第17話 正しい水族館デートの作り方(4)
レストランを後にした私たちは、水族館の順路へ再び沿う。
重厚な扉を抜けると、そこはこれまでのエリアとは違う暗い空間だった。
足元を照らすわずかなライトと、水槽から漏れ出す青白い光だけが頼りだ。
周囲の喧騒は遠のいて、聞こえてくるのは空調の低い唸り声と、微かな水音だけ。
「わぁ……綺麗……」
月江さんが感嘆の溜息を漏らす。
目の前には円柱の巨大な水槽が並び、その中を無数のクラゲがゆらゆらと舞っていた。
ライトアップされたクラゲたちは、半透明の体に光を透過させてオーロラみたいに揺れている。
「すごいね、幻想的……」
私も隣に並んで水槽を見上げる。
暗闇の中で、月江さんの横顔は青白く浮かび上がっていた。
長いまつ毛が落とす影や、光を映して潤む瞳が、息を呑むほど美しい。
……やばい。雰囲気がありすぎる。
脳内の可乃子ちゃんは、すでに卒倒寸前だ。
こんな薄暗い場所で、好きな人と二人きりなんて……。
いや一応、周囲に人はいるんだけど視界に入らないので実質二人きりなのだ。
思うんだけどこれって、デートの一番の盛り上がり所なんじゃないでしょうか!
まぁ私にここを一番盛り上げられる技術なんて無いからきっと何も起きないけどね!
「あの……来栖さん」
そんな私のやかましい思考とは対照的に、月江さんが静かな声で私を呼んだ。
「ん? なーに?」
少し先を歩いた私は、くるりと踵を返して首を傾ける。
月江さんは何かに満ちた表情で、水槽をじっと見つめていた。
「クラゲって不思議ですよね。脳みそも心臓もないのに、こんなに素敵に生きてて」
彼女は水槽にそっと、指先を触れさせる。
その指を、ガラスの中のクラゲが追いかけるように揺れた。
「んーたしかに、海の生き物って考えるほどすごいなんか、すごいよね」(カス語彙力)
「はい。ほんとにすごいです。……この子たちは──海で生きるクラゲたちは、自分の意志でなく、ただ大きな流れに身を預けているんです。それってすごいなぁって思います」(語彙力〇)
月江さんは一度言葉を切ると、独りごとのように呟いた。
「……でも、私だったら怖いなぁとも思うんです」
「怖い? それって?」
「だって、自分の意志を持たずに、ただ周りの流れに逆らえないまま生きていくのって……すごく、すごく心細いことだと思うから」
声のトーンが、わずかに落ちた気がした。
水槽の青い光が、影を落としているせいかもしれない。
その言葉には、感想以上の湿った重みがあるように聞こえた。
ごくりと喉が鳴って、それは静謐なこの空間によく響く。
「流されるままにしていたら、大切なものを見失って、取り返しがつかなくなってしまうかもしれない。……だから、怖いです」
月江さんは寂し気に微笑むと、ゆっくりと視線を私へと向けた。
その瞳には、わずかな──寂寥? みたいなものが宿っている。
と、思いきや月江さんはハッとしたように相好を崩した。
「ご、ごめんなさい! 私、急に何言ってるんでしょう!」
さっきまでの儚げな雰囲気はどこへやら。
顔を真っ赤にしてぶんぶん首を振る月江さんを見て、私は肩の力が抜けた。
……よかった。一瞬、表情が暗くなったように見えたけど、照明のせいだったのかな。
「うぅ、この場所がとてもいい雰囲気だったので、つい……!」
「ふふ。でも言われてみて、確かにって思ったかも。それに──」
恥ずかしさで縮こまる彼女に、私は率直な感想を伝えた。
「なんだか初めて月江さんの心の中が見えたような気がして、嬉しい気持ちになった」
ほんとに、本心だった。
当然、人間には誰しも他人には見せない内面がある。
生きるのが上手い人っていうのは、そういう自分の気持ちを隠すことができる人だ。
だからいつも完璧な月江さんが、ほんの一部、心の中を見せてくれたことが、私のことを本音を言える相手として信用してくれてるのかな──なんて、少し思い上がる。
「そ、そうですか? ……来栖さんは優しいですね」
月江さんは少しだけ潤んだ瞳で、はにかむように言った。
「本当にそう思ってるからね!? 信じてね!」
私が茶化すように言うと、月江さんはようやくいつもの柔らかな笑みを湛える。
「はいっ。信じます!」
◆◆◆
しばらく幻想的な世界に浸った後、私たちは順路に従って館内を巡った。
巨大なサメのパノラマ水槽に圧倒されたり、イルカショーで盛大に飛んできた水しぶきを避けてキャーキャー騒いだり。そんな水族館のイベントを一通り満喫し終える頃には、すっかり日も傾き始めていた。
順路の最後、自動ドアを抜ければ、そこはお土産屋さんだった。
「わぁ、可愛いグッズがいっぱいですね!」
月江さんが目を輝かせて、ぬいぐるみの並ぶ棚へ駆け寄る。
一つ一つを吟味するように眺めて、やがて「あの!」とこちらを振り向いた。
「来栖さん、記念に何か買っていきませんか?」
「お、いいね! せっかく水族館にきたしね」
「はい! 一緒に見て回りましょう!」
その言葉に、私は月江さんの隣へ並ぶ。
抱き心地の良さそうなチンアナゴの抱き枕、サメのイラストが掘られたクッキー、てっぺんにイルカの付いたボールペン。どれも魅力的だったけど、月江さんが足を止めたのは、壁際のキーホルダーコーナーだった。
「あ……これ」
月江さんが手に取ったのは、小さなクラゲのキーホルダー。
透明で涼しげなデザインをしていて、明かりにかざせばキラキラと光る。
「クラゲですね。……青と、ピンクがあります」
「おーきれい。それいいじゃん!」
「はい。……あの、もしよかったら、ですけど」
月江さん少し上目遣いで、青色のクラゲの方を私に差し出した。
「二人で、お揃いにしませんか? 今日の記念に」
「お、お揃いっすか!?」
不意の提案に思わず心臓がどきりとする。
「嫌……でしょうか?」
潤んだ瞳で私を見上げる月江さん。
「えと、嫌じゃない! 全然嫌じゃないけど……!」
「けど……?」
「あ、いやこのけどは、これ以上何もないけどのやつで……」
そ、そうだ。一応今日の私は、恋する一人の少女の人格を憑依している(つもり)。
だから月江さんはそう提案してくれたのだろう。まぁ女子高生なら、お揃いのキーホルダーを買うなんて日常茶飯事なんだろうけど、当然そんな経験が無い私はなんだか特別なことに思えてしまえてならない……! やばいちょっとにやけそう……。
私は頬が緩むのを我慢して、精一杯に笑みを作った。
「わ、分かった! いいよ! お揃いしよう!」
「本当ですか? やった、嬉しいです! あ、ピンクの方がいいですか?」
「ううん、青でいいよ! ピンクは多分、月江さんの方が似合うから」
私たちはレジへ向かい、それぞれのキーホルダーを購入した。
店員さんから受け取った小さな紙袋。中には数百円のキーホルダー。
なのに今の私には、まるで宝石でも入っているみたいに重く、大切に感じられた。




