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09:「叔母さま!?」



 沈みかけた太陽が西の空をうっすらと照らす黄昏時。自室で書物を読んでいたら、不意に扉が叩かれた。

 侍女のミヅキが扉を開ける。そこに立っていたのは金髪の魔族マギルト――ファティマさんだった。



「ファティマさん? どうされたんですか?」


「シヅル様にお会いしたいという方がいらっしゃいまして」



 彼女はにっこり笑って言う。

 初めて見るファティマさんのしっとりとした笑みに――いつも彼女は弾けた笑顔を浮かべているから――若干戸惑いつつ、問いかけた。



「わたしに会いたい人、ですか?」


「はい。ご迷惑でなければ……」



 しずしずと頭を下げるファティマさん。

あきらかに普段と纏っている雰囲気が違うが面と向かって指摘するのは憚られて、わたしは疑問を飲み込んで質問する。



「その方はいったいどなたですか?」


「陛下の叔母さまですわ」


「叔母さま!?」



 ヴォルフラムに叔母さまがいたなんて初耳だ。けれどそれ以上に夫の血縁者への挨拶が漏れていたことにさぁっと顔から血の気が引く。

 このときばかりは心の中でヴォルフラムに文句を言いながら立ち上がり、ファティマさんに駆け寄った。するとミヅキもわたしに続こうとしたのだろう、彼女が椅子から腰を浮かせたところで、



「シヅル様お一人で」



 ファティマさんがそれを制した。

 叔母さまがわたしに一人で来るよう言ったのだろうか。なぜそんな指示を――と考えて、もしかすると怒っていらっしゃるのかもしれない、という仮定にたどり着いてしまった。

 一向に挨拶してこない甥の妻に、痺れをきらして呼び出したのだとしたら――

 ごくりと生唾を飲み込んで、わたしは自室を出た。



 ***



 ファティマさんに案内されてやってきたのは、長い廊下の突き当たりに位置する、とある一室だった。

 かなり奥まった場所にある部屋だ。ほとんど人の出入りがないのか、汚れていたりほこりっぽい訳ではないのだが、やけに侘しく感じられた。

 わたしを出迎えてくれたのは、銀髪の女性。



「は、初めまして、シヅルと申します」


「初めまして、ルフレと申します」



 ルフレと名乗った銀髪銀目の叔母さまは、ヴォルフラムによく似ていた。――正確に言えば、ヴォルフラムが彼女に似ているのだろう。

 ルフレさまはボリューミーなドレスの裾を優雅に操って、頭を下げる。



「お会いできて嬉しいわ、急にごめんなさいね」


「いいえ! ご挨拶が遅れてしまい申し訳ございません」



 どうやら怒っている様子ではなく、こぼれた安堵の息に気づかれないよう、深く頭を下げた。

 顔を上げてルフレさまに近づく。近づけば近づくほど、その目元にヴォルフラムの面影を感じるようで、体は自然とリラックスしていった。

 近づいてきたわたしに、ルフレさまはにこりと笑う。



「そのお洋服、素敵ね」


「巫女が着る装束なんです」


「……ミコ?」



 首を傾げる仕草が妙にかわいらしくて、自然と微笑んでいた。



「わたしの故郷では、龍神さま……国を守ってくださっている神さまに、祈りと舞を捧げるんです。そのお役目を任された者を、巫女と呼んでいます」



 わたしの説明に、ルフレさま目を輝かせる。



「まぁ! だったらあなたは選ばれた存在なのね」



 キラキラとした瞳で見つめられて、居心地が悪い。

 確かに巫女になるには狭き門と言われる試験を突破する必要があるが、それ以外で特別な技能は必要とされない。生まれも王族や貴族である必要はない。選ばれた存在、というのはいささか不釣り合いな形容詞のように思えた。



「そんな大層なものではなくて……昔の巫女は龍神さまのお声を聞けたそうですが、今は血も力も薄れて、形式的に残っているだけです」


「いいえ。きっとあなたには、声なき者の声を聞く力があるわ」



 ルフレさまはなぜか自信満々といった様子だ。

彼女の口調はまるで聞き分けの悪い子どもに言い聞かせるような、優しいけれど有無を言わさないものだった。



「そうでしょうか」


「えぇ、間違いないわ」



 迷いのない瞳で断言したルフレさまのお言葉には妙な説得力があって、正直悪い気はしない。それにこれ以上食い下がるのも失礼だと思い、わたしが頷く形で一旦この話題は終了した。



「さ、座って」



 勧められるままに用意された椅子に腰掛けると、テーブルの上に置かれていたティーカップからほのかに甘い香りがする。どうやら中身は紅茶のようだが、シロップでも入っているのだろうか。

 緊張で渇いた喉を潤すためにも、一口紅茶をいただいた。香りこそ甘いが、紅茶自体に不自然な甘みはなく、爽やかな後味だ。



「おいしい……」


「あら、よかった! ヴォルフラムもこの紅茶がお気に入りなのよ。花の蜜を入れていてね、味はそんなに変わらないけれど、甘くていい香りがするでしょう」



 にこにこ説明してくださるルフレさまに、そういえば、と思い出す。以前ヴォルフラムの部屋で飲んだ紅茶も、同じような甘い香りがした。

 彼女がヴォルフラムに教えて、気に入った彼が真似をしているのかもしれない。いつかヴォルフラムに紅茶を淹れるような機会があれば、忘れずに花の蜜も入れるようにしよう。

 ヴォルフラムの好きなものを知れて、素直に嬉しい。わたしがおしゃべりなせいもあるけれど、彼はあまり自分のことを語らないから、何が苦手で何が好きなのか、ほとんど知らないのだ。



「ヴォルフラムの好きなものを知れて嬉しいです。甘いものが苦手で、スープが好きってことぐらいしか、わたしはまだ知らなくて……」



 思わず愚痴っぽくなってしまい、視線を逸らして肩を竦めた。

正面に座るルフレさまが苦笑した気配がする。視線を上げれば彼女は、「仕方ないわねぇ」という優しい声が聞こえてきそうな微笑みを浮かべていた。



「あの子、全然食事に興味がないのよ。スープが好きって言うのも、その理由が飲んだときに“ホッとするから”なの! 味じゃなくて、温かいか冷たいかで判断してるのよ」



 流石は叔母さま、甥のことを良く知っているらしい。ヴォルフラムのことを語るときの穏やかな表情からして、きっととても可愛がってきたのだろうと安易に想像がついた。

 ルフレさまの話からするに、ヴォルフラムは冷たいものより温かいものが好きなんだろう。だとするとやはり、彼に勧める故郷の味はお味噌汁あたりがいいだろうか――



「あの子が好きなスープのレシピ、教えてあげるわ」


「ほ、ほんとうですか!?」



 思わぬ言葉にテーブルに手をついて、前のめりの体勢になってしまう。願ってもない話だった。

 上機嫌で頷いたルフレさまは、懇切丁寧にスープのレシピを教えてくれた。具も少ない、とてもシンプルなスープのようだったけれど、それ故塩加減ひとつで大きく味が変わってしまいそうだ。

 最後までメモをしたわたしに、ルフレさまは「他の人には教えちゃだめよ」とウインクした。どうやら門外不出のレシピらしい。



「あら、もう日が暮れるわね」



 窓から見える空を確認して、ルフレさまは呟く。

 その言葉をきっかけに、ヴォルフラムの叔母さまとのお茶会は、三十分ほどで解散する運びとなった。

 この部屋を訪れたときに感じていた緊張はどこへ行ってしまったのやら、まだまだたくさんの話が聞きたくて後ろ髪を引かれる気持ちを持て余していたら、



「また明日ね」



そう、ルフレさまは笑ってくださった。

 まるで母様に甘やかされているような気持ちになって、わたしは思わず「うん」なんて幼い返事をしてしまった。するとルフレさまは気にしないどころか、ふふふ、と三日月の形に目を細める。

 明日の約束をした以上、長居するのも失礼だと思い退室しようとしたのだが――



「私の存在は公にはなっていないの。だから秘密にしておいてね」



 別れ際、爆弾を落とされてわたしは固まってしまった。

 公にされていない存在。それは一体、どういうことだろう。



「今日お話ししたことも、私たちだけの秘密。ね?」



すっかり固まったわたしに、念を押すようにルフレさまは続ける。

お願いされた以上は従うしかないわたしは、どうにか頷いて返事をした。すると背後で扉が開かれた音がする。振り返れば、ファティマさんが扉を開けてわたしに退室するよう、目線で訴えていた。



「今日は、ありがとうございました」



 ルフレさまに挨拶をして、わたしは自室へ戻る。ミヅキに「どんなお話をされたんですか?」と聞かれたが、ルフレさまとの約束を破らないよう「秘密」と答えることしかできなかった。

 ルフレさま。ヴォルフラムの叔母さまということは、お父さまかお母さまのご兄弟ということになる。つまり紛れもない王家の血筋のはず。――もしかすると便宜上叔母ということになっているだけで、もっと遠縁の親戚だったりするのだろうか。

 いくら考えても答えが出ないことは明らかだったので、そうそうに切り上げた。もし必要であればご本人の口から事情を話してくれるだろうし、わたしが踏み込んではいけない領域なのであれば、変に詮索しては迷惑をかけてしまうかもしれない。



(そうだ、スープのレシピ……)



懐からメモした紙を取り出す。これも門外不出のレシピのようだから、料理長に調理を頼むわけにはいかない。――いや、もうすでに王城のシェフは知っているのだろうか。明日、ルフレさまに確認してみよう。

 メモを見返す。とてもシンプルなレシピだから、わたしでも作ることができそうだ。時間はいくらでもあるから、練習してみようか――なんて一人で計画を立てて微笑んだ。



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