第二十四話・開祖誕生
桜井は宇治川河川敷で亡くなっていたホームレスの女の司法解剖の結果を監察医の田崎から聞かされた。他殺、おぼれ死んだように見えるが肺と胃の中に流れ込んだ水質は宇治川のものではない。上水道の水、簡単に言うと家庭用水、風呂の水じゃないかと。皮脂の成分、せっけんカスの成分が検出された。皮脂の成分をDNA鑑定すれば、少し状況はわかるとは思うが、宇治川で溺死してはいないという結果だった。ここからは仮定と推察にしかならないが、他殺の線が濃厚だと桜井は踏んだ。疑わしきは疑う、それが桜井の信念だからだ。ホームレスの女が久保隅咲江という女性と接点があったこと、戸籍交換が行われたが実は久保隅咲江に戸籍だけを奪われたのではないかということ、が葉狩からのメールで連絡があった。杉浦杏子を轢死させた一ツ橋要。任意聴取直前、一ツ橋は誰かに殺害された。そして、宇治川河川敷でホームレスの早田千賀子が殺害された。
一ツ橋が若い頃に詐欺事件で懲役を食らい、仮釈放される際の身元引受人、響木が調べ上げた。この一ヶ月ほど会えない時間が長かったが、響木の残業の理由はコレだった。当時の国選弁護士をあたったが、違った。通常は親族が身元引受人らしいが、一ツ橋の場合は早田千賀子という女性が引き受けていた。当時三十五歳、早田千賀子という女性は内縁の妻ということで身元引受人として認められたと響木からの調査書には書かれていた。直接響木に詳しく訊きたいところだった。理由はともかく、桜井は響木に会うための口実が欲しかった。
ようやくつながった。一ツ橋要と早田千賀子、おそらくこの早田千賀子は殺害されたホームレスの女とは違う。葉狩のメールからすると、この身元引受人は久保隅咲江だ。一ツ橋要を自分の内縁の夫として、迎え入れ、その後、汚すだけ汚したあと早田千賀子の戸籍は売った。そう考えるのが自然だ。
響木の資料には面白いことが書かれていた。押上が追いかけている詐欺事件。弁護士役のピースが抜けていたが、どうも一ツ橋だったようだ。逮捕した被害者役の男が供述した。供述と引き換えに、家族の安全と保護を願い出たのだ。××■〇教団、この男が詐欺事件を依頼された大元だ。一ツ橋が指示役を兼ねていた。××■〇教団といえば、開祖は超能力として知る人ぞ知る保谷求堂と名乗る男だ。保谷求堂は第二次世界大戦でフィリピン・ルソン島での生き残り兵だった。本名は林原保次郎という。戦後現地で拘束され、その後日本人教師として現地人に日本語を教えた。戦後五年経って帰国後、××■〇教団を作った。ルソン島で生き残ったのは、超能力に目覚めたからだと言う話だった。一度だけテレビに出演したことがあるらしく、その記録はだれかがご丁寧にZユーブ切り抜き動画としてアップしていた。
保谷求堂が見せた超能力、「火炎」は見事だった。見事というのは、トリックがあるがトリックをわからせないものだからだ。仕込んだガス管のようなもの、義手に埋め込み火を吐く。チープなマジックともいえない、トリックともいえないものだった。アルコール液をしみこませた綿を使ったトリックなど、仕掛けは陳腐だったが、義手を巧みに使いこなした。義手は熱を感じないからだ。本物の手と思わせれば、その分トリックは見破りにくい。
時を同じくして、ある若い新聞記者が不審な死に方をした。川べりで溺死していた。夏場とはいえ泳げない男だったのに、と親族は不審がった。新聞記者は保谷求堂を追いかけていたことは、当時の警察の調べで明らかにはなっていた。だが、その新聞記者が追いかけていたのは保谷求堂だけではなかったことから、犯人に結び付く直接証拠もなく時効を迎えた。桜井がこの事件を誰よりも覚えている理由は、この若い新聞記者は桜井の父だったからだ。そして、この保谷求堂こと林原保次郎は、早田の姓を名乗る。妻側の姓を名乗る、いわゆる婿養子となった。桜井は響木の資料にじっくり目を通しながらめくる。他の誰か、たとえば、葉狩がこの資料を読んでもピンとはこないだろう。桜井自身が読むことに意味があった。母から聞かされてきたことの答え合わせをしているようだった。
林原保次郎の妻は、早田千賀子とあった。早田保次郎はその後、早田千賀子と離婚したとあり、再婚相手が久保隅咲江だった。再び婿養子となり、久保隅保次郎となった。そこまでして名を変えて生きた保谷求堂は二十年前に他界している。××■〇教団は、保谷求堂が亡くなったあと、教祖として久保隅咲江が選ばれた。民主主義の体裁を取っている宗教団体は珍しい。政治団体なのかと思わせるほどだ。そして、実験を握った久保隅咲江は、教団の方針を転換し、主婦をターゲットにした教団運営を図る。その一人が、任意聴取に応じたACOこと重野英子だ。一ツ橋を弁護士と信じ込まされてきた。息子の入院を長引かせて保険金詐欺の片棒を担いでいる女だ。
桜井は響木からの資料を勢いよく閉じた。昼寝のつもりで借りた会議室を延長したものの、次の使用者の時間がまもなく来る。
「久保隅咲江、これ逮捕なんてできないぞ」
会議室の窓を開け、三時間ぶりに外の空気を吸った。鉄格子越しの西日が桜井の目に映った。




