九章 2
チェスワフの名乗りが終わるか終わらないかといううちに、イグナーツはもう仕掛けていた。イグナーツの魔法火の目眩ましがチェスワフの周りを包む。鷹の目を持ってしても、何も見通せなくなった。瞬時にチェスワフは魔法火で目眩ましを打ち消したが、そのときにはイグナーツの姿はどこにもなかった。
「狐の幻術か、イグナーツ!」
答える声があるはずもなかった。
幻術魔法は狐の家門の魔法使いが得意とする技だった。姿を消し、敵を欺き、虚実入り交じった攻撃で敵の虚を突く。先手を打たれたらほとんどの魔法使いは手が出ないだろう。イグナーツの魔法戦闘の腕はチェスワフから見てもかなりのものだった。前回の決闘でも手を焼かせられたものだ。
ちなみに前回の決闘では、チェスワフはイグナーツに負けている。
「そこか」
わずかに魔力の気配が揺らいだ空間に目がけて鷹の翼撃の魔力を撃ち込んだが、何も反応はなかった。目を凝らしてみたが、鷹の目は役に立たなかった。チェスワフのそれは素早い動きを見切るためのもので、魔力の流れまでは見切ることが出来なかった。
「っ!」
ぞわりと魔力の気配が膨れ上がったのを感じて、チェスワフは飛び退いた。青い炎がその場を包み込む。
これは幻術なのか? 本物なのか?
『狐火というものだ』
目の前にイグナーツが姿を現した。反射的に鷹の翼撃を放ったが、それはもちろん幻だった。チェスワフの攻撃でイグナーツの幻影は蝋燭の火のように揺らめいて分裂した。今度はイグナーツが二人。
『本物かもしれない、偽物かもしれない。それがわからないのが狐火。おれを育ててくれた狐の家門の術だ』
再びチェスワフに青い炎が襲いかかってきた。ローブを払ってその炎から逃れたが、今度はまぎれもなく熱かった。
「大した手品じゃないか。まったく見分けがつかないぞ」
腹立ちまぎれにイグナーツの二つの分身に鷹の翼撃を撃った。今度はイグナーツが四人になった。
『もっと楽しめよ』
くそったれ。
四人の敵が一斉に襲いかかってきた。どいつも青い炎をまとっている。即座に反応して、チェスワフは魔法火で足元に陣を描く。防御結界の術だ。
すると、四人のイグナーツは目の前で掻き消えて、彼の背後に出現した。その内の一人が青い炎をまとった拳をチェスワフに振るう。かわしたが、それは偽物の炎のフェイントだった。続く他の三人の拳が本命だ。チェスワフはローブで体中を覆ったが、それだけでは不十分だった。ローブは全ての炎を防ぎきれずに燃え出してしまった。慌てて打ち捨てて逃げる。
「高かったんだぞ、これ!」
バックステップをしながら鷹当てをイグナーツの幻影たちに撃ち込んだが、四人の体は消えただけでまたすぐに元通りになった。それらが同時に口を開いた。
『踊れよ、チェスワフ。せいぜいあがいて上手く踊るんだ』
上等だ。
チェスワフは鷹の目を起動した。周りの時間が緩慢に流れる。敵の幻がまとう青い炎の煌めくようなゆらぎが漫然とした動きになった。
再び四人の幻影がチェスワフを囲む。一人目の拳をかわし、二人目の蹴りは体をずらすことで避ける。三人目の手刀の突きは頭を下げてかわして、四人目の攻撃は身を滑らせて回避した。そのまま敵の脇を通りぬけて囲みから抜け出す。
チェスワフと幻たちの追いかけっこが始まった。彼はイグナーツの攻撃の全てを防御魔法は使わずに、身一つと鷹の目の力だけでかわし続けた。青の炎と敵の幻影から逃れるために、玄関ホールを縦横無尽に駆け抜ける。
さっと腕を上げて、炎がチェスワフを飲み込もうとするのを避ける。背後から襲ってきた拳は一歩足を前に踏み出して回避。くるりとターン。やつの幻影がチェスワフのそばに現われると同時に蹴りを放ってきたが、サイドステップ。そのままバックステップで、追撃もかわす。身をひねって手刀を避け、腰を動かして炎を回避、ステップを踏んで距離をとる。
『なかなか上手じゃないか!これはどうだ?』
イグナーツの幻が六人になった。だが、チェスワフのやることは変わらない。ひたすらステップを踏み続けるだけだ。上手く踊り続けるのだ。
幻影が八人になる。サイドステップ、フロントステップ、バックステップ。苦しくなってきた。息をこらえてさっとターン、一斉攻撃をギリギリでかわす。高温の炎がチェスワフのむき出しの肌をなめて火傷を負わせた。
巨大な玄関ホールの端から端まで彼は逃げ続けた。汗をこぼして髪を振り乱しながら踊り続けた。必死に大理石の床にステップを刻む。だが、それもついに終わりが近づく。
チェスワフは壁の端に追い詰められてしまった。イグナーツの幻影が彼を取り囲む。その全てが同じ動きで首をふる。
『ここまでやるとは思わなかったぜ』
「は」
チェスワフは息をつくのに精一杯で返事もまともに出来なかった。必死に呼吸を整え、体内の魔力を整える。崩れそうになる足に力を送る。
『限界だろう。もう諦めろ、あの子のことは悪いようにはしない』
「じょ、冗談、だろう……」
壁に体をもたせかけたくなるのを必死でこらえた。イグナーツたちが一斉にため息をつく。
『おまえはボロボロ。おれはまだ魔力に余裕がある。おまけに、おまえはおれがどこに隠れているのかすらわかっていない』
青い炎をまとう幻影たちが集まって一つの炎の塊となった。巨大な狐火。だけど、これは冷たい偽物じゃない。まぎれもない本物だ。イグナーツの今までの中で最大の攻撃術。
『防御しろ、チェスワフ。もう終わりだ』
ああ、もう終わりだな。
そのとき、チェスワフは残った力を振り絞った。体内の魔力を高速で循環させて、足へと一気に魔力を送り込む。頭の先から足へと。足の先から大理石の床へと。おれの魔法のダンスステップの跡をたどって、魔力が玄関ホールを駆け巡る。
『おまえっ……!』
「ダンスは終わりだ、イグナーツ」
チェスワフは魔力を込めながら刻んだステップの跡を利用して、巨大な魔法陣を起動させた。赤い色の魔力が玄関ホールに描かれた魔法陣を浮かび上がらせる。
『くそったれ!』
狙いに気づいたイグナーツは青い炎を燃え上がらせて攻撃してきたが、そのときにはチェスワフの大魔術はもう始まっていた。チェスワフはやつの炎を頭から床に滑りこむことでなんとかかわす。
床に倒れこむチェスワフを炎の追撃が襲ったが、突然の風にその攻撃は阻まれた。
『何をした、チェスワフ!』
今、玄関ホールには天井に届かんとする竜巻が出現していた。シャンデリアが派手に揺れて装飾の欠片がバラバラと落ちてくる。リリアナもテオドルも避難しているようだから、大丈夫だろう。巨大な竜巻はゆっくりと動き出した。円を描くように玄関ホールをゆっくりと蹂躙していく。
『何をしたと聞いているんだ!』
「おまえが踊れと言ったんだろうが」
鷹の舞。
鷹の家門の戦闘魔法、舞の術の一つ。鷹の風起こし。魔力持つ鷹の羽ばたきは、ときに竜巻すら巻き起こす。
青い炎があがくように背を伸ばそうとしていたが、魔力持つ竜巻の前ではあまりにも小さかった。玄関ホールの中心に現われた鷹の竜巻は巨大な空間をあますことなく舐め尽くしていく。
チェスワフの魔力もそろそろ終わりに近かった。これが最後だ。
鷹の目を最大限に集中。まだイグナーツがどこにいるかはわからない。指先に鷹当ての魔力を集める。ガンマンの早撃ちのように腰に手を添える。玄関ホールのどんな動きも見逃さない。
落ちるシャンデリア、舞い上がる壺や絵画、破壊される彫刻。その全てをとらえる。だが、これではない。見つけたいのは……。そのとき、チェスワフは向かいの壁際に空間の揺らぎをはっきりと見た。
見つけたぞ。
イグナーツの幻術がチェスワフの竜巻で解けていた。決闘の最初からずっと隠されていた敵の姿が今見える。しかし、やつはチェスワフの動きに気づいていた。魔法の障壁を張ろうと手を振り下ろそうとするのがゆっくりと見えた。だが、今のチェスワフにはその動きはあまりにも緩慢だった。
遅いぜ、イグナーツ。
チェスワフは片手を跳ね上げた。瞬間、その手から鷹の一撃が放たれた。
イグナーツは後ろにどうと倒れこんだ。
勝敗は決まった。
チェスワフは床に描かれた竜巻の魔法陣とのリンクを切った。これ以上続けたらぶっ倒れてしまう。そうでなくともフラフラだった。よろめきそうになるのを抑えて、倒れたイグナーツの元に歩き出す。
仰向けになったイグナーツは痛みと屈辱に顔をしかめていた。
「お、おまえ……、手加減しやがったな……」
「お互い様だろうが」
チェスワフは肩をすくめた。イグナーツの炎は魔物を焼き殺すような全力ではなかった。決闘の相手にただ膝をつかせるだけの最低限の力をコントロールしていた。敬意を持つ相手を殺さずに誇りだけを打ち砕く魔法使いの決闘。
「これも魔法使いの品位ってやつになるのか、イグナーツ?」
「おまえに、そ、そんな、ものが、あるとは思いたくねえ、が……。クソッ、いてえ……」
それだけ悪態をつけるなら十分だ。肩に当てたのだが骨は折れていないようだった。
勝負はついた。一方が膝をついたのだ。チェスワフの勝ちだった。
「狐狩りってのも楽しいもんだな。またやろうぜ、イグナーツ」
「じょ、冗談、抜かせ……。何が、堕ちた、翼の家門だ。この、嘘つきが……」
チェスワフは声を上げて笑った。どうやら一応は鷹の家門を認めてくれたらしい。またこいつとはやり合いそうな気がした。
チェスワフは玄関ホールを見渡した。花瓶は割れ、壁の一部は剥がれ落ちて、シャンデリアの無残な残骸が床一面に広がっている。入り口のほうのドアを見るとそこは無事だった。リリアナは外に避難していたらしい。わずかにドアを開けて隙間からこちらを見ていた。
階段上の二階を見上げる。そこにもシャンデリアの残骸は散らばっていた。それらを踏みつけながら、残る敵の一人が姿を見せた。
「……まさか、イグナーツに勝つとはな。あいつの魔法はこの銀狐のテオドルが仕込んでやったのだが」
「おれの魔法は荒鷹のマレクに仕込まれたんだぞ」
「あのろくでなしか」
忌々しそうに吐き捨てる銀狐テオドルを見てチェスワフは笑った。クソジジイが自分の敵を苛つかせているのを見るのは楽しい。
「さて、残る狐はおまえだけだな、テオドル」




