八章 2
アマーリアの話を聞き終えたチェスワフはしばらく我を忘れたかのように呆然としていた。
長い話だった。それは偉大な英雄とその陰にいた金色の魔女の話であり、鷹の家門の秘密の使命を巡る話であり、弟子に何も言わずに突然姿を消した男の話であり、親を亡くした少女の話でもあった。
彼は今、自分が発見した杖の欠片の持ち主と、研究していた金色の魔女の正体を聞いた。彼女の子孫の末裔たるリリアナの秘密も理解した。そして、自分を捨てた男の秘密と自分の家門の本当の任務を知ったのだ。
チェスワフは混乱していた。頭の中でいろんな単語が飛び回っていた。ドラホミール、金色の魔女、鷹の家門、リリアナ、クソジジイ……。うまくものを考えることが出来なかった。
チェスワフは何かを言おうと口を開いたが、自分でも何を言うべきかわからなくなってその口を閉じた。それから思考をまとめることを放棄したかのように頭を振ると、目を閉じてソファの背もたれに背中を預けた。そんなチェスワフにアマーリアは何も言わなかった。
しばらくそうやって沈黙が流れてから、チェスワフがふと言った。自分でも気づかない内に言葉が滑り出てきたような感じだった。
「あのクソジジイめ……」
「そうね、あの人は確かにクソジジイだわ。あなたに何も事情を話すな、なんて。また会いもせずに一人で黙って行っちゃうなんて。でも、あの人がクソジジイだったら、私はクソババアね……」
「……どうして、アマーリア先生もおれに何も話してくれなかったんですか?」
「マレクから話を聞いたときは絶対に話そうと思っていたわ。チェスワフくんもリリアナも、本人たちが自分たちのことを知らされないなんて間違っているもの。でも、やっぱり話すことは出来なかった」
「なぜ?」
「マレクと同じよ」
歪んだ親心ってやつね、とアマーリアは自嘲するようにつぶやいた。
「何を言ってるんですか?」と、チェスワフが戸惑うように言う。
「私もマレクと同じように考えてしまったの。あなたとリリアナには何も知らずに普通に過ごしていてほしいって。二人で美味しいご飯を食べて、魔法学校や研究室で好きなことをやって、それが終わると二人で家に帰ってまたご飯を食べて。リリアナが喜んでるそばで、チェスワフくんがいつもみたいにしかめっ面浮かべて、でもやっぱり笑っていて。そんなふうに、どこにでもいる魔法使いの師弟みたいに、毎日笑っていてほしいと思ってしまった。あなたたちの身に危険が及ぶのなら、マレクと私でそれから守ってあげたかった。余計な心配をかけることすらしたくなかった。もっとも」
それは失敗してリリアナはさらわれてしまったけれど……、とアマーリアは長いため息とともに言った。それには深い悔恨が込められていた。
多くの秘密を知ったチェスワフの中には、いまだ多くの感情が渦巻き荒れくれていたが、その中で一つだけわかってしまったことがあった。
嫌なことに、チェスワフには歪んだ親心というものが理解できてしまったのだ。リリアナを弟子にして彼女を愛するようになったことで、マレクとアマーリアの心の動きがわかってしまった。チェスワフも出来ることなら、リリアナには自分の家系の秘密など知ってもらいたくはなかった。この世に存在する悪意や、自分の身を取り巻く危険を案じることなく、リリアナにはただ笑っていて欲しかった。チェスワフはあの子の笑顔を見るのが好きなのだ。
おそらく、マレクとアマーリア、そしてリリアナの母親も同じ思いをしていたに違いない。彼らはチェスワフとリリアナのことを愛していた。チェスワフとリリアナの身の安全だけでなく心までも、彼らは守ろうとしていたのだ。ただただ自分たちが愛する子たちを想うがゆえに。
「あなたたちは大馬鹿だ……」
だが、チェスワフからしてみれば、彼らは愚かだった。歪んだ親心? 馬鹿な話だ。親が子を想う気持ちはわからないでもない。チェスワフもリリアナに同じ気持ちを抱いている。
しかし、彼らは子どもたちの気持ちを全くわかっていなかった。親を想わない子どもがどこにいるだろう。何も話すことなく姿を消して行く親を案じない子どもがどこにいるのだろう。
「あなたもマレクもおれにリリアナの事情をもっと早くに話してくれるべきだったんだ。おれはもう守られるだけのガキじゃない」
チェスワフはもう十三歳の子どもではなかった。マレクに捨てられてひたすら泣いていた子どもではないのだ。
「おれはあいつの師匠だ」
今のチェスワフには守るべき存在がいた。
「おれはあいつの師匠なんだ」
師匠は弟子を守る。命をかけて守り育てる。それが魔法使いの師匠だった。
皮肉なことに、マレクもアマーリアもリリアナの母親もそのことをよく理解していた。彼らはそのためにチェスワフには何も話すことなく、自分たちだけで物事を解決しようとしていたのだ。
チェスワフが子どもならば、それでよかった。だが、今のチェスワフは魔法使いの師匠なのだ。彼も師匠の役目を果たすために、リリアナの秘密とテオドルの狙いを知る必要があったのに、マレクもアマーリアもチェスワフのことを守るべき子どもだと思っていた。
「あなたたちは大馬鹿だ。おれはリリアナの師匠なんだ」
チェスワフはもう一度言った。
「……そうね。あなたはもう子どもじゃないのね」
「はい」
「チェスワフくんはもうリリアナの師匠なのね」
「はい」
「あなたは弟子のことを愛しているのね」
「そうです。おれはあいつの師匠で、あいつの親だ。親は子を愛するものだ」
唐突に、チェスワフの心から熱い魔力が湧き出てきた。それは彼の心の臓から体中の経脈をたどって、頭のてっぺんから足の先までになみなみと満ちていった。チェスワフは自分の体に偉大な力が宿ったように感じられた。
辛いことがたくさんあった。生みの親に捨てられて毎日役所の隅で一人ぼっちで泣いていた。親父だと信じていたマレクが何も言うことなく彼の前から姿を消してからは、歯を食いしばって生きてきた。家に帰ってもいつも一人だった。
だが、今は違う。彼には弟子がいるのだ。守るべき弟子がいるのだ。
そのことは彼に魔法使いが持てる最高の力を与えていた。それはこの世の自然にある中でもっとも素晴らしい力だ。魔法使いたちはこの力の存在をよく知っていた。だからこそ、彼らは自分たちの弟子に愛情を込めて名をつけるのだ。だからこそ、彼らは自分の名に誇りを持つのだ。
「チェスワフ。魔法使いチェスワフ」
「はい」
アマーリアはチェスワフの前に跪いていた。
「あなたに事情を話さなかったのは、私たちの愚かな間違いだった。どうか許してほしい」
「おれはアマーリア先生を許します。あなたのおれへの愛情を信じます」
チェスワフは思いやるような手つきでアマーリアの肩に触れて、彼女をそっと立たせた。
「……マレクがおれを置いていったことはまだ許せない。一人で危険な旅に出かけるなんて、やっぱりあいつはろくでなしだ。おれを連れて行かなかったなんて大馬鹿だ……」
「あの人は確かに、あなたを突然置いてけぼりにしたろくでなし。でも、あなたを想わない人でなしではなかった。あの人はあなたのことを心から愛していた。チェスワフ。マレクがつけた素晴らしい名前。あなたは自分の名の意味を思い出したかしら?」
「はい」
チェスワフは自分の名に込められたものを、はっきりと思い出していた。マレクが自分に与えてくれたものを思い出していた。そして、それはこれからのチェスワフが自分の弟子に与えてやらねばならないものだった。
そのためには、まず彼女を狐の手の内から取り戻す必要がある。
チェスワフは戦いのためのローブとブーツを取り出すと、それを身につけ始めた。アマーリアがローブを持って、彼に着せるのを手伝ってくれた。
「一人で行くの? 狐の家門の他の魔法使いたちは私が片付けたから、今屋敷にいるのはテオドルとイグナーツくんだけ。それでも、彼らは強いわよ」
「弟子を守るのは師匠の仕事でしょう。おれの仕事を取らないでください、アマーリア先生」
アマーリアは呆れた顔をした。
「頑固な子ね。誰に似たのかしら。まったく師匠そっくりなんだから」
「そして、あなたにも似てしまった。人のことを心配ばかりして、自分一人で片をつけようとするあなたにも。おれはマレクとあなたの背中を見て育ったんだから、そうなるのは当然だ」
チェスワフはアマーリアがまた呆れた顔をするものだと思ったが、アマーリアは泣きそうな顔になるとチェスワフを力強く抱きしめた。そして、耳元でそっとささやいた。
「チェスワフ、灰鷹のチェスワフ。あなたの勝利を祈っているわ」
チェスワフはこんなふうに彼女に抱きしめられるのはずいぶん久しぶりだった。研究員になってからというもの、彼女との距離をとってしまっていたのだ。アマーリアの温かさと優しい匂いは子どものときから変わってなかった。
チェスワフたちが住んでいるおとぎの街はなかなか眠ろうとしない。夜更かしする街なのだ。繁華街の方へ行けば、夜はいつも学生や仕事を終えた魔法使いたちが酒を飲んだり食事をとろうとして溢れかえっている。夜が深まるにつれて人数が少なくなっても、それらが完全に消えるのは日付が変わって何時間かしてからだ。今も酒場やレストランが並ぶ通りの方からは、なんだか騒がしい空気がしてくるような気がした。
だが今、チェスワフはそれらから遠ざかっていく方へ歩いていた。この街の上流家門の魔法使いや金持ち、政治家や官僚なんかが住む高級住宅街の方へ歩いているのだ。
歩き続けていると、やがて石畳の道は石版の歪みや段差のズレが少なくなってきた。地面に張り付いたガムの黒い塊もタバコの吸い殻も少なくなってきている。そして、橙色の光を放つガス燈の数は多くなってきた。その光に照らされて周りの家並みが見えてくる。街中の温かい感じがする赤屋根とは違って、壮麗な屋根を持つ大きな家々だ。いつのまにか高級住宅街に入っていた。
大きな屋敷が立ち並ぶこの一角に狐の家門の屋敷がある。
春の夜の空気はもう冷たくはなかった。この時期はもうそろそろ初夏に向けて暑くなってくる時期だ。木々の緑がますます深まる時期。リリアナを連れてピクニックに行くのもいいかもしれない。たぶん、あの子は飛び上がって喜ぶだろう。
だが、今のあの子は笑ってはいないはずだ。泣いているかもしれない。狐の家門がリリアナにどういう扱いをしているかは知らないが、チェスワフはイグナーツの言う魔法使いの品位を信じるしかない。かといって、やつを簡単に許すつもりもなかったが。
チェスワフはにやりと笑みを浮かべた。敵を狩る鷹の笑みだ。
邪魔するやつは全員ぶっ倒してやるから覚悟しとけよ、クソ狐ども。
彼は軽く肩を回して魔力の流れを確かめた。最高の調子だ。
「さて、狐狩りといくか」
狐狩りが貴族や金持ちの娯楽であることを思い出した。上流家門を自認する狐の家門に対して狐狩りを仕掛けるというのも、なかなか洒落が利いている。チェスワフは思わずにんまりとしてしまった。
今夜のチェスワフは怖いもの知らずだった。




