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九章 魔法使いの決闘!

 大きな邸宅が目に入ってきた。馬鹿でかくて無駄な装飾がいっぱいあって、庭とプールまでついている家だ。チェスワフはこんな悪趣味な家より、マレクと自分とリリアナのボロ家のほうがずっと良かった。リリアナもそう言うに違いなかった。


 チェスワフはちょっと遠くからその屋敷を観察してみたが、警備の気配はおろか、門番さえいなかった。どうやらアマーリアが狐の家門の魔法使いたちを、この数日間ですでに排除しているらしい。


 イグナーツはかなりの魔法戦闘術者だ。チェスワフはこの男と以前にも戦ったことがあるから、それを知っている。おそらく、力は五分だろう。おまけに、この男に魔法を教えた師匠はテオドルなのだ。彼らと戦う前に他の魔法使いたちで力を消耗したくはなかったから、アマーリアがこの数日間狐狩りを続けていたのは、チェスワフにとって大きな手助けだった。


 無人の正門を押し開いて、チェスワフは二枚開きの大きな扉に続く道へと進んだ。長い道だったが、罠の気配は一切なかった。その道を歩くと、屋敷の正面玄関の大きな扉にたどりついた。


 チェスワフはその重い扉を開けて、狐たちが待ち構え、自分の弟子が迎えを待っている屋敷へと足を踏み入れた。


「リリアナ! いるんだろう、迎えに来た!」


 そこは巨大なホールになっていた。天井にはシャンデリアがついて大理石の床や成金趣味の彫刻を照らしている。右と左にまた大きな扉がそれぞれあって、正面一階には細かな縁取りがなされたマホガニーの扉。その両脇には大人が三人横に手をつないでも余裕がありそうな階段があって、二階へと続いていた。スポーツでもできそうなくらい広い玄関ホールだ。


 そして、魔法使いの決闘もできそうなくらいだった。


「リリアナ、どこにいる! イグナーツ、テオドル! 出てこい、話がある!」


 チェスワフは再びホールに響く大声で叫んだ。すでにやつらは彼の侵入に絶対に気づいているはずだ。この声も届いているに違いない。


「テオドル! 顔を見せろ、魔法使いの恥さらしめ!」


 この言葉が何かを刺激したようだ。ここからは見えない二階の奥から靴音が響いてきた。一人、二人、三人……。修行と冒険で鍛えられたチェスワフの耳はその音の数を聞き分けた。


 役者が揃うようだった。チェスワフの見上げる正面二階の手すりに、一人目が姿を見せた。


「だから言ったじゃねえか、チェスワフ。弟子から目を離すなってよ」


 まずはイグナーツだった。相変わらずのオールバックの髪型だったが端々がほつれていて、シルバーの髪もいつもより艶を失っているようだった。


「うるさいな。だいたいおまえがこんな下らない真似に手を貸すとは思わなかったぜ」


 イグナーツは肩をすくめてみせた。


「こっちにだって、おまえみたいな底流家門にはわからん事情があるんだ」


「ガキをさらってまでやることか?」


 イグナーツは黙りこんだ。チェスワフはその沈黙にやつの本心が見えたような気がした。何かを言ってやろうかと思ったが、チェスワフの前に二人目の役者が姿を現した。


「リリアナ」


 リリアナの顔は感情を押さえつけているみたいに無表情だった。びびって泣きわめいているぐらいは覚悟していたのだが、これは予想外だ。


「リリアナ」


 チェスワフはもう一度呼びかけてみた。そうすると、彼女は手すりのほうに寄ってきた。


「帰るぞ、リリアナ」


「私帰らない」


「は?」


 そのとき三人目の役者が出てきた。


「この子はこう言っているぞ。薄汚れた家門の魔法使いが」


「テオドル。おまえ、リリアナに何を吹き込んだんだ?」


「別に大したことは。きれいな金色の炎の魔法火を出してもらえるかと頼んでみただけだ。その見返りに最高の教育と生活環境を与えられるとは言ったが」


「下らないな。そんなことが魔法使いの弟子にとって必要なことだと本気で考えているのか?」


「どういう意味だ?」


 心底不思議そうにテオドルは首をかしげた。チェスワフの言った意味が真剣にわからないらしい。


「おい、イグナーツ。おまえの師匠ってのはこんなに馬鹿だったのか。こいつに比べれば、おまえがまだまともだってことをようやく知ったよ」


「黙れ、チェスワフ。上流家門にはそれなりのしがらみがあるんだ……」


「人の弟子に手を出す理由としては最低だぞ! 恥を知れ、狐ども!」


 チェスワフは叫んだ。リリアナがそれを聞いて身を震わせた。テオドルとイグナーツを無視して、もう一度リリアナに呼びかける、無表情だったその顔は今にも泣きそうになっていた。


「リリアナ、おれたちの家に帰ろう。アマーリア先生も待ってる」


「私、帰らないってば!」


 リリアナはついに泣きだした。手すりにつかまってしゃがみこむ。それを見たイグナーツがさっと身をかがめようとしたが、その動きはテオドルの目の動きで止められた。イグナーツの顔は苦虫を噛み潰したみたいになった。


「チェスワフといったな。貴様の弟子はこう言っているぞ。彼女はどうやらうちの家門に入りたいらしい。貴様との師弟の縁を切ってな」


 テオドルのその口調でようやくチェスワフは悟った。


「おまえ、脅されているのか? こいつらはおれのことで何か言ってたのか?」


 彼女はぶんぶんと首を振った。本当にわかりやすい子だ。


 隣でイグナーツがため息をついた。


「チェスワフ。おまえが甲斐性なしの魔法使いだからいけないんだぜ。うちの師匠はこの子に、自分に従わねばおまえの研究員の職をつぶしてやるともな」


 そういうことか、とチェスワフは納得した。チェスワフが今の職を気に入っていることを、リリアナは短い付き合いだがよく知っているはずだ。


「おまえ、そんなことをおれが気にすると思ったのか?」


 リリアナが泣き顔を上げてチェスワフのことを見た。この顔もすっかりお馴染みになってしまった気がする。


 「研究員の職ぐらいどうにでもなるさ。辞めさせられても構わない。そうしたら、二人で冒険の旅にでも出かけよう。危ないが結構楽しいぞ。もっとも、テオドルの脅しにびびるくらいの臆病者にはキツいかもしれないがな」


「わ、私、臆病者じゃないもん」


「臆病者さ」


「臆病者じゃないったら。チェスワフ先生に迷惑をかけたくなくて……」


「いや、そうだ。師匠のことを信じられずに、詐欺師の言うことに耳を傾けるやつは臆病者というんだ」


「私、臆病者なんかじゃない!」


「じゃあ、いつまでもグダグダ言ってないで下りて来い! リリアナ! おまえは母親にもらった自分の名と師匠の名を忘れたのか!」


 リリアナは弾かれたように立ち上がった。その様子はチェスワフに初めて彼女が名乗ったときのことを思い出させた。


 魔法使いは親や師匠からもらった自分の名に誇りを持ち、相手のそれに敬意と愛情を持たなければならない。思えば、これはチェスワフが師匠として初めてリリアナに教えたことだった。人生を生きる上でもっとも大切な教えの一つだ。それをリリアナは忘れていなかった。


「チェスワフ先生!」


「リリアナ」


 チェスワフの弟子は階段を駆け下りて飛びついてきた。彼はその体当たりを受け止めてやった。しっかりとした重みと温かさ。


「先生、ごめんなさい。ごめんなさい……」


「悪かったな、迎えに来るのが遅くなって」


 さらさらとした金髪を撫でてやると、リリアナは頭をグリグリと彼に押し付けてきた。涙で服が濡れたが、それがチェスワフには嬉しかった。


「戻ってきてくれてありがとうな」


「だって、私、魔法使いチェスワフの弟子よ……? あの家で立派な魔法使いになるって決めているわ。お母さんが死んじゃう前にした約束したの……」


「何をだ?」


「『立派な魔法使いになること。自分の名前に誇りを持つこと』……それがお母さんとした約束よ。初めてチェスワフ先生と会ったとき、死んじゃったお母さんと同じことを言ってくれてすごく嬉しかった。でもね、チェスワフ先生。私、先生に謝らなきゃならないことが……。私も知らなかったんだけど、この人たちがね、私は」


「金色の魔女の末裔なんだって?」


 チェスワフはびっくりするリリアナの髪をくしゃくしゃにしてやった。


「アマーリア先生に全部聞いたよ。ったく、面倒な弟子が来たもんだぜ」


「それでも、チェスワフ先生は私のこと」


「何度も恥ずかしいこと言わせるな、この馬鹿弟子。さっさとケリつけて帰るぞ。こんな狐臭い家には一秒だって長居したくない」


「もういいかね?」


 テオドルとイグナーツが音もなく階段を下りてきていた。テオドルの表情はさっきとまったく変わっていなかった。それがチェスワフには少し不気味だった。


「ふむ、困った。リリアナくんは私の弟子になってくれると約束したじゃないか。魔法使いの約束は大事なものだと、その男に教わらなかったのかい?」


「リリアナ、詐欺師との約束は守る必要ないぞ。むしろ逆に騙して、金とか情報とか取れるものは全て取るのが正解だな」


「ですって、テオドルさん。私、あなたのこと嫌いだし、私のかっこいい師匠はあなたを詐欺師って言うわ。チェスワフ先生の職を取り上げるとか、アマーリア先生の家に火をつけるって言うなんて最低な人だわ。恥を知りなさい、銀狐!」


「……リリアナ。そういうことは人の陰に隠れずに堂々と言うもんだぜ」


「え?」


 リリアナはチェスワフの背中に回ってローブをしっかり掴んでいた。気づいていなかったらしい。リリアナは慌てたように師匠の隣に立った。そして、今度はイグナーツに言う。


「イグナーツさん。あなたはこんな家は出たほうがいいわよ。あなた、とても紳士だった。私をこの家に無理やり連れてくるときは、すごく辛そうな顔をしていたわね。それに、泣いている私に向かってチェスワフ先生が迎えに来てくれるはずだって、こっそり慰めてくれていた。どうして、そんなあなたがこんなひどい人の弟子をやっているの?」


 イグナーツは恥じ入るように顔をうつむけた。テオドルの視線を避けているようにも見えた。


「リリアナ。それ以上聞いてやるな。人にはしがらみってのがあるんだ。特におれやイグナーツみたいなやつにはな」


 チェスワフはリリアナの話を聞いて、イグナーツを責めるのを勘弁してやることにした。それに少し小耳に挟んだことがあったのだ。自分と同じ早熟児で、親に捨てられ路上で暮らしていたところを、狐の家門に拾われた子どもの話を。


 イグナーツの恥ずべき師匠は口を開いた。


「イグナーツ、私はおまえに失望してしまった。拾ってやった恩も忘れて、私に対する裏切りを働くとは。この汚い鷹の魔法使いに対して、酒場で打ち明け話をしたのは私の耳にちゃんと届いているぞ。それに、私の目を盗んでこの子どもを励ましていたのか。さっきは私とこの子の間での話を漏らしたな」


「テオドル様、もうやめましょう。こんなことは魔法使いの品位に欠けた行いです。いくらその子が金色の魔女の血の持ち主とはいえ、このようなことが許されるとは……」


 イグナーツは言ったが、まだ顔はうつむいていたし、声はわずかに震えていた。その必死の抗議を聞いても銀狐の表情はぴくりとも動かなかった。


「魔法使いの品位だと? 路上で野垂れ死にしそうだったガキがよく言う。おまえに魔法使いの何がわかる。魔法の力を追い求め、真理を探求するのが魔法使いの責務だ。私はそのために、あらゆる手段を使ってきた。魔法の秘術、魔法道具、力ある魔法使い、あらゆる魔法の力を手に入れてきた。なぜなら、それが魔法使いだからだ。金色の魔女のガキを手に入れるのもその一環に過ぎん。力を手に入れ、この世の法則を解き明かし、魔法の力持たぬ者を導く。そして、この世を支配する力と真理を手中にすることこそが、魔法使いの存在理由なのだ!」


 テオドルの長弁舌に、チェスワフは思わず笑い声を上げてしまった。


「貴様、何がおかしい?」


「大したご高説だな、テオドル! 銀狐の噂はいろいろと聞いていたが、それがおまえの正体か。思っていたよりも下らなかったな」


「……何を言いたい?」


「わからないのか? イグナーツを育てておいて、本当にわからないのか? この世を支配する真理なんてものは存在しないさ。魔法使いの真理とはそういうものじゃない」


「では、何だ? 貴様のような落ちぶれた底流家門のクズに、魔法使いの存在理由がわかるのか!?」


 チェスワフは答えなかった。だがその代わりに、隣にいるリリアナの髪をそっと撫でた。優しく温かく、そして力強い魔力がチェスワフの体を包んだ。


「テオドル、銀狐テオドル。おれの弟子に手を出したら、どうなるか警告したはずだな。忘れたとは言わせない。おまえに鷹の術の恐ろしさを教えてやろう」


 今度はテオドルが高笑いする番だった。


「面白い冗談だ! 狐の家門の当主とその弟子の相手を一人でするとは! よし、その蛮勇を讃えてやる。イグナーツ、相手をしてこい。それで今までのことは帳消しにしてやる」


「……はい」


 魔法使いテオドルの弟子、イグナーツはチェスワフの方を見た。その顔は感情が流れ去ったかのように無表情だった。


「……悪いな、育ての親には逆らえん」


「出来の悪い師匠を持つと、弟子は苦労するもんだ。おれも今、そのせいでこんな羽目になっているからな」


 イグナーツの顔にわずかな笑みが戻った。この男のいつもの皮肉げな笑みだった。それを見たチェスワフも、そっくりのにやりとした笑いを浮かべた。


「イグナーツ、おまえとやるのは二回目か? 前に調査の邪魔をされたな」


「……三回目だ。ガキの頃、女を取り合ったことなんておまえは覚えていないだろう」


「は?」


「何でもない、忘れろ」


 イグナーツは苛立たしそうに首を振った。そして、後ろに立つテオドルのことを見た。


「テオドル様。私はあなたに感謝しております。ですが、私もあなたには失望しました」


「それがどうした。さっさと始めろ」


 再び二人の若き優れた魔法使いたちは向き直った。チェスワフの方がリリアナに向けて、ひらひらと手を振った。


「リリアナ、ちょいと離れてな」


「なに、なにが始まるの、先生?」


「決闘だ、決闘。下らない面子と意地をかけた魔法使いのケンカだよ」


 途端にリリアナはギャーギャーとわめき出した。危ないとか、イグナーツさんとケンカしちゃダメとか、イグナーツさんに怪我をさせないでとか。


 チェスワフは物体浮遊の術でリリアナを無理やり壁際まで押し付けた。


「あいつは何でイグナーツの味方してるんだよ。師匠の応援をしろよ」


「いい子じゃないか。素直でかわいくて」


「イグナーツ、おまえやっぱりロリコンだったのか」


「馬鹿言うな。おい、もういいだろうが。始めよう」


 チェスワフとイグナーツは互いに距離をとった。弟子の戦いを見るテオドルと、師匠を見守るリリアナは安全な場所にいる。チェスワフとイグナーツは十分に離れたところで三度向きあった。


 魔法使いの決闘は名乗りから始まる。自分の名に誇りを持って、決闘にかけるものを高らかに宣言するのだ。自分は誇り高き魔法使いである、と。大義が自分にこそある、と。それは古来より続く、魔法使いの世界の掟の一つだった。


 魔法使いにとって、名は自分と他者の存在がかかった全てだ。


「狐の家門、銀狐テオドルが弟子、青狐イグナーツが相手をする。……師匠への感謝の念をかけて」


 イグナーツは前回の決闘でかけた魔法使いの品位を、今回はかけなかった。その代わりにかけたものは自分を育てた師匠への想いだった。チェスワフにはイグナーツがそうした理由がわかっていた。


 わかってるさ、おまえがリリアナをさらいたくなかったってことは。師匠には逆らえないってことは。いくら悪党でも、師匠は親だもんな。親を見捨てることなんか、誰にも出来ないんだ。


 今のチェスワフにはイグナーツの心の全てがわかった。その葛藤も闘志も。


 望まない戦いとはいえ、この男は本気だった。本気で恩ある師匠への想いを証明しようとしていた。チェスワフを倒すことで。


 イグナーツは名乗りを上げることで、それを宣言した。今度はチェスワフの番だった。


 チェスワフは名乗る前に深呼吸をした。目を閉じて思いを馳せる。自分の名前の意味を思い出すために。


 リリアナと初めて名乗りあったときのこと。あのときのチェスワフはマレクの名をリリアナに告げることはなかった。だが、今はそれが愚かな振る舞いだったことに気づいていた。


 リリアナが泣いていた夜のことを思い出す。おそらく、あの晩に彼は本当の意味で魔法使いの師匠となったのだ。自分の子を愛するようになったのだ。


 さらに、チェスワフのうるさい弟子が彼の名を呼ぶときの響きのことを思い出す。友人が彼の名前を呼ぶときの声を思い出す。アマーリア先生の優しい声を思い出す。


 そして、あの男のことを思い出す。


 『おい、クソガキ』『グダグダ言うな』『飯ぐらいは食わせてやるよ』『あいつは普通に弟子を育てりゃそれでいい』


 なめてんのか、クソジジイ。チェスワフは心の中であの男に呼びかけた。


 おれは何も知らなくていいって? ふざけやがって。おれはもうガキじゃない。かわいい弟子ができたんだぜ。あんた、いつもおれの名前を呼ばないで、クソガキなんて言い方しやがったよな。クソジジイ、ちゃんとおれの名を呼べよ。


 おれの名前はあんたがつけてくれたんじゃないか。


「おれの名は灰鷹のチェスワフ! 師匠である最高の魔法使い、荒鷹のマレクが与えてくれた誇り高き名前だ! 我が弟子リリアナをかけて、灰鷹のチェスワフが青狐イグナーツの相手をする!」


 チェスワフは名乗った。自分は荒鷹のマレクの弟子だと。おれはマレクの子だと。今、彼は自分の名の本当の意味を思い出していた。


 イグナーツはテオドルへの感謝の念と自らの誇りをかけ、チェスワフは愛情込められた自らの名とリリアナへの愛情をかけて。


 魔法使いの決闘が始まった。


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