想曲・捌~儘~
「…助けた?」
訝しげな響きの呟きに、彼は体ごと振り返った。
「一年前。門前で、俺の事を引き止めてくれただろう?」
淡く微笑むが、読んでいた本から顔を上げた彼は、眉間に刻んだ皴を深くするだけだ。
軽く首を傾げる相手に、様子が変だと流石に気付く。
「ほら…人の家の前で死ぬのは止めろだの、わざわざ自殺の名所を教えてこれ見よがしに縄を門扉に掛けていったり…」
彼の説明は、段々と眉間の皴を消していった少年の様子に最後は掻き消える。怪訝の消えたその表情はまるで能面のように感情がなく、それが決して記憶を探り当てたものではない事など、世界一の楽天家であっても知れる程、その森の瞳は冷たかった。
「えぇと…覚えが…ない?」
「ない」
情けもなにもない、ばっさりと切った肯定に、彼は目眩を覚えた。ふらりとよろめき、窓の桟に手をついてどうにか体を支える。
「ただ―――…」
意味深な接続詞に視線を巡らせれば、いつの間に移動したのか、部屋の片隅の本棚の前に立つ小さな背中が見えた。
「僕は誰かの時間に干渉しない。生を望むのなら生を。死を選ぶのならば死を」
百は下らない本の中から一冊を抜き出してパラパラとページを捲る彼は、ただ淡々と言葉を紡いでいく。
「僕が何を口にしたとしても、その言葉に他意はない」
「・・・・・・・・・」
恐らくは洋書だろう文字を無感動に追う彼は、一度も振り返らなかった。