登場人物の善意と作者の悪意により口にされなかった理は、最後に主人公によって紡がれる。
しばらくの間、わたくし共は綾小路巡査のご命令のもと本多家に閉じ込められました。
ですが、一時間もしないうちに正清様が連れ出され、わたくしたちは放免となりました。
やはり、正清様が犯人だったようでございます。
正清様はわたくしの事をどう思ったのでございましょうか。
そして、今までわたくしのことをどう思っていらっしゃったのでございましょうか?
あれだけ優しかった正清様は仮初めだったのにございましょうか?
正清様はわたくしの事をアリバイの道具としてお使いになりました。わたくしごときならどうとでもできるとお考えになったのでございましょうか?
一人では帰るにも帰れませんので、わたくしは車力を呼ばせ、本多家の客間で待たせていただくことにしました。
「やあ、櫻子さん。こちらにおいででしたか。」しばらく一人待っていたところに、綾小路巡査が声をかけてきました。正清様の護送が終わって戻ってきたのでございましょう。
「どうなったのでございましょう?」
「ボタンの取れた服は見つかりましたよ。桜の木のそばの植え込みの中に隠してありました。正清の言っていた通り、何の変哲もないよく見かけるスーツでした。」
「きっと自動車を止めていた近くでございますわね。いつの間に隠したのでございましょう。」
「オーダーメイドのボタンも一緒に転がっていました。櫻子さんの名推理通りです。」
「名推理なんてそんな・・・。」
わたくしは謙遜ではなく申し上げました。
正清様を追い詰めてしまった言葉を褒められるのはとても心苦しゅうございました。
「服のポケットから、太助さんに宛てたメモも出てきました。」
「メモ?」
「メモには『申し訳ないが10分くらい外す。その間にこのチョコレイ糖を食べてみて、感想を聞かせてくれ』と書いてありました。」
「はて、どういうことでしょう?わたくしたちが部屋を出た時に正清様が置いたメモでしょうか?」
「いえ、そのメモではありません。そちらは机の上にありました。『桜を見に行ってるから、用が済んだのなら呼びに来てくれ』と書いてありました。」
「それで寅の助はわたくしたちをすぐに呼びに来れたのでございますね。」
「どうやら正清は太助さんともっと早い時間に会う約束をしていたようです。誰にも知られないように会いたいと太助さんに直に伝えていたみたいです。そして、昨晩遅くにメモと睡眠薬入りのチョコレイ糖を机の上に置いておいたのだそうです。車の中で正清がゲロ・・・失礼、白状しました。」
「なるほど。太助様は奉公人たちが厨房に籠るころを狙ってこっそり事務所に入ったのでございましょう。」
「そして、机の上におかれているメモを読んで、正清の思惑通り睡眠薬入りのチョコレイ糖を食べてしまったのでしょう。包み紙がゴミ箱に捨ててありました。」
「その後、太助様が眠っている部屋にわたくしたちが入ったのでございますね。」
「ええ、後は櫻子さんの推理通りですよ。」
「やはり、わたくしは太助さんのご遺体のおそばにずっと座っていたのでございますね・・・。」
「まあ、お気になさらず。」
「正清様は何故、こんな事を?」
「どうやら、土地の売買についての揉め事だったようです。」
「ええ、正清様はこの辺りの自然を大切になさっていて、私から価値のある薬草があることについて太助様を説得に・・・」
「いいえ。正清は玉南鉄道の貨線が敷かれるのを見こして、この辺りの土地が値上がりするまで売却するのを待ちたかったようです。自動車なんて乗り回せるほど兄弟二人とも金周りは良くなかったようですね。特に太助さんはすぐにでも金が欲しかったようですな。」綾小路巡査は残酷なことをおっしゃいました。
「・・・そうでございますか。」
うつむいたわたくしの頭の上に、どこかから迷い込んできた桜の花びらが一枚、そっと舞い降ります。
わたくしは花びらをそっとつまんで、息でふっと吹き上げました。
「よく気がつくものですね。」
わたくしが後頭部の花びらに気づいたものですから、綾小路巡査が感嘆いたしました。
わたくしは嗅覚だけではなく、耳も、触覚も人よりも優れてございます。
「やはり目が見えないと、ほかの感覚が鋭敏になるのかもしれません。」
―完―
*玉南鉄道 東京西部の私鉄。現京王電鉄府中以西。
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ミミ公




