プロローグのプロローグ
「ねぇ、キスしようよ」
学園の昼休憩の最中。
木漏れ日だけが差し込む、薄暗い校舎の中庭にて。
追い詰められた玲美は、同級生の凛に今まさにキスを迫られていた。
「な、なぜっ。わたくし、あなたとなんか──」
玲美は鋭い視線を凛に飛ばす。が、彼女は怯む様子も無い。
「今のキミにそんな口を叩ける余裕はあるのかい? いいね、その怯えた瞳。可愛いよ」
凛は玲美の苦言などお構いなしに、玲美の制服のリボンをするすると解く。
露出させた首元に、凛は自らの舌でちろりと突いてやった。
「ひゃっ……! や、やめ。やめてくださいまし! こんなの、非合理的で──!」
「嫌だったら抵抗したらどうだい。現に今のキミは、顔を真っ赤にしているじゃないか」
「こ。これは──!」
玲美は凛に向けていた視線を、気まずげに逸らす。
玲美にはもう抵抗する気力など残っていなかった。
「…………わたくし、初めて、ですから」
◆◆◆
「それから二人は幸せなキスをして……そして。好きとか言い合って。この次は──」
ここは私が通う私立鶴ケ崎高校の図書館。
朝方の日当たりの悪い窓際の閲覧席に、カタカタと無機質なタイピング音が響く。
私──来栖若菜は現役女子高生ライトノベル作家『佐倉わか』として、今は新作の百合ラブコメのプロローグを書いているところだった──んだけど。
「うぅ……これじゃ駄目だよなぁ……」
書いては消し書いては消し……これで何個目のプロローグかも覚えていない。
要はスランプに陥ってしまっていたのだった。
「はぁ……」
平日の開館したばかりの誰もいない図書館は、私の内緒の仕事場。
朝のフレッシュな空気に触れれば、いつも筆も捗るんだけど……。
スランプにそんなの意味がないみたいで……うぅ、どうしよう……。
編集に提出したプロットと冒頭一万文字は完全に却下されてしまったしな……。
私は額を指で押さえながら、担当の伊織さんからのダメ出しの内容を思い返す。
『若菜ちゃんさぁ。この箱入りお嬢様ヒロイン、テンプレすぎない? もっと生の反応が欲しいんだよね。生のやつ。若菜ちゃん高校生なんだしもっと瑞々しい感性出してこー。クラスに可愛い子いっぱいいるでしょ? その子たちにいっぱい話を聞いてさ! 作品にリアリティ出そう! 方向性は今の感じでいいからもう一回練り直してきて!』
「高校生だからこそ無理なんだけど……!」
第一、生の反応ってなに!
取材しろってことだと思う……けど。
書いているのは百合小説だし、ここ共学だし……!
それはそれとして、取材するとしてどうやって?!
作品に欲しいのはリアリティだし、自らが経験をしたいところだけど……。
ほら例えば、手を繋いだりとか、ハグとか、キスとか……。
でも、私にそんな経験できるわけない!
なぜって──!
私、来栖若菜は高校のスタートダッシュに失敗した残念な高校一年生だからだ!
朝っぱらから、パソコンに没頭してる時点でお察しって感じだろうけど!
学校生活も五月に入って、教室のグループは大体固定されてしまった中、私は毎日一人。ノベルゲーであれば『高校生F´』くらいの立ち位置を貰えればマシな方だ。
でもいいもん! 私は小説家だもん! クラスで一番すごいのは私だもん!
と現実逃避をしたくなるけど、やっぱり周りはきらきらしてて羨ましい……。
こんなんでも最初の方は人に話しかけてみたりしてたし、美容室で可愛いボブカットにしてもらったし、メイクの勉強もして努力(と言っていいか微妙だけど……)して陽キャになろうと頑張っていたっていうのは分かって欲しい!
……ただ、人間はそんなすぐに変えられなかったというだけで!
でも正直、陽キャになるのは諦めていない……。と言うと聞こえは良くないけど、だってそんな風になれたら、きっと人並みに休日に遊んだりとか、恋愛とかして。今まで想像でしか書けなかった部分を補うことができるのかなって。それはすごい魅力的だった。
「……んーーーー」
でも少なくとも今の私に、これ以上ストーリーを良いものにできる気は一切しない。
今まで本として出した作品は非現実的な設定のミステリーや異世界モノだったので、想像でいくらでも物語を書くことはできた。
でも新作は現実の恋愛となるとそうはいかない。
私の作家人生、もしかしてここまで……?
「はぁぁ…………」
再度、深い溜息と共にスマホを見れば、時計の針は午前八時を回っていた。
ホームルームの時間が近いので行かなきゃだけど……朝から憂鬱だな。
私はパソコンを閉じ、重たい足取りで図書館を後にした。
クラスの一年A組に入ると、教室はすでに喧騒に包まれていた。
自分の席に鞄を置いて、伏し目がちに教室を見回してみる。
「…………」
私のクラスには可愛い女子はたくさんいる。
それこそ小説のネタになりそうなくらいな女の子も。
例えば窓際の、楽しそうに話しているバレー部の二人組。
ショートカットの快活な雰囲気の椎葉さんと、ロングのクールな雰囲気の七川さん。
あの二人はいつも距離が近い。あ今、椎葉さんが七川さんの前髪を直してる。
……あの指先の動き。親切にしては妙に愛おしげというか、湿度を感じるというか。
もしかするとあの後──。
『髪、乱れてたよ。……可愛い顔が台無し』
『か、可愛いなんて。椎葉ちゃんに比べたらそんなこと……』
なんてやり取りがあるかもしれない。
でも、そもそもこんなやり取りもテンプレ──って。
「……いや。いやいや」
私は何を考えているんだ……!
クラスメイトの女の子がイチャイチャする妄想はだめ……!
ネタが必要だからってそれはよくない! と思う!
私はブンブンと頭を振って、邪念を追い払う。
というか一応、クラスには今書いている箱入りお嬢様のイメージにぴったりな女の子が一人いる!
ただその子はすんごい高嶺の花だし、とても私が近付けるような人間では無いので、創作の参考になるとは思えないんだけど……。
などと思っていると、ガララと教室の扉が開く。
「あ……」
噂をすればなんとやら。
件の女の子──月江梓さんが教室に入ってきた。
雑多な話し声で埋まっていた教室のノイズが、一瞬だけ凪ぐ。
私は顔を伏せながらも、その容姿に視線を奪われた。
左右に揺れる、ふわふわそうな二房の三つ編み。
知的な印象を与える銀縁の丸眼鏡の奥には、涼しげな瞳が光っていた。
三つ編みにおさげ、そして丸眼鏡なんて少し古臭い印象だけど。
でも彼女はそれを圧倒的な気品で、正統派の文学少女、あるいは深窓の令嬢というブランドへと昇華させていた。
実際、家は超金持ちでとてつもない豪邸に住んでいるらしい。
私とは住む世界が違う、カースト最上位の完璧な女の子。
お近づきになれるとは到底思えないけど、それでも確かに、あんな子のことを深く知れれば話にリアリティも出るのかな……。
なんてふけっていると月江さんが、迷いのない足取りで教室を横切り、カツ、カツ、とこちらへ近づいてくる。
え、嘘。こっちに来てる?
いや気のせい? 月江さんと割と席は近めだし……。
って。待って、確実に私の方に来てる!
ほらー! 私の席の前で足を止めた!
「…………」
幸い顔は伏せている。
よく分かんないけど寝たふりをする!
「あの。来栖さん」
ぐー。ぐー。
「起きてます、よね?」
……ぐー。ぐー。
「来栖さん。あの……」
あ、なんか。こういう誰かが話しかけてくれてるのに寝たふりをするような性格だから私は今日まで陰キャなんだろうなと思った。自己嫌悪から顔を上げる。
第一まだ要件も聞いてないしね……!
「月江、さん。どう……したの?」
月江梓さん。
今までずっと眺めるだけだったクラスメイトの優等生。
こんなに近くで彼女を見たのは初めてかもしれない。
丸眼鏡越しの整った顔立ちに圧倒される。
肌は陶器のように白く、揺れるおさげは先まで手入れが行き届いていた。
彼女は私を見下ろして、何かを言いたげに口を開いては閉じる。
周囲の視線が痛い。「え、なんで月江さんが来栖のとこに?」と、誰もそんなことは言ってないんだけど! そういうヒソヒソ声が聞こえてきそう!
「来栖さん」
「は、はいっ」
何を言われるんだろう。
月江さんに何かしたのかな?
でも、心当たりは一つもないし……。
「あの」
彼女は周囲を一度確認してから、私の耳元に顔を近づける。
吹きかかる小さな吐息と彼女の体温に、少しびっくりした。
「今日の放課後。……校舎裏に来てくれませんか?」
◆◆◆
「わーかなっ! なんか朝から元気ない? どうかした?」
三限の移動教室へ向かう道中、横からにゅっと明るい声が飛び出してきた。
「うーん。いや、大したことではない……よ」
御船穂乃果。
私の唯一の友達(と勝手に思っている)で、少しギャルっぽい。
ギャルっぽいというと少し違うんだけど、ともかく凄い明るい子だった。
友達と言ったって穂乃果は誰にでも優しい。多分クラスメイト皆と友達なんじゃないかな。だから別に穂乃果にとっての私は、大した存在ではない。
穂乃果は「ふーん」と口をすぼめてから、太陽のような笑顔を浮かべる。
「ま、なにか困ったことあったらいつでも言うんだよ!」
「う、うん! ありがと」
穂乃果はぽんぽんと私の背中を叩くと、そのさらさらな茶髪を翻して別の友達のところまで駆けて行った。彼女の優しさが心に沁みる……。
私が悩んでいるように見えたのは書いてる小説の進捗がいまいち──ってのもあるけど、多分月江さんに言われたことが頭の中をぐるぐるしていたからだろうな。
『今日の放課後。……校舎裏に来てくれませんか?』
私に要件があるとして、それは一体なんなんだろう。
月江さんとの接点はこれまでほとんど無い。
ただのクラスメイトだし、そもそも向こうが私を認識していることが意外なくらいだ。
「…………」
クラスでは済まない大切な用事であるのは間違いない。
そして多分、良いことより悪いことである可能性はなんとなく高そう。
呼び出されたのは校舎裏であるのを踏まえると──カツアゲか告白?
と言ったって月江さんはカツアゲするキャラには到底思えないし……。
だとしたら告白ってことに……いや、だけど私は到底誰かに好いてもらえるような容姿や性格ではないし、クラスではこれまで影になり続けて生きていたような人間だ。
だからそんな私が、高嶺の花のお嬢様から告白をされるなんて、そんなわけ──。
◆◆◆
「私、来栖さんのことが、好きです」
まさかそんなわけとは!
「わ、私!? ですか!?」
ここは放課後の校舎裏。
部活動に勤しむ生徒の掛け声が遠くに聞こえる。
日が差し込まないその場所は、滅多なことが無い限り近付くことはないだろう。
そんな場所で私、私……。
私、月江さんに告白されちゃった……。




