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パンとサーカスと、自転車に乗って  作者: 常に移動する点P


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第三十一話・子を想う母

 中田陽子と川村紗智、共通点のなかった二人は久保隅秀一という青年によって引き合わされた。川村紗智は若い頃に幼少期の重野正美との接点があった。陽子と紗智は秀一を連れて再び、葉狩と桜井のもとへ訪れた。陽子からひとしきり、正美の犯行を説明した。


 取調室ではなく、いつもの会議室。葉狩は桜井と並んで座り、対面に陽子、紗智、秀一が座った。対峙する形ではあったが、その空気は春の陽だまりのように穏やかだった。

「じゃぁ、久保隅龍一こと重野正美は逃亡中ってことだね?」

 葉狩は秀一に向かって言った。その問は、念押しというよりも正美が今どこにいるのかを問うてもいた。

「はい。でも、どこにいるかはわかりません」

 秀一に覇気はないものの、言葉のひとつひとつははっきりとしている。陽子と紗智の方が落ち着きがない。

「これだけでは、逮捕状がとれないんだよ。久保隅咲江さんが亡くなったのは確かに水道水が肺から出ているし、浴槽で溺死したのは鑑識でもわかってる。それをキミたちが運んだってのは、自白で十分証左にもなるだろうが。本人が書いた遺書に従ったと言えばそうだが。正直言って久保隅咲江さんの捜査はこれ以上するなと、上からお達しが出ていてね」

 なんとも歯切れの悪い抗弁だと、葉狩は自ら自虐的に評価した。

「上からですか?」

 陽子は訊いた。

「あまり言えませんが、教団が献金をね。政治の世界も抑え込んでいたってわけです。抜かりないですよね、彼女も」

 久保隅咲江の用意周到な根回しは、もうひとつ遺書に書かれていた。一ツ橋要殺害は自分の犯行であると。加えて、杉浦杏子を轢き逃げ事故で殺すようにと一ツ橋に指示し、あらかじめバイクのブレーキパッドに細工をしたのも自分だと。はなはだ、老女がバイクの細工ができるとは思えないし、それは岩城島の犯行だと裏も取れている。

 桜井は葉狩から渡された咲江の遺書を読み、会議室の使い込まれたテーブルにそっと置いた。

「なぁ、秀一君。正美君と連絡とれないかな」

 葉狩は間置いた秀一に頼んだ。その姿はベテラン刑事の偉ぶった様子はなく、一人の人間が一人の人間に、願い出たものだった。

「Zユーブの限定公開でなら、伝えることはできますが。もうひとつ本懐を遂げるって言ってたのが」

 秀一の手が小刻みに震える。陽子が肩をぎゅっと抱きしめた。怖がらなくてもいい、大丈夫と母親が子供に落ち着かせるように、言葉はなかった。

「正美君のもうひとつの本懐」

 そう葉狩が言ったと同時に、桜井が唸った。

「なんだと」

 古いモーターが起動するような、ひしゃがれた声。それでいて、大きな音。

「どうした?」

「いや、重野英子らしき人物から、救急に連絡があってな。こちらにも回されたわけだが、滋賀にある民宿で襲われているらしい」

 追っかけで、響木から報告があった。重野英子は咲江が運営する教団の保養所に潜んでいた。スマホに位置情報共有アプリを入れていたのを忘れていたのだろう、正美には位置が筒抜けだったようだ。一棟貸しのような、平屋の保養所に一人で隠れていた重野英子は突然の訪問者、重野正美に拘束されたらしい。正美の目を盗んで警察に通報し、通話状態のままスマホをブラジャーの中に隠した、と言っているらしい。ここまでの状況は響木から葉狩、桜井が口頭で引き継いだ。葉狩と桜井はヘッドセットを装着した。一つ余ったヘッドセットは秀一に渡された。通話は遮断されている。

 しばらく耳ざわりな雑音が流れる。


「母さんがいけないんだよ」


 その声はヘッドセットをしていない陽子や紗智にも聞こえた。

 秀一が集中した。耳を澄ませる。音の形を聴いている。ガチャガチャンと何かが割れる音がした。叫び声が聞こえる、女性の声だった。おそらく、重野英子だろう。正美が手をかけたのか、逆探知が終わった。ある程度の基地局はわかったが詳細までははっきりしない。秀一が言った。

「これは、録音です。雨の音がします」

 この二日間、関西ではカラッと晴れた天気だ。移動性高気圧の影響だろう。ただ、三日前は雨だった。それもひどい雨。


 ヘッドセットからは、緊迫した音が聞こえる。男性の声だ、正美のうめき声。英子が反撃したのか。雨の音が聞こえたり、途切れたり、音源をつなぎ合わせたつぎはぎだと秀一にはわかった。


「あんたなんか、死んじゃえ」

 明らかに英子の声だった。そして、音ひとつない病院の待合室のような、緊張感のある静寂が電話口の向こうとこちらを包み、ひとつになっていた。


 電話口に英子が出た。

「正美を殺しました。わざと追跡させるように仕向けて、返り討ちにしました。計画殺人です。この音源は、もうバレていると思いますが、録音音源です。二日前の日曜日のものです。私を捕まえてください」

 英子は淡々と言った。

「正美くんはどこに、いまどこに」

「マキノにある咲江さんの別荘にいます。正美はバラバラにして、燃やして琵琶湖に流しました」

 英子が用意していたようなセリフめいた言葉を並べる。パズルの最後、五ピースほどを埋める時のように、迷いようのない答え合わせをしているように。

 秀一は首を振った。葉狩はうなずいた。押上が先に現場に向かっていた。教団の資料からマキノにある別荘の所在地を割り出した。現場に急行した押上が別荘の小さな庭、ベンチに腰かけている英子を見つけ出すのは容易だった。押上を初めて見た英子は、立ち上がり一礼した。その姿は、不祥の息子を持った母親の憔悴しきった表情だった。万引きをしてスーパーの事務所に現れた母親とは違う、もっとなにか、今生の別れをしてきたような悲しみを束にして背負っている、辛さの凄みがあった。


 会議室で秀一が言った。

「正美は逃げたんですね」

「あぁ、茶番に付き合うほど私たちも暇じゃないが。秀一くんと正美くんは、久保隅咲江の死体遺棄では立件される。だが、それも不起訴処分になるかもな。刑事が言うのもなんだが」

 桜井は不満そうに言った。

「正美の一ツ橋さん殺害の件は?」

「あれは、ダメだ。証拠がない。指紋も出てないし、捜査自体も他殺のセンを追ったが、上から捜査終了のプレッシャーがかかってな」

 秀一を睨みつけるように桜井は吐き捨てた。秀一が悪いわけでもないのだから、と葉狩は感情的になる桜井の肩をポンポンと叩きながらなだめた。

「じゃぁ」

「そうだ、正美くんは、秀一君と一緒に死体遺棄だけで逮捕されて、優秀な弁護士がつくだろうから不起訴だな」

「優秀な弁護士って、僕たちお金なんて」

 ありません、と言いかけた時葉狩が割って入った。

「いや、咲江さんが残してるようだ。葛城がもう調査済みらしい。桜井の部下も優秀だ」

 事件が終わりを見せようとしているなかで、釈然としないものを葉狩も桜井も抱えていた。

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