第三十二話・自転車に乗って
押上が咲江の所有するマキノの別荘で重野英子を逮捕した。そのまま、正美の捜索も始まった。英子は取調べに応じ、ポツリポツリと話し始めた。正美を殺害したことは譲らなかった。正美を殺害したことにして、逃走の手助けをしている、そう考えるのが合理的なのだが、どうもウソっぽいのだ。ウソをつく人間は、どこかウソを隠そうとするスイッチを持っている。そのスイッチを見破れるかどうかが取り調べのスキルといってもいい。
取調室では重野英子は訊かれたことにはゆっくりとだが、途切れることなく話していた。淀みなく、あらかじめ準備してきたのだろうと思える。時折涙ぐむところもあるが、葉狩には演技には見えなかった。正美をどのように殺害して、どのように処理したのか、バラバラにしてミキサーで砕いて、燃やして琵琶湖に流したと供述しているものの、その残虐な処理方法を英子が取れたのかというとはなはだ疑問であった。なぜ殺害したのか、という問いに対しては「医療費がかさみ邪魔になったから」と言っているが、響木が調査済みの医療保険詐欺について話を変えると、口数が少なくなっていった。詐欺に関しての事案は二課管轄ということもあり、葉狩が口火を切った。
「保険金詐欺の話は、久保隅咲江さんからの指示ですね?」
「いいえ、違います」
「では誰ですか?」
「一ツ橋先生です」
一ツ橋が先生か、詐欺弁護士、あいつがかき回したせいでこの事案が相当ややこしくなったと言えるだろう。
「そうですか、一ツ橋さんは誰に指示をうけたのでしょうかね?」
「それは…」
「それは、久保隅咲江さんではないでしょうか?」
「一ツ橋先生に訊いていただかないと」
「それは叶わないのはご存じでは?正美くんが殺害したと我々は睨んでいますが」
葉狩はカマをかけた。正美が一ツ橋を殺害したという詳細は秀一から語られたもの。正美が語ったものではない。正美の行動のすべてが非合理すぎるのだ。一ツ橋を自殺に見せかけたことも、咲江を秀一と一緒に河川敷に遺棄したことも。接点がなさすぎるのだ、被害者と。ないというと語弊がある、薄いのだ、接点が。
一ツ橋が杉浦杏子を轢いたあの夜、自宅のチャイムが鳴る。ドアを開けるだろうか?一ツ橋は警戒していたはずだ。故意・過失どちらにしても人を轢いたのだ。途中コンビニに立ち寄ったのはなぜだ。過度なストレスから咄嗟に万引きをしてしまったからか?コンビニで防犯カメラに映ってしまうのを恐れないのか。自分は犯罪に手を染めていないからむしろ堂々と、とでも考えたのか、いやそれでは危険すぎる。
葉狩から吐いた息の音が聞こえた。桜井は葉狩の様子を見てダンマリを決め込んだ。異常に研ぎ澄まされた葉狩は、完落ちさせる鬼になってしまうからだ。
「刑事さん、私が一ツ橋を自殺に見せかけて殺害しました。久保隅咲江さんも私が溺死させました。遺棄も私が。全て私一人でやりました。正美のことも殺害したのは私です。私を死刑にしてください」
どこかセリフめいている。押上程度なら騙されそうだが。
正美を庇っている、というシナリオ。英子は正美の罪をかぶっている。そして、正美を殺害したと言い実は正美を逃がしているのでは?と我々に思わせる。ここだ。正美をどこかに逃がしたとミスリードさせる。勘ぐりはじめた葉狩は英子のスイッチを探していた。ウソを言う時のスイッチ。クセだ。
調べればいずれ、犯人の手がかりは見つかる。それまでの時間稼ぎ。自供が採用されたとしても、物的証拠がない限り起訴に持ち込むのは難しい。そもそも、この逮捕自体も、正美を殺害したのかどうかもわからない、これから証拠を積むしかない。
「杉浦杏子さんの殺害を一ツ橋さんに依頼したのは、重野さんですよね」
葉狩は今回の事件からでは立件できそうもない轢き逃げ事件に踏み込んだ。桜井は無謀だと思ったが、葉狩の考えを尊重し沈黙を貫いた。
「いいえ、それはわたしではありません」
「そうですか、一ツ橋さんが実行犯であるのは間違いないのですが、あなた一ツ橋さんとお付き合いしていましたよね」
その事実は葉狩がさきほど葛城から入手したものだった。鑑識が見つけた大金星、一ツ橋の部屋で見つかった違和感、未開封のビールとスナック菓子、コンビニに立ち寄った理由、冷蔵庫は空っぽだった。どうしてだ?ひき逃げ事件を起こして、リスクがあるのにコンビニに立ち寄ったのは、突発的な理由が発生したからと考えてみる。
葉狩は重野に訊いた。切れ味の悪いナタを振りかぶられ、斬りつけられる。鈍い切れ味ほど痛みは激しい。
「重野さんは一ツ橋さんと知り合いになられたのは、更生支援センターでの会合ですよね。ここに出席の記録があります。あなたは元夫への傷害事件で逮捕され、半年収監された。一ツ橋も詐欺事件で何度も収監されています。府の更生支援センターで出会ったあなたたちは、一芝居打った。久保隅咲江さんに復讐するために」
「刑事さん、どこにそんな証拠が」
「いやぁ、杉浦杏子さんが殺害されたのは、てっきり久保隅咲江さんをゆすっていたからだとばかり思っていました。なんせ久保隅さんは複雑なご家庭でしたから。ゆすりがいのあるネタもありますしね」
「だから、それが何?」
英子の語気が強くなった。格子のついた窓には叩きつけるような雨が降りついていた。
「話を変えましょう。あなたの通話履歴です。杉浦杏子さんが轢き逃げ事故にあう前後、一ツ橋さんとかなりの回数お電話されていますね。それ自体はいいんです。一ツ橋さんは本当にたくさんの方とお話されていたようですから、そんなのは数ある着信数のうちの数パーセントです。証拠にもなりません。ですが、一ツ橋さんがコンビニで万引きをする直前、店内でお電話されているんですよね。映像にも残ってました」
「それが何か?回りくどいですが」
英子が苛立っているのがわかる。ポーカーフェイスが苦手すぎる。
「一ツ橋さんと重野さんとの通話はほとんどが、重野さんからです。ですが、今回は違う。コンビニの店内からは違いました。一ツ橋さんからでした」
葉狩は英子の表情を確かめながら続けた。何かを探られては困る顔だ。桜井も同意と言わんばかりの表情をしていた。
「一ツ橋さん、下戸なんですって。自宅にあった未開封のビールとスナック菓子、といってもこのスナック菓子ビールのお供というよりも応接室にありそうな、ほらチョコレートコーティングされたクッキー。一ツ橋さんの大好物だったみたいですね。彼がいつも立ち寄る別のコンビニの店員が言ってます。チョコレートクッキーとコーヒー牛乳を買うって。なのに、家にはビールとそのチョコクッキーだったんですよね」
「私が一ツ橋先生と共謀したという証拠になるんですか?」
英子はまだ一ツ橋のことを先生呼ばわりしている。弁護士先生でないこともわかっているはずなのだが。
「落ちてたんですよ、というより落としたんですよ。コンビニ出たところあたりで。コーヒー牛乳とビールのおつまみの枝豆チップスが」
「あなたの購入履歴も調べましたよ。良くいかれるコンビニ。ビールとこの枝豆チップスらしいじゃないですか。いつもこれだと、店員が言ってました」
英子の手が小刻みに震える。桜井は見逃さなかった。つぶさにその様子を記録係にも伝えた。
「一ツ橋さんはコンビニから重野さんにビールの銘柄といつも買うつまみを訊いていたんじゃないですかね。このあと会う予定だったから。だから、そんないつもと夜の訪問者にも一ツ橋さんはドアを開けた」
もう少しで落ちる。やはり不思議だ。犯罪に抵抗のある人間の態度だ。自分の中の正義感と道徳、倫理観、罪悪感たちがごった煮になって戦っている。認めたくないのだ、ほんとうにやってしまった罪は。自分の中にいる悪魔に浸食されるのが怖いから。つまり、一ツ橋の殺害、久保隅咲江の殺害、そして正美の殺害は「シロだ」。
「血がつながってなくても、親子。あなたが正美くんを庇う気持ちはわからんでもないですが、いつも補助輪をつけたままでもいかんでしょう。彼は彼の罪を償い、あなたはあなたの罪を償う、それは被害者のためでもない。償うのは自分自身に対してですから。被害者には刑期をもってして償ったところで、赦されるものでもないのですから」
葉狩がそう言うと英子は完落ちした。杉浦は久保隅咲江をゆすっていた。咲江に罰を与えるのは自分だと、それしか救われる道はないと考えていた英子は目障りな杉浦を一ツ橋に頼んで殺害。だが、一ツ橋には怖い思いをさせてという依頼であった。ブレーキパッドをすり替えられ、杉浦を轢き殺した一ツ橋は英子と自宅で落ち合う予定であった。食料も金もなかった一ツ橋は、コンビニで万引きをしてしまう。店から逃げるようにして出るときに、落とした飲み物と菓子のせいで自宅にはちぐはぐな遺留品が残っていた。ビールとチョコレートクッキー、違和感の正体を突き詰めると何かにたどり着くいい例だった。
「正美くんはどこに?」
「逃がしました。自転車に乗って、どこか知らないどこかに」
英子はそう言うと、黙秘に転じた。山奥に迷い込んだかのように、取調室が静まり返った。葉狩の詰問する声だけが響く。秀一を任意で取り調べてもみたが、もう正美の行方は誰にも分らなかった。父、岩城島勝一のもとにも訪れておらず、正美は完全に世界から消えた。




