五章 魔法修行開始!
リリアナがチェスワフの家に来てから三日目。
翌朝のリリアナは昨夜の涙が嘘のように晴れ晴れとした顔をして起きてきた。どうやらぐっすりとよく眠ったらしい。少し心配していたのだが、大丈夫だったようだ。
リリアナの調子を確かめていたチェスワフは仕事に出かける前に、元気よく朝食を食べる彼女に魔法修行をつけてやることにした。
リリアナの初の魔法修行の滑り出しはなかなかよかった。
「やるじゃないか。大したもんだ」
「ほんと? 先生、私って才能あるかも?」
「調子に乗るな。杖なしでできるようにならないとだめだ」
チェスワフが魔法使いの初歩の術である魔法火の出し方を教えてやると、リリアナは杖の助けを借りてあっさりと出してみせた。これには彼もちょっと驚いた。なかなか勘の良い子だ。
だが、ここまではどの子どもも結構簡単にできる。難しいのはこれから。
「自分の魔力を外に出して火にするコツはつかめたな。では次は杖なしでやってみろ」
「はい、先生!」
リリアナは勇んで両手をお椀の形にした。自身の体の内底から湧き出て全身を巡る力を、掌に集める。魔法使いの卵にとっても、これは自分の手足を動かすようなものだ。教えられなくとも自然にできる。チェスワフにはリリアナの両手から十分な魔力の気配が感じられた。
次にやるのは両手の魔力を燃え上がらせること。このタイミングにはちょっとコツがいる。指を合わせてパチンと鳴らすのに似ているかもしれない。感覚はなんとなく理解できても、やってみるとなかなかうまくいかない。
「あ、あれー? 先生、できないよ?」
案の定、リリアナはうまくいかなかった。
「まあ、最初はみんなそんなもんだ。ちょっとおれの手をつかんでみろ」
「こう?」
「ああ、おれの魔力が感じられるか?」
「うん。なんかあったかいわ」
「今度はどうだ」
「少し熱くなってきた」
チェスワフは筋肉に力を込めるみたいにして自分の魔力に力を注いで熱くさせていった。その熱をバネみたいにして掌に溜める。十分な熱を持ったところで、ボン! それを一気に解放して点火してやった。
リリアナとつないだチェスワフの手が温度のない魔法火に包まれた。
「な? こんな感じでやってみろ。タイミングは人によって違うから、自分でいろいろ考えながらやるんだ」
「わかったわ!」
彼女は大張り切りで修行に取り掛かった。好奇心が強い子だし、チェスワフの火を見て自分もできるようになりたいと強く思ったのだろう、彼女はやる気にあふれていた。だが。
「先生、できない……。もうやだ。疲れた……」
チェスワフが仕事から帰ってくるとリリアナは音を上げていた。こらえ性がないというのは言い過ぎだろう。初日にしては良く頑張った方だ。
「いや、まあこんなもんだろう。普通はみんな一週間とか二週間かけて杖なしで火を扱えるようになるんだ。一日目から出来るなんて思ってないさ」とチェスワフが慰めた。
「それならいいけど……」
続く二日目。
リリアナは早起きして朝食も食べずに修行を始めていた。少し焦っているようだった。明後日には学校に行くからかもしれない。結構見栄坊みたいだから、他の子に差をつけられるのが嫌なのだろう。プレッシャーに強いタイプだといいのだが。
この日、チェスワフは早めに仕事を片付けて、ちょっと寄り道してから帰宅した。その時間は普段よりずっと早い。居間に入ると、カレンが遊びに来ていた。約束通りリリアナの修行を見に来てくれたらしい。チェスワフの帰宅に気付くとすぐに立ち上がって挨拶をしてくれた。
カレンは緊張した様子できっちりと腰を曲げて言った。
「お、お帰りなさいませ、チェスワフさん!」
「お帰りなさいませ?」
チェスワフはカレンのその妙な言葉遣いに首をかしげてしまった。
「あ、いや、えーと、ま、間違えました。お帰りなさいませ、ご主人さま!」
「いや、変なのはそっちじゃない」
思わず突っ込んでしまうと、カレンは顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。「家のメイドの真似しちゃった……」とかつぶやいている。
なんだ、こいつ。チェスワフは思った。面白いじゃないか。
「カレン」
「は、はいっ!」
「飯の支度は出来ているか。いや、その前に風呂に入りたいな」
「え、えっ? も、申し訳ありません、まだできていません」
「ダメじゃないか」
「はい、私はダメなメイドです……」
最高だ。チェスワフは顔には出さず心で笑った。この子は最高にからかいがいがある。メイドってなんだよ。メイドって。
せっかくなのでもう少しからかうことにした。
「ダメなメイドにはあれだな。お仕置きだな」
「お、お仕置きですか! お仕置きってどのような……」
「えっ。そりゃあ、あれだよ。あれだ。言わなくてもわかるだろう」
「そ、そんな……。チェスワフさんったら、そのようなはしたないことを私に……」
はしたないことってなんだろうか。
カレンは内股になって指を合わせてモジモジし始めた。
類は友を呼ぶのかもしれない、とチェスワフは考えた。リリアナも妄想癖があるようだったが、カレンも若干頭があれな子のようだった。
「先生、カレン? 何しているの……?」
「「あっ」」
幽霊みたいな顔をしたリリアナがチェスワフたちの様子をじっと見ていた。
「先生ってロリコ」
「リリアナ、修行の調子はどうだ!? ん? ちょっとは進んだか?」
「まだ全然」
チェスワフは怪しい気配を感じてリリアナに話をふった。妙なことを言われたらたまらない。彼の試みは成功して、言葉を切られたリリアナは暗い顔になって首をふった。
「そうか。まあ、二日目で出来るようになるほうが普通じゃないからな。焦らずやれ。学校の授業や他の子たちだって別に気にしなくていい」
「あ、チェスワフさん、それはちょっと」
だが、プレッシャーを和らげてやろうとした彼の言葉は失敗だった。カレンの制止もむなしく、リリアナの顔がまだどんよりとしてしまったのだ。
「私、これじゃ学校で落ちこぼれちゃうわ……。それで、あのヤルミラ先生って人にお尻を叩かれてしまうの……」
「大丈夫だ、リリアナ」とチェスワフが安心させるように言った。
「……え?」
「ヤルミラ先生は生徒の尻なんか叩かない。彼女はできない生徒を居残りさせて、夜までつきっきりで徹底的に骨の髄まで魔法を仕込んでくれる先生だ。素晴らしい先生だろう? みんな泣いて喜ぶんだ」
「やだ! そんなの絶対やだ! 私学校行きたくない!」
は? チェスワフは首を傾げた。なんで、こいつはこんなに嫌がるんだ?
彼は安心させようとしたのだが、リリアナは泣きそうな顔になって嫌がってしまった。チェスワフからしてみれば、ヤルミラは厳しいが生徒に公平で魔法を真剣に教えてくれるいい先生だった。決して間違いというわけでもないが、多くの生徒はそうは考えていなかった。
彼は自分が生徒だったときのことをふと思い出した。そういえば、ハヴェルもヤルミラの指導を受けたら、リリアナみたいな顔で泣きそうになっていたことがあった。あれは確かハヴェルが宿題を三日連続でやってこなかったときだった。ヤルミラの居残り授業を受けたハヴェルはチェスワフに泣き顔でつぶやいた。
「ヤルミラ先生はいい先生だヤルミラ先生はいい先生だヤルミラ先生はいい先生だ……」
ハヴェルが言うんだから、ヤルミラのマンツーマンの指導はいいものなのだろう。チェスワフは優秀な生徒でお世話になったことがなかったから直接は知らないが。
ちなみに、子どもの頃からおっさんみたいな顔をしていたハヴェルが泣きそうになっていたのはかなり気持ち悪かったのをチェスワフは覚えている。
その後はチェスワフとカレンでリリアナのことを必死になだめたが、愚痴ばかりでなかなかやる気を取り戻さなかった。いいかげんにしろ! とチェスワフは声を上げようかと思ったが、あることを思いついた。
「あー、リリアナ」
「はい、私はチェスワフ先生のダメ弟子リリアナです……」
「そうか。じゃあ、ダメ弟子にはこれは必要ないな」
「え?」
彼はリリアナの前にあるものを広げてみせた。それを見たリリアナの顔がキョトンとなってから、やがて花開くみたいに笑顔が広がった。
「魔法学校の制服だわ!」
実は、チェスワフは仕事をさっさと片付けてこれを仕立屋に取りに行っていたのだ。キーツ教授はそそくさと帰り支度をする彼をめずらしく思ったのか、理由を聞いてきた。
チェスワフは口ごもってしまった。
「あー、いえ、大したことではないんです。ただまあ、弟子の入学に必要な品を、その」
他の連中が聞いている前でリリアナのことを話すのはなんだか恥ずかしかった。そんな彼の様子にキーツ教授は楽しそうに笑って、「それでは、私からも何か入学祝いを贈らなければね」とびっくりするくらい恐れ多いことを言ってきた。慌てるチェスワフに「いいから、いいから」と彼はいつもの台詞で応じた。
今、チェスワフが持って帰ってきたまっさらな黒ローブと白いシャツ、プリーツスカートと革靴がリリアナの前に広がっていた。それらの品にリリアナは有頂天になったらしい。というか、周りが見えていないらしい。さっそく着てみようと思ったのか、チェスワフとカレンが見ている前で服を脱ぎだした。
「ストップよ、リリアナ!」とカレンはシャツを半脱ぎにしていたリリアナをさっと抑え込んだ。
「ふがっ!」とリリアナは変な鼻息を出してジタバタした。
そのせいでシャツがめくりあがってお腹は丸見えで形の良いへそが見えているし、スカートのホックははずれかけて下着が見え隠れしている。
「男の人の前で何しているのよ、はしたない!」
「あ、そうだったわ」
チェスワフは情けなくなって首をふった。
「制服を見るとリリアナは馬鹿になってしまうらしいな。こいつらはあさっての入学の日までおあずけだな」
「ひどいわ、先生!」
リリアナはチェスワフに体当たりのように飛びついてこようとしたが、彼にとってはその反応はそろそろ慣れっこだ。チェスワフは魔法火の壁をリリアナの前一面に張ってやった。天井にまで届く炎の出現にリリアナはびくっと身を引いた。熱くないので害はなかったのが。
チェスワフはにやりと笑って言った。
「まあ、かっこいい制服を着て学校に行きたかったら、がんばって修行するんだな。魔法火の一つも出せないようなガキに、ドラホミール魔法学校の制服はもったいないぜ」
「むー」
彼は炎の壁を変化させて、ふくれるリリアナの周りに文字を作った。空中に浮かべて円形に彼女の周りを回転させてやる。こんな文字だ。
『修行! 修行! 修行!』
リリアナは回る炎文字に苛ついたらしい。
「もうわかったから! やってみせるわよ! 炎が出せるようになったら、まずチェスワフ先生を黒焦げにしてやる!」
「ちょっと、リリアナ! あなた、自分の師匠に何てことを言うの!」
「だって、先生がひどいんだもん」
やれやれ、とチェスワフは天井を見上げてしまった。修行一つさせるのにもご褒美が必要とは先が思いやられる。
ちなみに、これよりずっと先のことの話だが。
リリアナは最初の魔法修行においてご褒美をチラつかされたことで味をしめたのか、それからもたびたびチェスワフにご褒美をねだるようになった。チェスワフからしてみれば、これは失敗だったと言わざるをえない。
修行三日目。明日はリリアナの初登校の日だ。
昨日、奮起したリリアナは師匠と友人が見守る中でがんばっていたが、やはりたった二日では火を出すことはできなかった。日が暮れようとする頃にカレンが帰ったあとも、夕飯を食べたあとも、チェスワフが寝ようとしていたときも、リリアナはがんばっていた。それでも結局はできなかったらしい。朝食の席に着く彼女はしょんぼりしていた。
「先生、やっぱりできなかった……」
「そうか」
チェスワフはそっけなく答えた。その反応に彼女はちょっと傷ついたらしく、うつむいてしまった。
彼はリリアナに何と言うべきか迷った。
諦めるな。がんばれ。きっとできるようになるさ。
だが、そんな安っぽいことをリリアナに言いたくはなかった。学校でみんなから遅れるプレッシャーと、初めての修行がうまくいかなくて落ち込んでいる自分の弟子。
「リリアナ。魔法使いの弟子、リリアナ。おまえの師匠の目を見ろ」
リリアナは顔を上げてチェスワフの目を見た。彼はぼんやりと頭の中に浮かんでいたことを話すことに決めた。
「おれがマレクの弟子だったときの話をしよう。聞いてくれるか?」
「はい」
彼女はしっかりとうなずいた。チェスワフは一つ息をついてから話し始めた。それはクソジジイとまだ魔法が何たるかもわかっていなかったガキの話だ。
「おれが五歳のときにこの家にやってきたのはもう話したか? 普通は早くとも十歳くらいに魔力というのは顕現するものだが、おれは早熟児だった。五歳くらいで魔法の力に目覚めてしまった。当然、魔法の力が暴走して家族に迷惑をかけるから、おれは役所に預けられた。そこで師匠マレクに拾われたんだ」
詳しいことは省いた。あまり良い話ではなかったからだ。生みの親が子を捨てた話というのは。
チェスワフは初めて出会ったときの師匠のことを思い出した。幼い彼は役所の隅で毎日誰かが迎えに来てくれるのを待って泣いていた。そんな彼にマレクは声をかけたのだ。
「なんだ、クソガキ。行くところがねえのか。だったらうちに来い。飯ぐらいは食わせてやるよ」
どうしてマレクがチェスワフを弟子にしてくれたのかは今もわからない。乱暴で酒飲みで、いつも他人に迷惑をかけてトラブルを抱えていたマレクは、子どもの面倒を見るような人ではなかった。ただ、マレクはそれから親父のようにチェスワフに飯を食わせてくれたし、魔法の使い方まで仕込んでくれた。
だが、その魔法修業の内容を思い出したチェスワフは苦笑した。
「といっても、クソジジイの修行はひどかった。おれに攻撃して無理やり魔法の力を引き出したんだ。獣が自分の子どもにケンカをしかけて、体の使い方を覚えさせるみたいにしてな。だが、それが良かったのかもしれない。おれはすぐに自分の力を制御できるようになったし、おかげで魔法の戦闘技術まで覚えてしまった」
マレクとチェスワフの乱暴な話を聞いて、リリアナは目を丸くしていた。そんな彼女にチェスワフは話を続ける。
「八年間、毎日ビシバシとやられておれは泣いてたよ。きつすぎるってな。だが、今ではそれがすごく役に立っている。師匠マレクに教わった術がなければ、おれは研究の旅で生き残れなかった」
『グダグダ言うな』と師匠はいつも言って、鷹の家門に伝わるという魔法と戦闘技術をチェスワフに仕込んだ。そして、ある日突然出て行ったのだ。チェスワフはマレクが消えたあとも、いつも一人で術を練習していた。師匠のことを思い浮かべながら。いつか帰ってきたときに一撃を食らわせて見返してやるために。
チェスワフは自分の弟子に向けて話を続けようとしたが、よく考えたら話すべきことはもうなかった。自分でも何を伝えたかったのかはっきりとわからない。
どうしてクソジジイの話なんかをおれはしてしまったのだろう。どうも、リリアナが来てからというもの、あいつのことを思い出してばかりだ。自分でも忘れていたことばかり思い出す。
だが、リリアナにはチェスワフの曖昧な心が伝わったらしく、にっこりと笑った。
「……ありがとう、先生。私もうちょっとがんばってみるわ!」
「ああ」
チェスワフは言葉にならない思いが、無事にリリアナに伝わったようでほっとしてしまった。
リリアナはそれまでほとんど手をつけていなかった朝食に手を伸ばし始めた。いい食べっぷりだった。仮に今日中に魔法火が出せなかったとしても、この分なら心配いらないかもしれない。彼女は出来るようになるまで何回でもチャレンジするだろう。
安心したチェスワフはコーヒーに口をつけた。リリアナはリスみたいに口いっぱいにパンを頬張っている。モグモグしながら何かを言おうとしていたので、チェスワフは、はしたないと言ってたしなめた。
すると、彼女はゴクンとやってから聞いてきた。
「ねえ、チェスワフ先生もマレクさんに最初に習ったのは魔法火だったの? 先生はやっぱりすぐにできるようになった?」
やれやれ、とチェスワフは首を振った。クソジジイがおれみたいな優しい教え方をするわけがないだろう。
「魔法火なんていつのまにか出せるようになってたな」とチェスワフがリリアナの無邪気な質問にそっけなく答えた。
「え?」
彼は肩をすくめた。
「クソジジイがまずやった修行は、魔力の塊をおれに向けてぶっぱなすことだった。おれが最初に覚えたのは魔法の障壁を出すことと、敵の攻撃から身をかわすことだったよ」




