第二十九話・二人の母と一人の父
響木が単独で調査した資料のなかに、ZユーブのボカロPとして活躍している久保隅龍一という男がいた。久保隅秀一にはSHU名義でボカロPとして活動している履歴があった。秀一と龍一とで一文字違いであることから、秀一のもうひとつの別名議が久保隅龍一と決め込んでいた。違ったのだ。この二人は別人なのだ。それは、押上が言った何気ない一言だった。押上は大学生時代バンドを組んでいた。並行して、ボカロPとしてもDTMにかなりはまり込んだらしい。その押上が言うには、久保隅龍一のコード進行は神がかっていて、プロに近いレベル。秀一はその真似をしているようなものらしい。だが一般人にはわからない。押上が言う決定的な事実は、龍一の使っている音楽制作ソフトはスマホにプリセットされている”ミュージックメイク“というものらしい。通常は、パソコンの無料版・有料版の音楽制作ソフトを使うらしい。それに加えて、シンセサイザーや音圧調整ソフトといったオプションを買う。だが、フルセット有料版で揃えようものなら安くても十万近くかかる。しかもDAW(DTMを操作するときに動かす音楽ソフト)を使いこなそうとするなら、相当なスペックのパソコンが必要だ。メモリは8GBでは足りない。16GBは必要だ。ストレージは最低でも500GB必要だ。だが龍一はスマホのプリセットアプリで音楽を作っている。単にお金がないからとも推察できる。献金に溺れた母にねだる訳にもいかず、自身が原因不明の長期入院をしていることで保険金詐欺を疑っても不思議ではない。十七歳は子どもではない。それくらい察しがつく。
川村紗智が言っていた。ZユーブにSHU名義のチャンネルが久保隅龍一になっている。秀一はSHUから久保隅龍一に名義を変えたと言っているが、違うと思うと。葉狩は大した話ではないと思っていたが、喉に引っかかった魚の小骨のように、何かスッキリしなかった。川村紗智も同じだったのだろう。秀一を追求することはできなかったから、それ以上はわからなかったらしいが、重野正美もZユーブに投稿をしていた。名義は、MASだった。葉狩は引きこもりの高校生がイジメに関する音声をアップしていたのを思い出した。校長、教頭、担任、加害者の両親、被害者の母親が登場する音声。イジメの事実を認めた音声だった。MASのチャンネルは既に消去されているのか、見当たらない。代わりに、MASにもアップされていた音楽が見つかった。【夕暮れに笑う】、この曲が久保隅龍一名義でアップされていたのだ。秀一のSHU名義でアップされているどの楽曲とも“音圧”が違うらしい、音の大きさを物理量で表したもの。音量は主管で音の大きさを理解するものらしい。とにかく、SHU名義の楽曲よりも音圧が劣るというか、弱い。久保隅龍一はSHUこと久保隅秀一ではないことがはっきりわかる。久保隅龍一とは、重野正美だ。押上が気づいていなければ、この些細な小骨に気づかなかった。
「岩城島さん、あなたが恐れている人物は、久保隅龍一ですね。息子の久保隅秀一ではなく、久保隅龍一」
岩城島は目を丸くして、腰をズズッと椅子からずり落ちた。滑り落ちるように床に膝をついた。大柄な男がそのまま重力に逆らわずに物理法則に身を任せる、その姿は諦めではなかった。心ごと地にひれ伏して、すべてをさらけ出して許しを請う姿に見えた。岩城島は、伏せたままポツリポツリと話し始めた。
「母は咲江さんを脅していました。咲江さんはお布施で献金を違法に集めていたし、その一部をいただくことに母は罪悪感をもっていなかったようです」
「杉浦さん、お母さんは何をネタに脅していたんですか?」
「母は重野正美くんの誘拐事件をネタに咲江さんをゆすっていました」
「重野正美くんの誘拐?」
葉狩のオウム返しに岩城島は沈黙した。
葉狩の手元には調査資料が揃っている。重野正美の誘拐事件については英子を任意で引っ張ってから響木に調査をさせていた。
重野正美は幼少期、二歳の頃、二カ月ほど誘拐されていた。元夫に親権を奪われるのを恐れた英子は、元夫と揉めて傷害事件を起こした。執行猶予になったものの、元夫が親権を要求することを恐れ、狂言誘拐を画策した。正美を預かり、高額なアルバイト代で二カ月ほどお世話をしていたのが、川村紗智だった。響木の調査は時間をかければ、思っていた結果が返ってくる。打てば響くとはこのことだ。
川村紗智に高額なアルバイト代を払っていたのは咲江だった。咲江のメリットは英子に恩を売ること。同時に劇団員として生活窮していた紗智の援助により、紗智にも恩を売れると咲江は考えたのだろう。その狂言誘拐そのもののネタをゆすっていた。だから二人は同じ職場で働いていたのだ。杉浦は咲江を監視し、同時に咲江は杉浦を監視することで秀一への危害を防いでいたのか、刑事としての勘はどこかに置いて職務に当たることを信念にしているが、勘に頼りたくもなると葉狩は自分に弱音を吐いていた。
「駆け引きはやめよう。正美くんの誘拐案件もこちらは掴んでいる。川村さんも絡んでいることも。首謀者は久保隅咲江さん、正美くんの母親もかかわっていることはわかっているんです。でも、釈然としない。このことだけで、ゆすりや脅しがどこまで有効なのかってね」
「はい」
うなだれるように岩城島は返事をした。桜井に抱えられて、椅子に座りなおされた。目は虚ろだ。
「実は、母がゆすっていた内容は別にあります」
取調室に動揺が広がる。事件の核心に近づいたという興奮を誰もが味わった。いつもは冷静な響木ですら、タイピングのリズムが狂い始めている。かすかに桜井の手も震えている。葉狩自身もすうっと静かに深呼吸をした。
「なんですか?それは」
「正美くんの父親は私です。母親は、咲江さんです」
岩城島の言葉に誰もが耳を疑った。咲江と千賀子、同年代の似た二人。千賀子は咲江の養女となり、千賀子は岩城島の子を身ごもった。その子が久保隅秀一だ。正美は重野英子の子だと誰もが思っていた、戸籍上も英子の子は正美だ。だが、岩城島の告白では咲江との間にも子がいたと。その子が正美だとは。
「千賀子さんを咲江さんと間違ったのは私です。寝室にいたのは千賀子さんだと思っていたのです」
似た顔を持つ母、同じ父親。秀一と正美。正美は誘拐されていた二カ月の間、川村紗智にリュウイチと呼ばれていた。咲江の立っての願いだったのだろう。重野英子との何らかの契約に基づき、咲江は我が子を手放した。手放した我が子が、英子の離婚によって何の血縁関係にも無い英子の元夫に親権を奪われそうになった。傷害事件まで起こして、英子が正美の親権にこだわったのはそういうことか。そのあとの狂言誘拐も含めて、元夫はこの異常な執着心を見せる英子を本気で怖れたのだろう。何をされるかわからない、だから元夫は早々に正美の親権を取り戻すことを諦めたのだ。岩城島の話を聞けば聞くほど、この咲江と千賀子の似た二人がのちのちの事件を引き起こす要因になっているのだと。ドッペルゲンガー、出会うと死ぬ。咲江は結果的に千賀子と出会うことで、不幸な死を遂げたのだ。




