探偵が推理し、貴殿は困惑する。もしかしたらこの物語のトリックに貴殿は気づくやもしれない。
「椅子の位置がなんだというのか?」正清様が憮然としたお声を上げられました。
わたくしは思わず黙りこみます。
わたくしは物事を隠すことの嫌いな性分なれば、それを永遠に口にしないということはございませんのでしょうけれども、自ら進んで証拠も無い当て推量を語るのは気が引けました。
・・・いえ、それは自分を偽ってございます。
わたくしは正清様がこの殺人の犯人であると確信致しました。
それを口にしたくないのです。
「櫻子さん。何かお気づきになったことがあったら言ってください。我々はどんな情報も欲しております。これは殺人事件なのです。」綾小路巡査がわたくしを促しました。
そうなのです。
この場で申し上げなくてはなりません。
そうしないと『隠された証拠』が無くなってしまいます。
わたくしは意を決して話すことに致します。
「睡眠薬というものがございます。西洋医学によって近年作られたもので、少量でも大人を眠らせることができます。」
正清様が小さく息を飲んだのが解りました。
「太助様はきっと睡眠薬を飲まされてオフィスの椅子の上で眠っていらっしゃったのです。それもキヨが居間に来る以前から。」
「何ですって?」皆様が驚きの声をあげました。その中に正清様の声はございませんでした。
「キヨは太助様が中に入って眠ってしまわれた後、知らずに居間に居座りました。」どなたからも静止が入りませんでしたので、わたくしは説明を続けさせていただくことに致しました。「そして、犯人は太助様を絞殺いたします。その後に、わたくしが入って参ります。」
皆様、何も声をあげません。
わたくしの言葉の続きを知りたいようでございます。
「わたくしは、太助様のご遺体が座られていた椅子の『隣に置かれていた椅子』に腰かけ、太助様のご遺体には気づかなかったのにございます。」
皆が騒めきだしました。
明らかにわたくしが犯人として糾弾しようとしているのが誰であるか気づいたご様子です。
「だとすると犯人は、もしかして・・・。」
「そうでございます。正清様が犯人にございます。」
「何故そんなことを言うのか!酷い。君がそのように私の事を思っていたなんて!」正清様の悲痛な声がわたくしめの心を穿ちます。
「申し訳ございません。ですが、正清様のおっしゃることがずっとおかしかったものですから。」
「おかしい?」
「ええ。さきほど正清様は猿吉が部屋に入って来た時に犯人が居たのかもしれないとおっしゃいました。」
「言ったが?」
「どうやって、犯人は太助様を殺したのでしょう?」
「それは、紐で絞殺したのだろうに。」
「そんなことをすれば、太助様は必死に抵抗いたしましょう。外のキヨが何一つ気づかないはずがございません。」
「眠っていたのだろう。暴れることはあるまい。」
「何故、太助様は眠っていると?」
「猿吉が言っていたではないか。」
「猿吉は死体を見つけて、眠っていると『思った』と申し上げたのでございます。実際に部屋の中で眠っていたと申した訳ではございません。」
「たしかにそうだが、私の言ったのだって可能性の話だ。猿吉の話から兄者が部屋で眠ってたのかもと思い浮かんだけだ。そんなことのために私を疑ったのか?」
「いいえ。正清様は最初、猿吉にこうもおっしゃいました。太助様が眠っていたので首を絞めた時に音がしなかったのではないか、と。」
「言ったが?それの何が変なんだ?」
「いくら眠っていても、首を締められたらビックリするのです。普通はそう思いませんでしょうか?」
正清様は反論されませんでした。思ってもいなかったわたくしの言葉に面食らったのだと思います。
「太助様は恐らく完全な昏睡状態にあったのでしょう。西洋の睡眠薬は強力にございます。ですから、何の抵抗も無く太助様の首を絞めることができました。正清様その事が頭に残ってらっしゃったので、寝ている人間の首を絞めても相手は暴れないと思いこんでしまったのでございます。」
「そんな・・・、わ、私は人を殺したことなど無い。だからそんなこと解らなかったのだ。解かるわけがない!」正清様は食い下がりますが、わたくしの思わぬ論調にしどろもどろにございます。
「わたくしも最初はそう思っておりましたが、今朝、チョコレイ糖の匂いがオフィスに漂ってございました。」
「それはきっと私がチョコレイ糖を持っていたからだ。」
「正清様からであれば、わたくしがその前に気づいてございます。この甘酸っぱい匂いはチョコレイ糖が溶けなければ私の鼻でも負えないのです。おそらく、ベリーのソースの匂いなのでございましょう。」
「だいたい、チョコレイ糖の匂いがしたから何だというのだ!」
「チョコレイ糖の匂いはどこから漂ってきたのでございましょう。」わたくしは述べます。
「・・・・。」
「チョコレイ糖の匂いは、わたくしの隣に座っていた。太助様の口の中から匂っていたのでございます。」
今や口を聞いているのはわたくしと正清様ばかりでございます。
周りの方々はわたくし共の話が決着するのを見届けるおつもりなのでしょうか。
「太助様が首を絞められたときの音をキヨはまったく聞いておりません。でしたら、太助様はキヨが居間に来る前に殺されたか、昏睡状態にあって首を絞められたかのどちらかしか思い浮かびません。」
「ご遺体の状況から8時より前に殺されていたとは考えにくいです。」綾小路巡査がおっしゃいました。
「ならば、太助様は昏睡状態にあったのにございましょう。そして、太助様はチョコレイ糖をお召し上がりになりました。ならば、睡眠薬はそのチョコレイ糖に含まれていたと考えるのが普通にございましょう。正清様はこのチョコレイ糖はオランダよりお取り寄せになったとおっしゃいました。太助様はそのチョコレイ糖をどこから手に入れたのにございましょうか。」
「酷い当てこすりだ!すべて君の妄想じゃないか!!」
正清様はおっしゃいますが、仕方の無き事とはいえ、もはや喚き声に近いものにございました。
「だいたい、君はずっと私と一緒に居たではないか!」
「部屋に入る直前と入った直後、正清様お一人になる時間が数分だけございました。眠っている太助を殺す時間くらいはあったかと。おそらく、私が部屋に入る前でございましょう。少し時間がかかっていましたから。」
正清様からの反論はございません。
ですので、わたくしは続けさせて頂きます。
「そして部屋を出る時、正清様は机を直したのではなくて、わたくしの座っていた椅子を片付けたのでございます。これならば重い太助様のご遺体を動かす必要はございません」
考えてみれば恐ろしい話にございます。
わたくしは太助様のご遺体のお隣に座ってずっと談笑などしていたわけですから。
「証拠もなにも無しに私を疑うのか!」正清様がお叫びになられます。「ががっかりだ!とても酷い話だ。見損なった。」
「証拠なら、恐らく、ございます。」
「なにっ!?」正清様が驚きの声をあげます。
「そ、それはどこに?」綾小路巡査も食いつくようにおっしゃいました。
「きっとボタンの取れたお洋服が桜の木の元に埋められているのではないかと思います。」わたくしは申し上げました。
「探してみればいい!そんな所に服なんかあるわけがない。」正清様が声高におっしゃいました。自信がありそうです。
「そうですか、でしたら、桜の木からここまでの道のどこかに捨ててあるのでしょう。」わたくしはそう言ってから、寅の助に声をかけます。「寅の助。わたくしは道を分かりません。わたくしたちを迎えに来た帰り、車の後ろに掴まって一緒に帰って来ましたよね?道は解りますか?」
「へ、へい。よく知っている道にございます。」寅の助が慌てて返事を返しました。
「でしたら、警察の方を案内して、袖のボタンが取れたお洋服を一緒に探してきて差し上げなさい。多分、桜の木の近くにあるかと思います。」
「か、仮にそんな服が見つかったとして、それが何だって言うんだ!」正清様の声から余裕がなくなりました。
「それは、正清様が太助様を殺した時に着ていたお洋服にございます。」
「なんですと!?」綾小路巡査が驚いて叫びます。
「わたくしは桜の木の元で、正清様のお洋服のボタンが一つない事に気がつきました。その時に正清様は太助様を殺した時に落としたに違いないと初めてお気づきになったのです。ですから慌てて車にたまたま積んでいた別のお洋服に着替えたのございます。もちろん、ボタンが取れていることをわたくしが知っておりますので、今着ているお洋服のボタンはご自身ではぎ取ったのでございます。」わたくしは説明いたしました。「そして、証拠になりそうなお洋服のほうはどこかに処分していると思うのです。」
「その服がどこかで見つかったとして私が捨てたとは限らないだろう!」
正清様、説得力がございません。
もはや正清様の言葉は悲鳴に近いものでございました。
「まあ、そうですわね。」わたくしはそれでも正清様のご意見を受け入れてお答え致しました。「でも、もしかしたら正清様が今着てらっしゃるお洋服のボタンも一緒に捨てられているのではございませんこと?たしかオーダーメイド・・・でしたでしょうか?」
「・・・。」正清様は黙りこくってしまいました。
やはり。そんなにチャンスはございませんものね。
それにボタンだけわざわざ投げ捨てたら、落ちた時に音がして捨てたのがばれてしまうかもしれませんし。
いずれにせよ、後は警察がお洋服を見つければ終いにございます。




