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七章 2

 その日のチェスワフは仕事を終えるのが遅くなって、リリアナが待つ家へと暗い夜道を急いでいた。使い魔を彼女のそばにつけているとはいえ、彼女をあまり一人にしたくはなかった。


 だが、どうもおかしい。チェスワフの後ろから妙な気配がする。


 チェスワフはいつもとは違う通りを選んで、路地の中にさっと入った。


「おい、おれに何の用だ」


 やはり尾けられていた。路地裏で尾行の気配を待ち構えていたチェスワフの前に現れたのは、二人組の男だった。


 一人は筋骨たくましい大男で、まるでオークみたいな顔だった。他人を痛めつけることが大好きな種族だ。こいつもきっとそうなのだろう。


 もう一人の方の顔つきも似たようなものだった。素手のオークとは違って、ヒジまでの長さくらいの杖を持っている。体はオークよりずっと貧相だったが、背丈が低くて猫背気味なところがゴブリンに似ている。欲深そうな顔もゴブリンのそれだった。


「あんたが灰鷹のチェスワフかよ?」と、ゴブリンの方がダミ声で言った。


「おまえみたいな臭いやつにその名を呼ばれる筋合いはないよ」


 二人組はくぐもった声で笑った。笑い声までオークやゴブリンにそっくりだった。不意に笑いを止めて、オークがチェスワフの頭を押し付けるような声で言った。


「てめえよお、ちょっとふざけてんじゃねえのお? なにガンとばしてんだよ、ああ?」


「ふざけてんのはそっちだろうが。さっさと用件を言え? なぜ、おれを尾けていた?」


「ある人に頼まれてよ。ちょいと痛い目にあってもらうだけだ」


「テオドルか?」


 ゴブリンが顔を歪めて笑った。


「さあな。ただ、そのお方はあんたが調子に乗ってんのがムカつくんだとよ」


「なあ、兄弟よお、早くやっちまおうぜえ。こいつのツラ見てるとむかついてくんだよお。さっさとぶっ殺してえ」


「奇遇だな。おれも同じことを思ってたよ」


「ああ!?」


 オークの振り上げる手を、ゴブリンがまあ待て、と制した。


「一応、あんたに伝言を頼まれていてよ。そのお方の言うことにゃ、『子どもから手を引け』だとよ」


 ゴブリンは上目遣いに睨み上げてきた。弱い獲物を見る魔物の目。


「で、あんたのご返答はどうだい?」


 人通りのない夜の路地裏で、チェスワフの目が鷹のように光った。


「テオドルに伝えな。くそったれってな」


 それ以上の言葉はなかった。


 オークの方が丸太みたいな腕を、チェスワフに向かってぶん回してきたのだ。


 おとぎの街の片隅で、誰にも気づかれることのない戦いが始まった。


 いきなりの一発をかわすと同時にチェスワフは攻撃の動作に入ったが、目の端でゴブリンが杖をふるのが見えて距離をとった。氷柱の槍がチェスワフをかすめた。


 離れたチェスワフにオークが追撃。大股なステップで距離をつめて再びの拳。チェスワフは魔法の障壁を張った。拳とぶつかって炎があがった。オークは自分の指に火炎の術がかけられた指輪をはめていた。


 呪文の単語をつぶやくだけで拳に炎を纏う近接格闘のオークと、杖を振るだけで氷の魔法を繰り出せる速攻呪文師のゴブリン。息をつかせないほど速い。ただのチンピラではない。戦い慣れている。


 チェスワフは目眩ましの魔法火を瞬間的に辺りに展開した。オークとゴブリンが警戒した隙をついて、さらに間合いをとった。が、チェスワフの足元に氷柱が風を切って突き刺さった。


 魔法火を打ち消した二人の男はチェスワフを見て笑っていた。


「おいおい、魔法火で目眩ましかよお。てめえ素人かあ? ああ? クソったれがよお」


「動くなよ。一瞬であんたにぶっとい氷柱を突き刺してやるぜ。術を起動させることもするな。呪文を唱えようが、手を動かそうが、火文字を書こうが、全部見えてるぞ」


 チェスワフは降参するかのように、ゆっくりと両手を上げた。


「そうそう、それでいいんだ」


 ゴブリンは杖をチェスワフに向けていた。その杖先にはすでに氷柱ができている。一振りでそれを飛ばすことが出来る。オークにもそれがわかっているのだろう、拳をポキポキと鳴らしながらホールドアップしたチェスワフの方へゆっくりと歩いてきた。じっくりといたぶるのがお好きというわけか。


 やれやれ。


「なめてんのか」


「ああ?」


「鷹の速さをなめてんのかって聞いてんだよ」


 チェスワフは自分の瞳に魔力を一気に送り込んだ。時の流れが緩慢になる。オークの動き、ゴブリンの杖の動き、体をひねってそれぞれの手をやつらに向ける自分の動き。全てがゆっくりと見えた。


 鷹の家門に伝わる魔法戦闘技術、鷹の目。チェスワフはこれをマレクとの修行の中で徹底的に叩き込まれていた。


 常に起動できるように術を仕込まれたチェスワフの瞳は、敵の全てを正確に捉えた。オークの防御と急所。ゴブリンの杖の動きとその角度。そして氷柱の攻撃。


 ここだ。


 チェスワフは上半身だけを後ろにそらして、両手をガンマンみたいにしてオークとゴブリンに突き出していた。


 そのときにはもう彼の攻撃は終わっていた。


 やつらが残忍な笑みを浮かべようとするのがやけにのろくさく感じられた。口の端がグーッとひん曲がって、目がゆっくりゆっくりと細められるのが見えた。それはやつらなりの勝利の笑顔だったに違いない。


 その笑みが完全に作られることはなく、オークとゴブリンは地面に倒れたが。


 ゴブリンの放った氷柱はチェスワフのローブの裾をかすめただけだった。苦悶の声を上げて地面でのたうち回る二人組にチェスワフは近づいた。


「おまえら、鷹の家門の術をなめすぎだろう」


 オークの方は呻くことに忙しくて返事ができないらしい。ゴブリンだけが途切れ途切れに言葉を発した。


「な、なにしやがった……」


 鷹の家門の戦闘魔法術が一つ、鷹の翼撃。指先で極度に圧縮された魔力の塊は、鷹の速度を持って敵に襲いかかる。


 チェスワフはそれをこいつらの腹に食らわせたのだ。敵の攻撃は紙一重でかわしながら。


 通常の魔力の塊を飛ばしても、障壁に阻まれてしまえば、敵をあとずらせるか目眩まし程度にしかならない。だが、チェスワフは自らの魔力を、すさまじいまでの強度に圧縮することができるようになっていた。呪文を唱えることも字を書くこともなく、手振りや足踏みで術を形作ることもなしで。


 大抵の魔法使いは術を使うのに、最低でも単語単位での呪文の詠唱を必要とする。予備動作や杖、魔法道具の補助もなしで出来るのは、魔法火を出すのと、簡単な魔法の障壁、脆弱な魔力の塊を飛ばすぐらいだった。


 だが、チェスワフやマレクは鷹の翼撃によって一瞬で敵を攻撃することが出来た。しかも鷹の目で相手の動きを見切った上で。これは魔法使いを相手に戦うときには大きなアドバンテージだった。


 チェスワフはゴブリンの顔を見下ろした。


「あの狐に伝えときな。おれの弟子に手を出したらタダじゃすまないってな」


 だが、ゴブリンは咳き込みながらも低い笑い声を発した。


「も、もう、お、遅いぜぇ……ッ」


「は?」


「テオドルとやつの弟子がよ、い、言ってるのをよ、ぬ、盗み聞きしたのさッ。『あいつらにチェスワフを襲わせてる間に、私たちは子どもの方へ行くぞ』ってなあッ!」


 チェスワフは凍りついた。


 血の気のひいた唇で、リリアナを守っている使い魔の召喚呪文を唱える。だが、チェスワフの前に姿を現したのは、無残な姿になった忠実な灰鷹だった。誇り高き翼は折れ、敵を蹴散らす鉤爪は割れている。


「おいッ! どうした、何があった!?」


 何があったかなんて決まっている。テオドルとイグナーツがリリアナをさらったのだ。おそらく灰鷹はそれに応戦するか、主人にリリアナの危機を知らせようとしたのだろう。だが、強力な魔法使い二人が相手では、それはかなわなかった。チェスワフに何かの信号を飛ばしたのかもしれなかったが、愚かな事に、彼は自分の戦闘に夢中でそれに気づくことはなかったのだ。


 チェスワフは傷めつけられた灰鷹に、水の精霊の治癒呪文と、鷹の守護を司る風の精霊の呪文を唱えようとした。だが、灰鷹はそれを押しとどめるかのように、自らの嘴を突き出した。何か伝えたいことがあるらしい。


 チェスワフは自分の魔力の波を、灰鷹のそれと同調させ、指を嘴に合わせた。たちまち、主従の意識の間に糸が結ばれ、灰鷹の記憶がチェスワフの頭に送られてきた。


 そこはチェスワフとリリアナの家だった。目の前にリリアナの姿が見える。今、チェスワフは、彼女のそばにいた使い魔の視点でものを見ていた。


 リリアナは居間のソファに座って本を読んでいるようだったが、その視線はときおり玄関の方へ向いている。チェスワフの遅い帰りを待っていたのだ。


 だが、玄関から突然弾けるような音が上がった。


 驚いて声も出ないリリアナの前に、押し入ってやってきたのはテオドルとイグナーツだった。


「ふむ。これが金色の魔女の末裔か。そうだな、イグナーツ?」


「……はい」


「おまえの研究も役立つものだ。私のために、このような素晴らしい血を持つ魔法使いの子どもを見つけ出すとは」


「テオドル様! 私はあなたのために金色の魔女の研究を進めていたわけではありません!」


「何を寝ぼけたことを。この子どもを狐の家門の弟子にしたいと言ったのはおまえではないか」


「それは……。確かに金色の魔女の家系を調べたいとは思っていました。ですが、私はこの子が魔法使いの修行をするのならば、我が家門に迎え入れて最高の教育を与えるのが、この子のためになるとも思っていたのです! ……ですが、この子はすでに鷹の家門の弟子となっています。人の弟子に手を出すような、魔法使いの品位に欠けた行いは間違っている! ましてや、この子はまだ子どもだ。 子どもを誘拐するなんて……!」


「黙れ、イグナーツ。路地裏で残飯を漁っていたおまえを拾ってやったのは誰だ? この私だ。育ててやった恩を忘れたのか?」


 イグナーツは青ざめた顔で唇を噛んで黙ってしまった。


「……あ、あなたは誰なの? イグナーツさん、どういうこと? どうして、チェスワフ先生と私の家に来たの? 金色の魔女って何!?」


 突然の闖入者に、リリアナの声は震え上がっていた。すでに顔見知りであったイグナーツに助けを求めるような悲痛な叫びを上げたが、それがイグナーツの動きを止めることはなかった。


「……すまない。師匠には逆らえない」


 イグナーツは手品師のようにさっと手を振った。すると、リリアナの目はトロンとしたような眠たげなものになり、パタンとソファの上に倒れてしまった。


 魔法の眠りをかけられたリリアナに手を伸ばそうとするイグナーツだったが、その手に灰鷹の鉤爪が襲いかかった。


 チェスワフが見る、そこからの灰鷹の記憶の映像は混沌としたものだった。


 ほとばしる閃光。砕ける鉤爪。朦朧とする意識。暗くなっていく視界で、イグナーツがリリアナを魔法で作った縄で縛り上げるのが見えた。


「早いところその子どもを運べ、イグナーツ。あのクズめ、使い魔を弟子のそばにつけていた。一応、チンピラをあやつのところへとやったが、いつ知られるかはわからんぞ。それに、不老の魔女が我々の家門の魔法使いを次々と手にかけている。あの怪物め、この間はこの子どもから手を引け、などという脅しをかけてきた。もっとも、鷹の魔法使いが我々の家にやってきたところで、何が出来るとも思えんがな」


 その光景を見る灰鷹の意識はもうほとんど途切れ欠けていた。目が閉じられようとしている。


 最後にチェスワフが灰鷹の目で見たものは、ぐったりとしたリリアナと、それを丁寧な手つきで持ち上げるイグナーツの、絶望と恥辱に満ちた顔だった。


 そこで、リリアナを守るはずだったチェスワフの使い魔の記憶は終わってしまった。


「ありがとう、おまえはよくやった。おまえが飛ばした信号に気づけなかった愚かな主人を許せ」


 チェスワフはテオドルの手にかかってしまった灰鷹の体を優しく撫でた。


 彼は今、狐たちが自分の家へと押し入り、リリアナを狐の家門の家へと連れ去るのを、使い魔の記憶によって知ったのだ。そして、彼らの目的も。


 金色の魔女の末裔、リリアナ。


 イグナーツの研究と、やつが師匠のテオドルにリリアナの情報を渡したこと。魔法使いの秘術や力に目がないテオドルがリリアナを欲しがった理由。


 なぜ、リリアナが伝説の魔女の血を受け継いでいるのか、なぜマレクがそんな彼女をチェスワフに預けたのか。それはまだわからない。


 チェスワフもそのリリアナの秘密には思い至っていた。力持つ魔法使いたちを蒐集しているテオドルがあの子を狙う理由。金色の魔法火を出すリリアナ。だが、実在すらも疑わしい金色の魔女の子孫が本当にいたとは。しかもそれが自分の弟子だとは、にわかには信じがたかった。


 だが、イグナーツは金色の魔女の研究を進める過程のどこかで、その子孫の存在を知ったのだろう。それで、やつはチェスワフに金色の魔女の研究は進んでいるか? と、聞いてきたのだ。そして、イグナーツはリリアナに関する情報を師匠のテオドルに渡してしまった。それが自分の思惑を外れた結果を引き起こすとは知らずに。イグナーツはテオドルの人の弟子に手を出そうとする卑劣な行いに、責任を感じていたようだった。だが、自らの師匠を止めることは出来なかったのだ。


 しかし、今のチェスワフにはそれらの事情などどうでもよかった。彼の頭の中を占めていたのは一つだけ。


 あの野郎、おれの弟子に手を出しやがったな。


 チェスワフはいまだかつてなかった激怒に満ちていた。リリアナの誘拐者に怯える顔が蘇った。あいつはおれの帰りを待っていたというのに、そこへやって来たのはクソ野郎たちだった。


 リリアナが金色の魔女の末裔だろうが何だろうが、チェスワフにはさしたる事ではなかった。彼にとってリリアナはただたんに自分の弟子というだけで、彼女の正体だの、自分の弟子になった経緯などは大きな問題ではなかった。


 彼はリリアナに飯を食わせて、魔法修行をつけてやって、彼女に笑ってもらうことだけが望みなのだ。


 だが、今そのささやかな願いは、狐たちの手によって破られてしまった。


 なめやがって。


 チェスワフは自分を襲ってきた二人の男など、もう目には入っていなかった。彼は駆け出した。リリアナを取り戻しに、狐たちの屋敷に向かわねばならない。あの子はチェスワフの帰りを待っていたのだから。


 そのためには、まず準備を整える必要があった。チェスワフがいつも冒険の旅に出るときに使う装備。魔法の攻撃を防ぐ灰色のローブと、自らの魔力を大地に伝導させることで戦闘魔法の補助をするブーツ。最高の力と装備を持って事に当たらねばならない。それらを取りにために、チェスワフは矢のように自宅へと走った。まるで、鷹が自分の子を助けるために飛翔するような速さだった。


 チェスワフは怒りに震え、激しい息をつきながら家に飛び込んだが、そこで意外な人物がチェスワフを待っていた。


 アマーリアだった。


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