想曲・漆~無~
恐らくは廊下へと繋がっているだろう扉を後ろ手で閉めた少年は、元々興味はなかったのか言いよどんでいる彼に一瞥をくれただけで窓際の皮椅子へと座ってしまった。
南窓から差し込む陽光で明るい部屋は、会話を必要としない為に無音に包まれる。この部屋も高い本棚が三方を塞ぎ、屋敷の主が無類の本好きである事を窺わせた。
「…本が、好きなのか?」
無音の世界に耐え切れず、とにかく何か音が欲しくて机の上に放置しておいた本を開いた相手に問いかける。
「好きな訳ではない」
素っ気無い声音でそう返され、視線をそちらに向ければ、面白いのか詰まらないのか判らない無表情で本を読む姿が視界に入る。
自分も普通の人よりも本は読んでいると自負していたのでここから話題を広げていこうとしていた彼の企てはたった一言でものの見事に挫かれ、結果的に再び無音に包まれた室内にこれ以上の会話は憚られた彼は、窓際へと移動した。
(…菖蒲?)
眼前に広がる光景の美しさに、はっと息を呑む。
どれ程の時間眠っていたのかは分からないが、先程まで雨が降っていたのだろう。清き雫で洗われた空気は澄み渡り、咲き誇る菖蒲の、玉露を弾いて煌く様は、純粋に綺麗だと思えた。
背後を振り返り、瞼に半分程隠されても尚深い色を湛えるその深緑の双眸に、確信する。
「なぁ、どうして、俺を助けたんだ?」
観音扉の両側を開け放ち、頬を撫でた秋の風の心地よさに目を細める。