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07:「かわいい!」



 湖に落ちた後、万が一また足を滑らせでもしたら危ないということで、宿のラウンジで紅茶とスイーツを楽しみながら雑談することになった。

 わたしは大きなイチゴがのったケーキに舌鼓を打っていたのだが、ヴォルフラムは向かいの席で渋い顔をしている。



「甘いもの、お嫌いですか?」



 ヴォルフラムは手元に用意されたチョコレートケーキに手を付けていなかった。

 渋い顔のまま、彼は頷く。



「甘すぎて、頭が痛くなる」



 確かに魔族マギルトの国の甘味は、わたしの故郷・月彌つくやノ国の甘味より数段甘い。甘味だけではない、料理も全体的に味付けが濃いようだった。

 元々甘いものが好きなわたしとしては、ヴォルフラムが「甘すぎる」と称するこの国の甘味も大好きなのだけれど――

 ふと、ヴォルフラムがケーキの乗った皿をこちらに差し出してきた。



「シヅルさえよければ、私の分も食べてもらえないだろうか」


「……いいんですか?」



 チョコレートケーキとヴォルフラムの顔を何度か見比べる。そんなわたしにヴォルフラムは「あぁ」と優しく頷いた。

 ほんの少しだけ体重のことが頭を過ったけれど、「嬉しい!」と思わずこぼれた自分の声は弾んでいた。



「チョコレートケーキもおいしそうだなって思ってたんです」



 イチゴのケーキとチョコレートケーキを並べて微笑む。もらったからには、体重のことは気にせず存分に堪能しよう。

 チョコレートケーキを一口食べる。口内に広がったのはビターな甘み。イチゴのケーキと比べて控えめな甘さのそれは、もしかすると甘味があまり得意ではないヴォルフラム用に作られたものかもしれなかった。

 三分の一ほど食べ進めたところで、ふと疑問が湧いてきた。甘いものが苦手だというヴォルフラムの、好きな食べ物はなんなのだろう。



「ヴォルフラムが好きなものはなんですか?」



 見るからに答えに窮した彼は、あまり食に興味がないのだろうか。

 思い起こせば、ヴォルフラムとこうして食事を共にすることは初めてだ。朝昼晩、食事はメイドが自室まで運んできてくれる。故郷の味によく似た食事は、おそらくわたしのために作られた特別仕様で、ヴォルフラムは違うものを食べているのではないかと思っていた。

 ザシャさんの「陛下は仕事中毒だ」というぼやきを思い出す。もしかすると、食を蔑ろにしてしまうタイプなのだろうか。

 悩みに悩んだヴォルフラムが、絞り出した答えは、



「……あたたかなスープ、だろうか」



 なんとも曖昧なものだった。

 スープ。そう聞いて思い浮かぶのは故郷の味――お味噌汁だ。おそらく月彌つくやノ国でしか見られない料理なのだろうけれど、城での夕食には必ずつけてくれている。

 一日の終わりにお味噌汁を飲むとほっとして、疲れが癒されるようだった。



「スープ……あぁ、わたしもお味噌汁は好きです。ほっとしますよね」


「お味噌汁?」


「こちらの国ではあまり馴染みがありませんか? お味噌を溶いて……」



 ヴォルフラムがお味噌汁を知らない様子なのを見るに、やはりわたしの食事は別に作ってくれているものなのだと確信して。今度しっかり料理長にお礼をしようと心に決めつつ、ヴォルフラムに簡単な説明をする。

故郷では時折、侍女に交じって料理場にこっそり立っていた。王族出身にしては知識のある方――だと思う。

 一通り“お味噌汁”の説明が終わり、一旦口を閉じる。するとヴォルフラムは「一度飲んでみたいものだな」と相槌を打った。

 少しだけ会話が噛み合ったように思えて、思わず口元が緩む。次から次へと話してしまうおしゃべりな癖を直して、ヴォルフラムとの会話を楽しみたい。

 上機嫌になったわたしは、新たな話題を提供した。



「そうそう、お味噌汁って、わたしの故郷だとプロポーズにも使われるんですよ」



 ヴォルフラムは赤の瞳を丸くした。数秒待って様子を窺ったものの、その口が開く気配はなかったので、わたしはそのまま続ける。



「“君の味噌汁を毎日飲みたい”って言い回しがあって……といっても、本気でそんなプロポーズをする人はいないと思いますけどね。でもそれぐらい、我が国にとっては日常に根付いたスープ料理なんです。いつかヴォルフラムにも食べてもらいたいなぁ」



 あたたかいスープが好きだといったヴォルフラムに、気に入ってもらえたら嬉しい。

まずはお味噌汁を飲んでもらうため、近いうちに夕食を一緒に食べたい、と密かな願望を胸に抱く。ただ仕事の邪魔はしたくないから、ヴォルフラム本人に伝える前にそれとなくザシャさんに相談してみよう。

 ――と、なぜか向かいの席に座るヴォルフラムが神妙な面持ちで黙り込んでしまった。いったいどうしたのだろう、と首を傾げたとき、



「じゃんじゃじゃ〜ん! 良いものを持ってきました〜!」



 どこからともなくファティマさんが大きなアルバムを持って現れた。

 彼女が手にしているのはハードカバーのとても立派なアルバムだ。表紙に小さく刻まれた王家の印を見て、心当たりがあるのかヴォルフラムは背もたれに預けていた上半身を起こす。



「ファティマ、そのアルバムはまさか……」


「陛下の小さな頃の写真ですよ〜!」



 ――見たい!

 思わず乗り出してファティマさんを見上げる。

 幼い頃のヴォルフラム。いったいどんな子どもだったのだろう。とても整った顔をしているから、さぞやかわいかったに違いない。

 ファティマさんは素早い動きでアルバムを机の上に広げた。そしてヴォルフラムが伸ばした手をひょいと躱し、表紙をめくる。

 現れたのは眠いのか、目を擦る小さな魔族の写真だった。

髪の色も肌の色もわたしが知るヴォルフラムとは違う。漆黒の肌と銀の髪。けれど顔立ちから分かる。この写真の子どもは、ヴォルフラムだ。

 真ん丸の目は潤んでいて、心なしかこちら――写真を撮っている人物をじとっと睨みつけているように見える。



「かわいい!」



 自然と声を上げていた。

 ファティマさんは「そうでしょう、そうでしょう」と楽しそうに笑いながら、ページをどんどん捲っていく。

 写真の中のヴォルフラムはだんだんと大きくなっていった。時折一緒に映っている威厳ある男性はお父さまなのだろう、よく似ている。お母さまの姿は見られなかった。

 走り回っている姿。勉強している姿。鍛錬している姿。だんだんと体が大きくなり、顔立ちも凛々しくなっていく。

 しばらく楽しくアルバムを眺めていたのだけれど、見ていくうちにある一つのことがどうしても気になってしまった。それは――



(この写真は、何年前に撮られたものなんだろう……)



 アルバムは所せましと大量の写真が貼られているが、写真が撮られた日付の記載は一切ない。

 失礼だと重々承知の上で、とうとう我慢できなくなって、ヴォルフラムの年齢を尋ねた。



「……あの、失礼なことをお聞きしますが、ヴォルフラムはいま、おいくつですか?」



 真正面からの問いかけに、ぐ、とヴォルフラムは口籠る。

 そんな彼に代わって、ファティマさんが答えてくれた。



「まだまだ百二十六歳のお坊ちゃんですよ」


「百二十六歳の……お坊ちゃん……」



 ――百二十六歳。わたしとの年の差は百歳以上あることになる。

魔族と人族の寿命は全く違うから、覚悟していたことではあった。しかし百二十六年生きても尚、“お坊ちゃん”と称されたことに眩暈を覚えてしまう。それだけ生きても、まだ大人とは言えないのだろうか。

 ショックを受けて言葉を失うわたしを見てか、ヴォルフラムはすかさず口を挟んだ。



「それはファティマから見たら、だろう。百どころか二十を越えれば魔族でも立派な大人だ」



 おそらくヴォルフラムの言葉は優しい嘘ではなく、本当なのだろう。けれどそうだとしても、自分たちの年齢差は変わらない。

 どうしても気持ちは下を向いてしまう。自分は百二十六歳まで生きられそうにない。せいぜい長生きできても八十年程度だ。もっと若くしてこの世を去る可能性だって十分ある。



「やっぱり寿命が全然違うんですね……」


「あら! そうでもありませんわ、シヅル様」



 思わぬ否定の言葉が挟まれて、「え?」とファティマさんを見上げた。

 ファティマさんは金髪を揺らしながら、妖艶に微笑む。底知れぬ色気を感じて、ごくりと生唾を飲み込んだ。



「魔族は魔力で体の寿命に逆らうことができるだけですわ。逆らわなければ人族と寿命はそう変わりありません」


「寿命に逆らう、ですか?」


「老いに逆らう、と言った方がいいかしら? 強力な魔力で老いていく肉体の時間を止めることができるから、魔族は長寿だと言われているのです」



 魔族について知識の薄いわたしが、すぐに理解できる話ではなかった。

 寿命が長いのではない。ただ魔族の方は、強力な魔力で肉体の時間を止めることができる。

 だから、つまり、それは――?

 ファティマさんの説明をうまく飲み込めず、間抜けな顔をしていただろうわたしを見かねてか、ヴォルフラムが端的に説明してくれた。



「つまり強い魔力を持つ者ほど、己の寿命を好きに決められる」



 強い魔力を持つ者ほど、寿命を好きに決められる――

 思わず、わたしはヴォルフラムを見つめてしまった。すると彼も優しく目を眇め、こちらをじっと見ていたものだから、自然と数秒間見つめ合う形になる。



「あらあら、うふふ」



 ファティマさんの嬉しそうな声に、わたしははっと我に返った。

 一瞬、愚かな期待をしてしまいそうになった。魔族は寿命を好きに決められる。それならば、自分とヴォルフラムは同じ時間を生きられるかもしれない――なんて。

 しかし何千年と生きられる夫に、この国を導かなければいけない魔王に、そんな我儘を強いるなんてできるはずかない。国や家臣たちも許さないだろう。それにヴォルフラムがわたしのことを大切に想ってくれているのは確かだろうけれど、終わりを共に迎えてくれるとはさすがに思えなかった。

 自意識過剰な期待を抱いてしまったことにほんのり頬を染めつつ、話題を変えてしまおうとファティマさんに強請る。



「ファティマさん、もっと別の写真も見せてください」


「えぇ! ほら、こっちは――」



 それからしばらく、幼い頃のヴォルフラムの写真を話題に楽しんだ。

 小さなベッドで眠るヴォルフラム、おもちゃが壊れて半泣きのヴォルフラム、袖が余った服を着て真面目な顔をしているヴォルフラム――

 ふと数々の写真の隅に、金髪の騎士が度々映り込んでいることに気が付いた。凛々しいその姿は印象に残る。



「この方、先ほどからよく写られていますね。近衛兵の方ですか?」



 金髪の騎士を指さして尋ねた。するとヴォルフラムとファティマさんは顔を見合わせる。

 失礼なことを聞いてしまっただろうか、と不安になったわたしに与えられた答えは、予想外のものだった。



「ファティマだ」


「……え?」



 思わず写真に写る騎士を凝視する。そしてその美しい顔立ちと、目の前のファティマさんの顔を見比べた。

騎士の凛々しい顔立ちは、目の前の美しい女性の顔立ちに――重なった。



「近衛兵としてキバッてた頃ね、懐かしいわ〜」



 昔を懐かしむようなファティマさんの横顔は、写真と比べても全く年を取っているようには見えず、改めて魔族が持つ魔力の偉大さを思い知らされたようだった。



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