六章 3
リリアナのお祝いの翌朝は大人たちの誰もが二日酔いだった。チェスワフがカレンを家に送ったあとも、みんなで朝まで飲んでいたのだ。ちなみに、カレンの家はこの街の高級住宅街にあってすごく大きかった。カレンの家はお金持ちのようだ。
ハヴェルとクロエとラウラは辛そうな顔でパーティーの後片付けをしたあと、家へと帰って行った。今日は休日だからみんな仕事はないのだが、チェスワフだけは痛む頭を抱えながら研究室に出かける支度をし始めた。
「あれ? チェスワフ先生、今日はお休みじゃないの? 今日は働いちゃダメな日よ」
「いや、最近ちょっと仕事が遅れていたから、少しだけ資料の整理をしようと思ってな」
それを聞いたリリアナはちょっと申し訳なさそうな顔になった。
「私のためにいろいろとやってくれていたから? 先生はみんながお休みしている中でお仕事しなきゃいけないの?」
「いや、別に違うぞ」
チェスワフはささやかな嘘をついてリリアナの心配を和らげようとしたが、それでも彼女はまだ落ち込んでいた。昨夜はあんなに楽しそうにしていたのに、相変わらず気分の上下が激しい子だ。それを見たチェスワフはある提案をした。
「そうだ。いい機会だから、ブカレスク魔法学院に行ってみるか? どうせ大した仕事をするつもりもないし、せっかくだからおれの職場を見せてやるよ」
「ほんと!?」
たちまちリリアナは喜んで、チェスワフの体に抱きついた。それを振りほどいてチェスワフは仕方ないやつだ、というように笑った。
リリアナは早く行こう! と飛び跳ねていたが、チェスワフは出かける前にもう一度アマーリア先生に手紙を出すことにした。
『アマーリア先生、リリアナのことについてお話があります。なるべく早くお返事をください』
やはりまだリリアナの事情が気になっていたのだ。今のところ、彼女の周りに不穏な気配はしないからそんなに焦る必要もないだろうと思っていたが、それでも早めにアマーリア先生から話を聞けることに越したことはない。もっとも、チェスワフはなんとなくアマーリア先生が捕まらない気がしていたが。
その手紙を再び使い魔の灰鷹に持たせてから、チェスワフはリリアナを連れて家を出た。
今日もいい天気だった。四月もそろそろ終わろうとしていて、初夏に向けて太陽の日差しを強めていたが、ときおり吹く風はやっぱり気持ちがよかった。チェスワフの二日酔いもすぐに晴れていくような気がした。
おもちゃのような見かけの路面電車に乗って、二人は魔法学院へと向かった。
チェスワフがブカレスク魔法学院の歴史について話してやると、リリアナは興味深そうに聞いていた。好奇心が旺盛だから人の話は結構よく聞く子だった。この好奇心をうまく魔法の勉強に向けてやらないとな、とチェスワフは思った。
それからふと思いついてチェスワフはリリアナに尋ねてみた。
「おまえ、ドラホミール魔法学校を卒業したら、どうするつもりだ? そのまま仕事に就くのもいいし、魔法学院に行きたいんだったら金は工面してやるぞ」
チェスワフに本当は莫大な学費を工面する当てなどなかったのだが、まあおれはこいつの師匠だし、とチェスワフは考えていた。マレクみたいな文無し師匠にはなりたくない。
チェスワフの何気ない質問はリリアナには予想外だったらしく、彼女はうーん、と唸ってしまった。
「何がしたいか全然思いつかないわ。チェスワフ先生のおかげで魔法学校に通えるようになっただけでも大感謝よ」
「そうか。まあ、別に焦る必要はないから、この三年間でゆっくりと自分のやりたいことを探せ。見つからなかったとしても気にすることはないさ。みんながみんな、自分のやりたい仕事をしているわけじゃないからな」
「でも、先生は今のお仕事が大好きなんでしょ?」
「まあ、そうだな。ガキの頃からの夢だったし。ドラホミールの伝記を読んで、彼の杖を探してみたいとずっと思っていた。それに他の伝説とか物語を読むのも好きだったから、それらを調べる今の研究者の職は気に入っている。おれを取り立ててくれたキーツ教授には本当に感謝してるよ。おれの尊敬する人の一人だ」
「カレンに教えてもらったわ。チェスワフ先生がドラホミールの杖の欠片を見つけたのはすごいことだって。いいなあ、私もそんな大冒険してみたいなあ」
「危険な旅だぞ。友達にも心配と迷惑をかける。安全な遺跡やダンジョンもあるが、それでもやっぱり油断は禁物だからな」
それを聞いてもリリアナのチェスワフに対する興味は尽きないようだった。
「ダンジョンってどんなところ?」
「古代の遺跡やら、魔法の力が渦巻く森や洞窟、廃墟だ。そういう魔法の力が強い場所にはたいてい闇の力を持つ魔物がいる。ゴブリンとかオークとか悪霊とか。それらを避けたりときには戦ったりして、そこに隠された遺物や宝、魔力を溜め込んだ石なんかを取ってくるんだ。そして、それらを持ち帰って、それにまつわる伝説や伝承の真偽に迫るのが、おれの仕事だな」
「かっこいいわ! ねえ、先生は子どもの頃、どんな伝説や物語が好きだったの?」
「宝石と黄金だけで出来た古代遺跡、魔力で輝くような木々に満ちた森、海みたいに巨大で青い色の湖がある地下洞窟。そこに迷い込んだ旅人の話や、それらに住む聖なる妖精や精霊の話。興味があるんだったら、クロエのいるブカレスク図書館に今度行こう。そういう本がたくさんある」
リリアナは図書館にも興味を持ったようで、次から次に質問してきた。
図書館は大きいの? 他にどんな本があるの? クロエさんはどんなお仕事をしているの?
チェスワフがそれに答えてやろうとするそばから、リリアナはさらに質問を重ねる。
そういえば、ハヴェルさんの魔法道具店はどんなところなのかな? ラウラさんのお仕事も見てみたいわ。アマーリア先生は学部長っていうお仕事をしているみたいだけど、どんなことをしているのかしら?
「そんないっぺんに答えられるか。今度、本人たちに直接聞いてみろ。あいつらとおまえはもう友達なんだから」とチェスワフは降参するように言った。
それでリリアナはようやく納得した様子で質問の嵐を止めてくれたのだった。
ブカレスク魔法学院の大きさと威容に驚くリリアナを連れて、チェスワフは合同研究室に入った。その中では、仕事好きな数人の研究員と物好きなキーツ教授が、休日だというのに研究室に来ていた。もっとも、チェスワフも人のことは言えなかったが。
いつも一人でしかめっ面のチェスワフがかわいらしい女の子を連れていることに、普段まったく話さない同僚たちは驚いたようだった。彼らはその子は何者だ、と聞いてきた。まるでチェスワフがリリアナを誘拐したかのような物騒な聞き方で、しかもチェスワフのことを不審そうにジロジロと見ている。
「弟子だよ、弟子。リリアナ、別にこんな失礼なやつらに挨拶する必要はないぞ」
「あら? チェスワフ先生のお友達にそんなことは出来ないわ。えーと、初めまして! チェスワフ先生の弟子、リリアナです。ちょっと頑固な人かもしれないけど、先生をよろしくお願いします」とリリアナは彼らにペコリと頭を下げた。
なんでおまえがおれをよろしくするんだよ、とチェスワフは言おうとしたが、リリアナの言葉に対する同僚たちの反応はちょっと見物だった。
「ああ、いや、こちらこそよろしく」「リリアナちゃんか、出来た子だなあ。こんなやつにはもったいない」「とんでもない。こいつにはいつも世話になっていて」「まあ、チェスワフはおれがいつも世話してやってるんだ、だからリリアナちゃんもおれのことを師匠だと思って……」
普段同僚たちはチェスワフに、若いのに傲慢なやつだ、と陰口を叩いたり、下手に関わったらあの研究員みたいにぶっとばされるぞ、と彼を恐れているというのに、この反応ときたら。
おれはおまえらを世話してやった覚えも、世話された覚えもない、とチェスワフが口を開こうとすると、キーツ教授がにこにこと笑いながらやってきた。まるで孫が遊びに来たおじいさんみたいだ。
「リリアナくん、初めまして。プレゼントは気に入っていれたかな?」
「あっ! あなたがキーツさん? 万年筆をありがとう! 大切に使わせてもらうね! そういえば、チェスワフ先生がキーツさんのことをとっても尊敬してるって言ってたわ」
「ほう。そうなのかい、チェスワフくん? 君ときたらいつもしかめっ面だから気づかなかったよ」とキーツ教授は冗談っぽくチェスワフに言った。
「いや、まあ、それは……。……はい、そうですね。確かにキーツ教授はおれの尊敬する人です。おれを研究員に推薦してくれてからも気遣ってもらっていることには、本当に感謝しています」
少し口ごもりながら言うチェスワフを見る同僚たちの目つきは意外そうなものだった。
「こいつのこんなところを見るのは初めてだなあ」「へえ、ちゃんと人に感謝できるやつなのか」「キーツ教授に対しても眉間に皺を寄せているから失礼なやつだと思ってた」「リリアナちゃんにはもったいない。おれの方が師匠としてふさわしい」
「そんなわけないだろう。眉間の皺は癖だ。おれだって礼儀くらいわきまえている」
と、チェスワフは彼らにやっと反論した。
だが、たちまち抗議の嵐がやってきた。
「研究員になってすぐに人を攻撃して謹慎処分を食らうやつに言われても」「先輩のおれたちに対してタメ口じゃないか」「おまえに頭が悪いな、って言われたのを覚えているぞ」「リリアナちゃん、おれの弟子にならない?」
さっきから所々おかしな発言が混ざっているのがチェスワフは気になったが、同僚たちの言葉に反論する気はすっかり失くしてしまった。
そんなチェスワフと同僚の研究員たちのやりとりをキーツ教授が愉快そうに眺め、リリアナが不思議そうに見ていた。
この日からチェスワフの合同研究室での仕事の様子はちょっとだけ変わった。
研究員になってからの一年間というもの、チェスワフはキーツ教授以外とはほとんど口を利いていなかったのだが、この日からは同僚たちと少しずつ言葉を交わすようになっていったのだった。




