「お前は幸せになるな」と婚約破棄された【幸運】聖女、うっかり幸せになってしまう
「ルーシー・デルタ! お前の怠惰には愛想が尽きた! 今日この場で、王太子リヒャルト・フォラントの名をもってお前を婚約破棄する!」
突然の宣言に、わたしはぱちくりと目を瞬かせた。
言葉どおり、わたしの目の前にいるのはフォラント王国の王太子、リヒャルト殿下。わたしの婚約者でもある……たったいま、婚約破棄されたようだけれども。
リヒャルト殿下が抱きよせているのは、ラランナ・ゼータ様。
つい最近まで、聖女候補として名の挙がっていた方だ。
「あの……」
何を言えばいいのかと悩んでいる私を遮るように、リヒャルト殿下が手を振りあげる。
「お前は、いつもそうだ……! 何も言わない、何もしない! 俺が国のために働いているときに、お前はぬくぬくと休んでいる! お前に聖女はふさわしくない! ふさわしいのはこのラランナだ!!」
「あ、いえ、でも……」
「言い訳は聞かぬ! 何が【幸運】スキルだ、お前に幸せなどふさわしくない――」
わたしはハッと息を呑んだ。
慌てて身を返すと、窓に向かって駆けだす。周囲の貴族たちがざわめくが、止めにくる者はいない。
「【お前は幸せになるな】!!!」
リヒャルト殿下の叫びが背中に浴びせられた。憎しみを煮詰めたような、恐ろしい声。
同時に、わたしは窓を大きく開き、窓枠を蹴って飛びだした。
大広間は宮殿の二階にある。天井の高い造りの宮殿で、二階といえども落ちればただではすまない。
けれども、わたしは大丈夫なのだ。
(【どこか、遠くへ】!!)
その願いに応えるように、地面に叩きつけられる直前で、わたしの体を何かががしりとつかんだ。
胸と腰をつかんでいるのは、でこぼことした、熱をあまり感じない足。
でも見上げれば、もふもふの羽毛が視界に飛び込んでくる。
わたしを地面ギリギリでキャッチしてくれたのは、山深くに棲む大怪鳥だった。
わたしは宮殿を振り返った。窓ごしに、あんぐりと口を開けているリヒャルト殿下が見える。ラランナ様は腰を抜かしているようだ。
はっと気づいたリヒャルト殿下が「戻ってこい!」と叫ぶが、わたしはどんどん遠ざかっていく。
(ああ、どうか、リヒャルト殿下のスキルが無事でありますように……)
わたしは願った。
わたしは聖女だけれども、祈るよりも願うことしかできないのだ。
・◆・◆・◆・
大怪鳥に運ばれながら、わたしはどうしたものかと考えた。
山深くに棲むはずの大怪鳥が王都のど真ん中にある宮殿に現れ、たまたまわたしをキャッチしてぐんぐん王都を離れてくれているのは、わたしの持つスキル【幸運】のおかげ。
ここジュエリ王国では、貴族は皆、10歳の誕生日に【スキル】の鑑定を受ける。
スキルは別名【祝福】とも呼ばれ、女神ジュエリが授けてくださる不思議な力のことで、能力は個々人によって違う。
わたしは10歳の日、【幸運】というスキルを授かった。
【幸運】はとても力が強いかわりに、使いこなすのも難しい。【幸運】の対象は実はわたし一人でしかなく、それを国のために役立てるとなると、無私無欲の人間――つまり、国の発展がわたしの幸福です、と心から思えるような人間であらなくてはならない。
残念ながらわたしはそこまで心が清くなかった。
でも、スキルを授かった以上、わたしの願いはほとんどが自動的に叶ってしまう。お腹がすいたと思えばなぜか王都の高級レストランから料理が届いたり、絶版になった本が読みたいと思えば王宮の書庫の奥から発見されたり、とにかくバンバン願いが叶う。
うちの屋敷がもう少し綺麗になればいいのに……なんてことが脳裏をよぎった翌日には、領地で金の鉱脈が発見され、屋敷をフルリフォームするくらいの臨時収入があった。
(これ、ちょっと幸運のレベルが強すぎるのでは!?)
さすがに怖くなったわたしは、スキルを自分のためではなく国のために使おうと決めた。
魔力だって有限だし、国のために力を使っていれば自分の周囲には大きすぎる幸運は訪れない。
朝から晩まで、暇さえあれば「国が発展しますように」「民が健やかでありますように」という漠然とした願いだけを願い、それ以外の時間は慎ましく生きるようにした。
わたしが【聖女】の称号を授かり、王太子リヒャルト殿下の婚約者となったのは、そのおかげだ。
感情を殺し、何もしない、何も願わないというのは……なかなか難しい。誰かに肩入れしすぎるのもよくないだろうと、友達も作れない。わたしは屋敷にこもりがちになった。
いずれリヒャルト殿下の妃となったときのために、妃教育だけは必死に受けていたのだけれど。
リヒャルト殿下の目には、わたしの様子は怠惰と映ったのだろう。
(でも……婚約破棄されてよかったかもしれないわ。リヒャルト殿下って、すごく怖いんだもの)
リヒャルト殿下のスキルは【呪い】。これもまた強力なスキルで、呪いの言葉がほとんど現実化するというもの。
リヒャルト殿下が鑑定を受けた日のお祭り騒ぎは、幼かったわたしも覚えているくらい。
第二王子だったリヒャルト殿下が王太子となったのは、このスキルのおかげだと言われている。
国内の貴族はリヒャルト殿下のスキルを恐れ、逆らうことはない。諸外国でもいまのところこれより強力なスキルを持つ者はいないらしく、外交にも大きく貢献している。
ただ、そうした自負と、【呪い】というスキルの特性上、リヒャルト殿下は非常に気難しい性格になってしまった。
婚約者であるわたしにも、顔をあわせれば怒鳴り散らし、今日のように罵倒の言葉を投げかける。
脅しをかければすべてが思いどおりになる。リヒャルト殿下はそう信じている。
――【お前は幸せになるな】!!!
リヒャルト殿下の冷たい表情と言葉を思いだし、わたしは顔を青ざめさせた。
スキルには、一つだけ制約がある。
等しく女神から与えられた祝福であるスキルを、持ち主同士がぶつけあった場合。それは女神への反逆とみなされ、〝より女神に愛された者〟だけがスキルを保持できる。
つまり、負けた人間のスキルは消滅してしまうのだ。
誰だって稀有な能力を消滅させたくはない。明らかに強そうなスキルの持ち主には服従するしかない。
これもまた、リヒャルト殿下の影響力が増した理由だった。
さて、わたしは【幸運】のスキル持ちだ。
そしてリヒャルト殿下は【呪い】のスキルにより、わたしに【幸せになるな】という呪いをかけた。
(これって、スキルのぶつかりあいになってしまうわよね……)
負けたほうのスキルが消滅する――。
わたしはいい。幸運が消えて、普通になるだけだから。
万が一、リヒャルト殿下の【呪い】が消えた場合……フォラント王国は、戦力を失うことになるのだ。
(わっ、わたし、わたしは不幸でいいです!)
わたしは女神に願った。リヒャルト殿下のスキルが消滅したら、フォラント王国も傾いてしまう。そんなことになったらわたしだって幸せではいられない。
だから、わたしのためにも、フォラント王国のためにも、消えるのはわたしのスキルのほうで――。
(とはいえ、いますぐ食べられちゃうのは嫌!)
首をひねって頭上を見る。大怪鳥は鋭い爪とくちばしを持つ、見たままの肉食鳥だ。
わたしの【幸運】がなければとっくに食べられていてもおかしくない。
(【安全な場所に降りたい】!)
わたしは願った。
その途端、どこからか一条の矢が走り、大怪鳥の腿を貫いた。
「クゲェーーーーーーッ!?!?」
驚きの叫びをあげた大怪鳥がわたしを放り出して飛び去る!
勢いよく落下するわたし。
普通なら地面にたたきつけられるところだけれど、【幸運】のおかげで干してあったワラの山の上へ落ち、怪我はなかった。ワラの匂いに少しむせたけど。
ごほごほと咳込みながら顔をあげれば、一人の青年が駆けよってくる。
と思ったら、その青年は石にけつまずき、顔面からベシャアッと派手に転んだ。
「……」
「……」
しばらく時が止まった気配がした。が、すぐに彼は何事もなかったかのように立ちあがり、わたしに手をさしのべてくれた。
「大丈夫かい?」
「あ、はい。助けていただいてありがとうございます」
あなたが大丈夫ですか?と言いたいのを我慢してお礼を言う。
矢で大怪鳥を撃退してくれたのはこの人なのだろう。
氷のようなアイスブルーの髪に、対照的な深い青の瞳。整った顔立ちと相まって冷たくも見えそうな色彩だが、そう見えないのは表情が柔らかいから。
あと、鼻の頭と額と頬が転んだせいで赤くなっているから。
「よかった」
そう言ってほっと安堵の息をつく様子は、いい人に違いないという確信を抱かせるに十分だった。
なんか……こう……いい人すぎて、スルーしてもいいことにまで首を突っ込み、騙されて借金したり、色々と厄介ごとを抱えていそうな人だ。
「ローレンス様!」
青年がきたのと同じ方向から、数人の男がやってくる。
「驚きました、急に来た道を戻られて」
「すまない。こちらのご令嬢が危険に晒されていたものだから」
ローレンス様と呼ばれ、青年は申し訳なさそうな顔をした。
よく見ると服は仕立てがよいし、供を連れているところからしても、身分のある人物。なのにこうして素直に謝ることができる。
(リヒャルト殿下とは大違いだわ……)
婚約者としてリヒャルト殿下の横暴に慣れきっていたわたしからすれば、ローレンス様の柔らかな物腰は清廉な泉から湧き出る甘露のよう。
……と、感動していたら、お供の方々を振り向いたローレンス様の背中が大変なことになっていた。
「なんか、ものすごい汚れが……」
転んだ拍子に擦った前面だけでなく、背中にも、大きな白い液体のようなものがかかっている。
「ああ、これは、大怪鳥の糞だね」
ローレンス様はやはり何事もなかったかのように言う。
「ぼくは不運を集めてしまうんだ。だからこれまでは人の少ない地方で、屋敷に引きこもって暮らしていた」
「そうなのですか……」
ま、まさか引きこもり仲間がいたとは。それも、わたしとは正反対の理由で。
驚くわたしを前に、ローレンス様は真剣な表情になった。
「でも、行かなければならない理由ができた。ぼくは王都へ向かっている」
意志の強い眼差しには、少しだけ恐怖が含まれている。わたしが見ただけでも糞と泥がついたのだから、わたしを助けるための矢がローレンス様に当たらなかったことを安堵しなければいけないくらいの不運だろう。
それでもローレンス様は、やらなければならないことのために王都へ行くのだ。
「ローレンス様……」
わたしは胸の前で両手を握った。
スキルが消滅してしまうのなら、せめて最後にこうした人の役に立ちたい。
「あの……お節介ですが、わたしはスキル持ちなんです。よければ、あなたに祝福を」
わたしが祈れば、旅路は楽になる。盗賊にも会わないだろうし、天気にも恵まれ、道が塞がることもない。
わたしの申し出に、今度はローレンス様が驚いた顔になった。
すぐにその表情は笑顔になり、にっこりと笑いかけてくれる。
「ああ、ありがとう。険しい道のりになると思ったが、あなたのようなやさしい人に出会えて嬉しい。ぼくはスキルはないけれど、ぼくからもあなたへ女神の祝福を祈ろう」
(なんて純粋な人なの……!)
スキル持ちがスキルを使うのは当然のことだと思われがちだけれど。
ローレンス様は、感謝の心を込めて自分からも祈ってくれると言うのだ。意味がない、なんて言ってはいけない。その心が嬉しいのだから。
なんだかすっかり感動してしまったわたしは、ローレンス様の前に立ち、その手をとった。
手袋を外した手は白くて上品だ。
でもローレンス様は、弓矢で大怪鳥を射貫くほどの勇気も持っている。不運に負けずに王都へ向かう意志の強さも。
(【どうか、ローレンス様の旅が無事に進みますように。ローレンス様の願いが叶いますように。ローレンス様に、幸せが訪れますように】)
目を閉じて、わたしは心の底から女神に願った。
わたしの幸運を全部渡したとしても、ローレンス様ならいいように使ってくれるだろう。そう感じたからだ。
「おお……!!」
供の皆さんのどよめきの声が聞こえて、わたしは目を開けた。
(え!?)
そこには、わたしも予想していなかった光景が広がっていた。
わたしの周囲がキラキラと光っている。そしてその光は、わたしの手をつたい、ローレンス様をも包み込んでいた。
(なにこれ!?)
これまで、願いのときにこんなふうになったことはなかった。
強烈に願いが聞き届けられる予兆と受けとっていいのだろうか。
困惑するわたしの耳に、パキンとなにかが割れるような音が届いた。
なんだろうかと考える前に、ローレンス様が息を呑んだ。驚愕の表情を浮かべ、目を見開いている。
「【呪い】が解けた……!!」
(……ん?)
なんだかいま、聞いてはいけないフレーズを聞いたような気がする。
状況を理解したくない、と思うものの、性根のまっすぐなローレンス様がわたしを放置してくれるわけもなく。
触れあっていた手をぎゅっと握られた。
ローレンス様の青い瞳がわたしをまっすぐに覗き込む。
「ありがとう……あなたは身分を明かしていないぼくに、こんなにやさしくしてくれた。だからきちんと言おうと思う。ぼくはこの国の第一王子、ローレンス・フォラント。弟リヒャルトに【呪い】をかけられ、直轄領での隠棲を余儀なくされていた」
「――……」
「身分を明かせないために、【呪い】のことも伏せていた。すまない」
その瞬間のわたしは、目を見開くだけでなく、口も顎が外れたみたいに大きく開けてしまった。
リヒャルト様の【呪い】とぶつかることのないよう、王宮を逃げだしたというのに。
女神から見れば、わたしは逃げだしたように見せかけて、リヒャルト様の喧嘩を受けて立ち、しっぺ返しを食らわせた、ということになるのではないだろうか。
「君のそのスキル……ぼくを包み込むやさしい光。君の清らかで、あたたかい心が伝わってきた」
それはわたしの台詞ですが。
「どうか、ぼくといっしょに王都へきてくれないだろうか。何を言っているんだと思われるかもしれないが……君に、ぼくのそばにいてほしい」
ローレンス様の言葉は真摯で、そしてやっぱり、わたしへの思いやりにも満ちていて――。
「……はい」
その手を振り払うことは、わたしにはできなかった。
……たぶんこの先起こることは、わたしのせいだし。
・◆・◆・◆・
王都にたどり着くまでに、「リヒャルト殿下のスキルが消えたらしい」という噂が伝わってきた。
本当ならば隠しておかなければならないものを、半狂乱になったリヒャルト殿下が暴れまわっているせいで、噂は広がる一方なのだとか。
最悪の事態にわたしは青ざめた……が。
王宮に復帰したローレンス様がサクッと……本当にサクッと、事態の収拾をしてくださった。
リヒャルト殿下の【呪い】におもねり、腰巾着のようになっていた側近たちを一掃。
お供の方々は、実は以前にリヒャルト殿下に諫言し職を追われていた元側近の方々で、彼らの働きにより国内は丸く収まった。
最も懸念された外交についても、諸外国は、
「話の通じない脅しをかけてくるリヒャルト殿下より、対話のできそうなローレンス殿下を歓迎する」
との反応で、すぐに揉め事には発展しなさそうだ。
リヒャルト殿下は、国を混乱させた罪で牢に入れられた。
ついでにラランナ・ゼータ様も、聖女の称号を騙った罪で起訴された。……そうよね。ラランナ様は、聖女候補になっていただけで、聖女には選ばれなかったのだもの。
ローレンス様はわたしに、事の顛末を教えてくれた。
10歳でスキルを授かったリヒャルト殿下は、当時の王太子であった兄ローレンス様に【呪い】をかけ、地方の直轄領に追いやったそうだ。
当時から優秀で国王としての期待も人望も厚かったローレンス様への非道な行いに、側近たちは異議を唱えたが、彼らもまとめて地方へ追いやられてしまった。
それからの横暴ぶりは、わたしたちの知るとおり。
国内には緘口令が敷かれ、わたしたち若い世代はローレンス様の存在すらわからないままになってしまった。
けれど、諸外国の王族はローレンス様の優秀さを覚えていたらしい。
それもまた、争いにならずにすんだ理由だった。
「ま、理由はもう一つ……わが国には、リヒャルトの【呪い】すら一撃で消滅させてしまった聖女がいるからね」
ローレンス様がくすくすと笑ってわたしの肩を抱く。
「しかもその聖女は、ぼくにも祝福をくれた。リヒャルトのスキルが消えても国が混乱しなかったのは、君のおかげだと思うよ」
「そ、そういえば……そうかもしれませんね」
わたしがローレンス様とともに王都へ戻ったことで、事後処理がすんなりとすんだのか。
婚約破棄を突きつけられたときにはどうなることかと思ったけども。
結果的に、国の役に立てた。
そして――ローレンス様という、最高の伴侶まで手に入れてしまった。
「君を、幸せにすると誓うよ」
わたしに向きあったローレンス様が、手をとり、手の甲に口づけを落としてくださる。
(スキルのおかげで、もう十分に幸せなのですが……)
ローレンス様の言いたいことは、そういうことではない。
スキルの力に頼らず、ローレンス様自身の力で、わたしの幸せを考えてくださるということ。
そんなローレンス様だからこそ、わたしもお役に立ちたいと思う。
「ふつつかものですが、よろしくお願いいたします」
わたしの顔は真っ赤になっていただろう。
でもローレンス様も、出会ったときのように顔じゅうを真っ赤にして、ほほえんでくださったから。
ローレンス様の手を握り返し、わたしはほほえんだ。
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