閑話 月江梓の独り言
【梓視点】
「……た、ただいま」
自宅の玄関扉を開けると、奥からパタパタと足音が近付いてきた。
私より少し背が低く、肩口で綺麗に切り揃えられた黒髪を揺らす女の子――妹の雫だ。
「おかえりなさい、お姉様。……ちょうど六時ですね」
「う、うん。少し長引いて……」
「生態調査でしたか。……いかがでしたか?」
探るような雫の視線に、私はぴんと背筋を伸ばす。
今日の楽しかった思い出には目を瞑って、私は声を張り上げた。
「え、っと! うん! 興味深い生態がたくさん見られて、知的好奇心がすごく刺激されたよ!」
……嘘ではない。
実際、たくさんの魚が見れて勉強になったのは事実……。
「なら、よかったです」
雫はそれ以上追及することなく自室に戻っていった。
私はふぅと息を吐く。危なかった。
今日楽しんできたのがバレてたら、絶対に怒られてたもんね……。
◆◆◆
部屋に入りドアを閉めた瞬間。
私はその場にへたり込むように、ベッドに背中を預けて座り込んだ。
「…………はぁ」
張り詰めていた緊張の糸が切れて、今日一日の記憶が洪水のように押し寄せてくる。
来栖さんの待ち合わせで見せてくれた笑顔。暗がりで触れ合った肩。
そして、繋いだ手の、温かくて頼りがいのある感触。
「あ、そうだ」
私はカバンから、大切に包んでいた小さな紙袋を取り出した。
中から出てきたのは、ピンク色のクラゲのキーホルダー。
来栖さんが持っている青色と、お揃いのもの……。
「えへへ……」
自然と口角が上がる。
それを指先でつまんで、天井の照明にかざしてみた。
きらきらと光るクラゲは、まるで今日の思い出を閉じ込めた宝石みたいで。
それを見ていると、大切な記憶が一つ一つ鮮明に浮かび上がった。
『梓。……梓、さん』
私のこと、初めて名前で呼んでくれた。
その不器用で優しい響きが、耳にこびりついて離れない。
「……取材だって、分かっていたはずなのに」
ぽつりと、自分を戒めるように呟く。
だってあれは、来栖さんの言葉ではなかった。
分かっている。来栖さんが生み出したキャラの言葉だということ。
来栖さんは作家として、シチュエーションの確認をしたかっただけ。
頭では、痛いほどに理解している。
『梓さん……好き、だよ』
けれど。
震える声も、真っ直ぐな瞳も、重ねられた手の熱も。
全てがあまりにも真に迫っていて、一瞬。ほんとに一瞬だけ。
私に向けられた、本当の告白だと、そう錯覚してしまって……。
『……ごめんなさい』
だから思わず──断ってしまった。
「これでよかった……よね」
だって私は、彼女の隣に立てるような優しい人間では無いから。
「…………」
でも。それでも。
もっと近くにいられたらと。そう思った。
それで正しいのかは、まだ分かっていない。




