四章 2
チェスワフが魔法伝承学の研究員を目指すきっかけとなり、その架け橋ともなったドラホミールの失われた杖。偉大な英雄が死んだとき、彼の魔力が込められたその杖はバラバラの欠片となって散ってしまった。
大魔法使いの人生に鮮やかな彩りを添えるその杖をだれもが惜しんだ。そして、為す術もなく失われてしまったことを嘆いた。かくして何百年も続く魔法使いたちによる杖探しは始まった。そのどれもが今もなお色褪せることなく輝く冒険だ。
チェスワフも子どもの頃にそんな冒険に憧れていた者の一人だ。高潔な精神を持つ最高の魔法使いの杖。失われたそれを探す栄光と名誉の回復の旅。たぶん、憧れたのはマレクのせいだろう。身近にダメな大人の見本がいる子どもは、勝手に自分のヒーローを見つけ出すものだ。チェスワフの場合はそれがドラホミールだったわけだ。
この夢はいつまで経っても覚めることはなかった。どころか、マレクが家を出て行ってからはますます強烈に引きつけられた。夢というのはそういうものなのかもしれない。汗水たらして踏ん張っている者には実に色鮮やかに見えるのだ。それを追いかけて無謀な旅に出るほどに。
師匠であるマレクが出て行ってから、チェスワフは本当に苦労した。
当時は十三歳の子どもで、ドラホミール魔法学校の一年生だった。魔法学校は国の支援で成り立っているから、学費は何とかなった。だが、家には貯えなんてほとんどなかったので、その日の飯にも事欠く有様だった。
魔法学校を卒業するまで、チェスワフはアマーリアに金を恵んでもらっていたのだ。彼女は一緒に住もうとまで言ってくれたが、彼は頑なに断った。マレクと住んだ家を離れることなんてできなかったのだ。家を出てしまえば、二度とマレクは帰って来なくなる気がしていた。チェスワフはあの男が帰って来るまで、一人で家を守ろうとしていた。マレクを憎んでいたにも関わらず。
チェスワフは学校を卒業して働ける年になった。だが、就職することはせずに、魔法学院に進学することにした。学院を卒業しなければ、夢だった魔法伝承学の研究職につけることはまずありえなかったのだ。当時の彼にはその夢を諦めることは難しかった。
だが、それは愚かな選択だったのだろう。
ブカレスク魔法学院は私立だから、その支出の半分を学生の学費でまかなっている。だから、学院で勉強するには莫大な学費がかかる。チェスワフはマレクに出ていかれたら、天涯孤独で金もなかった。
そんなチェスワフにアマーリアは金を貸すと言ってくれた。
「あげるんじゃないのよ。貸すだけ。あなたが大人になったときに返してくれればいいわ。それにあの人には、自分に何かあったらあなたのことを頼むと言われていたの」
だが、彼女の申し出をチェスワフはまたしても断った。
自分一人で生きていくと決めていたのだ。だいたい、働ける年になっているのに、アマーリアにそこまで迷惑はかけられなかった。親しいとはいえ、彼女はチェスワフの師匠ではなかったのだ。
チェスワフは奨学金を組んで金稼ぎに明け暮れながら、魔法学院に通った。今自分で思い返せば、いくら夢を諦めきれなかったとはいえ、馬鹿な選択だった。魔法学院の勉強量は魔法学校と違って半端ではない。死ぬほど勉強させられる。働いていなくとも落第する学生が出てくるほどだ。チェスワフも最初こそは勉強になんとかついていったが、生活費を稼ぎながら勉強することにはやはり無理があった。金が底をつき、複数の試験で落第したとき、ついに彼は退学を決意した。
しかし、やはり魔法伝承学の研究者の夢は諦めきれなかった。十七のときに退学したチェスワフは、杖探しの旅に出かけることにした。
他にやることなど思い浮かばなかった。チェスワフはドラホミールの杖でそれらの不純な思いを晴らそうとしていた。師匠に置いていかれた憤り。仕事で理不尽な扱いを受けた屈辱。学院でパンと水だけでしのいでいたときに、金持ち連中がうまそうに昼食を食っているのを見たときのみじめな思い。自分の周りの連中を幼い頃から大事にしていた夢で見返そうと思っていたのだ。
自分を大事に思ってくれていたアマーリア先生や心配してくれた友人たちの存在をこのときのチェスワフは忘れていた。
チェスワフが彼らの名への敬意と愛情を覚えていれば、あんなに危険で向こう見ずな旅はしなかったはずだ。
それは伝説や吟遊詩人の歌のわずかな手がかりだけで各地を周る日々だった。立ち寄った村々で、魔法薬やちょっとした日用品の修理でわずかな路銀を稼ぐ毎日。それでパンと水だけを買ってろくな装備も持たずに、魔物のうろつく遺跡や洞穴、森に飛び込む始末。
そんな無謀で考えなしの冒険で、チェスワフが本当に失われた杖の一部を発見するなんて、何かが憑いていたとしか思えない。
彼が見つけた杖の欠片はそれまでで一番小さなものだったが、それでも一時はこの街にそのニュースがあふれた。ネタに飢えた一部の吟遊詩人は薄ら寒い嘘でそれを歌い上げた。いずれも一過性のものだったので、もうチェスワフの名まで覚えているものは少ないだろうが。
とにかく、十八のときのその大発見で、彼は魔法伝承学会に名を認められ、十九の歳にはキーツ教授に研究員にまで取り立ててもらったのだ。
もっとも、当時も今もチェスワフの思いは複雑だ。確かに自分でも大したことをやり遂げたとは思う。だが、死ななかったのが不思議なくらいの旅だった。そういうのが当たり前の仕事ではあるが、それにしたって当時の自分は金儲けに目がくらんだ素人トレジャーハンターと大して変わりはなかった。
この街に意気揚々と帰ってきたチェスワフを待ち構えていたのは、アマーリア先生の平手打ちと泣き顔、ハヴェルたち友人の怒りだった。彼らは自分の身を本当に案じてくれていたのだ。チェスワフには見知らぬ人々の歓声はどこか遠くに聞こえた。
薄っぺらな名誉にのぼせ上がっていたチェスワフの熱はいっぺんに冷めてしまった。自分が愛すべき人たちの名を忘れて、下らない欲望に身を任せていたことに気づいたのだ。それは彼らの名への愛情と敬意を忘れた行為だった。
だというのに、今チェスワフの目の前にいるカレンと名乗る女の子は、彼をドラホミールその人のように尊敬の眼差しで見上げるのだ。チェスワフは確かに多大なる幸運といくつかの偶然に助けられたが、それでも自分のわずかな知恵とちっぽけな勇気を褒められるのはこそばゆかった。だが、その陰に自分のことを心配していた人々がいるかと思うと素直には喜べない。
かくして、チェスワフは自分を褒め称える人への対応はいつもそっけないものになってしまう。
カレンはどうやら憧れの人に会えたらしい喜びで言葉をつっかえながら、その思いを伝えている。それに鷹揚に答えているチェスワフをリリアナが妙な顔で見ていた。
「ねえ、チェスワフ先生って有名人だったの?」
「チェスワフ、先生……?」
先ほどのケンカとそれを教師に見咎められたことも忘れたリリアナののんきな声だった。
それに対するカレンの反応はちょっと見物だった。ギギギと音がしそうな動きで、チェスワフとリリアナの顔を交互に見つめたカレンの顔はまず蒼白になった。それから真っ赤になった。次には色が失せたような絶望の表情が浮かんだ。
「あの、ひょっとして、リリアナのお師匠様はチェスワフさん……?」
「まあ、そうだ」
カレンはそれを聞くやいなや膝を折った。その素早さに、その場にいただれもが呆気にとられた。
そして、先ほどの剣幕が嘘のような声音で言った。
「リリアナ。あなたに謝罪を申し上げます。あなたが師匠から受け継いだという杖を蔑んで申し訳ありませんでした。あなたの杖は紛うことない逸品です。ケンカをふっかけた私を許してください」
「えっ、ええ、まあ……。私もあなたがお父さまからもらったっていう杖をバカにしちゃったし、悪かったわ」
「そして、チェスワフ様。知らず知らずの内に、私はあなたの名前を貶める発言をしてしまった。どうか私のことを愚かな者だと思わないでください」
「いや、まあ、それは別にいいんだが。というか、一体どうなっているんだ? 何がケンカの原因で何を謝っているんだ?」
「あたしにも説明しろ。カレン。おまえら何があったんだ?」
チェスワフとヤルミラ先生に促されて、カレンは事情を語り始めた。
学校の制服を着ていないのに魔法使いの杖は持っているリリアナを不思議に思って、カレンが声をかけたのが始まり。
丁寧で親切な口調で話しかけてきたカレンに、リリアナはすぐに気を許した。自分と師匠が入学手続きにやってきたことを話すと、カレンはそれなら学校見学でもと言って学食に案内してくれたらしい。そこで二人は昼食を取りながら学校のあれこれについて仲良くおしゃべりをしていた。リリアナとカレンは、最初は意気投合していたわけだ。
が、雲行きが怪しくなったのは互いの持っている杖の話になってから。片や時代遅れでボロボロの長い杖。もう一方は最新型でスラリとした短い杖。
「リリアナ。あなたの杖ってずいぶん古いのね。どうしてそれを使っているの?」
「私の先生にもらったものなの。先生は先生の師匠からもらったんだって」
「あら、それは良かったわね。でも、新しい杖もいいものよ。最近は杖づくりの技術も昔に比べてずっと進歩しているし」
「……でも、私はこの杖がいいわ。カレンみたいにピカピカの杖はいらない」
「……これはお父さまが私のためだけに職人に作らせた特注品よ。そういう言い方はやめてくれるかしら?」
「カレンだって、私の大切な杖のことお古だって言ったじゃない」
「それは事実でしょう」
「謝って」
「あなたこそ」
あとは売り言葉に買い言葉。実に自然な流れでいつのまにかケンカになってしまったというわけだ。その中で互いを気取り屋、がさつな子とけなし合い(どちらがどちらをそう呼んだかはあえて言わない)、互いの杖をバカにして、ついでにお父さまと師匠のこともバカにし合ったらしい。
このままじゃ収まりがつかないとカレンが申し込んだ決闘、もとい魔法使いの術くらべをリリアナは受けた。チェスワフからもらった杖と彼の名誉を守るために。
こう言うとちょっと感動的かもしれないが、やっていたことは、おまえの母ちゃんデベソ!とか、おれのおもちゃのほうがすごい! くらいの子どものケンカのような気がしないでもない。
まあ、とにかくそんな最中に当の師匠たるチェスワフが現れた。
リリアナは自分の師匠の名を出していなかったらしい。チェスワフは自分のケンカに他人を出さないそこだけは、褒めてやってもいいと思った。
一方、カレンはリリアナの師匠が自分の憧れの魔法使いだとは知らなかった。そのことを知った彼女は狼狽して後悔して、慌てて謝罪したというわけだ。
今、リリアナはカレンの腕をとって立たせていた。わだかまりはすっかり消えてしまったらしい。
「ねえ、カレン。私もあなたのお父さまとその杖をけなしたこと謝るわ。本当にごめんなさい」
「いえ、いいのよ。お互い様だったみたいね。術くらべの話は忘れて。馬鹿なこと言ったわ」
「わかったわ。あ、そうだ。チェスワフ先生! 私いつ入学できることになりそうなの?」
リリアナはチェスワフの方を向いて質問してきた。
「ああ、そうだったな。喜べ。事務の人がおれの弟子なら、と言って融通を利かせてくれた。三日後にはみんなと一緒に授業を受けられるぞ」
それを聞いたリリアナはカレンをいきなり抱きしめた。カレンはその勢いにびっくりして口をパクパクさせている。
「あのね、カレン。私、みんなより入学するのが遅いからちょっとだけ不安だったの。でも、あなたに声をかけられてすごく嬉しかったのよ。だから、私あなたと友達になりたい!」
カレンはまだちょっと固まっていたが、その言葉に微笑んだ。
「ええ、もちろんよ。魔法使いチェスワフの弟子リリアナ。あなたの名に敬意と友情を」
「カレン・エルディミール。あなたの素敵な名前に敬意と友情を!」
チェスワフとヤルミラが見守る内に、あれよあれよという間に二人は正式に名乗り合って友情を誓い合ってしまった。おまけにハグをしながら。まったく子どもというのは仲良くなるのがあっという間だ。大人と違ってしがらみというものがない。
ヤルミラがやれやれと肩をすくめながら言った。
「どうやらこれで一件落着だな」
「そうみたいですね。ですが」
リリアナはカレンと杖を交換し合って持ち具合を確かめていた。そんな彼女にチェスワフは声をかけた。
「リリアナ。カレンとの術くらべをする必要はないが、三日間は魔法火の修行をしてもらうぞ」
「あれ、なんで?」
「入学前にみんなと足並みを揃えなきゃいけないだろう。せめて魔法火くらいは覚えなければな。ヤルミラ先生、もう一年生は魔法火の授業は終えていますよね」
「ああ、今は魔法火の形を変えて文字を作るのと、物体浮遊の術にとりかかっているな」
「というわけらしい。心配するな。こうなったのはおれにも責任がある。何があっても魔法火の出し方を叩き込んでやるから安心しろ。さっそく帰って修行だ」
「……チェスワフ先生。あのー、お買い物は?」
「そんなのおれがやっておくさ。おまえは修行に集中しろ」
「えーっ、そんなのやだ! 絶対やだ!」
ごねるリリアナにカレンが助け舟を出した。
「でも、リリアナ。修行は大切よ。買い物なら今度私が付き合ってあげるし、学校が終わったあとで修行も手伝うわ」
「ほんと? それならいいわ。ありがとう、カレン!」
リリアナはすぐに機嫌を直すと、カレンの頬にチュッとキスをした。
「べ、別にあなたのためじゃないわよ。チェスワフさんもお忙しいでしょうし、それに、あなたに会いに行けばチェスワフさんにも会えるかなって。それだけなんだからね!」
親愛のキスを受けたカレンは素直じゃない台詞でリリアナに応えた。リリアナには素直じゃなくて、チェスワフにはストレートに好意を表すとは。よくわからない子だ。
とにかく、こうしてリリアナは新しい友人を得た。真面目な子のようだから、リリアナをうまく引っ張ってくれるとチェスワフとしてはありがたい。
と同時に、リリアナの入学も決まっていよいよ魔法の修行も始まることになった。カレンが家に来て手伝ってくれるらしいが、どうなることやら。




