、ドラホミールはのちに自身の名が冠されることになる初の魔法学校をこの街に作った。魔法使いの卵たちへの教育制度を整備してしまったわけだ。彼とその支持者の手によって、この国では一度に多くの子どもたちに魔法の力の扱い方を教えることができるようになった。
この魔法学校は設立当初から国の支援を受けていたから、もしかすると、そこにはドラホミールと国の間で何かしらの話し合いがあったのかもしれない。国にとっては、魔法の力を扱える者が多いのは喜ばしいことだから。行政においても軍事においても。
とはいえ、家で様々な物が飛び交ったり、いきなり暖炉の薪が燃え上がったりしていた家々は助かった。自分たちには理解できない魔法の力を持つ子どもたちを安心して魔法学校に入学させた。英雄が作った学校でちゃんとした魔法使いたちが自分たちの子どもを一人前にしてくれるのだ。嬉しくないわけがない。人々にとって国の思惑なんか関係なかった。ただ、子どもを家族と安心して過ごせるような魔法使いにしてくれるだけで幸せだったのだ。
ドラホミールもたぶんそのことだけを考えていたはずだ。残されている彼の言葉にこんなものがある。
「魔法の子弟は灯火だ」
チェスワフはこの言葉に暖炉の火のようなものを想像してしまう。家々に灯る明るい火。家族を照らす灯火。魔法学校から帰ってきた魔法使いの子どもを囲む家族。
おう、おめえもうスープ皿をぶっ飛ばすようなことはねえだろうな?
父ちゃん、もうそんなことねえったら。学校でしっかり習ったんだ。ドラホミールのおかげさ。
チェスワフの勝手な想像かもしれない。だが、結構いい感じだ。
ドラホミール魔法学校。ここは魔法の扱い方を学ぶには最高の学校だ。
魔法学校の正門を通ると、ドラホミールの巨大な彫像がすぐに目に入った。
「この人がドラホミールなの?」
「そうだ。おれのもっとも好きな魔法使いだ」
ドラホミールの功績については、すでに道すがらリリアナに話していた。
「おまえはこの人が作った学校に通えるんだ。幸運だぞ」
「ふーん」
リリアナは偉大な魔法使いの話や彫像に興味は持ったようだが、感激はしていないようだった。
「あのな、ここはこの国でもっとも伝統ある学校で、それに見合うだけの教育を行なっているんだ。わざわざ首都や外国からここに入学しにやってくる子もいるほどで……」
「なんか、このおじさん頑固そうね。しかめっ面なんかしちゃって。学校にこんな先生がいたら、私やだなー」
「……」
チェスワフは眉間の皺をすごいことにして黙った。
「こういう人ってたいてい人のやることにケチつけたがるのよね。私のいた村にもそういうおじいさんがいたわ。すっごいイヤな人で、そういえばドラホミールさんの顔もあの人に似ている気が……」
そこでリリアナはびくっとして身を引いた。眉間にいつもより深い皺を寄せる彼の顔にようやく気づいたようだ。
「えっ、えーっと……。あっ、でも、ほら! この人どこかチェスワフ先生に似ているかも!」
「しかめっ面で、頑固そうで、小うるさそうなところが?」
「……」
チェスワフは腕を上げて指先を伸ばした。そこに魔力を集める。
魔法の修行を受けていないながらも気配を察したのだろう。リリアナは引きつった顔で彼の指先を見つめた。
「ごめんなさいごめんなさいチェスワフ先生ごめんなさい!」
彼女の言葉を無視して、魔力の塊を放った。
「きゃっ!」
チェスワフの指から矢のように放たれた魔力の塊はリリアナではなく、ドラホミールの彫像にぶつかった。閃光が弾け霧めいたものが辺りに漂う。彼女自身ではなく後ろの彫像に当たったことに気づいた途端、リリアナは慌てだした。
「えっ、先生、何やってるの! 壊しちゃったらどうするの! 弁償するお金なんてうちにはないんでしょ!?」
「よく見てみろ」
リリアナはこわごわと彼の攻撃を受けた彫像を見上げた。そこには傷一つついていない。
「ドラホミールが死んだあとに彼を記念して作られた彫像でな。とんでもない金がかかった固定の術がかけられているらしい。伝え聞く話では、ドラホミールはそういう無駄なことを嫌ったらしいがな。まあ、何をしても壊れないような像ってことだ。そんなものがわざわざ作られる彼の偉大さがおまえもちょっとはわかっただろう?」
「……せめて攻撃する前に一言言ってくれれば良かったのに」とリリアナは小さくこぼした。
ちなみに、この魔法学校の悪ガキたちの間ではこの彫像に破壊活動を仕掛けることが昔からの伝統である。ドラホミールの像を倒せば、自分も英雄の一人になれると思ったのか。はたまた、そうすれば彼によって作られたこの学校も閉鎖されて、重苦しい授業から抜け出せると思ったのか。いずれにせよ、何をやっても傷つかない学校のシンボルはやんちゃな子どもたちの格好の標的だった。
もちろん、チェスワフはこんな話をリリアナには出来ない。好奇心の塊みたいなこの子のことだから入学したらさっそく試してみるに違いなかった。見つかって罰を受けるのもかわいそうだ。
学校の設立者に攻撃した罰は地獄のトイレ掃除。あれは結構辛い。
経験者としては、かわいい弟子にそんなみっともないことをやってもらいたくはなかった。チェスワフと一緒に学校中のトイレを掃除したハヴェルもきっとそう言うはずだ。
入学手続きにはしばらく時間がかかるようだった。チェスワフはずっと周りを見回しているリリアナを連れて訪れた事務室でそのことがわかった。記入しなくてはいけないものがまだかなりあったし、職員の質問に答えなければならなかった。こっちが聞かなければならないことも多いが、リリアナはこの場にいる必要は特にない。
「そこら辺をぶらついてな」
チェスワフがそう言ってやると、リリアナは跳ねるような勢いで学校探検に駆け出していった。ずっとそうしたかったらしい。わかりやすい子だ。
学校の生徒とトラブルを起こすなとリリアナに言うのを忘れていたが、まあたぶん大丈夫だろう。入学前に問題を起こすのがどれだけまずいのかはちょっと考えればわかるはずだ。
チェスワフはそれ以上気にせずに、窓口で書類に自分の名を記入した。その名を確認した中年の男の職員は驚いたように声を上げた。
「チェスワフ? 灰鷹のチェスワフ?」
「はい。何か?」
「いやあ、お会いできて光栄です。あなたのご功績は聞いていますよ。なんでもあなたもこの学校の卒業生だとかで」
「ええ。そういえば、ヤルミラ先生はまだこちらに?」
「はい。元気に教鞭をとっていらっしゃいますよ。あとでご挨拶に行かれては? 教え子が立派になって訪ねてきたら彼女も喜ぶでしょう」
「そうしてみます。そういえば、あの先生はどうですか? ほら、カツラで有名だった……」
そこから始まった最近の魔法学校の世間話で、チェスワフはリリアナのことをすっかり忘れた。
今自分で思い返してみれば、好奇心ではちきれそうな彼女から目を離すなんて馬鹿だった。まあ、この頃はまだリリアナと出会って間もなかったから、仕方がないと言えばそうなのだが。
だが、入学前からトラブルを起こすなんて誰が思う?




