2話 妹
自分の部屋に戻り、ベッドに体を投げ出し、呆然としていた。
しばらくして誰かがドアをノックしたが、答える気力もわかない。
「兄さん、私だよ。部屋に入るよ。」
返事を待たずに僕の部屋に入ってきたのは妹だった。そして勝手にベッドの横の椅子に腰かける。
「どう、王子になった気分は。嬉しい?」
「嬉しくなんかない。」
反射的にベッドから起き上がり、自分でもびっくりするくらい大きな声が出た。
「これまでの人生は偽物だったと言われたんだ。そりゃあ平凡な暮らしだったかもしれないけど、僕にとっては大切な思い出もたくさんある。」
目頭が熱くなる。
「王子になったんじゃない。僕はこれまでの人生を否定されて、名前も両親もなくしたんだよ。」
「兄さんなら、そう言うかなと思ってた。でも大丈夫だよ、私はもともと血がつながってないから、これまでもこれからも、私は兄さんの妹だよ。」
妹のエルナは養女だ。僕が5歳の頃にうちにやってきた。
妖精のように可憐な容姿に、高い知性と毒舌を併せ持ち、小柄なのに喧嘩は強い。いろいろと矛盾した特徴を持っている子だ。
妹には両親と似ているところは少ないけど、それでも両親は愛情を注いでいた。血はつながっていなくても、僕らは本当の家族のように育った。
本当の家族か。両親は実の子どもである僕と同じように妹に接しているって思ってたけど、どっちも実の子じゃなかったんだな。
「今、父さんと母さんのこと考えてたでしょ。」
妹は勘が鋭い。驚いている僕に、兄さんは分かりやすいのよと言ってから、真剣な口調で言った。
「二人とも、本当の娘のように私に愛情を注いでくれた。兄さんに対する愛情も偽りなんかじゃないよ。」
「そうだね。きっとそうなんだろうけど。」
「そうだよ。侍従長だった人の前だと他人行儀にする必要があったんだろうけど、父さんと母さんが兄さんのことを他人だと思ってるとは私には思えないな。」
しばらく妹と、小さい頃のことを話した。僕は10歳くらいまで病弱でよく熱を出したけど、そんなときは母さんがいつも側にいてくれた。でも怪我をしかねないような危険な悪戯をしたときは、母さんはもの凄く怖かった。父さんが作ってくれた玩具は木製なのに表面が金属みたいにすべすべで、時間をかけて丁寧に仕上げてくれたことがわかるものだった。
妹のおかげで気持ちが落ち着いてきた。うん、両親が僕らに本物の愛情を注いでくれたことは疑いない。
勝手にベッドに座った妹は足をぶらぶらし始めた。外では品行方正にしてるけど、僕の部屋に来ると、いつも行儀が良くない。
「それで、兄さんはどうするの?あの人たちに担がれて叛乱を起こすの?」
「うーん、今の領主の統治が酷いのは確かだと思う。街の人たちはみんな、前の領主の頃は良かったとため息をついてる。」
前の領主は辺境の小国だった王国の統治を尊重した。税は引き上げず、内政の仕組みも変わらなかった。帝国人が関わっていても訴訟は公平に裁いた。地名も旧国名のままシューネヴァルトとされた。領主は住民の声をよく聞き、民の暮らしを気にかけていた。だから帝国が約束を破って攻め込んだことに怒っていた領民たちも落ち着いていったと聞いた。
でも今の領主は重税を課し、訴訟は不公平だ。帝国人と領民の間で訴訟になれば、必ずといっていいほど領民が負ける。領民同士が争えば、領主に媚びている者が勝つ。そして一昨年は冷夏でひどい不作だったけど、領主は容赦なく税を取りたてた。税を払えなかった領民の土地や家を取り上げて、帝国人に安く売り渡したという噂もある。
「兄さんの言うとおり、今の領主は酷いよ。でも領主軍と戦って勝てるの?」
「たぶん王国の旧臣たちは、獣人たちを味方に付けるつもりだと思う。」
滅ぼされた王国では獣人は差別されず、人権が保障されていた。
でも帝国では地方によって獣人への対応は違っていて、人間扱いしないところもあると聞く。
前の領主は王国のやり方を尊重したけど、今の領主は獣人を迫害している。獣人の職人が作ったものは強引に安く買いたたき、獣人の商人には途方もない税をふっかけるらしい。獣人を捕まえて奴隷として売り飛ばすという噂まである。
その結果、今では街から獣人たちの姿は消えている。
「ふーん、獣人たちに話はつけてあるのかな。」
「うん、元侍従長だと名乗った人はうちに来るたびに歴史や政治を教えてくれたけど、王国の旧臣たちは樹海に引きこもった獣人たちと連絡を取っているようだと言ってたよ。」
「そんなことまで兄さんに話してたんだ。」
「うん、今になって思えば、今日の布石だったのかなあ。」
獣人たちが味方になれば、領主は追い出せるかもしれない。だけど帝国は強大だ。辺境の小国だった王国とは力の差は歴然としている。領主を追い出せたとして、その後が難しい。