想曲・弐~海~
不意に、今まで闇の中に沈んでいた意識が浮上する。体が自由を取り戻せば、ゆっくりと瞼を上げた。
「・・・・・・・・はあああぁ!?」
叩き付けるような突風に涙が出て、滲んだ視界に映った光景に彼は悲鳴にも似た疑問の声を上げた。
意識を失う寸前まで、確かに自分は下宿近くの寺にいたはずだ。地元人しか通わない小さな寺の隅に生えている柳の木に宿る女性の霊に、還り道が分からないと泣きつかれて。
それが、どうだ。
何故、自分は今、絶壁の先端に立っている?
「・・・・・・・・・・」
随分と風が強いかと思ったら、海が目の前ならば当然だ。遮るもののない風は、自由気儘に空を駆け抜ける。
しかも、何だか全身が微妙に湿っている気がするのも、成る程。絶壁に打ち寄せる波飛沫が風に煽られ、自分の立っている赤茶色の岩を濡らしている。ならば、当然、その場所に立っている自分も濡れるはずだ。
あまりの衝撃は、一瞬の驚きを通り越せば逆に人間を冷静にする。一気に冷えた頭は、下らない思考ばかりを生み出した。
どれくらいの間、絶壁に打ち付ける波音を聞いていただろうか。海で満たされていた世界を乱した足音に、彼は背後を振り返った。
「お前は…」
こちらに向かって歩いてくる小柄な人影に見覚えがある。近付いてくるにつれてその瞳が宿す深緑が鮮明になり、その瞬間怒涛のように込み上げてきた数多の言葉はしかし、真っ直ぐに射抜いてきた深い色に全てを奪われた。