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勘吉郎のひみつ

「先生、途中で親方につかまりそうになりました。いやあ、なんとか逃げ切りました」

「おう、ご苦労だったな」

「勘吉郎さん、お帰りよ」

「ああ、滝坊」


 七輪のそばにかがんで、にっこり笑う若者は、勘吉郎といいまして、先ほどから先生と呼ばれております戯作家青月瓢箪の弟子入りを志願して、先日訪ねて来たのです。


「かまぼこかい」

「ああ。ほら」


 醤油とみりんでつけ焼きにするのが先生のお好みでしたから、すでに薄切りにこさえてあります。


「えへへ。じゃあ、まいどありがとう」


 勘吉郎からもらったかまぼこのひと切れを噛みながら滝坊、帰っていきました。


「ほれほれ」


 タマが先生から、イカの足をいっぽんもらい、うれしそうです。

 焼けたイカを皿に取って、次はかまぼこを焼きます。肴はそれだけではなく、青菜と油揚げの煮浸しもありますし、揚げ出し豆腐の小鉢もあります。


「ありがてえなあ」


 お酒があれば先生、こうしてかしわ手を打って、ちびりちびりとはじめます。

 勘吉郎も、そんな様子にすっかり慣れているようです。台所仕事の片手間、杯が空けば、酌をいたします。


「どうも小平次さん、またどこか飛び出して行っちまったらしいですね」

「仕方ねえなあ。ほれみろ、刷りが延びるのは、俺だけのせいじゃあないぜ」


 小平次さん、とは、瓢箪先生と組んでいる若い絵師です。

 なかなかの腕なので、そんな若くして腕を見せる者というのは、どこか人と違ったところがありますようで、いつもなにか思い立っては修業と称して旅に出てみたり、こないだなんか、知らない間に見世物小屋で、象の世話などしておりました。とにかく、ひとつところに落ち着きません。


「なにかといっちゃあ、帳面に描いてやがるんだ。鳥でも、犬でも、猫でも、馬でも、牛でも、それだけじゃねえ、野晒しの骸骨まで、まず仏様に手を合わせてから、描いていやがった」

「骸骨ですか。気味がわるくないんですかね」

「まあ、おまえさんもわかっていようが、それがあいつの値打ちだ。絵のこととなれば、なんでもないらしい」


 そうそう、勘吉郎、もとはと言えば、小平次の知り合いということで、先生にご紹介、となったのでした。少々不器用ですが、なかなかの働き者、身の回りのお世話なら何の不自由もありませんが、なんの、まだまだ、まだまだ。


「まあ、お前もつまみな」

「いただきます」


 勘吉郎、かまぼこをつまみ、いい焼け具合だったのをたしかめて、心の中でうれしくなります。ちいさな仕事がうまく回るのは、いいものです。


「ひとつ、やりな」

「いただきます」


 杯を取り、注がれたままに、ひょい、と、ひとくち。


「あははは、いいお酒ですねえ」


 しかしどうも勘吉郎、あまり強くはないようで。


「ううむ、そうだろう」


 先日、瓢箪先生、お酒を飲んだ勘吉郎の、様子が変わることに気がつきました。


「先生、いつもこんないい気分でいたんじゃあ、バチ当たりですよう」


 それは、こんな風に、大きな態度で話し出す、そのことではないのです。


「早く仕上げないと、維谷派屋の親方に、わるいですよう」

「ううむ、言う通りだな」


 お酒で目がどうにかしているのでしょうか。勘吉郎の、両ほほあたり。

 ぴょこん、と飛び出てきたそれは、猫や犬、毛もののひげに見えるのです。

 背中のほうには、なにやらもじゃもじゃした、しっぽのようなものも見えるのです。

 よく知られておりますように、例えばたぬきはよく人をばかしますし、また、様々なものに変化することもいたします。


「まあ、いいか」


 瓢箪先生、鷹揚なところがおありだ。

 勘吉郎は、仮にも弟子なのですし、今、先生は世話を焼かれているほうなのですから、夫婦とおなじ、うるさいことを言わないのが、長い付き合いの秘訣です。


「もう一杯、やりな」

「あははは、かたじけない」


「あっ、たぬ吉郎!」


 日はとっぷりと暮れまして、闇夜が辺りを包みます。

 赤い灯がぽつりぽつりと途切れないのは吉原で、それはちょいと離れての話、ここいらは暗がりは暗がり、屋台の明かりや提灯が時々灯るだけ。


「あいつ、酒に弱いなあ。仕方ねえなあ」


 声は暗がりから聞こえまして、姿は見えません。


「瓢箪先生も、タヌキと知っていて。やさしい方だねえ。おれたちは、ヒトに恵まれる、ありがたい性分だぜ」


 やがてその声も消えました。


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