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五章 2

 その話を聞いて、リリアナは自分も厳しい修行をつけられてはたまらないとでも思ったのか、さっさとチェスワフを仕事に送り出した。まあ、今日中に魔法火を出してみせると張り切っていたから大丈夫だろう、と安心してチェスワフは合同研究室に出かけた。


 午前中、チェスワフが一人でいつものように金色の魔女に関する資料の整理や調査記録のまとめに精を出していると、キーツ教授が話しかけてきた。久しぶりに昼食を一緒にとらないかという。断る理由もないので、チェスワフは気軽に応じた。


 昼の時間を告げる鐘の音が鳴ると、二人は学食へと向かった。キーツ教授は奥さんに作ってもらったというサンドイッチを持ってきていたが、今日のチェスワフは学食の食事をとるつもりでいたのだ。


 ブカレスク魔法学院の学食の食事は美味しい。種類も肉料理、魚料理、各種スープにパンと豊富だから、いつも学生やその先生、研究者や学院の職員で混み合っている。


 チェスワフがキーツ教授と一緒に学食に入ると、十六歳から十八歳の学生たちがすぐにキーツ教授に気づいて声をかけてきた。彼は学生たちへの授業もしているから、顔が広いのだ。おまけにわかりやすくて面白い授業をするから毎年学生たちには大人気だ。


 キーツ教授と一緒に食事をとりたそうにチラチラと見てくる学生たちを避けて、二人は学生用のホールではなく研究者専用のホールに入って食事をし始めた。


「チェスワフくん、これ食べない? 私はコンビーフのサンドイッチが苦手なんだけど、カミさんがいつも入れてくるんだ」


「はあ、いただきます」


 チェスワフの前にはすでにビーフシチューと白パンがあったが、彼はありがたくサンドイッチを受け取って食べ始めた。そんな彼を見て、キーツ教授がにこにこと笑う。


「うんうん。研究者はたくさん食べなければダメだ。特に我々のような魔法伝承学者はフィールドワークが多いから、いっぱい食べて体力をつけないと」


「なるほど、それが穴熊の家門の教えですか?」


 チェスワフが冗談めかして聞くとキーツ教授はそうだ、と笑った。


 それから、二人はしばらく最近の興味深い論文やリリアナの魔法修業の様子などについて話し合っていたが、不意にキーツ教授が言った。


「イグナーツくんの研究は君と同じ金色の魔女だったね」


「はい、確かにそうですが?」


「彼は最近、金色の魔女のことについて何かをつかんだようだよ。最近、いろいろと慌ただしくしている。もっとも、彼は秘密主義だから、誰にもその内容を話していないようだがね」


「……」


 チェスワフは黙った。踊る小人亭でのイグナーツのリリアナに関する忠告を思い出していたのだ。


 イグナーツは師匠のテオドルがリリアナを弟子として欲しがっていることと、そうなったのには自分に責任があると話していた。さらに、訝しむチェスワフに向かって、金色の魔女の研究は進んでいるか、と聞いてきたのだ。


 リリアナと金色の魔女に何かつながりがあるのか? そして、イグナーツは金色の魔女についてつかんだ情報とリリアナについての何かをテオドルに流した?


 だが、イグナーツ自身は人の弟子には手を出さないと言っていた。テオドルのことを止めてみるとも。あの男は嫌なやつではあるが、そこは信用してもいいかもしれない。人の弟子を奪うなんて、魔法使いの品位に欠けた振る舞いだ。常々、それを口にするイグナーツがそんな真似をするとは思えなかった。あの男はプライドが高く、嫌味で攻撃的な男だったが、魔法使いとしての最低限の心得はわきまえている。


 以前、こんなことがあった。


 チェスワフたちの学部で論文の盗用騒ぎがあった。とある論文を発表した准教授がいたのだが、彼の助手である女性がそれは自分の論文で、彼に盗用されたものだと主張したのだ。当然、准教授は否定したのだが、チェスワフにはそれが彼の手によるものだとは思えなかった。その男のそれまでの論文は、既存の内容をこねくり回した陳腐なもので、独創性の欠片もなかった。だが、盗用されたという論文はまったく新しい画期的な視点で書かれたものだったのだ。だが、助手の女性を擁護する者は少なかった。その准教授はとある上流家門の出身者で、学部の内外に圧力をかけていたのだ。我が身を呈して女性を庇う者はほとんどいなかった。


 だが、イグナーツは学会で堂々と助手の女性の正当性を主張し、准教授の見識の狭さと研究資料の不足を糾弾した。ついでに准教授の学部予算の横領とこの街の裏役とのつながりを暴露することで、その男を見事失脚させた。かくして、素晴らしい論文は助手の女性の元に戻ることとなった。


 チェスワフは気障な真似をするやつだと思ったが、イグナーツの品位に満ちた振る舞いを認めていた。あの男は人のものに手を出すことはない。


 だが、テオドルは違う。やつは危険な男だ。チェスワフも直接会ったことがあるわけではないが、かつて金稼ぎのためにこの街の裏通りに出入りしていた頃、噂は何度も聞いたことがあった。


 やつは自分の欲望のために他人から奪う男だ。金、女、権力、そして魔法の力の数々。テオドルに家門の魔法秘術や、家宝の魔法道具を奪い取られた魔法使いたちが何人もいるらしい。自分のための魔法使いの力を集めることに強欲なのだ。冷酷で自分の欲望にどこまでも正直で、そのためには手段を選ばない男。それが狐の家門の当主テオドルだ。


 そんな危険な男がリリアナを欲しがっているという。


 チェスワフは眉間に皺を寄せてじっと考え事をしていたが、キーツ教授が話しかけてきたことでその思考は途切れた。


「そうだ、君に渡すものがあったんだ」


 教授は懐から小さな包みを取り出して、それをチェスワフに渡した。


「はい、これ。リリアナくんへのプレゼント。明日は魔法学校入学の日なんだってね。彼女に渡しといてくれ」


 チェスワフはびっくりして、そんな恐れ多いものは受け取れないと言おうとしたが、キーツ教授は「いいから、いいから」と言ってきれいに包まれたプレゼントをチェスワフの手に握らせた。まだ遠慮しているチェスワフに早く帰りなさいというようにキーツ教授は手をひらひらと振った。


 仕事を終えて家の方へ向かう路面電車に乗りながら、キーツ教授のプレゼントは明日のパーティーでリリアナに渡そうとチェスワフは思った。明日の夜に、ハヴェルと二人の友人、クロエとラウラ、それにアマーリア先生とカレンを家に呼んで、リリアナの魔法学校入学と自分の弟子になったお祝いをしてやろうと考えていたのだ。クロエとラウラの二人にはまだリリアナを紹介していなかったので、いい機会だと思っている。ちなみに、昼休みにキーツ教授も誘ってみたが、学会の予定があるとかで断られてしまった。


 家に着いて玄関のドアを開けたチェスワフは居間に向かった。


 そこでは、リリアナがソファに寝っ転がって寝息を立てていた。


 こいつの今朝の気合いはどうなったんだ、とチェスワフは呆れてしまった。


「おい、起きろ」


 おでこを突いてやるとパッとリリアナは飛び起きた。口元によだれがついている。


「よだれを拭けよ、みっともない」


「チェスワフ先生!」


「お、おい!」


 チェスワフを見るやいなや、よだれがついたままでリリアナは飛びついてきた。


「汚いから離れろ」


「先生、先生! 私できたよ!」


「……は?」


「魔法火! ちゃんと出せたの!」


 チェスワフは興奮している弟子のことをまじまじと見つめた。


「本当か? 本当にできたのか?」


「うん、本当! 見てて、やってみせるから!」


 驚くチェスワフの前でリリアナは手を突き出した。目を閉じて集中している。すぐに魔力が手に集まっていくのがチェスワフには感じられた。彼女は深く息を吸ってそれを一気に吐き出した。


「えいっ!」


 魔法火だ。きらめくような火がリリアナの手のひらで踊っている。チェスワフはあんぐりと口を開けてしまった。


「どう? すごいでしょ! 私できたのよ。がんばって火が出せるようになったの!」


「ああ……。すごいぞ、本当にすごい」


 驚くべきことだった。確かに優秀な子なら短い期間で魔法火を習得できるが、まさか本当に三日でできるようになるとは思わなかった。チェスワフは思わずリリアナの頭をくしゃくしゃに撫でた。


「よくやったぞ、リリアナ。よく諦めなかったな」


「だって、これで先生を丸焦げにするって決めてたんだもん!」


 師匠のことをなめてんのか。無礼な弟子の言葉にチェスワフはパシンと頭をはたいてやった。


「おまえの火はまだ生ぬるいだろうが。物を焼くにはまだ早い。次は火の形を変えられるようになれ。学校の子たちもその修行をもう始めているんだぞ」


 まだこれからだと注意をうながす師匠の言葉にリリアナは口を尖らせたが、やっぱりその顔は笑っていた。


「でもでも、やっぱりすごいでしょ!」


「まあな。大したものだ。明日はうちでハヴェルやカレンを呼んでお祝いしてやるよ。魔法学校入学の記念も兼ねてな。おれの他の友達も呼ぶからきっと楽しいぞ」


「ほんと!? ありがとう、先生!」


 リリアナは魔法火を出しながらソファの上をポンポンと飛び跳ねた。しきりに手を動かして魔法火を揺らめかせている。だが、そこでリリアナは自分の火を眺めながら首をかしげた。


「でも、おかしいわ」


「は?」


「さっき初めて出したときと、火の色が違うの」


 リリアナの手で燃える火の色は普通の暖色だ。チェスワフとほとんどの魔法使いと同じ、暖炉の火のように暖かい色。


 若干の差こそあるが、たいていの魔法火はこの色だ。珍しい血筋の魔法使いは緑色だったり紫色の火を出すらしい。それに、普通の魔法使いでも高温の火を出せば青色になることもある。


 チェスワフがいない間にリリアナが出したのはまさか青色の炎だろうか。彼女にそんな熱を出せる魔力と技術があるとは思えなかったのだが。


「ううん、青色じゃなかったわ。すっごくきれいな金色の火だったわ。どうして今は普通の色なのかしら? ねえ先生、どうして?」


「……金色? 本当に金色だったのか?」


「うん。黄金の金貨みたいな金色だったわ。ま、私は金貨なんて見たこともないけれど。でも、そんな感じの色だったの」


「……そうか」


 チェスワフの先ほどまでの喜びが急にどこかに消えてしまったようだった。


「リリアナ、学校では金色の魔法火が出せたことは秘密にしておけ。ちょっとめずらしい色の火だから、みんなにびっくりされたり、からかわれたりするといけない」


「えーっ!」


「いいからおれの言うことを聞いておけ。金色の炎が出せたことは誰にも話すな。カレンにもだ。そうしないと、明日のお祝いはなしだぞ」


「そんな! ま、しょうがないか。チェスワフ先生の言う通りにするわ」


「ああ。さて、じゃあ次はさっそく魔法火の形を変化させる修行に入ろうか。もう学校のみんなもその修行を始めているはずだ。早く字や魔法陣を魔法火で描けるようになって、それで他の術を使えるようになるといいな」


 元気よく返事をするリリアナに修行をつけてやりながらも、チェスワフの内心は疑問に満ちていた。


 リリアナ、おまえは何者なんだ?


 チェスワフは自分の研究を思い出していた。金色の魔女。金色の魔力を操る伝説の女魔法使い。


 金色の魔法火を出す魔法使いなんて他に聞いたことがなかった。


 アマーリア先生、とチェスワフは彼女のことを考えた。リリアナはただのガキじゃないんですか? もしこの子に何か秘密があるのなら、なぜそれを教えてくれないんですか?


 チェスワフのアマーリア先生への信頼が微かに揺らいでいた。


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