事件は密室殺人なれど、この物語の骨子はそこにあらず。
本多家は古くは庄屋であり、今もなおそのご親族がこの辺りの各所を地主として所持しておいでです。
本多家は元々であればわたくしの生家である平家よりも大きな地主にございました。
ですが、本多家は先の戦争と先だっての東京の大地震をへて、言葉は悪うございますが、田分けを行いまして、今や平の本家と同程度の地主様になり果ててございます。
此度、わたくし平櫻子は、正清様のお供で本多太助様の分家を訪れ、この殺人事件に巻き込まれることとなりました。
殺されたのはこの南多摩郡にご地盤をお持ちの本多家のご当主、本多太助様にございます。
太助様は正清様の年の離れた腹違いのお兄様にございます。
正清様と太助様は共にお仕事をされているのですが、仲はよろしくないご様子で、正清様は昌平橋のさらに向こうにご自宅をお持ちにございます。
本多家は海外の利便を取り入れるのに積極的な家にございまして、今朝もわたくしは正清様にフォードなる自動車でここまで送って頂いております。
建屋もこのような片田舎にあるにも関わらず、最近流行りの洋式の間取りとなってございまして、居間や太助様の殺された仕事部屋だけでなく、建屋のほとんどの部屋に洋風の家具が置かれているとの事にございます。床も土間や畳ではなく、固い板張りの床にございます。
モダンガールなどともてはやされるこの時代になってなお和装を好むわたくしのような者にはハイカラな家屋の価値はそこまで解りません。ですが、家の中に脚の長い椅子があるというのは便利で良いものと感じました。足が冷たい床から離すことができるのもよろしうございます。
今、容疑者たるわたくしたちは本多家の居間に集められてございます。
この辺り一帯を担当されている綾小路巡査が、本多家の居間であるこの部屋にわたくしたちを呼び寄せたのでございます。
今、この居間には正清様とわたくしの他に、太助様の奥様の菊様、本多家の女中のキヨ、奉公人の寅の助と猿吉が綾小路巡査によって集められてございます。
わたくしが学徒を卒して、はや5年。
薬を扱う仕事にたずさわった都合上、今までにもご遺体に関わることは2度ほどございましたが、まさかこのような悪辣な事件に巻き込まれるとは露ほども思わず、戦々恐々と致しております。
その一方で、恥ずかしながら少しだけ心躍らせております。
子供のころ講談師の捕物帳に心躍らせていた、あの心持ちと申せばご理解いただけるでしょうか。
「間違いございません。私はひとときも離れることなくこの居間で仕事をしておりました。」
女中のキヨが憮然とした声で答えました。
綾小路巡査が今まであまりにしつこく確認していたものですから、キヨの口調は荒ろうございます。キヨも意地になってしまっているのでしょう。
「私がこの居間に来た8時以降、どなたも居間からは仕事部屋に入りませんでしたし、出てくることもございませんでした。絶対に間違いございません。」キヨは鼻息荒く今まで何度も答えていた内容を繰り返します。
「しかし仕事部屋のもう一つの扉には鍵がかかっておりました。」綾小路巡査はなおも尋ねます。「仕事部屋の外カギは太助さんのポケットに入っていました。もう一つのカギは正清さんがお持ちだ。」
「だから何だと言うのです。わたくしのここにいる間、旦那様は居間に現れてすらおりません。あの巨体を見落とすことなどあろうはずがないでしょう。」声色から、キヨが内心かなり苛立っているのが分かりました。
太助様と正清様の仕事部屋――最近の流行り言葉で申すならオフィスとでも申し上げればよろしいのでしょうか、その部屋には二つ扉がございまして、一つは家屋の内、もう一つは庭へと直接続いておりました。
内へと繋がる扉は、今わたくしたちの居る居間に繋がっておりまして、朝早くからキヨがずっと見張っておりました。
そしてもう一方、庭へと続く扉に最後に鍵をかけましたのが、他ならぬ正清様とわたくしだったのでございます。
「私たちがこの部屋を出た時には兄者はいなかった。」正清様は答えました。「それに私たちの他に誰かが居たということも無い。」
「しかし、太助さんが死んだのはここ一時間くらいで間違いありません。キヨも正清さんも知らないとなると、太助さんはいつこの部屋に入ってきたのでしょう。そして、太助さんを殺した犯人はどうやってこの部屋に入って来て、そしてどうやって出てきたのでしょうか?」
部屋中を沈黙が包みます。
誰一人、ため息一つつく事すらございませんでした。
「正清さんがこの部屋に入った時に本当に太助さんは居なかったのですね?」綾小路巡査は今度は正清様に矛先をお向け遊ばせました。
「当然だ。櫻子さんと一緒に仕事部屋に入った。兄者は居なかった。」
わたくしも正清様のご発言を確約いたします。
「間違いございません。綾小路様が太助様がお亡くなりになっていたという椅子にはわたくしが腰かけてございました。」
「だいたい、兄者はあの体躯だ。見落としようはずも無ければ、どこかに隠れられようはずもない。」
正清様がおしゃっているのは、太助様の体格の事にございます。
太助様はこの平山の地に名を轟かすほどの巨漢にございまして、その重さは百貫とも噂されております。
それほどの巨体なれば、動けばすぐに解りましょうし、隠れる場所も隠す場所もございません。
それこそ、ご遺体もその重さゆえ動かすことができず、いまだ発見された椅子にそのままに置かれているとのことにございます。
よくよく思えば気持ちの悪い話ではございます。
わたくしが直前まで座っておりました椅子の上にどこからともなくそのような死体が現れたというのですから。
「外カギはかかっていて、最後に正清さんたちが入った時には誰も部屋には居なかった。内側はキヨが居て誰も通らなかったという。」
綾小路巡査がお嘆きになられます。
「ならば、この密室でどうやって殺人が行われたというのですか?」
綾小路巡査のその言葉に、わたくしが「それを考えるのが巡査のお仕事でございましょう」と、どれだけ申し上げたかったことかはお察しいただけるのではないかと存じます。
*昌平橋 明治/大正時代の都内へ向かう鉄道の始発駅があったところ
*平山 東京西部。現八王子南部。平というところにある山という意味で櫻子は使っており、現在の平山城止とは異なる。
*百貫 375kg




