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二章 3

 踊る小人亭の二階は明るく騒がしい一階とは違って、薄暗くて落ち着いた雰囲気だ。一階の騒音が届かないように建物の構造と防音の魔法術による工夫がなされている。二階にも備え付けのカウンターバーがあったが、そこにある酒は一階のものより少々ランクが高かった。出てくる料理も若干値段が変わってくる。


 カウンターバーでグラスを磨いているマスターは、今の店主の祖父が生きていた頃からこの店で働いていると聞く。噂では、この街の裏通りのことについてずいぶん詳しいらしい


 しっとりとした空間を楽しみたいためか、二階にいる客はそれなりの格好と物腰をした客ばかりだった。


 そんな雰囲気の中、イグナーツはカウンターバーでまた酒を飲んでいた。


 歳はチェスワフより二つ上だから、ドラホミール魔法学校でチェスワフやハヴェルが一年生だった頃に、この男は三年生として在籍していた。一応は、子どもの頃からこの男とチェスワフたちは互いに見知っていた。ガキの頃から嫌な男だった、とチェスワフは記憶している。


 今のイグナーツはチェスワフと同じ魔法伝承学の研究者だ。この男はチェスワフと同じ歳の頃に研究職に就いていて、これもやはり異例の若さだった。しかも、ちゃんといくつかの実績を出しているし、さらには名門である狐の家門の魔法使いだ。イグナーツは何かとそれらのことを鼻にかけていた。


 プライドの高い男なのだろう。同じく若手のホープと言われているチェスワフに、やたらとつっかかってくる。いつだったかは、フィールドワークの邪魔をされたことまである。


 皮肉屋、気取った仕草と話し方、エリート、傲慢な男。つまりは最悪の性格。チェスワフはこの男のことが大嫌いだった。


 以前、そのことをハヴェルに愚痴ったら、同族嫌悪だなんて言葉を持ち出された。


 冗談じゃない! そのときのチェスワフはハヴェルに反対した。おれみたいな良い男がイグナーツと同じだなんて虫酸が走るぜ。


 チェスワフはイグナーツの隣のスツールに腰掛けて、また麦酒を注文した。その注文を聞いて、イグナーツが鼻で笑ってきた。


「おい。麦酒なんてのは肉体労働者が飲むものだぜ。この二階は一階と違って、少し上品なところなんだ。もうちょっとマシなものを頼んだらどうだ」


 イグナーツはそこで言葉を切って、チェスワフの格好を上から下までなめまわすように見た。


「まあ、薄汚れた家門のガキにこんなことを言ってもわからんだろうが」


 チェスワフの服は部屋の掃除でついた埃で薄汚れていた。だが、イグナーツが言っているのはもちろんそのことではなかった。チェスワフの鷹の家門のことを言っているのだ。


 狐の家門が豊富な資産と人脈を持つのに対して、鷹の家門の名はほとんど知られていない。上流階級に属する家門と、イグナーツが馬鹿にする底流の家門というわけだ。


 鷹の家門は歴史だけはあるようだが、代々の鷹の魔法使いたちは金や権力、名声といったものに大した興味を示さなかったようで、それはマレクも同じだった。というより、マレクほど人の目を気にしない男はいなかったと言ってよい。マレクは平然とした顔で家門の名に泥を塗り続けていた。


 ――クソジジイのやつ、他の魔法使いの女に手を出していたらしいしな、とチェスワフは昔のことを思い出してため息をついた。


 マレクの悪行はこの街では知れ渡っていた。もしかしたら、イグナーツの鷹の家門を指した悪口もそのことを言っているのかもしれない。


 だが、チェスワフはなめられてはたまらない、と思ってイグナーツに言い返した。


「人の飲むものにケチをつけるなんて、器の小さい男だ」


「ふん。上流家門の魔法使いってのはな、服装や立ち居振る舞いがものを言うんだ。魔法使いの品位ってのは表に出てくるんだよ。おまえのような底流家門のやつにはわからないだろうが」


 魔法使いの品位、といういつもの口癖を言うと、イグナーツはマティーニを一口やった。チェスワフからしてみれば、マティーニを飲んでいるくらいで威張られても困る。チェスワフが頼んだ麦酒とそう変わらない値段なのだ。


 チェスワフはそれ以上言い返すのは面倒になって、やってきた麦酒に口をつけた。


 彼もイグナーツも黙々と酒を飲んだ。しばらく沈黙が流れる。


 イグナーツの方から誘ってきたのに、この男は何も言い出そうとしない。自分から話を切り出すのはお門違いだと思っているのだろう。こういう連中は、目下の者に、お話とは何でしょうか? と言われてから口を開くのが当然だと思っているのだ。


 チェスワフはそんなことを考えたが、しかたなく話を切り出した。


「何か用があるみたいだったが」


 イグナーツはまだ何も話そうとしない。もったいぶる男だ。酒のグラスが空く頃になって、ようやくイグナーツは口を開いた。


「おまえと一緒にいた女の子、あれはおまえの弟子か?」


「は?」とチェスワフは首をかしげてみせた。


「とぼけなくたっていい。おまえがいわくつきの女の子を弟子にしたって話はちゃんと届いているんだ」


「そうか」


 チェスワフは何気ない調子でイグナーツに答えたが、その内心は疑問に満ちていた。


 リリアナを弟子にしたことがイグナーツに知られているのはまあいい。今日あったばかりの話をこの男が知っているのは、家門の人脈でも使ったのだろう。こういうところが上流家門の怖いところだ。しかし、チェスワフが気になるのはそこではなかった。


 リリアナがいわくつきの女の子?


 探りを入れることにした。


「どこまで知っている?」と素知らぬ顔でイグナーツに尋ねる。


「そいつは逆にこっちが聞きたいな。おまえはどこまで知っているんだ?」


 正直に言って全然何も知らない。


 彼は別にリリアナの事情を詮索しようと思っていなかったのだ。アマーリアにそう言われたからというのもある。それに、マレクとリリアナがどういう関係なのかについては、どうでもいいと思うようにしていた。マレクのことをいつまでも引きずっているなんて馬鹿みたいだ。


 チェスワフはリリアナに飯を食わせてやるだけだ。


 イグナーツは質問に黙り込むチェスワフの様子を見て、お得意の嫌味な笑い方をした。


「その様子だと、何も知らないらしいな」


「じゃあ、おまえは何を知っているんだ?」


 チェスワフはイグナーツを睨みつけてやったが、効果がないのはわかっていた。


 こちらには切れるカードがないのだ。カード遊びで言えば、ブタのカードしか持っていない。


 対して、イグナーツはリリアナがいわくつきの子だということを知っていた。他の情報を持っていたとしてもおかしくはない。いわくつき、というのがイグナーツの嘘である可能性もあったが、そうだとしてもイグナーツがそんなことを言う理由がわからない。


 どうやって情報を引き出そうか考えていたチェスワフに対して、意外なことにイグナーツはあっさりと知っていることを教えてくれた。


「あの子からしっかりと目を離さずにいることだな。おれの師匠である銀狐があの子を弟子に欲しがっている」


 狐の家門当主、銀狐テオドル。それが青狐イグナーツの師匠だった。


 いろいろと黒い噂の多い人物だった。家門の金と人脈にものを言わせて、貴重な魔法道具を蒐集しているとか、裏の連中とつながりがあり、それでこの街の政治や経済に食い込んでいるとか。自分の家門の権力を強めるために、優秀な魔法使いを片っ端から弟子にしているという噂もあった。


 だが、なぜ銀狐テオドルがリリアナを弟子にしたがるのだろうか。リリアナはただの女の子じゃないのか? チェスワフはわけがわからなくなった。


 イグナーツはそれ以上話す気はないらしく、疑問を残すチェスワフを置いて席を立った。


「おい、待てよ。なぜ、そんなことをおれに話す。師匠に逆らっていいのか?」


 チェスワフの言葉を背中に受けてイグナーツは振り返ると、じっと何かを探るような目つきでチェスワフのことを見た。


「おまえ、研究は進んでいるのか?」


「は?」


 チェスワフはイグナーツと同じ研究テーマに取り組んでいたが、その進捗ははかばかしくなかった。イグナーツの方はだいぶ進んでいるようだったが。もっとも、この男は秘密主義だから他の者には研究内容を話していないようで、チェスワフもイグナーツの普段の様子からそう感じているだけだ。


 だが、なぜ今イグナーツが研究のことを言い出したのか、チェスワフには話のつながりがまったく見えなかった。


 イグナーツはため息をついた。いつものわざとらしいものとは違った、自分の感情を吐き出すようなため息だった。


「自分の仕事もちゃんと出来ないやつが弟子とはねえ。とにかく、あの子が正式におまえの弟子となってしまった以上、テオドル様がおまえらに手出ししようとしていることに、おれは反対だ。そんなものは魔法使いの品位に欠けた振る舞いだ。テオドル様があの子を狙うようになってしまったのにはおれにも責任がある。何とか説得してみるが自信はない。おまえの方でもしっかりとあの子を守ってやれ。ガキを泣かすような真似はするなよ」


 そう言うイグナーツの顔には自分を責めるような表情が浮かんでいた。いつも自信に満ちあふれているイグナーツのそんな顔を見るのは、チェスワフには初めてのことだった。


 何を言ってるんだ、こいつは? チェスワフはますますわからなくなってしまった。研究? イグナーツの責任? テオドルの狙い? 何が言いたいのか、さっぱりわからない。


 頭の中で疑問と疑念が渦巻くチェスワフを残して、イグナーツは歩き出してしまった。


「おい」とチェスワフが再び声をかける。


「何だ、まだ何かあるのか?」


 振り返ったイグナーツの顔はやる気満々という感じだった。先ほどまでの何かを悔いるような表情と違って、こっちの方がこの男の普段の顔だ。こうして、イグナーツはいつでもチェスワフとやり合う理由を探しているのだ。


 そんなイグナーツにチェスワフは堂々と言ってやった。


「おまえ、自分の分の勘定ぐらい払えよ。おまえが好きな魔法使いの品位ってやつは、人に酒をおごらせるって意味なのか?」


 金を要求する彼に、イグナーツは哀れみの視線を送った。


「これだから貧乏家門は」


 何とでも言え。チェスワフは思った。いい家のボンボンと違って、うちはいつも金に困っているんだ。うるさい弟子もやってきたことだしな。


 勘定を払って一階に下りると、ハヴェルとリリアナがすでに待っていた。


「悪い、待ったか」


 チェスワフが謝ると、ハヴェルとリリアナは微妙な顔をした。


 何かあったのか? とチェスワフは怪訝そうな表情を浮かべた。


 リリアナが視線を向けた先には、彼女に向けて気取った一礼をするイグナーツの姿があった。やつが店を出て行くのを確認してから、チェスワフはリリアナに聞いた。


「あいつに何か言われたのか?」


「ううん、別に。挨拶されただけ」


 チェスワフはイグナーツの本気かどうかわからない忠告が気になったが、とりあえずリリアナに言っておいた。


「あいつはロリコンだから気をつけろ。そばに寄らせるなよ」


 リリアナはおれの言葉に首をかしげた。


「そうなの? でも、先生と違ってとても紳士だったわよ。しかめっ面もしていないし」


 これだからガキは見る目がない、とチェスワフは首を振った。


「帰るぞ」と彼がリリアナに背を向けると、慌てて彼女は後を追ってきた。


 ハヴェルがやれやれと呆れているのが、見るまでもなくわかった。


 帰り道の石畳はガス灯で橙色に照らされていた。遠くにあるおとぎ話に出てくるみたいな城や時計塔の灯りがきらめいて、宝石を集めたみたいに街は輝いていた。


 元気に跳ねるように歩くリリアナを眺めながら、チェスワフはイグナーツの言ったことを考えていた。


 いわくつきの女の子。銀狐テオドルが欲しがっている子。イグナーツがそれを話してくれた理由とやつの表情。


 チェスワフは考えるのをやめた。何かトラブルの火種があるのだったら、アマーリアはそれを事前に注意してくれるはずだったし、彼女はマレクがリリアナをチェスワフに預けた理由を話さなかったのだ。そして、チェスワフはそれでいい、と判断したのだ。


 リリアナはガス燈がめずらしいのか、好奇心に満ちた様子でハヴェルに仕組みを聞いていた。


 確かにチェスワフはリリアナとマレクの関係、リリアナの事情について何も知ろうとしていない。信頼するアマーリアがチェスワフに何も話そうとしないならば、知る必要もないと思っている。


 だが、とチェスワフは思った。


 リリアナは自分の名に誇りを持って、おれに敬意を持って名乗った。あいつはおれがマレクにもらった部屋と杖を譲ってもらってとても嬉しいと言った。おれとマレクのボロ家を素敵な家だと言った。


 リリアナの事情については何も知らなくても、そのことは知っている。


 チェスワフにはそれで十分だった。


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