第二十六話・さび付いたドアが開く音
葉狩と響木、押上は久保隅咲江の住む山科区の自宅へと向かった。駅前は飲食店でにぎわっている。夕方にもなると飲み屋を目指して歩く学生やサラリーマンが多く、人気のもつ鍋店は相変わらず長蛇の列だった。京都の住宅街エリアでもひときわ活気のある駅前を抜けると、閑静な住宅街だ。響木はスマホ片手に久保隅咲江の自宅を目指した。築年数は三十年ほどといったところか、久保隅と表札を見つけた。縦書きの昔ながらの表札だった。洗濯物は干されておらず、玄関の門扉は閉じられていた。押上はインターフォンを鳴らした。反応はない。
「留守ですかね」押上は三度ほど鳴らしたあとに、同意を求めるように訊いてきた。
「お孫さんがいるはずですよ」
響木はそう言うと、玄関の扉をノックした。
「久保隅さん、いらっしゃいますか?」
ガレージはあるが車があるようには見えない。駐車スペースに自転車が一台置かれている。響木は自転車の防犯登録番号を照会に出した。すぐに照会の返事が返って来た。久保隅秀一、住所は山科区のこの家ではなかった。城陽市と宇治市の境にある、小さなアパートだった。
「どういうことですかね?」
「前の住所じゃないのか?」
葉狩はポストの状態を確認していた。郵便物は溜まっていない。
「前の住所ですか?」
押上は間の抜けたオウム返しをした。
「久保隅咲江と住んでからは引っ越しもしてませんし、この自転車の防犯登録がされたのは、え?変更されています。最初の登録は三年前。そのあと、二カ月前に城陽市の住所に変わっています」
「引っ越しして自転車の防犯登録を変えるってこと自体珍しいな」
葉狩は自転車後輪の泥除けをじっと見ていた。
「引っ越しもしていないでしょうし。久保隅秀一が借りたアパートでしょうか?」
「未成年が借りられるかな?」
「無理ですよね」
押上が即答した。葉狩はじっと久保隅の家に誰かいないか目を凝らしているが人の気配は感じられない。
「一旦、城陽市のアパートに行ってみよう。久保隅秀一から話が聞けるかもしれない」
葉狩はそう言うと、山科駅方面に向かって歩き出した。
「葉狩さん、桜井課長が警察車両でこちらに向かっているようです」
流石、桜井だ、行動と判断が早い。葉狩は桜井が指定する駅外れのコンビニの駐車場で待ち合わせをした。
「押上は残業続きだし、家もここから近いんだから、今日はもう帰れ。響木は付いて来い、帰りは桜井に送ってもらえ」
葉狩のデリカシーのないところは、流石に鈍感な押上でもアウトだと感じるところだったが、敢えて触れずに響木に軽い引継ぎをして自宅へと帰って行った。
桜井と車中では、久保隅秀一の自転車の防犯登録が更新され、城陽市のアパートに変わっていることを伝えた。桜井も久保隅秀一については調査していたところで、その生い立ちに疑問を持っていた。
「この、久保隅秀一ってのは、咲江の孫なんだよな?」
桜井が助手席の響木に問いかけた。業務用の口ぶりだ。
「はい、孫のようですが」
「ようですが?」
葉狩が食いついた。
「咲江の娘が離婚後、ネグレクトになり、咲江が秀一を引き取ったということになっていますが」
響木は手持ちの資料にはない、別紙資料をバッグから取り出した。
「いますが?」
葉狩がイライラしながら訊いた。響木は小出しに情報を出す。それがいい時もあれば、悪い時もある、葉狩は自分の語気が強くなっていることを感じていた。
「ええ、娘の存在が見当たりません。戸籍を取り寄せているところなのですが、おそらく、秀一は咲江の実子なのではと」
「おいおい、咲江は記録だと六十五歳だろ?秀一は今年十八歳だから、四十七歳の時の子か?」
葉狩は何もわかってはいない。四十七歳であっても、妊娠する可能性はある。響木の表情が曇るのを運転席の桜井は見逃さなかった。
「じゃぁ父親は誰なんだ?」
「一ツ橋の内縁の妻と称して、咲江は身元引受人になったんだろ?一ツ橋じゃないのか?」
葉狩がぶっきらぼうに言った。
「だとしたら、一ツ橋は三十八歳で亡くなったから、二十歳のときに咲江と付き合ってたってことだな」
桜井が右にウィンカーを出し、細い道へと入っていった。なくはない、むしろあり得る。だが、この家族構成がわかったからといって、杉浦杏子、一ツ橋要、早田千賀子の殺害に絡んでいるのが久保隅咲江だというのは短絡的だ。なにせ、動機が見当たらない。複雑に絡み合う人間関係のなかにただ咲江がいるだけだ。証拠にも何にもならない。
狭い駐車場に車を停め、響木は東治宇署に連絡を入れた。辛うじでオートロックのあるアパートだった。三階建てで、大学生たちの下宿用として使われているのか、自転車置き場はロードバイクが多かった。いわゆるママチャリは一台しかなかった。ファミリーやカップルで住んでいる人は少ないのだろう。洗濯物は干されおらず、部屋干しなのかそれとも週末にまとめて洗濯するのか、生活感がない。
あらかじめ呼んでいた大家にエントランスキーを預かり、防犯登録にあった二〇一号室をノックした。賃借人の名義は久保隅咲江だった。
「東治宇警察です。久保隅さん、お話があります。開けてください」
桜井がドアを叩き、響木が呼びかけた。万が一ドアが急に空いても、桜井が対峙する。府内の柔道大会で体重別だが六十六キロ級で二位の実力者だ。ドンドンと二度ドアを叩く。ノックではない。桜井の焦りを葉狩は感じ取っていた。その時だった、ドアがゆっくりと開いた。ドア越しに出てきたのは、久保隅秀一、その後ろには誘拐されたはずの中田陽子と川村紗智が立っていた。
桜井は東治宇署に連絡し、中田陽子と川村紗智を保護した。自宅に送り、後日お話を聞きたいと桜井が申し出た。二人は了承し、とりあえず病院で簡単な検査を受けることとなった。中田陽子は、「秀一君を護ってください」と頭を下げた。川村紗智は「秀一君のお婆さん、咲江さんが危ないんです。助けてください」と唐突に言った。
部屋の中で桜井と葉狩は久保隅秀一に訊き取りを行った。部屋の中は妙に生活感がある。だが。成人二人の女性が監禁されていたとは思えない。スーツケースが三つ、冷蔵庫には大量のカレーの作り置き、布団は一組、寝袋が二つ。三人で共同生活でもしていたといわんばかりであった。
「秀一君、君は中田陽子さんと川村紗智さんを誘拐したのかい?」
葉狩が端的に訊いた。秀一はしばらく黙ったまま、「いいえ」と小さく答えた。中田陽子が乗り込んだ警察車両から降り、戻って来た。
「秀一君は、私たちを護ってくれたんです。あのまま私と紗智さんが自宅にいたら、あの杉浦って人みたいに狙われるって。警察に相談しようと三人で話しましたが、取り合ってもらえないだろうってことになって。誘拐されたってことにして、ここで三人で身を潜めていたんです」
陽子は立て板に水の如く説明した。とても誘拐されていたとは思えない。元気そうでもある、と葉狩は思った。
「狙われてるって誰にですか?」
桜井が陽子に訊いた。警察手帳ではなく、メモ帳にシャープペンで日付・時間を書き始めた。
「秀一君、君たちは誰に狙われているんだい?」
「順を追って説明させてください」
秀一はこれまでの経緯を説明し始めた。最初に異変に気付いたのは、昼間の咲江の様子が違ったことだった。主婦のような人たちを自宅に集め、何かをパンフレットを開いて説明している。そのあと、お酒を飲むようになった。夜になると、一ツ橋という男と電話をしているようだった。しばらくすると、清掃の会社を突然辞めた。交友関係はさらに広がり、菅野奈緒という女性を家に連れてきた。女優のタマゴらしく、これから応援すると言い出したのだ。要領を得ないまま、祖母の様子がおかしくなってきたことを疑問に思い、中田陽子に相談した。正美の母親重野英子にも相談して数日後、祖母の様子が変わり、些細なことで激昂するようになった。まるで別人だと、秀一は咲江の変貌ぶりを説明した。
「お婆さんは、別人になったって、見た目も変わったのかい?」
葉狩が丁寧に説明する秀一に、小さな疑問を投げかけた。署内で訊くのがいいのだろうが、何か胸騒ぎがする。時間がないときの感覚。時刻表通りの電車に乗るはずなのに、乗れない、駅までの道中にやたらと邪魔をしてくる巨人がいる、あのいつもの夢を見ているような。
「咲江さんは、僕が言うのもなんですが、キレイでお婆さんって感じじゃなかったんだけど、急になんだか、鬼みたいに。見えるようになって。老けたというか」
「それで、お婆さんは、久保隅咲江さんはどこに?」
「それが、この二週間ほど行方が分からず、ただ、家に置手紙があって」
秀一は手紙をバッグから取り出した。白い長封筒に便箋一枚が入っていた。
《城陽市のアパートに隠れなさい、私は無事ですが、探してはいけません。一ツ橋要という男尋ねてきたら、私のことは知らないと言いなさい。そして、逃げなさい》
随分意味深な置手紙だ。警察に相談しなさいと書けばいいものの、孫、いや我が子を危険な目に会わせる前提とは、葉狩は咲江の人となりに身勝手さを感じていた。
桜井のスマホが鳴る。部下の葛城からだった。
《桜井課長、宇治川河川敷で見つかったあのホームレスの女、所持品にロッカーのカギがありまして、調べたところ「久保隅咲江」で間違いないようです。免許証とマイナンバーカードも所持していました》
「どういうことだ?」
桜井は秀一に聞こえないように、アパートの廊下に出た。
《DNA鑑定もしてました。歯形も。この亡くなったホームレスは、久保隅咲江さんです。通っていた山科区の西塚田歯科医にも確認が取れています》
「秀一君、お婆さんは歯医者に通ってたのかい?山科の西塚田歯科に」
廊下から桜井が戻って来た。土足のままだった。
「はい、虫歯が痛いって、去年ぐらいから通ってたと思います」
葉狩は冷静に分析を始めた。
宇治川河川敷で見つかったホームレスの女、桜井の情報では、ソウダチカコと言ったが、真に受けていた。身元の確認が完全に済んでいないのに。入れ替わったのだ、久保隅咲江は秀一を置いて、ホームレスのソウダチカコと再び入れ替わった。ホームレスとなって、身を隠そうとしたのか。しかし、ソウダチカコ本人は咲江のそんな身勝手さを許すのだろうか?戸籍ごと奪われたソウダチカコは世間から身を隠すようにして、生きてきたはずだ。身内を頼ることもできず、社会を頼ることもできずに。
響木は手持ちのパソコンから、二年前の傷害事件について調べていた。小刀でコンビニ強盗に入った女は、ホームレスだった。精神疾患が認められ、入院による治療が必要となった。京都には該当の指定入院医療機関がなかったため、滋賀県の病院に入院することとなった。桜井が言っていた言動、「名前を奪われた」と言っていたという記録があった。裁判記録ではなく、精神鑑定の資料にある。一般公開はされていないが、響木は葛城経由で手に入れていたのを思い出した。響木は葛城に電話をかけた。名前を奪われたホームレスの女の事件、奪われた名はなんと言っていたかと。葛城は、肝心なところ言ってませんでしたと平謝りしたあと、“奪われた名”を響木に伝えた。
「あの、葉狩さん、桜井さん」
響木が一呼吸置いて、葛城の話と資料に抜けていた補足説明をし始めた。
「二年前、傷害事件で捕まったホームレスの女性、覚えてますか?」
「覚えちゃいないよ、そんなの」
桜井が言った。
「いや、覚えてる。あの、精神疾患で不起訴になった」
「どうして覚えてるんだ?」
桜井が怪訝そうに、葉狩に訊いた。秀一は黙っている。
「俺が担当したからだよ。年末で署内が立て込んでて、俺が取り調べを担当した。名前が言えなくてな」
「そうです、彼女、身元不明でした。でも、搬送された滋賀の病院、看護師から葛城さん宛てに連絡があったそうです。もう不起訴だからって、たいして取り合わなかったのを悔やんでいました」
「で、なんて?」
桜井は結論を急いだ。
「はい、そのホームレスの女性は、ソウダチカコと名乗ったそうです」
「それは、おかしい。俺が最近万引きでとっ捕まえたホームレスの女は、ソウダチカコと名乗ったぞ」
桜井は響木を叱りつけるようにして言った。お門違いだといわんばかりに響木は怒りの軸をずらす。
「そうです。二人は同一人物じゃないです。滋賀の病院で療養していたソウダチカコと名乗る女性は、病死しています。そのあと、身元は不明なままで埋葬されています」
「どういうことだ?」
桜井がつっかかった。
「そうか、秀一君、ここからは辛い話になる。咲江さんの話にもなるが、いつ聞くかだけになる話だ。どうする?」
「僕、聞きます」
秀一はか細い声で言った。
「桜井、説明して。話聞いたのはお前だから」
葉狩は桜井から説明を促した。
「あぁ、秀一君、君のお婆さん、咲江さんは亡くなった。宇治川河川敷で水死体で見つかったが、状況からするに他殺だ。肺の中の水が上水道の水だったことから、どこかで溺れさせられたのち、河川敷に遺棄されたと思われる。歯形が一致した。咲江さんは、おそらくだが自分の身に危険が迫っていることから、ホームレスの女性・ソウダチカコとなって身を隠したと思われる」
「ソウダチカコ?」
「あぁ、咲江さんと若い頃、歌劇団で女優をしていた同僚だ」
桜井は続けた。
「咲江さんは、早田さんと名前を入れ替えた。戸籍を交換した。だが、咲江さんは交換したフリをして、早田さんの戸籍を奪った。戸籍が奪われたといっても、取り返す方法はいくらでもあったと思うが、親友に裏切られた気持ちからか、失意のままホームレスとなったと思われる。亡くなってしまった人達の話だが」
「咲江さんは、おばあちゃんは死んでしまったんですね。しかも誰かに殺されるなんて」
秀一は意外とあっさりしていた。そうなるであろうと予想していたかのように。
「秀一君のお母さんは今どこに?」
葉狩は秀一に訊いた。
「わかりません」
「どこに住んでるのかも?」
「はい」
秀一はうつむいて返事をした。
紗智は既に帰宅したが、陽子はその場に残って秀一の助けになろうとしていた。我が子にも似た想いだった。
響木のパソコンに再び葛城から緊急案件というタイトルでメールが飛んできた。画像が添付されている。
添付ファイルを開くと、そこにはアタッシュケースをどこかに向かって運ぶ男の姿だった。はっきりと顔はわからない。葛城のメールの本文には、
《宇治川河川敷に向かってアタッシュケースを運ぶ怪しい男の写真、防犯カメラに映っていました。宇治川河川敷は舗装されておらず、砂利は少なく柔らかい土手が多く、車輪跡が河川敷についていることも鑑識の報告でわかりました。この男を重要参考人とすることが、先ほど本部で決定しました。》
とあった。
響木は桜井と葉狩にメールの内容を伝えた。葉狩は躊躇することなく、秀一にメールに添付されていた怪しい男の写真を見せた。
「この男、見覚えありませんか?」
一呼吸もしないうちに
「わかりません」と秀一は答えた。本当に知らないのだろうと、葉狩は秀一の受け答えを見て分かった。この子はウソをつく子ではない、というか、ウソは苦手なのだろうと思えたからだ。
「あのぉ」
自分の発言のタイミングを見計らっていたのか、陽子が発言した。
「この男性、見たことあります」
葉狩は陽子の方に振り返った。
「え?知り合い?ご存じの方?」
葉狩に動揺が走る。
「いえ、杉浦さんのお葬式にいた、たしか、辻誠と言ったかしら。お子さんらしく。似ています。顔立ちが。特徴的だったから。目鼻立ちがスッとしていて、いわゆる男前だったから。不謹慎ですが…」
陽子のひと言でさび付いたドアがぎぃいと音を立てて開いたように、葉狩は感じた。




