オレンジ
オレンジ
「なぁ、もし、俺が急に死んだら、どうする?」
夕暮れの帰り道、アイツは急にそんなことをあたしに聞いた。あたしは、またアイツがおかしなことを言い出した、と溜息をつく。
「なーに言ってんのよ?あんたが急に死ぬわけないじゃん?」
「そうかなぁ。こんな世の中、誰が急にどうなるかなんて、わからんよなー。」
アイツは、ぽりぽりと頭を掻きながら言う。右手でバスケットボールの入ったカゴのついた大きな自転車を押しながら。
あたしとアイツは、知り合って2年になる。
高校に入学して初めてのクラスで、あたしは座席がアイツの後ろだった。その時からくだらないことで一緒に騒ぎ、くだらないことで喧嘩をした。
背の低いあたしには、アイツの30センチ以上差のある身長や、バスケのボールを軽々と操るその手がとても魅力的だった。
アイツとの縁はなぜか切れることがなかった。クラスは3年ずっと一緒で、そのたびにアイツは「またお前と一緒かよー。」と文句を言いながらも、その表情は穏やかだった。あたしも負けじと言い返したけど、心の中では嬉しかった。
妙なところで波長のあったあたしとアイツは、部活の帰り道、たまに一緒に帰ることもあった。それは待ち合わせをするのではなく、たまたま出口ではちあったり、自転車置き場で見かけたり。それは決してわざとらしいものではなくて、自然だった。
それは、今日も同じだった。
「あんた、彼女と別れたんだって?」
あたしは、アイツに気になっていたことを聞いた。
「まぁな。」
アイツは小さな声で答えた。
アイツは、正直、モテた。
それはそうだろう。背が高くて、バスケが得意で、いい奴だから。
あたしの友達も、アイツのことが知りたくて、何とかアイツに近づきたくて、何度か協力をお願いされたこともある。
けど、なかなかアイツは彼女を作らなかった。その理由を聞いたことがある。
「なんとなく、ではつきあいたくないんだよなー。」
そう言っていたからこそ、1週間前にできた彼女のことはなんとなくではないのだろう、とあたしは思っていた。
「また、なんで?」
「んー、なんか違うと思ったんだ。なんとなく。」
アイツの答えは、辻褄があっていない。あきれたものだ。
「ふーん、もったいないことしたね。あんたの元カノ、いい子だし、かわいいのに。」
「いい子なのはわかるけど、なんか違うんだよ。」
アイツは、そう言うと口を閉ざした。
あたしとアイツの歩調は、遅かった。アイツが何も話出さなかったから、会話はなかった。
まだあたしの家にたどり着く半分くらいのところで、雨が降り始めた。
「あー、もー最悪。あんたのせいだよ。」
あたしはカバンを頭にのせて言う。
「仕方ないなぁ、乗れよ。」
アイツは自転車に乗ると、後ろに乗るように促す。
「えー、大丈夫?こけたりしない?」
「大丈夫だって、送ってやるから。」
アイツのこういう優しいところがあたしは苦手だ。
腐れ縁の仲だと思っているのに、少し期待をしてしまう。
アイツは他の女の子にも、こんな風に優しい。
けど、あたしは、あたしだけに優しいんじゃないか、と勘違いしてしまうのを恐れている。
その雨はオレンジ色に染まった空から降り注ぐ。
「変な天気だなー、なんて言うんだっけ?狸の嫁入り?」
「狐だよ、あんたバカだねー。」
坂道を下る自転車の上で、あたしとアイツはくだらない会話をし、笑いあった。
「じゃあな、」
アイツはわざわざあたしの家の前まで送ってくれると、手を振った。
「どーもありがと。あんた、ほんとにいい奴。」
あたしはそう言って雨の止んだ夕暮れをかけていく自転車を見送った。どうせなら、あたしにだけ、いい奴でいてほしい。けど、そんなことは言えなかった。
次の日。
具体的にいうと、まだ次の日ではなかったと思う。
夜中に、携帯にアイツから着信があった。
「ったく、何時だと思ってんのよ!」
その音で目覚めたあたしは悪態をつきながら、受信ボタンを押した。
「もしもし?」
「もしもし、逸平と同じクラスの坂元さんですか?」
予想もつかなかった、震える女性の声が受話器から聞こえた。
「あ、はい・・・あのう、どちらさまですか?」
あたしはあわてて声を変えた。
「わたくし、逸平の母です。」
アイツのお母さん、と名乗る人の歯がカチカチなっているのが、伝わってくる。
「あの、突然なんですが、逸平が今日、事故にあいまして・・・」
「事故!?」
あたしはあまりの衝撃に思わず大声をあげた。
「はい、意識はあるのですが、今夜が峠だと言われています。それで、」
「それで・・・?」
あたしの全身が震え出していた。
「あなたに、会いたいと言っているんです・・・こんな夜中に申し訳ないのですが、病院にきてやってくれませんか・・・」
あたしは、駅前にある病院にむかって、駆け出した。
病院は静まり返っていて、あたしの荒い息遣いだけが響いていた。
あたしを待っていたアイツのお母さんは、青ざめた顔で部屋に案内してくれた。
「本当は、家族以外は立ち入り禁止だそうです。けれど、逸平がどうしても、というものですから・・・妹だと言って入ってください。」
あたしは、看護士さんに嘘をつき、ベッドに横たわっているアイツに近づいた。
アイツの口には酸素マスクがつけられて、ヒューヒューという音を立てながら、まだアイツが生きていることを証明していた。
「坂元、か?」
閉じられていた目がうっすらと開いた。
「言ったろ、俺が急に死んだらどうするか、って。」
「なにバカなこと・・・そんな話はやめてよ。」
あたしは全身が凍えるような寒さを感じて、話を遮った。
「俺は考えたよ?死ぬ前にどうしたいか、って。」
アイツはさらに話を続けた。
「俺は、坂元のこと、好きじゃない。」
「お前は、素直じゃないし、文句ばっかりだし、背も低いし、美人じゃないし」
「けど、」
「けど、今まで、」
「ありがとう。」
アイツはにやりと笑った。それは、クラス替えでまた同じクラスになったときと同じような穏やかな笑顔だった。
「なに、言ってるのよ・・・」
あたしはアイツを見据えた。
「バカなこと、言わないでよ」
「あんたなんか」
「あんたになんか、」
「あたしの気持ちが、わかるわけ」
「ないじゃない・・・」
知らない間にあたしは泣いていた。
「わからないけど、」
「そばにいたじゃんか。」
アイツは点滴のないほうの手をあたしに差し出した。
「坂元、ありがとう。」
あたしは、アイツの大きな手を握り締めて、泣いた。
「さよなら、って言ってくれれば、よかったのに。」
あたしは帰り道、独りで夕暮れの道を歩きながら、呟いた。
「ほんとにバカだよ・・・」
草むらにぺたん、と座り込む。きらきらと空がオレンジ色に染まっている。
あの日も、こんな空だったのに、急に雨が降ったんだっけ。
「・・・逢いたいな。」
アイツが自転車を押して、あたしはその横を歩く。そんな日々がどんなにいとおしいものだったのかは、もう思い出すものでしかない。
ただ、あたしはこのオレンジの空を忘れないでいよう。
ずっと色褪せることのない記憶として。
ずっとアイツのことを忘れないように。
<完>
読んでくださってありがとうございます。何年か前に書いて、HPに掲載していましたが、このたび携帯小説に投稿することにしました。思い入れのある小説です。